ネガティブ・ケイパビリティ(Negative capability)とは、「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」※のこと。「負の能力」「陰性能力」などと訳される。1817年、イギリスの詩人ジョン・キーツ(John Keats)が、弟に宛てた手紙の中に「ネガティブ・ケイパビリティ」が登場する。精神科医ウィルフレッド・ビオン(Wilfred Bion)が、この言葉を発見し心理臨床の場で重視した。
日本では、2017年に精神科医帚木蓬生が『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(朝日選書)を出版し、広く知られる概念となった。
コロナウィルスによる世界的パンデミック、ロシアによるウクライナ侵攻など、「答えの出ない事態に耐える力」が求められる時代となった。
ネガティブ・ケイパビリティについて、わかりやすく解説する。
詩人キーツのネガティブ・ケイパビリティ
ネガティブ・ケイパビリティ(Negative capability)の元祖は、イギリスの詩人ジョン・キーツ(John Keats)だとされています。キーツは結核により25歳で亡くなった早逝の詩人です。彼の生涯は映画『ブライト・スター いちばん美しい恋の詩』(日本公開2010 配給:フェイス・トゥ・フェイス)になっています。
キーツが1817年に弟へ宛てた手紙にネガティブ・ケイパビリティが登場します。キーツはシェイクスピアの優れた資質を高く評価して、その言葉を使っています。手紙の原文を『The Keats Letters Projec』から引用します。
「I had not a dispute but a disquisition with Dilke, on various subjects; several things dovetailed in my mind, & at once it struck me, what quality went to form a Man of Achievement especially in Literature & which Shakespeare possessed so enormously—I mean Negative Capability, that is when man is capable of being in uncertainties, Mysteries, doubts, without any irritable reaching after fact & reason・・・」※
「私は、ディルクと論争をしたというより、いろいろなテーマについて長々と説明をした。いくつかのことが私の頭の中をかけめぐり、思い当たった。特に文学において、功績のある人間を形成するために必要な資質は何かと…。シェイクスピアがけた外れに持っていたもの、それはネガティブ・ケイパビリティ、つまり人間が事実や理由を性急に求めることなく、不確かさや不思議さ、懐疑の中に存在できる力である」
※原文出典『The Keats Letters Projec』より
「不確かさや不思議さ、懐疑の中に存在できる力」が、シェイクスピアを偉大な小説家・芸術家にしたと、キーツは考えました。
キーツ自身が詩人であり芸術家でした。詩は、不確かで不思議で懐疑に満ちたこの世界を表現していきます。詩を理解することは、時に難しく「何を言っているのかわからない」と感じる詩もあります。言葉には限界があり、詩人が感じたこと考えたことは、「そのまま100%」わかりやすく表現することができないのです。
もし、わかりやすく表現したら、「そのまま100%」を伝えることに対して「手抜き」をすることになります。「わかりやすく」することが、何かを伝えようとする行為の質を落とすことになるのです。
ですので、芸術家には「不確かさや不思議さ、懐疑の中に存在できる力」=ネガティブ・ケイパビリティが求められるのです。
ポジティブ・ケイパビリティ
ネガティブ・ケイパビリティに対して「ポジティブ・ケイパビリティ」(positive capability)という考え方があります。私たちが幼い頃から教わってきたのはポジティブ・ケイパビリディです。
「ポジティブ・ケイパビリディ」は、「できるだけ早く不確かさや不思議さ、懐疑の中から脱出する力」といえます。問題に対してすぐに答えを出すような「わからない」を「わかる」に置き換えていく能力です。
人間にとって「何かがわからない」という状況は不快であり不安を生み出します。「わからない」はストレスの要因です。「わからない」ことをできるだけ早く解決すれば、人は楽になれます。
「わからない」ことが「わかる」ことには、心地よさがあります。理解できなかったことを「あっ!わかった!」となった瞬間、そこに快感があります。人の心は高揚し積極的になります。これらはポジティブ・ケイパビリティのメリットです。
小学生は授業を受けテストを出されて、「わかる」経験を積み重ねていくことで、勉強を好きになっていきます。「わかる」ことが多くなりテストの点数があがれば、先生から親から評価され褒めてもらえます。「わからない」ことばかりでは、褒められることも少なくなりモチベーションは下がり「もっと勉強しよう」と思わなくなります。
