アメリカで名声を高めたレヴィンは、多忙を極めました。大学だけでなく、企業や国の機関と連携し仕事をするようになっていました。
社会にある問題を解決するための研究「アクション・リサーチ」(実践研究)を標榜するレヴィンとしては、大学の「外」と関わることでより充実した研究に取り組めます。そうなると大学の「中の仕事」が億劫になってきます。
レヴィンは研究に専念できる「研究所」の設立を考えるようになります。そして行動家の彼ですから、設立に向けて実際に動き出すのです。資金を提供してくれる財団をあたり、他の大学に打診をしました。そうした動きはアイオア大学側にも知られてしまい、レヴィンの大学内での立場は段々と難しいものになっていきます。
するとMIT(マサチューセッツ工科大学)のダグラス・マグレガー教授が学長を説得してくれて、「MIT集団力学研究センター」の創設が決定するのです。ダグラス・マグレガーは、モチベーション理論「X理論・Y理論」を提唱した、あのマグレガーです。
1944年9月、レヴィンはアイオア市を去ります。4ヶ月ほど国の戦略事務局の仕事もあってワシントンで過ごし、1945年、家族でマサチューセッツに移り住みました。
この時期のレヴィンについて『クルト・レヴィン』の著者A.J.マローは、こう書いています。ちなみにA.J.マローは、共に研究をしたレヴィンの弟子といえる存在です。
彼(レヴィン)のエネルギーは、むしろ、集団過程に向けられていた。そして、彼の考えでは今までの知識を一つにまとめて、あらゆる集団(家族、労働集団、宗教団体、地域社会)に適用される一般理論を構成することが可能であると信じていた。彼はリーダーの選択、集団的雰囲気の形成、集団の意思決定、メンバー相互のコミュニケーション、集団基準の成立などの研究をもくろんで、いろいろな領域に関する資料収集たのめの実験を計画した。
『クルト・レヴィン』(A.J.マロー 誠信書房)p292
レヴィンの初期の研究対象は、「個人」に焦点が絞られていましたが、時が経つにつれて「集団」へと移っていったのです。
「MIT集団力学研究センター」の名前に「集団力学」とあります。これが「グループ・ダイナミクス」ですね。
参考文献『クルト・レヴィン』に集団力学(グループ・ダイナミクス)に関する説明があります。
『クルト・レヴィン』(誠信書房)p295
「集団(グループ)を徹底的に研究し、社会に役立てよう」。これがレヴィンの志です。レヴィンは「MIT集団力学研究センター」設立にあたり、こう書いています。
集団力学センターは二つの必要性から生まれた。一つは科学的な必要であり、もう一つは実用的な必要である。社会的経営管理学の領域で必要とされる知識は、個人や社会的集団が提供してくれる毎日の経験や伝統や記憶以上のものでなけれならないということに、私たちは今やっと気がつきはじめた。私たちが必要なのは科学的な理解である。……行政や農業や工業や教育や地域社会生活の代表的実践家は、『良い理論ほど実用的なものはない』という言葉が、社会的経営管理の領域にも妥当するという事実に、ようやく気がつき始めた兆候がますますはっきりしてきた」
『クルト・レヴィン』(A.J.マロー 誠信書房)p302
「MIT集団力学研究センター」には、アイオワ大学時代の弟子たちも集まり、レヴィンにとって最高の環境が整いました。
この時期の業績として、私たちがよく聞くのは、「感受性訓練」「Tグループ」(トレーニング・グループ:Training Group)です。そこで、MIT時代の功績として、「感受性訓練」「Tグループ」についてお話しします。
1946年、コネティカット州人種関係委員会からレヴィンに援助を求める連絡が来ます。人種差別や宗教的偏見に対処するための「効果的手段」や「指導者の訓練」(リーダーシップ・トレーニング)について助言を求めてきたのです。
レヴィンはその要請に応じて「新しい指導者訓練」の計画を立てることにします。この計画では41人の研修者に2週間の訓練を行う予定でした。
募集をすると訓練を受ける研修生の約半数が、黒人とユダヤ人となりました。職業は教育者や社会事業機関で働く人たち。個人面接をすると、「他人を扱う技術」「人々の態度を変える信頼性のある方法」を知りたいという声が聞かれました。
この指導者訓練の特徴は「研修会が研究会でもある」という点です。研修で実施した内容やその効果について、レヴィンらスタッフがデータを集めて検討し話し合うわけです。
2週間の訓練期間中、日中に行われる研修が終わると、研修生の多くは家に帰えります。でも、残る人もいます。残る人は何もすることがないので、ある晩、レヴィンらスタッフが行う日中の研修内容を検討するミーティング(フィードバック・ミーティング)に参加することになりました。
研修生は、自分たちがどんな風に検討・評価されているのか直接、聞くことになります。「それはあまりよくないのでは」という声もありましたが、オープンなレヴィンが許可したのです。
研修生で参加したのは3人でした。するとスタッフが検討している内容について、研修生は鋭く反応します。スタッフ側が「この人の行動の理由はこうではないか」と客観的にとらえようとしても、その行動理由について、一番知っているのは本人ですね。スタッフ側と研修生側との認識のズレについて話しは深まっていきました。
この議論は、活発かつ充実した時間となりました。研修生がスタッフ側の裏舞台に参加することは、それまで行われていなかったので、とても斬新なミーティング手法となりました。
レヴィンは研修生のリクエストに答えて翌晩も、研修生の参加を許します。すると、50人〜60人の参加者の半数が「フィードバック・ミーティング」に参加してきたのです。
こうして、日中、「Tグループ」を主体として研修が行われ、夜になると、スタッフと研修生が一緒になって、自分たちの研修内容をふりかえり、お互いにフィードバックをするようになりました。
まさに「研修会」であると同時に「研究会」となったわけです。
「Tグループ」と「感受性訓練」って何のこと?
