フロイトは「無意識」の存在を認め、精神分析学を確立した偉人である。意識することができない心の領域(無意識)があるのを前提にし、「心の病」の仕組みを明らかにした。フロイト以前にも「無意識」に関する心理学的理論はあった。フロイトは、意識と無意識の存在を体系化・理論化し精神分析学として世界に広めた人物といえる。
世界三大パラダイムシフト
「無意識の発見」
「無意識の発見」
世界の三大発明といえば「火薬」「羅針盤」「活版印刷」ですね。
では、人間の常識を根底から覆した3大パラダイムシフトといえば何でしょうか?
- コペルニクスの「地動説」
- ダーウィンの「進化論」
- フロイトの「無意識の発見」
フロイトは、無意識を発見した人として紹介されることがあります。
ただ、「フロイトによる無意識の発見」ではなく、「無意識の考え方をベースに確立されたフロイトによる精神分析学の発見」といったほうが正確です。なぜなら、「無意識」という心の構造に関する考え方は、フロイト以前に、すでにあったからです。
フロイトは、「無意識」の存在を精神分析学の中の重要な概念として世界に知らしめた人物といえます。人の心を深く探求し、心理学の範疇にとどまらない偉人として、フロイトは世界に名を知られています。
フロイトと無意識
心理学の概念としての「無意識」を知らずとも、私たちは、日常会話で「無意識」をよく使っています。
「無意識の内に手が動いていた」
「つい(無意識で)嘘をついてしまった」
「無意識のなせる技だよ」
心には、自分で「意識できる領域」と「意識できない領域」があります。意識できない領域が「無意識」です。
「無意識」に影響されて「つい何かをしてしまう」ことは、多くの人が経験することです。また、「つい何かをしてしまう」ことに「無意識」が関わっていることを、理解できています。「無意識」という言葉を日頃から使っていますので…。
ところが、フロイトが生きた時代の欧州を中心とする知識人は違っていたのです。
フロイトが現在のチェコ共和国に生まれたのは、1856年です。日本は江戸時代ですね。徳川幕府が終わりを迎える「幕末」です。坂本龍馬や西郷隆盛など「幕末の志士」たちが活躍していた時代です。
世間を騒がせるフロイトの代表作『夢判断』の出版が、1900年です。日本は、明治33年です。ずいぶんと昔のことです。
当時の欧州知識人の常識は、心とは「理性の力」によって「自分でコントロール」できるものでした。それが人間の誇りでもあったのです。
もし、理性でコントロールできない心の領域(無意識)を認めてしまうと、人間は自分を自分でコントロールできない存在へと堕落してしまいます。知識人たちは、それを認めることができませんでした。
「人は、日々、無意識の影響を受けて生きている」
これは、人間観の常識を根底から揺るがす大事件だったのです。フロイトの考えは当時多く人から批判され、なかなか受け入れられませんでした。
フロイト以前の無意識
ここで、フロイト以前の「無意識」について、お話しします。
フロイト以前の学者も、無意識の存在に気づいていました。
ヒステリー研究の大家ジャン=マルタン・シャルコー (Jean-Martin Charcot:1825〜1893)はその筆頭です。フロイトは1885年、パリへ半年間留学しシャルコーのもとで学んでいます。
心的外傷(トラウマ)に着目したフランスの精神科医ジャネ(1859〜1947)からもフロイトは影響を受けています。ジャネは、通常の「意識」とは異なる領域の存在を認め、「下意識」という考えをもっていました。「下意識」は「無意識」の考え方に近いものですね。
シャルコーやジャネなど、当時の学者たちから学び、フロイトは自身の「無意識」に関する考えを深めていきます。
ですので、冒頭で書いた通り、「フロイトが無意識を発見した」という言い方は、誤解を招く表現です。フロイトが、ある日突然、人間の心の中に「無意識」を見つけ出したのではありません。
フロイトは、「独自の無意識に関する考えを発見し、確立していった」。そんな表現が適切です。