社会人でも同じです。仕事で「どうすれば成果が上がるのか」=「仕事のやり方」がわかっている時には、不安は少なくモチベーションをある一定の水準に保てます。反対に「どうやって仕事をすればいいのか?」その知識やスキルが不足していると、不安感が強くなりモチベーションは下降していきます。
ロジカル・シンキングで使われる多様なフレームワークは、「わかる」ための効率的な思考ツールとして、多くのビジネスマンが活用しています。
わかる人は=できる人=優れた人
社会では、そう考える傾向が強いので、問題解決技法など「わかる力」は高く評価されます。
できるだけ早く「わかる」には多くのメリットがあり、人は自然とポジティブ・ケイパビリティを発達させていきます。
「わかる」ことはメリットだらけのようです。ですが、仕事で失敗をした時などに、「わかったつもりになっていた」という反省の弁がよく聞かれるように、「わかる」ことにはデメリットもあります。
世の中、1+1=2のように単純に理解できることばかりではありません。人のことは特にそうです。人の心はとても複雑で奥深いものであり、親が子を、先生が生徒を、上司が部下を「わかっている」と考えていても、その「わかっている」ことは、全体の一部にしか過ぎません。
「先生(お父さん、お母さん)は、俺(私)のこと、何もわかってない!もういいよ!」
そう生徒(子ども)に、憤慨されたことのある先生(親)は多いものです。
つまり「わかる」には程度があり深さがあります。「わかった」と思うことが思考停止を招き、失敗の原因をつくり出すのです。「もうわかってるわかるからいいよ」となれば、自分の考えを深めることをやめてしまいます。浅い理解で満足することが心の習慣になってしまいます。
「わかる」は、努力しない自分を正当化できます。それは結果的に、自己成長の可能性を奪うことになります。
「わかる」ことが、成長のさまたげになる。
「わかる」という感覚は、時に人をネガティブな状態に導きます。
精神科医帚木(ハハキギ ホウセイ)先生は、『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(朝日選書)の中で、こう書いています。
「分かった」つもりの理解が、ごく低い次元にとどまってしまい、より高い次元まで発展しないのです。まして理解が誤っていれば、悲劇はさらに深刻になります。
『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(朝日選書)p9
だから、「わからない」自分を引き受けて、それに耐える力が必要となるのです。
人間は苦悩に耐える存在=ホモ・パティエンス
VUCA(ブーカ)という言葉をよく目にします。VUCA(ブーカ)は、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字をとって並べたものです。「先行きが不透明で、未来予測が難しい状態」を意味します。
これからの時代は、予測不能で何が起きるか「わからない」のです。世界的パンデミックにウクライナ侵攻。さらに何が起きるのでしょう。わかりません。
それは今に始まったことではありません。いつの時代であってもVUCAの要素は付きまとっていて、個人が世界を理解しようとしたら、どんな人でも知的能力には限界があり「わからないことが多い」のがふつうです。
人は理解の限界を超えた事態に直面した時に、「わからない」という苦悩に耐える=ネガティブ・ケイパビリティを発揮し、その状況を乗り越えていくのです。
「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」
「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」
第2次世界対戦の時、ナチスの強制収容所に収監され生き延びた心理学がいます。世界的ベストセラー『夜と霧』の著者としても名高いオーストリアの精神科医V・E・フランクル(1905〜1997)です。
フランクルは「ロゴ・セラピー」の創始者です。「生きる意味」に悩む全世界の人々を、その教えによって救い続けました。彼の書いた『夜と霧』は、今も増刷を続け世界各国で読まれ続けています。
フランクルは、ホモ・サピエンス(Homo Sapiens)にならって、「ホモ・パティエンス」(Homo Patience)という言葉をつくりました。 「ホモ」は「人間」で、「パティエンス」には「苦悩に耐える」という意味があります。 ホモ・サピエンスが「賢い人」なら、ホモ・パティエンスは「苦悩する人」といえます。
フランクルは、他の動物にない人間の本質的な特性を「苦悩に耐える」ことと考えたのです。
飢え、暴力、殺人。ナチスの強制収容所は人間の尊厳が徹底的に奪われた地獄です。「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態」です。その地獄をフランクルは「ホモ・パティエンス」の資質を十二分に発揮して生き残りました。
フランクルは『生きがい喪失の悩み』(講談社)の中で、こう書いています。
忍耐、少なくとも、まことの運命を正しく誠実に苦悩するという意味での忍耐は、それ自体がひとつの行為です。いや、それどころではなく、たんにひとつの行為であるばかりでなく、人間に許されている最高の行為です。こうして私たちは、ヘルマン・コーエンの「人間の最高の尊厳は苦悩することである」ということばをも理解できるのであります。
