ジョン・カバットジン(Jon Kabat-Zinn)は、マサチューセッツ大学医学部の名誉教授であり、ヨガや禅の瞑想手法を活用したMBSR(Mindfulness-based stress reduction:マインドフルネスストレス低減法)の開発者。
1944年、アメリカ、ニューヨークで生まれ、1971年にマサチューセッツ工科大学で分子生物学の博士号を取得した。
1979年、「マインドフルネス・ベースド・ストレス・リダクション・クリニック」をマサチューセッツ大学に創設する。1995年には、「医療・健康・社会におけるマインドフルネスセンター」(the Center for Mindfulness in Medicine, Health Care, and Society)を設立。
マインドフルネス瞑想の実践によって、ストレスを受けた時に、「脳と感情がストレスをどのように処理し、人体の免疫系にどんな影響を及ぼすのか」について研究してきた。
ジョン・カバットジンは、瞑想指導者としてだけでなく作家としても活動し、「マインドフルネス」を世界に広めた人物である。
カバットジンの世界的ベストセラーである「Full Catastrophe Living」(1990)[日本版:『マインドフルネス低減法』(北大路書房 訳:春木豊)]を参考文献として、カバットジンの「マインドフルネス」の考え方について解説する。
ジョン・カバットジン(Jon Kabat-Zinn)の世界的ベストセラー「Full Catastrophe Living」(1990)は、多くの国の言葉に翻訳されました。スペイン語、ドイツ語、ロシア語、イタリア語、オランダ語、韓国語、フィンランド語、フランス語、中国語です。
日本では、1993年に『生命力がよみがえる瞑想健康法』(実務教育出版)として出版されました。その年、ジョン・カバットジンは、来日を果たし講演を行っています。
訳者の春木豊さんによると、当時、この講演が多くの人の関心を引くことはなかったそうです。『生命力がよみがえる瞑想健康法』も、ベストセラーになりませんでした。1990年代、日本で「マインドフルネス」を知る人は、一部の専門家に限られていたのです。
1979年、ジョン・カバットジンは、マサチューセッツ大学医学部に「マインドフルネス・ベースド・ストレス・リダクション・クリニック」を創設しました。
頭痛、高血圧、心臓疾患など、様々な病からストレスを抱えた患者にMBSR(Mindfulness-based stress reduction:マインドフルネスストレス低減法)に取り組んでもらい、確かな成果をあげていきます。慢性的な痛みが軽減されるなど、多くのよりよい変化が見られたのです。
1980年から1990年代にかけて、その成果を論文にまとめ発表するなど、カバットジンは「マインドフルネス」の啓蒙活動に取り組んでいきます。
アメリカのプロバスケットボール(NBA)に、NBA史に残る名監督フィル・ジャクソンがいます。1990年代に「シカゴ・ブルズ」を、2000年代には「ロサンゼルス・レイカーズ」を率いて優勝を果たしています。
フィル・ジャクソンは「禅マスター」とも呼ばれる人物で、「禅」を学び、瞑想に取り組んでいました。禅を理解している監督ですので、マインドフルネスを受け入れる土壌があり、カバットジンの同僚は、「シカゴ・ブルズ」「ロサンゼルス・レイカーズ」の両チームの選手たちに、マインドフルネス瞑想を指導しているのです。
フィル・ジャクソンは、自叙伝『イレブンリングス 勝利の神髄』(スタジオタッククリエイティブ)で、こう書いています。
今日、「慈悲」という言葉はロッカールームではあまり発せられる言葉ではない。しかし私は、優しく思いやりに溢れたほんの一言二言が、人間関係にとてつもなく強い影響を与えることを知っている。そしてそれは、チームで最も屈強な男に対してさえも同じなのだ。
『イレブンリングス 勝利の神髄』(スタジオタッククリエイティブ)
「慈悲」とは、禅のキーワードですね。
マインドフルネス瞑想には、自分と他人の幸せを願う「慈悲と慈愛の瞑想」があります。フィル・ジャクソンは、チームに瞑想を取り入れ、慈悲の心を育てて、チームをまとめていったのです。