では、いかにしてフロイトは無意識へと接近していったのでしょう。
無意識
フロイトが学んだシャルコーは、心理療法に「催眠」を取り入れていました。
フロイトが出席した講義の時、シャルコーは患者に催眠をかけて、ヒステリー症状を出したり消したりすることができました。みんなが見ている前で、です。
患者は催眠をとかれると、催眠中のことを覚えていません。催眠といっても、眠っているわけではないのです。同じ人が、ヒステリー状態になったりならなかったり、「たった今、自分に起きこと」を覚えていたり覚えていなかったり…。
すると、次の仮説が成立します。
「人間には自分では知覚できない心の領域がある」
そして、ヒステリー症状の原因は、自分では意識できない領域=「下意識」(無意識)が関係していると考えられるわけです。
神経科医ヨーゼフ・ブロイアー(Josef Breuer:1842〜1925)に「アンナ・O」(女性 21歳)の症例があります。ブロイアーは、フロイトが開業医として独立する時に、患者を紹介してくれるなど、力を貸してくれた恩人であり経済的支援者です。
フロイトは、アンナの症例から大きなヒントを得て、ブロイアーと共同で『ヒステリー研究』を発表します。この論文は、近代精神分析史における重要な論考のひとつです。
アンナは幻覚や言語障害を伴うヒステリー症状を起こす患者でした。普段はとても聡明な女性だったのですが、症状が出ると気絶することもあったのです。
そんなアンナは、コップに口をつけて水を飲むことができませんでした。「どうして?」。アンナ自身もよくわかりません。
そこで、アンナに催眠をかけます。
催眠状態になったアンナはある場面を思い出しました。かつて、自分の嫌いな家庭教師が、コップを使ってアンナの飼い犬に水を飲ませている場面です。その時、アンナは「怒り」を感じたのに、表現できませんでした。
この過去に感じた「怒り」を催眠中でぶちまけると、アンナはコップで水を飲めるようになったのです。
いったい何が起きたのでしょう?
「コップで水を飲めなかった人が、飲めるにようになった」。この仕組みを説明するのに「無意識」の存在を前提に置くと、とてもすっきりします。
自分ではわからない心の領域=「無意識」に、アンナの「怒り」がおさえこまれていた。その「無意識」にある「怒り」が解放され(カタルシス)たことで、症状が消えた。
自分の嫌いな家庭教師がアンナの飼い犬に水を飲ませた場面は、アンナにとって過去の「心の傷」(トラウマ)になっていた可能性があります。
「心の傷」(トラウマ)が「怒りの解放」(カタルシス)で癒され、水を飲めるようになったのであれば、『症状の原因は無意識に抑え込ま(抑圧さ)れていた「怒り」である』という仮説が成立します。
その後もアンナは、喜怒哀楽をおさえることなく、自由に語ることで症状が軽減していきました。「無意識」に抑え込まれた記憶や感情が「意識」され、解放されることで治療が進展していったのです。
アンナはこれを「談話療法」(トーキング・キュア:Talking cure)と呼んでいました。
くだけた表現が許されるなら「おしゃべり療法」ですね。おしゃべりすること(話すこと)で、アンナはよくなっていきました。
アンナ・Oの症例には、現代の心理学でも語られる重要なキーワードがつめ込まれています。
- 過去の記憶を無意識に閉じ込める「抑圧」
- 精神的ショックを伴う経験でつくられる心の傷「トラウマ」
- 鬱積された感情の解放でなされる精神的浄化「カタルシス」
フロイトは「談話療法」(トーキング・キュア)によって症状が軽くなったアンナの症例を知り、催眠を使っていた自身の治療ケースを検討していきます。催眠は万能ではなく、催眠でも快方に向かわないケースがありました。
そうして、フロイトは、催眠には頼らない「自由連想法」にたどり着くのです。
「自由連想法」とは、患者が催眠状態にならず、通常の意識状態で寝椅子に横になり、自由に語ってもらうことで治療を試みる精神分析療法です。
「自由連想法」は、フロイトが発明した手法です。
精神分析や心理学といわずとも、私たちは日常的にアンナのいう「談話療法」を自然と行っていますね。