『生きがい喪失の悩み』(中村友太郎 訳 講談社) p134
フランクルは、『それでも人生にイエスと言う』(春秋社)では、「不幸に耐えて苦悩することそのことで、人間は高貴にされるのです。最高の価値領域へさえ高められるのです」(p39)とも書いています。
「ホモ・パティエンス」の考え方は、ネガティブ・ケイパビリティに通じています。
寛容であるためのネガティブ・ケイパビリティ
「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態」に耐えられないと、人はストレスを募らせ「不寛容」になっていきます。人を許せなくなり、他人を必要以上に攻撃します。攻撃することで、自分の心が満たされます。攻撃による心理的満足には即効性があるため中毒性があり、習慣化していきます。病みつきになるのです。
SNSの「批判的書き込み」は、その代表的な例であり、攻撃された人が自ら命を絶ってしまう事件が発生しています。ネットでの誹謗中傷に対して、法的整備が進められる時代です。
SNSは人と人との「絆」をつなぐ反面、「絆」を破壊する「不寛容社会」をつくり出しています。
この傾向は、SNSの進化によって今後も加速していきます。人・社会の不寛容化は世界レベルで起きていることです。ウクライナ侵攻の発生要因は様々あれ、戦争は「不寛容」の象徴であり、偶然の一致ではありません。
闇があれば光あり。
「不寛容」へのカウンターとして、慈しみの心を育む「マインドフルネス」の教えが、世界的に広まっている可能性があります。
「不寛容社会」だからといって、「不寛容な人」ばかりなのでありません。むしろ、寛容な人の割合が常に多く、一部の不寛容な人間のとる行為が悪質なため「不寛容社会」のイメージが植え付けられていくのです。
多くの人は寛容であり、心穏やかに過ごせる社会を平和な世界を求めています。
寛容であることが、世界の平和をつくります。
寛容であるためにネガティブ・ケイパビリティが求められます。
精神科医帚木先生は、『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(朝日選書)の中で、こう書いています。
寛容は大きな力を持ち得ません。しかし寛容がないところでは、必ずや物事を極端に走らせてしまいます。この寛容を支えているのが、実はネガティブ・ケイパビリティなのです。どうにも解決できない問題を、宙ぶらりんのまま、何とか耐え続けていく力が、寛容の火を絶やさずに守っているのです。
『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(朝日選書)p9
思い通りにならないのが人生です。
悩んだ時に、そうやすやすと答えの出ないのは、ふつうのことです。みんな、そうです。
「どうしたものか」と悩みながら、足を一歩一歩前に進め、そうしている内に答えが、現れてくることもあります。
人生には、どうしても時間のかかかることがあるのです。そして、時間のかかることには、時間をかけることです。時間をかけずあわてて出した「答え」は、時に、人生のつまづき石になります。
「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態」にぶつかったら、急がずに、あわてず、時間をかけて、宙ぶらりんの自分を許し、耐えていくのです。
他者に寛容であるように、自分にも寛容でいてください。
私たちは苦悩することが高貴にされる「ホモ・パティエンス」なのですから…。
最後に、『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(朝日選書)にあった、スクールカウンセラーからの手紙の1部を引用して、本コラムを終えます。
解決すること、答えを早く出すこと、それだけが能力ではない。解決しなくても、訳が分からなくても、もちこたえていく。消極的(ネガティブ)に見えても、実際には、この人生態度には大きなパワーが秘められています。
どうにもならないように見える問題も、持ちこたえていくうちに、落ち着くところに落ち着き、解決していく。人間には底知れぬ「知恵」が備わっていますから、持ちこたえていれば、いつか、そんな日が来ます。
「すぐには解決できなくても、なんとかもちこたえていける。それは実は能力のひとつなんだよ」ということを、子供にも教えてやる必要があるのではないかと思います。
『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(朝日選書)p200
(文:松山 淳)
※出典:『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(帚木蓬生 朝日選書)p3
本セミナーでは、ネガティブ・ケイパビリティの基本的な知識をおさえ、その力を支えるロゴセラピー(フランクル心理学)やマインドフルネスの考え方にもふれます。実際に瞑想にも取り組みます。
ネガティブ・ケイパビリティやマインドフルネスにご興味のある方、ぜひ、ご参加ください!
VOGUE JAPANから取材を受け「ネガティブ・ケイパビリティ」について語りました。