プロスポーツチームが「マインドフルネス」を取り入れ、好成績を残しました。こうした追い風があり、カバットジンたちの取り組みは、着実に、多くの人に知られるようになっていきます。そして、他国へと飛び火していくのです。
カバットジンの功績が、世界の人々に知られるようになるのに、ひとつのきっかけがあります。それは、英国の心理学者であるジョン・D・ティーズディール(J.D.Teasdeal)たちが行った研究です。ティーズディールは、心理療法のひとつ「認知療法」の分野で有名な研究者でした。
ティーズディールたちが、うつ病の患者に対してMBSR(マインドフルネスストレス低減法)を試したところ、うつ病の再発予防に効果のあることがわかったのです。
彼らは「マインドフルネス」と「認知療法」の考えを組み合わせて、マインドフルネス認知療法(MBCT:Mindfulness-based Cognitive Therapy)を提唱しました。
この「マインドフルネス認知療法」を、多くの国の精神科医が知るようになります。アメリカとイギリスの両国から「マインドフルネス」について情報発信がされ、心理療法の現場でも取り入られるようになり、その結果、「マインドフルネス」は、世界中の人が知るようになっていったのです。
2002年、「マインドフルネス認知療法」(MBCT)の考えは、1冊の本「Mindfulness-based Cognitive Therapy For Depression」となり発売されます。日本では2007年に『マインドフルネス認知療法』(J.D.ティールズほか 北大路書房 監訳:越川房子)として出版されています。
カバットジンは、『マインドフルネス認知療法』(北大路書房)に寄せた巻頭の言葉で、こう述べています。
マインドフルネスは、仏教における瞑想実践の中核であるが、その本質は、仏教の教えにとどまるものではなく、普遍性のあるものである。注意力を高め、気づきをうながし、思考を超えた洞察を得ることが扱われている。厳密にいうと、マインドフルネスとは、たんなるテクニックや方法ではなく、人のありようであり、ものごとの見方であり、自分の感覚に立ちもどることである。
『マインドフルネス認知療法』(J.D.ティールズほか 北大路書房 監訳:越川房子)
「マインドフルネス」のムーブメントが日本にも訪れ、『生命力がよみがえる瞑想健康法』(実務教育出版)は、出版社を変えて、2007年に新版として出版されます。
それが、このコラムの参考文献である『マインドフルネス低減法』(北大路書房 訳:春木豊)です。『マインドフルネス低減法』は、増刷を繰り返していて、ベストセラーになっています。
2014年には、米国のニュース雑誌『TIME』が、「マインドフルネス」特集を組み、大きな話題となりました。この2014年を、米国における「マインドフルネス元年」と呼ぶ文献もあります。
日本では、2016年にNHKが、NHKスペシャル「キラーストレス」(6/18)で「マインドフルネス瞑想」を取り上げました。NHK「Eテレ」の「サイエンスZero」(8/21)でも特集「新・瞑想法 “マインドフルネス”で脳を改善!」が組まれました。
NHKが放映することで、「マインドフルネス瞑想」は「いかがわしい」「怪しいもの」ではなく、医学が証明した正当なものとして日本でも「市民権」をえるようになっていきます。
「マインドフルネス瞑想」を社員研修に取り入れる日本企業が登場し、職場に「瞑想ルーム」を設置する会社まで現れています。セミナーも盛んに行われていて、瞑想に取り組む人が増えています。
1980年代、カバットジンの取り組みを「白い目」で見る医療関係者も多かったわけですが、時が流れ、今や世界で「マインドフルネス瞑想」が、実践され効果をあげています。
私も15年間ほど、瞑想を実践してきました。現在の「マインドフルネス瞑想」のムーブンメントが始まる前から、一般的な「瞑想」を続けていました。かつては寝つきが悪く、眠りも浅いたちだったのですが、瞑想を1年、2年と続けていくことで「睡眠の質」が、かなりよくなったと実感しています。「睡眠の質」がよくなると、もちろん日中の調子もよくなります。瞑想は、確かに効果がありますので、ホントにオススメです!
