自己肯定感が高い・低い。そんな話題をよく耳にするようになりました。普段から自己肯定感の低い私としては、とても気になるテーマです。そして、「自己肯定感の高くない自分」を否定しまっている人、傷ついている人が、たくさんいることを知りました。そこで、「自己肯定感の低い」私自身の体験なども交えて、自己肯定感の低さに悩んでいる人たちへ、「自己肯定感が低くても大丈夫ですよ!」という応援メッセージを贈れたらと思います。
自己肯定感とは?
自己肯定感とは「ありのままの自分を肯定できている感覚」です。
だから、「自信」とは違います。自信は自尊感情と深く関係します。特に、他人と比べた時に、「自分は優れている」「自分ならできる」と感じられるもので、「強さ」をともなった感情・感覚です。
まずここでおさえてもらいたいのが、「自己肯定感と自信は違いますよ」ということです。
たぶん、多くの人が自分の「自信のなさ」を「自己肯定感が低い」と考えてしまっているのではないでしょうか。
「自信がある・ない」という感覚には、他人がからんでくるので、自己コントロールが難しい面があります。でも、自己肯定感は、「自分が自分をどう思うか」ですので、それは比較的、コントロールしやすいものです。
それにですね、「自信のない自分をそんなに好きじゃないけど、それも私だから、それはそれでOK」って認められたら、「自信はない」けど「自己肯定感はある」ことになるんです。
それって、つまり、「ありのままの自分を肯定できている感覚」じゃないですか。
自己肯定感が「高い」「低い」という表現が、よくないですよね。
「高い」「低い」という2つの判断軸だけ設定すると、「じゃあ私はどっちなの?」となって、「どちらかといえば私は低いほうかな」なんて少しでも思ったら、「じゃあ、私は自己肯定感の低い人間」と決めてしまって、それが自己否定につながって、自分を苦しめてしまいます。
「自己肯定感」と「自信」を並べて、その違いをからめて話をしてきました。
けど、これって、現実の話、そんな正確にわけなくてもいいかなと思うんです。
なぜなら、「自己肯定感の低さ」や「自信のなさ」には、それはそれで人を成長させるプラスの面があるからです。それに、人生には、「自己肯定感が高いとか低いとか」「自信があるとかないとか」より、もっと大事なものが、たくさんあるからです。
ここで結論を先にいってしまうと、
「私は自己肯定感が低いから、高くするんだ」という方向で考えるのではなくて、「そんなのどっちでもいい」と、考えられるようになることが、ひとつのゴールです。
「そんなのどっちでもいい」と考えられる心理状態、これを心理学で「自己超越」(Self-tanscendense)といいます。
「自己肯定感が高いとか低いとか」「自信があるとかないとか」、それらにこだわっているのは、「自己執着」(Self-obsession)です。
「自己執着」(Self-obsession)からは、「生きづらさ」が生まれてきます。
「自己超越」(Self-tanscendense)からは、「自分らしさ」が生まれてきます。
それではゴールに向けて、「自己肯定感が低くても大丈夫」「そんなのどっちでもいい」と思えるような話を、3つ、していきます。
理由1.努力する力になるから
自己肯定感が低いから、人は努力します。「自分はダメだな」と感じるからこそ、人は、「ダメじゃない自分」を目指して努力を重ねていきます。
努力なんて、古臭い言葉かもしれません。でも、50年以上、生きてきて、つくづく人生は「努力の連続だな」と思います。このコラムを書いているのも「努力」のひとつです。
冒頭、書きましたとおり、私は幼い頃から「自信のない」「自己肯定感の低い」人間でした。それを隠そうと、虚勢をはっていた青春時代、若き日もありました。今思うと、「とても無理していたな」「自分をつくっていたな」と思います。
50歳を超えた今も、「あなたは自信のある人ですか?」なんてたずねられたら、あわてて首を横にふって、自信をもって「ノー」といえる人間です。
ただ、人並みに努力はしてきたかな、と思います。高校時代からの夢だった「いつか必ず本を書く人になる」という夢を30代で実現できました。これまで6冊の本を出版してきました。その中には海外で出版されものもあります。
今は、素直に、夢を叶えた原動力が、「自信のなさ」「自己肯定感の低さだったな」と、認められます。
私は企業研修の講師も務めますので、これまで20年間、数多くのミドル世代のリーダーたちにお会いしてきました。
そこで、10代、20代の人たちで「自己肯定感の低さ」に悩んでいる皆さんに伝えたいことなのですが…2つあります。
