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第6章-8 トラブルから逃げる「上司」になってはいけない
印刷会社に務めるF主任(30代)は、リーダーシップ研修の先生の言葉に深くうなずきました。
F主任は、法人営業部に所属し五人の部下がいます。印刷会社はトラブルの宝庫。誤植、色違い、納品部数のミス、納期の遅延、支払い拒否などなど、厄介事が日常的に起こります。
文字が数カ所間違っているような誤植の場合、取引先にも校正をお願いしているので、どちらが責任をとるのか微妙なケースも多々あります。その際、過失を印刷会社側が認めてしまうと請求書を発行することができず、売上をたてられなくなります。部下の努力が、水泡に帰します。ですので、トラブルが発生したときほど、上司の力が必要なのです。
主任レベルで解決できることもありますが、取引先の担当者が役職上、上位ですと、それでは解決しない場合があります。
クレマーが「お前じゃ話にならない、店長を呼べ」「責任者を出せ」と、よく言うのは、その現場で起きたミスを処理する重要な意思決定権のある人間と話をして、「こちらの要求を飲ませたい」と考えているというよりも、「偉い人」が出てきたことで自尊心を満たしたいのです。つまり、感情的な問題なのです。
あるとき、トラブルが発生し、F主任はあわてて取引先にかけつけました。すると、課長が出てきて、こう言われてしまいました。
「君の会社には上司がいないの。それとも主任が一番偉いの」
印刷の実務レベルの対応は、自信をもってできます。自社工場に連絡を入れ、謝罪して、一日でも早くミスした印刷物を刷り直して納品する。その対応の早さは、社内の誰にも負けないつもりです。ですが、自分が主任であるという事実を変えることは、急にはできません。
F主任の悩みは、トラブルが発生した場合に、取引先に一緒に行って、謝罪や交渉をして欲しいO課長が、まったく動いてくれない人だということです。
電話が鳴り、雲行きが怪しくなると、事務所からいなくなってしまいます。あるいは、トラブルで事務所がざわつき始めると、なぜか、どこかの会社といつも電話をしています。典型的なトラブルに対応しない上司です。
O課長のようなリーダーは、以前からいました。「加点主義」ではなく「減点主義」が企業風土になってしまっている会社に、多く棲息しています。
本人の性格的な問題もありますが、「何をしたか」ではなく「どれだけ失敗をしなかったか」で評価されるような会社だと、O課長に似た上司が増えます。ミスに関わらないことを、美徳と思っている節すらあります。
F主任は、取引先に嫌味を言われるたびに、「申し訳ございません」と平謝りするしかありません。トラブルを処理して事務所に帰ってくると、O課長が何事もなかったような顔をして座っています。その顔を見るたびに、F主任は「胸ぐらをつかんでぶん殴ってやりたい」という衝動を抑えるのに必死です。
なんとかならないのでしょうか。
人の行動原理には、二つの心理があります。一つ目は、「快を求めて行動する」です。二つ目は、「危機を回避するために行動する」です。
O課長は、性格的に危機回避型の人間です。では、O課長にとっての危機とは何でしょうか。それは、印刷ミスというトラブルそのものではなく、トラブルに関わりそれを解決できなかったときに「会社側からマイナス評価をされる」ことです。
ですので、この心理を逆手にとって「トラブルに関わらないことがマイナス評価になる」という意識を根づかせればいいのです。
ある人からヒントをもらい、F主任は次のような心理的な仕組みをつくり実践しました。
これは、会社の正式な施策の一環でなくてよいと思います。正式なものにしようとすると、稟議にかけなくてはいけなくなるので、時間がかかってしまいます。その部や課だけで行われているという形で十分です。
この施策の副次的効果として、トラブルに対して社員が意識的になり、トラブルの発生件数そのものが減っていくようになりました。一粒で二度おいしいのです。
「表彰されたいがためにトラブルを増やす社員がいるのじゃないか」との疑問が出てきそうですが、取引先やお客様からどなられ、なじられ、蔑まされるトラブルを処理するときのつらさや惨めさや厳しさを知っていれば出てこない問いです。トラブル・メーカーはいますが、トラブルを望んでいる人はいません。
仕事は人がするもの。
そうであるかぎり、失敗やトラブルはつきものです。
うまくいっているときは、見守っていればいいのです。部下の手に余るトラブルに対峙してこそ、上司力は高まり、それに比例して会社側からの評価も高まっていくのが、本来の姿です。
トラブルに対処しない、トラブル・メーカー上司になっては、困ります。
「そうですよね、O課長」
(著:松山 淳)
2. 私は、部下の手に余る失敗を一緒になって解決しているだろうか。
3. 私は、トラブルに対処しないトラブル・メーカー上司になっていないだろうか。