第2章-6 部下に「弱み」を見せてもいいのです
商社に勤めるIさん(30代女性)は、新しいプロジェクトのリーダーに抜擢され、突然、三人の部下を持つことになりました。
生まれ持った生真面目な性格から、仕事が早く正確で入社当初から評価の高い女性でした。キャリアアップのためにも、「このプロジェクトは絶対に失敗できない」と、これまで以上の気概をもって仕事に励みました。
ところが、部下が思い通りに動いてくれません。書類に誤字脱字が多かったり、提出期日を守れなかったり、取引先との打合せに遅刻してきたりします。お客様との打合せに遅れたことなど入社以来一度もないIさんにとって、部下の行動は信じ難いものでした。
「自分に上司としての威厳が足りないからだ」
そう考えたIさんは、自然と部下を厳しく注意するようになりました。しかし、注意しても注意しても一向に部下のミスは減りません。行動も改まりません。そのうち仕事を任せるより自分で処理した方が速いと考え、部下の分まで仕事をするようになりました。
最終電車で帰る日が続き、土日も出勤する状態に。Iさんは、体力的にも精神的にもすり切れていきます。職場ではいらだっていることが多くなり、そんなIさんを見て部下たちは反発するようになりました。そうして、チームは崩壊寸前の状態になったのです。
上司になりたての、できる人が犯す典型的なミスですね。
「威厳」を辞書で引くと「近寄りがたいほど堂々としておごそかなこと」(大辞泉)とあります。
プロジェクト・リーダーが近寄りがたい存在であることは、コミュニケーションを密に取りあうことが要求されるチームにおいて、デメリットになります。
また、Iさんは自分が正しいことを言っている、正しいことをしている、という思いが強すぎました。
部下を注意した後、
「わたし、何か間違ったこと言ってる!」
と、部下をさらに追い込むような言葉が口癖になっていたのです。
Iさんは何も間違っていません。誤字脱字のない書類を作ることは「、正しい」ことです。時間を守ることも「正しい」ことです。
ですが、正しいだけでは人は動いてくれません。
論理的な説得は時に人を不快にします。なぜならば、人間は感情で動く動物だからです。感情は、非論理的なものです。
「わたし何か間違ったこと言ってる」は、自分の正しさを確認したいがための言葉ですね。
このような詰問は、
「この人は自分のことしか考えていない」
「最後は自分がかわいいのだ」
と、相手に感じさせ、ネガティブな感情を引き出します。仕事に完璧さを求めることは、とても大切なことです。
しかし、部下は上司に人間的な完璧さなど求めていません。
求めているのは、人間味なのです。
Iさんは、とても優秀な人です。その仕事ぶりは同期で群を抜いていて、「Iは遅かれ早かれわが社始まって以来初の女性取締役だな」と上層部に言われるほどでした。そんな周囲の評価に自分を合わせるように、自らも優秀であろうとしました。
ところがその優秀さは、一担当者として自分ひとりで仕事をしている場合に限られていたようです。
上司になったら決して一人で仕事はできません。三人も部下がいたらどれだけ事務処理能力が高くても、部下の分まで仕事をすることは無理なはずです。
判断力に優れているはずのIさんが、部下との関係がぎくしゃくしてくると「自分でできる」と錯覚を起こしてしまいました。いや、錯覚ではなく「できる」と思い込もうとしたのです。
なぜなら、自分が正しく、部下が間違っていることを証明したかったからです。
リーダーとしてプロジェクトの成功が、到達すべき目標です。そのことは、頭ではわかっていました。ですが「私の正しさを認めさせてやる」という、部下との不毛な精神的な争いに心を酷使してしまったのです。
Iさんが、リーダーとしてまずすべきことは、部下との信頼関係を築くことでした。信頼関係を築くためにIさんは「自己開示」をもっとすべきでした。
「信頼関係」は「自己開示」によって作られます。
「自己開示」された側の人が感じるのは、その人の人間味です。人間味は、安堵感を生み、仲間意識を育みます。
上司と部下は、敵対する関係ではありませんね。掲げたビジョンを共有し目標を達成するために力をあわせる仲間のはずです。
Iさんの能力の高さは、物事を効率的・合理的に進める点にありました。無駄なものは一切排除します。リーダーになってからも、仕事をするうえで部下との会話は最低限のものしかなく、まして部下と雑談をするなど時間の無駄だと考えていました。
雑談は、自己開示をする絶好の機会です。自己開示のチャンスを失っているということは信頼関係を築くときを逸しているということになります。
「MBWA(Management by Wondering Around)」
というマネジメント手法があります。
雑談がリーダーと部下との心理的距離を縮め、信頼感を生み出す場にもなっていることは言うまでもありません。
上司にとって最も仕事が効率的に進んでいくことは、部下が自ら動くことです。自分が動くことではありませんね。Iさんは無駄を省いているつもりが、自分の最も嫌いな無駄な仕事を背負い込むことになってしまったのです。
Iさんは、プロジェクトを成功に導き、社内での評価はさらに高まりました。では、どのようにして、チーム崩壊の危機を乗り切ったのでしょうか。答えは簡単なことです。
自分の非を認め素直に部下に謝り「助けて欲しい」と自分の心の内を正直に開示したのです。
「自分はとても弱い人間で、リーダーになりたてで不安だらけなの。なんとかこのプロジェクトを成功しなくてはいけないという恐怖感にとりつかれて、あなた達にあたっていたかもしれないわ。ごめんなさい。私にはあなた達の力が必要なの。私も改めることは、改めるから、もう一度、力を貸して欲しい・・・」
そう言い頭を下げたIさんは、部下たちの前で泣き崩れてしまいました。
『ベーコン随想集』(岩波書店)
部下との関係で悩んでいるとき、自分の内面を正直に語ろうとすることは「弱さ」をさらけ出すことになるかもしれません。「本心」を伝えようとすると「恥ずかしい」「情けない」「みっともない」という感情がブレーキをかけます。
でも、もしIさんが弱さを部下の前で露呈しなかったら、恐らく、プロジェクト・チームも、そして何よりIさんが壊れてしまっていたと思います。
上司はそんなに強くなければならなのでしょうか。
そんなことはないはずです。
人は誰もが弱さを持っています。
部下に本心を伝えることは、二つの相反する結果をもたらします。
部下のやる気を二倍にし、失敗への恐れを半分にします。
上司も人間です。
一人の弱い人間でいいのです。
(著:松山 淳)
2. 私は、部下と本音で話しているだろうか。
3. 私は、自分の弱さを認めているだろうか。