今、さらりと「Tグループ」と書きましたが、「Tグループ」とは、主として研修中に行われるグループ・ワークのことでした。「Tグループ」では、予め決めらたテーマがあるわけではなく、集まった人たちが話すことを自分たちで決め、その決めたことを実行に移していきます。
誰がリーダーになるのか、誰がフォロワーになるか、その時その場で関係性がつくられていきますので、人間関係を構築するためのトレーニングになります。これがレヴィンから始まったいわれる「Tグループ」です。
コネティカットで行われた、この「リーダーシップ訓練研究集会」は研修生に強いインパクトを与え、行動変容を引き起こしました。大成功に終わったのです。
その証拠に、この成果を受けてNTL(National Training Laboratories for Group Development:国民訓練研究所)創設の話しが浮上し、実現されることになります。
アメリカ東海岸で生まれた「Tグループ」はNTLを中心に、レヴィンの弟子たちが実践を深め、広めていきます。やがて西海岸に「Tグループ」を実践する団体が設立されます。WTL(Western Training Laboratories)です。このWTLで生み出されたのが「感受性訓練」(ST:センシティビティ・トレーニング:Sensitivity training)です。
「Tグループ」は、より「グループ」に焦点をあてますが、「感受性訓練」(センシティビティ・トレーニング)では、より「個人」にスポットライトを当てます。ただ、日本にこれらの概念が入ってきた時には、厳密に区別せず、ほぼ同じものと捉えられたようです。
さて、レヴィンの功績で創設されたNTL(国民訓練研究所)は、1947年に第1回の集会が開かれました。多くの人が参加しました。
ただ、残念なことに、その場にレヴィンはいませんでした。多忙を極めていたレヴィンは、1947年2月10日に心臓発作で急死してしまうのです。
享年56歳。研究者としては、まだまだ「これから」という時でした。
1947年、アメリカ心理学会の総会の中で、クルト・レヴィンの追悼記念講演が行われました。講演を行ったエドワード・C・トールマンは、こう述べました。
「臨床家のフロイト、実験家のレヴィン──このふたりは今日の心理学時代を築いた歴史の中で、他の誰よりも特にその名の残るふたりの人物である」
『クルト・レヴィン』(A.J.マロー 誠信書房)p2
日本では、レヴィンの名を知る人は少なく、フロイトのほうが圧倒的に有名です。フロイトとレヴィンの名前が並べられると、ちょっとした違和感を覚えます。
ですが、名前は知られていなくても、彼の功績によって、心理学が社会に開かれ、大きく飛躍したことは確かです。ですので「社会心理学の父」といわれるわけです。
今回、文献を読んでとても印象に残った一文があります。レヴィンの「仕事の哲学」ともいえる詩的な文章です。それを記して、本コラムを終えます。
心理学者は不馴れないろいろなできごとに満ち充ちた広大な土地の中にいる。
そこには自殺しようとしているひとびとがいるし、遊んでいる子もいる。はじめて言葉を言おうと唇の形をつくっている子もいる。恋に落ち、不幸な目に遭いながらそこから抜け出る道を求めようともせず、またそれのできないでいる人物もいる。催眠と呼ばれる神秘的な状態があって意志が他人に支配されてしまっているように見えることもある。より高い、よりむずかしい目標に向かって手を伸べているものもいる。
集団に忠実なもの、夢みるもの、計画を立てるもの、世界を探検するもの等等、果てしない。それは広い大陸で、魅力に満ち、力を蓄え、誰も足を載せたことのない土地である。
心理学はどこに財宝が隠されているかを探し出し、危険な知識を調べ、その莫大な力を支配し、そのエネルギーを利用しようとこの未知の大陸にいどむのである。
『クルト・レヴィン』(A.J.マロー 誠信書房)p2
(文:松山淳)