ひとつ目が、リーダーをされている皆さんで「見るからに自信満々の人なんて」ほとんどいないということ。
ふたつ目が、そんな自信なさげ人でも「仕事はできる」「優れた成果を出している」ということです。
これが現実の世界です。
だから、「私は自己肯定感が低いからダメ」じゃなくて、「自己肯定感が低いから努力ができる」「もっと成長できる」と、ひっくりかえして考えてみてください。
ちなみに、「自信のなさ」「自己肯定感の低さ」には、心理学でいう「劣等コンプレックス」が関係してきます。「劣等コンプレックス」は、普段は、人の無意識の領域にあります。この無意識の領域にあるものをしっかり認めることが、心の成長につながります。
世界三大心理学のひとりC.Gユングは、こう書いています。
劣等感があるところに常に、無意識のある部分が意識に同化されることを要求しているだけではなく、同化の可能性もまたあることを示している。(中略)自らの無意識的な自己を実現する道を歩む者は、必然的に個人的無意識の内容を意識にとりいれ、それによって、人格は大きさを増すのである。
『自我と無意識』(ユング 第三文明社)p33-34
ちょっと難しいこといっていますが、シンプルに、こう考えてみてください。
劣等感があるから、人格(あなたの人間性)は大きさを増す。
そうなんです。「自分は他人より劣っている」と悩むからこそ、人は努力を重ねて成長していけるのです。
「私は自己肯定感が低い」と苦しむ人は、「無意識的な自己を実現する道を歩む者」です。それは、あなたが心の深い道に歩みいる勇者(ヒーロー)であり「選ばれた人」であることを意味します。
苦悩なき勇者(ヒーロー)なんていません。
「ワンピース」のルフィも、「呪術廻戦」の虎杖悠仁も、「スターウォーズ」のルークも、勇者はみんな苦難の道を歩み、苦悩し、それゆえに成長し「宝物」を手にいれます。
その宝とは、「自分らしさ」という、生涯失うことのない光輝く「宝物」です。
「自己肯定感が低いからダメ」じゃなくて、「自己肯定感が低いから努力ができる」と考える。
理由2.あなたらしさを生む力になるから
「自己肯定感の低さ」があなたの「個性」をつくっています。「私は自分に自信がないんです」という感覚が、「あなたらしさ」のもとになっています。
あなたという人間存在、その全体像から考えてみましょう。
「自己肯定感が低い」という感覚は、あなたをつくっている「一部」「一側面」に過ぎません。「自己肯定感の低い私」を「私全部」だと考えるのは、小指だけ見て、それは私の体全体だと考えるようなものです。
「部分」を見て「それを全体」と思い込んでしてしまうことを、心理学では「拡大解釈」といいます。「認知のゆがみ」のひとつです。
どんな人にも長所と短所があります。長所は短所となり、短所は長所となります。ふたつは両輪となって、人の個性(その人らしさ)を育みます。つまり、人にとって短所は、いらないものではなくて、必要なのものなのです。
以前、Facebook『人生が輝く言葉』で、こんなことを書きました。
長所と短所は表裏一体。短所が長所となっている。
神経質は丁寧さに。いい加減は大らかさに。しつこさはあきらめない心に。
優柔不断はしなやかさに。臆病さは用意周到さに。
短所と長所はつながりあって、その人の個性となっている。
だから短所に失望しない。自分のダメなところでがっくりしない。
その短所があるから、自分のよさが輝いているのだから。
自己肯定感が低いのであれば、きっとあなたは、とても「謙虚な人」ではないでしょうか。謙虚の反対は傲慢です。
あなたは、自己肯定感が低いからこそ、傲慢な人にはならず、「謙虚さ」という人としての優れた資質を手に入れているのです。
太陽と月。沈むゆくものあれば、登るゆくものあり。
それと同じように、失うものがあれば手に入れるものがあります。低いものがあれば、高くなっているものがあるのです。
ポジティブ心理学の大家マーティン・セリグマンは、こういっています。
人はポジティブな感情がそれほど高くなくても、十分、幸せになれる。
『ポジティブ心理学が教えてくれる「ほんものの幸せ」の見つけ方』(パンローリング)p46
自己肯定感がそれほど高くなくても、十分、幸せになれます。
なぜなら、自己肯定感とは、あなたの「部分」「一側面」の話であって、「あなたの全部」ではないからです。
自己肯定感が低いからこそつくられているポジティブな面に、そして「全部のあなた」に、もっと目を向けましょう。
「自己肯定感が低い」からこそ、「できていることがある」と考える!