カバットジンが設立したクリニックには、心臓病、癌、肺疾患、高血圧、慢性的な痛みなど、何らかの「病」を背負った人が訪れます。病気に対して治療は行われているわけですが、ストレスによって症状が治らなかったり、悪化したりしているケースがあるのです。
つまり、「病は気から」というように、病気には「心」が関係しているのです。
であれば、ストレスを軽減することで、「心」を整えていけば、患者の症状はよくなっていくはずです。そこで、カバットジンは、瞑想を主軸とする8週間のプログラム「MBSR(Mindfulness-based stress reduction:マインドフルネスストレス低減法)」を開発したのです。
クリニックを訪れる人の中には、絶望している者もいます。
私はもう生きていても仕方がないんです。もう自分の人生は終わったんだからここに来ても何をすればいいのかわからないんです。何をやってももう意味がないんです。楽しいことなんか何一つないんです。妻や子供だってそうなんです。これ以上何かやっても無駄なんです。なんの希望もありません。
こんな絶望的な言葉を吐いた患者が、プログラムに取り組み、症状が軽くなっていくと、希望をもつようになっていくのです。
8週間のプログラムは、座ってする「瞑想」だけでなく、「歩行瞑想」「ボディスキャン」「食べる瞑想」「ヨガ」にも取り組みます。
「食べる瞑想」は、ひと粒のレーズンをじっくり眺めてから口に入れ、時間をかけてゆっくりと味わって食べる手法です。「ボディスキャン」は、体の各部位に注意を向けていく手法です。足から始めて、膝、腰、お腹と順番に注意を向けていきます。これも瞑想の一種です。
瞑想の基本は、雑念に巻き込まれず、呼吸に対して意識を向け続けるものです。いかに呼吸に「注意」を持続できるかがポイントです。そこで、カバットジンは、こう書いています。
私たちは、何よりも、問題に対処し、厳しい状況を受け入れていくことで、より楽しく、豊かに生きていくことができるということ、そして人間には自分の置かれている状況をもっとコントロールする能力がある、と言うことに気づいてもらいたいと思っています。
『マインドフルネス低減法』(北大路書房)p30
私たちは、このプログラムを、「マインドフルネス瞑想」と呼んでいます。それは、“注意を集中する方法”、あるいは“意識を呼び起こす方法”といった意味になります。
「マインドフルネス瞑想」については、様々な定義がありますが、カバットジンが、ここで書く「注意を集中する方法」「意識を呼び起こす方法」は、シンプルでわかりやすいものです。
つまり「マインドフルネス」とは、評価をすることなく、注意(意識)をひとつのことに集中できている状態です。
私も、毎日、瞑想をしているのでわかります。「注意をひとつにしぼり続ける」こと、これが難しいのですね。あれこれ考えてしまい、ひとつのことに「注意」が続きません。でも、難しいからこそ、それができた時には、爽やかな解放感があります。心の汚れが取れたような感覚があり、とてもすっきりするのです。
プログラムの詳しくは、『マインドフルネス低減法』(北大路書房)に書かれてありますので、参考になさってください。カバットジンの本は、他にも何冊かありますが、翻訳がしっかりしていて、この本が一番、わかりやすいです。
では、次に、カバットジンが提唱するマインドフルネス瞑想法の「7つの態度」について、お話ししていきます。
まず、マインドフルネス瞑想法の「7つの態度」は、次のものです。
- 自分で評価をくださないこと
- 忍耐づよいこと
- 初心を忘れないこと
- 自分を信じること
- むやみに努力をしないこと
- 受け入れること
- とらわれないこと
とてもシンプルですが、それぞれ奥が深いです。では、ひとつひとつ、簡単に解説をしていきます。