例えば、仕事でひどい失敗をして、深く傷ついた管理職Aさん(30代)がいたとします。
会社では管理職でリーダーです。「部下の前で弱さを見せてはいけない」。そう思って、職場では辛さ苦しさを言葉にできず、心の中に抑えこんで働いていました。
そんな時、たまたま学生時代の友人とばったり出会い、飲みに行くことになりました。本音を語り合える「心の友」です。酒も手伝い「実は…」と、悩みを洗いざらい友人に話してみました。すると、翌朝、Aさんは心がとても軽くなっている自分に気づいたのです。
話したからといって、すぐに何かが解決されるわけではありません。ですが、話すことが「心の健康」に良いことは確かです。話すことで心にたまったものが解放されるからです。
本音で話せる「おしゃべり」は、私たちが思っている以上に心の健康に良いものです。
意識の3層構造
フロイトは、心を三層に構造化しました。「意識」「前意識」「無意識」です。
- 「意識」:人が「今」意識できている領域(部分)。
- 「前意識」:普段は忘れているが、努力すれば比較的簡単に意識化できる領域。
- 「無意識」:日頃、意識できず、そこにある記憶や感情にタッチするためには本人の相当な努力や専門家の協力が必要となる。
先ほどの管理職Aさん(30代)の例でいえば、次のようになります。
仕事で失敗して、時間がたっていない時の記憶や感情は「意識」の領域にあります。
時間がたてば、記憶は自然と薄れていきますので、「前意識」へと移っていくでしょう。数年後、Aさんに聞けば、「そういえば、そんなことあったな」と、明るく答えてくれるかもしれませんね。
しかし、Aさんが、あの仕事の失敗から、誰にも自分の感情(辛さ)を話すことができずに何年も気分が晴れず、苦しんでいたら、「無意識」の領域が関係してきます。
Aさんが自分で思っている以上に、心は傷ついていて、「怒り」「情けなさ」「悔しさ」など否定的感情を「無意識」の領域に抑圧している可能性があります。
もし、Aさんが、カウンセラーに思い切って話すことで、何年も続いていた気分の重さがなくなり元気になれとしたら、抑圧していた否定的感情(怒り、情けなさ、悔しさetc.)が、「無意識」で作用していたことになります。
「無意識」にある記憶や感情を解放するためには、誰かに話し「意識化」することです。「意識化」するとは、「自分でわかること」「気づくこと」です。
Aさんは、自分でも思っている以上に深く傷ついていたのです。深く傷ついている自分に気づけなかったのです。
「自分は会社でリーダーなんだから弱くてはダメだ」。そう言い聞かせ、自分の辛い感情を誰かに話すことはなく、心の奥底へおさえこんで生きていたのです。
無意識にあるものを意識化することは、ポジティブな作用を人間にもたらします。
もちろん、人の心はとても複雑で、「意識化」が、すぐに症状を消してくれると約束されてはいません。ただ、意識と無意識の関係を前提とするならば、「意識化」という心を癒す基本的な考え方は、100年以上の時を経た今も変わっていません。
フロイトの弟子と言われる「ユング」や「アドラー」は、フロイトの「無意識」に対する考えに、異を唱えるようになります。その確執にフロイトは深く苦悩します。
しかし、フロイトが「無意識」の概念を学問的に確立してくれたお陰で、後につづくユングやアドラーは、自身の理論を発展させていくことができたわけです。
フロイトの功績、そして彼自身が偉大であったことは、変わらない事実としてこれからも歴史に刻まれ続けることでしょう。
(文:松山 淳)
ジークムント・フロイト(Sigmund Freud 1856〜1939)
近代精神分析学の創始者。フライベルク(現在のチェコ)に生を受ける。ウィーンで開業医となり、「無意識」の領域に関する洞察を深める。催眠療法による「トラウマ理論」や「自由連想法」のセラピー手法によって精神分析学を創始する。精神医学の範疇を越えて社会科学論、芸術論にも言及した思想家でもある。主な著書『夢判断』『精神分析入門』など。1939年、ロンドンで病死。享年83歳。