理由3.集中すれば気にならなくなるから
さて、このコラムのゴールは、自己肯定感について「そんなのどっちでもいい」と思えることでした。
「そんなの、どっちでもいいと」思える心理状態を「自己超越」(Self-tanscendense)と書きました。
その反対で、「私は自己肯定感が低い、高い」と気にすること、こだわることを、「自己執着」(Self-obsession)といいました。
かくいう私も、若い頃、自信のなさに、かなり悩んでいました。
「もっと自信があれば、もっとできる」と考えていました。これって自己執着ですね。
今考えると、「自信のなさ」を「何かをしない理由」にしていたのです。
人は、「できる理由」を考えるより、「できない理由」を考え出すことのほうが得意です。できない理由は、スラスラでてきます。そのうちのひとつが「自信のさな」です。「自信がないんです」…、だから「できないんです」。
私の人生、そういっている内は、前に進みませんでした。変わりませんでした。
「自信がないから、本を書けない、出版できない」。そう考えていました。でも、違っていたのです。よく考えたら、ロジックが通ってませんね。本を書くのには、出版するのには、もっと他の資質や要素が必要です。人脈なんてそのひとつです。運もあるでしょう。
「自信」という「部分」を出版という全体に無理に結ぶつけて、ロジックを飛躍させています。これも「拡大解釈」であり「認知のゆがみ」です。
そこで、Facebook『人生が輝く言葉』で、こんなことを書きました。
できる理由を考えよう。どうすればできるかを考えよう。
できない理由は、スラスラどんどん出てくる。
できない理由が勢いをますと、結局、何もやらないことになる。
できる理由を考えるのは、とても難しいけど、
できる理由を見つけて実行した者が未来を変えている。
できる理由を考えよう。
できる理由で未来を変えていこう。
正直、今も、文章を書くことは苦手ですし、書いていると辛いです。楽しいと感じることはあまりなく、自信なんてありません。
でも、今もこうして書いています。なぜ、書けるのかといえば、書いていると自分が消えていくからです。
これまので経験で、ものすごい集中している時を思い出してみてください。スポーツでも武道でも、漫画を読んでいる、アニメを観ている、ゲームをしている、Youtubeを観ている時でもいいです、その時、どうでしたか?
「私は自己肯定感が低いとかと高いとか」「私は自信がないのでダメなんです」なんて、ぜんぜん、考えていないですよね。
なぜ考えていないのでしょう?
