第2章-1 リーダーシップの発揮は人それぞれです
食品メーカーに勤めるH主任(30代)は、入社10年目にして初めて部下をもつことになり、会社から「リーダーシップ研修」を受けるように言われました。上司になる不安もあり、喜んで会場へ向かいましたが、一日の研修を終えて「自信をつけた」というよりも、「不安感を強めた」といったほうがよいようです。
研修講師の口からは、
「リーダーはいつも明るく強くなければならない」
「部下を叱るときは、大きな声で叱れ」
「毎日プラス思考で積極的にものごとにあたれ」
など厳しい言葉がならびました。あげくに、皆で手をふりあげ「やるぞーやるぞー」と応援団まがいのことまでさせられたそうです。
H主任は、小さい頃から口数が少なく気弱なタイプ。そのことがコンプレックスになっています。研修で語られた「リーダーの条件」を、どれひとつ満たしていない自分に余計、自信をなくしてしまったのです。
私の本棚にある「リーダーシップ」関連の本から「リーダーの条件」をアットランダムにピックアップしてみます。
「情熱」「大胆さ」「率先力」「傾聴力」「決断力」等、挙げれば切りがありません。もし、これらの素養すべてを身につけることができたら、「完璧なリーダーシップ」を発揮できるのかもしれません。ですが、少し想像してみればわかるとおり、恐らくそんな人はいません。
「それができるのは、ある限られた特殊な人間だけだよ」と。
本当にそのとおりですね。自分たちの住む世界からあまりにかけ離れた現実を舞台に語られるリーダーシップ論ですので、そう思ってしまうのも無理のないことです。
経営学者のP・F・ドラッカーは、
『「リーダーシップの資質」や「リーダーシップ」の特性というようなものも存在しない』
『未来企業』(P.F.ドラッカー ダイヤモンド社)
と断言しています。また、第1章の話に通じるこんなことも言っています。
「私が出会った優秀なリーダーたちに共通する唯一無二の特徴は、彼らがある一つのものを持っていないということだった。彼らは『カリスマ性』をほとんど、あるいは、まったく持っていなかった」
『経営革命大全』 (ジョセフ・ボイエット&ジミー・ボイエット 日本経済新聞社)
私は、リーダーシップを否定しているのではありません。それどころか「優れたリーダーたちが何を考え、どのような特性を持っているか」を学ぶことは、とても大切だと思っています。
なぜなら、「リーダーシップ理論」のなかには「型」があるからです。
ここで言う型とは、武道や歌舞伎、能など日本の伝統芸能に見られる「型」のことです。「型」を「基本」と言い換えるとわかりやすいでしょうか。「基本」なくして「実践」はありません。
上司の仕事は、常に経営の現場(職場)にあります。社内を調整し部下をまとめ力を引き出し、成果をあげていくことが上司の仕事です。
型を学んだら職場に立ち実践あるのみです。
偉大なリーダーたちから抽出された型をある人に当てはめようとすることは、ちょうど、からだのサイズは人によって違うのに、全ての人にフリーサイズの洋服を無理やり着せることに似ています。
不可能ではありませんが、現実的ではありません。
できないことはないですが、無理があります。
「リーダーシップ」とは「個別性」の強いものです。
「個別性」とは「それぞれだ」ということです。
だから、研修や本で偉大な人が成し遂げたリーダーシップ論を学び、実践しようと思い、たとえできなかったとしても決して気にしないでください。
もし、リーダーシップをうまく発揮できないと悩んでいるなら、〝いま〟、それが見つかっていないだけです。あなたらしい「リーダーシップ」を発見する過程に、あなたは〝いま〟いるのです。
そう考えてください。
ときに「偉大なリーダーの条件」という「鉄の鎧」を着こみ、その重さに耐えきれず苦しみ動けなくなっている人を見かけます。強くなるための鎧がその人の力を奪っています。これでは本末転倒です。
リーダーシップとは、自分を顧みてあなたの中に眠る力を解放することです。誰かが作った鎧を着ることでも、誰かがくれた剣を振り回すことでもありません。
リーダーシップは、自分の内なる声を聞き、何が正しいかを見極め、人間関係に揉まれ苦しみながら自分の力で身につけていく、あなたにしかできない行いです。
どうぞ、自分自身のなかに眠る力を信じて下さい。
(著:松山 淳)
2. 私は、自分らしいリーダーシップについて考えたことがあるだろうか。
3. 私は、自分の力を信じているだろうか。