1920年代、ベルリン大学にいたレヴィンは幸運でした。なぜなら、心理学の新潮流「ゲシュタルト心理学」の創始者たちがいたからです。
『心理学史』(大芦治 ナカニシヤ出版)によると、ゲシュタルト心理学の創始者は3人います。
❷コフカ(Kurt Koffka 1886-1941)
❸ケーラー(Wolfgang Köhler 1887-1967)
上の3人のうち、ウェルトハイマーとケーラーがベルリン大学の教授として働き、「ゲシュタルト心理学」の興隆を支えていました。
「ゲシュタルト心理学」については話し出すと長くなりますので、「それまでの心理学」との違いだけ簡単に…少しだけ寄り道をします。
心には、心を構成する要素(部分)があり、その要素を組み合わせることで「心」ができあがる。これが「それまでの心理学」です。「部分」(要素)への分解を重視する心理学です。これに対して「ゲシュタルト心理学」は、「部分」ではなく「全体」に着目します。人は「部分」を寄木細工のように集めて現実を認識するのではなく、最初から「全体」をとらえていると考えるのが「ゲシュタルト心理学」です。
ゲシュタルト(Gestalt)はドイツ語です。ドイツ語で「形態」を意味します。「形態」というと日本語では主に「形」を意味しますね。でも、ドイツ語で「ゲシュタルト」(形態)といった時には、「部分が相互に影響を及ぼしながら全体を創り上げている形態」といった複雑な意味が含まれるそうです。
ですので、「ゲシュタルト」といった時の「全体」は、部分を単純に足したものではなく、「部分の要素を単純に足していった以上のもの」と考えるのです。「それまでの心理学」が「たし算」的な思考であれば、「ゲシュタルト心理学」は「かけ算」的思考といえます。
この事例は、音楽を考えるとわかりやすいですね。
例えば、ロックバンドが演奏しています。ギターがいて、ベースがいて、ドラムがいて、キーボードがいます。それぞれの楽器を単独で弾いてもらい聞くと、それは「曲」(全体)にはなっていません。「曲」(全体)の部分(要素)ですね。それらの楽器が同時に奏でられると、音に調和(ハーモーニー)が生まれ「曲」(全体)となって私たちの耳に届きます。
私たちは特別に意識しなければ、「曲」(全体)を聞くのであって、ギターだけ、ベースだけと、部分(要素)を聞くのではありません。
ゲシュタルトにはドイツ語ならではの深い意味があるため、ゲシュタルト心理学が米国で紹介された時に、英語に訳されずドイツ語のまま「ゲシュタルト心理学」(Gestalt psychology)と呼ばれました。日本でも米国にならって「ゲシュタルト心理学」と訳され、今に至っています。
さてさて、寄り道が長くなりました。「ゲシュタルト心理学」の話しはこれぐらいにして、「社会心理学者の父」レヴィンに話しを戻しましょう
レヴィンは「ゲシュタルト心理学」に大きな影響を受けます。その創始者ウェルトハイマー教授が同じ大学にいたのですから無理もありません。しかもレヴィンとウェルトハイマーは同じ心理学研究室だったのです。日本の心理学の本を読むと、クルト・レヴィンを「ゲシュタルト心理学」の一派にポジショニングしている文献もあります。
レヴィンが発明した心理学は「トポロジー心理学」です。これは彼独自の彼が発明した心理学です。ベルリン大学時代の最大の功績といえます。
「トポロジー」とは「位相数学」「位相幾何学」のこと。レヴィンは、それまでの心理学に数学的思考を取り入れ、より科学的、力学的に「人間の心」を説明しようとしました。その表現の特徴は、図形や矢印を多用することです。人間と環境の関係性や心模様を図式化して説明するのが「トポロジー心理学」であり、彼の発明です。
「トポロジー心理学」の根底には「場の理論」という考え方があります。「場の理論」は、「それまでの心理学」に対する「反抗精神」から生み出されたものであり、それは同時に、ゲシュタルト心理学の考えを取り入れたものです。
当時の心理学には2つの大きな流れがありました。ひとつは個人の心を分析するフロイトの「精神分析学」です。もうひとつは、人間の感情ではなく行動にひたすら焦点あてる「行動主義心理学」です。これは実験室にこもってラット(ねずみ)や犬を対象にして研究することもあります。有名な条件反射の研究「パブロフの犬」は、「行動主義心理学」に組み込まれます。
さてさて、レヴィンの主張はこうです。まず、フロイトの精神分析学に対して…。
「精神分析は心の中を分析している。それではダメだ。人は人間同士で互い影響しあっているし、その人がいる「場」という「環境」からも常に影響を受けている。だから人や環境との関係性にもっと目を向け、その人のが生きている「場」を考えていかなければならない」
レヴィンは、人と環境が互いに関係しあい、依存しあっていると考えました。人間だけでなく「人間と環境」という「全体」に意識を向けるわけです。これが、「ゲシュタルト心理学」の影響です。
次にスキナーの行動主義心理学に対して…。
「行動主義の心理学者たちは実験室の結果を重視する。実験室は特別な空間であり、もっと普段の生活の場(生活空間)を研究しなければならない。「生活空間」を研究することで、真の意味で、人の心が理解できるのだ。
ここでいう「生活空間」とは、家のなか=「家庭」だけを意味するのではありません。働く人にとっては「職場」が「生活空間」です。人々が生きる「街」「地域」「社会」も「生活空間」であり、レヴィンの考える「場」です。「生活空間」という「場」を研究し理論化するので「場の理論」というわけです。
「生活空間」とさらりと書いていますが、「生活空間」は「トポロジー心理学」の重要ワードです。
1920年代、レヴィンの初期の論文には、「科学的管理法の父」と呼ばれた経営学者テイラー(フレデリック・ウインスロウ・テイラー)に関するものがあります。テイラーといえば経営学の源流に位置する重要人物ですね。レヴィンは早くから、心理学を産業(ビジネス)の分野にも応用しようとしていたのです。
詩人寺山修司に「青年よ、書を捨て街に出よ!」という名言があります。これをもじれば、「心理学者よ、実験室を捨て、街に出よ!」ですね。
さて、「場の理論」を根底におく「トポロジー心理学」は、数学的思考や図形の独特な表現が本質になるのですが、その領域に入るととても難しくなり、文系の私は理解が不十分ですので、ここでは話しを避けます。
ベルリン時代の功績として「トポロジー心理学」を確立したことと、「ゲシュタルト心理学」の影響を受けていた点をおさえておいてください。
それから、レヴィンが実験室ではなく「生活空間」という「現場」を重視したこともですね…。
この「現場志向」の研究姿勢が、「アクション・リサーチ」や「グループ・ダイナミクス」を生み出していくのです。
それではベルリン大学を離れ、アメリカへ向かいましょう!