なぜなら、何かに集中している時には、「私(自分)」を意識する「自我」の働きがおさえられ、「私が消える」心理状態になっているからです。これが自己超越です。東洋思想では「没我」ともいいますね。
スポーツをしている人であれば「ゾーンに入る」という言葉を知っているでしょう。
「ゾーン」(zone)に入ったアスリート・選手たちは、まさに「神がかり」「神が降りた」状態となります。自分で自分の体を動かしているのではなく、誰かにあやつられるような、自分を意識できない心理状態になります。
その時、とても高いパフォーマンスを発揮することが、スポーツの世界ではくりかえし確認されています。
人が高い成果をあげる時、高いパフォーマンスを発揮する時、自己超越が起きるとしたら、自分が消えるのなら、「自己肯定感なんて高くても低くても、どっちでもいい」となります。だから…、
とても大切なことは、「どれだけ自己肯定感が高いか」じゃなくて、目の前のやるべきことに「どれだけ集中できるか」です。
「自己超越」をキーコンセプトしている心理学といえば、フランクル心理学(ロゴセラピー)です。その提唱者V・E・フランクルは、20世界最大の悲劇をいわれたナチスの強制収容所を生き延びた心理学者です。その体験からフランクル心理学は「逆境の心理学」とも呼ばれます。
フランクルは、著『生きがい喪失の悩み』(V・E・フランクル[著]、中村友太郎 [訳] 講談社)の中で、こう書いています。
彼が自分の課題に夢中になればなるほど、彼が自分の相手に献身すればするほど、それだけ彼は人間であり、それだけ彼は彼自身になるのです。したがって、人間はもともと、自己自身を忘れ、自己自身を無視する程度に応じてのみ、自己自身を実現することができるのです。
『生きがい喪失の悩み』(フランクル 講談社)p26
ちょっと難しいですけど、フランクルが言いたいことは、次のことです。
「自己自身を忘れ、自己自身を無視する」ような自己超越が、自己実現する人間にとってのベストな心理状態。
よって、自己実現とは、自己超越の結果としてもたされるものであって、自己実現を目標にするものではない、とフランクルはいいます。
「自己肯定感が低いのか高いのか」と考えている時、心のベクトルが内側(自己)に向かっています。そのベクトルを180度ひっくり返して、外に向けてみましょう。外にある「今やるべきこと」に向けてみましょう。
内に向けられていたエネルギーが外へと流れ出していきます。
そうして「今やるべこと」にひたすら集中している時、あなたは、自己を超越しているのです。
自己超越しているあなたは、「自己肯定感の低さ」「自信のなさ」にとらわれない、「そんなのどっちでもいい」とすら考えない、自由な心をもった、あるがままの自分になっているのです。
自分を忘れて集中すればするほど、自己肯定感へのこだわりは消えていく、と考える。
まとめ
「自己肯定感が低くても大丈夫ですよ」と思える3つの理由について書いてきました。
1つ目の理由は、「自己肯定感の低さ」が努力する原動力なるから、でした。
2つ目の理由は、自己肯定感が低いからこそ、つくられている素敵な個性=「あなたらしさ」があるから、でした。
3つ目の理由は、人生には「自己肯定感」よりもっと大切な「自己超越」があるから、でした。
各章で書いた最後のヒントをまとめると次の通りになります。
- 「自己肯定感が低いからダメ」じゃなくて、「自己肯定感が低いから努力ができる」と考える。
- 「自己肯定感が低い」からこそ、「できていることがある」と考える!
- 自分を忘れて集中すればするほど、自己肯定感へのこだわりは消えていく、と考える。
自己肯定感が低い、自信がない、と悩んでいる時に、ここまで書いたことを読んでも、急には、変わらないかもしれません。
でも、それでいいんです。私もそうでした。だから、ゆっくり行きましょう。時間のかかることには、時間をかけることが何より大切なことです。
急な変化は常にもろく、長い時間をかけた変化が本物です。
それでは最後に、私の好きなフランクルの言葉を記して、このコラムを終えます…。
人生というのは結局、人生の意味の問題に正しく答えること、人生が各人に課する使命を果たすこと、
日々の務めを行うことに対する責任を担うことに他ならないのである。
『夜と霧』(V・E・フランクル[著]、霜山徳爾[訳] みすず書房)
(文:松山 淳)
【学校の先生など教育関係の皆様へ】
自己肯定感の低さに悩む生徒たちに、このコラムが役に立つのであれば、どうぞ自由に使ってください。許可は必要ありません。子どもたちの笑顔が、何よりの国の宝ですから…。