❶.自分で評価をくださないこと
瞑想中は、「いい」とか「悪い」とかの「評価」をしません。「評価」をすればするほど、雑念がわいてきて、瞑想が深まらないからです。
人は、日々、いろいろなことを「評価」し「判断」しています。「あれはいい、これはダメ」と評価することで、自分の行動を決めています。ですので、「評価」「判断」そのものは必要であり、決して、悪いわけではありません。
ただ、瞑想中に「評価」を持ち込むと、思考がめまぐるしく展開してしまい、「注意の集中」ができなくなってしまいます。
そうはいっても、「評価」は自然と起きてきます。その時に「私は今、悪いと評価してしまったから、この瞑想は失敗だ」と考えるならば、それが「評価」です。
失敗だと思考を次に展開させるのではなくて、「評価をしている自分」に気づいていればいいのです。
「あっ、今、評価してしいた!」と気づいたら、そこで終わりです。「気づくだけ」でいいのです。それ以上、考えません。自分の心・意識・思考がどのように展開していっているかに、淡々と「気づく」ことが、瞑想を上達させるコツです。
なんらかの評価をくだす考えが浮かんできたとしても、そのこと事態にこだわったり反応したりせずに、浮かぶままにまかせて、呼吸の観察を続けてください。
❷. 忍耐づよいこと
瞑想には、忍耐が必要です。耐え忍ぶ精神が求められます。
というのも、瞑想を挫折する大きな原因のひとつが、「瞑想とは、すぐに効果を感じられるものではない」からです。
日々、瞑想を続けていって、ある時、ふっと、これまでと違う領域に入るのを体感します。瞑想が深まり進歩した瞬間です。それは不意に訪れるものあり、そうした体験は、長く続けていくことで訪れます。
2日、3日ではなく、1ヶ月単位で考えてみてください。続ければ続けるほど、階段をひとつひとつ降りていくように、深い心の領域に入っていくことができるようになります。そして心の中に、雑念がわいてこない、とても澄み切った純粋な意識空間があることを体感できます。私も、この意識領域に初めて入った時には、強い感動を覚えたと当時に、心がきれいに浄化された感覚を味わいました。
ただ、「純粋な意識空間」まで行かなくても、ストレスが軽減される感覚は、その途中で体感することは可能です。そのためには、毎日、毎日、最低でも1ヶ月は行うことです。
それは、まさに自分との勝負であり、忍耐が求められます。
忍耐づよいということは、”一つひとつの瞬間に対して完全に開かれている”ということです。それは、さなぎから出てくる蝶と同じように、ものごとにはそれなりの時間の経過が必要だということをよく理解し、すべてを受け入れる、ということなのです。
❸. 初心を忘れないこと
瞑想で起きる一瞬、一瞬を、あたかも初めて経験するように体感できたら、瞑想の上級者です。
瞑想はひたすら同じことの繰り返しです。じっと座り動かず、雑念と戦い、時に勝利し、静かであわただしい時間がリピートします。それを毎日、毎日、行っていくと、「慣れ」がきます。
「慣れ」がくると、「また同じことの繰り返しだ」と、自分の思い込みから「評価」が生まれやすくなります。「評価」が出ると瞑想が深まりません。
大切なのは「気づき」です。「思い込み」を捨て、あたかも初めて気づくように、気づいていくのです。
よく考えれば、人生にまったく同じ瞬間はありません。今と1秒前は違います。1秒後も違います。そんな「初心」の意識をもつことが、瞑想を上達させてくれます。
「初心」には、意識を明瞭にする効果があります。意識が明瞭になるとは、「気づき」の感覚が鋭敏になっていくことです。そうなると、瞑想中に、雑念を遠くから眺めるように、落ち着いて扱えるようになります。
同じ瞬間というのは、二度と訪れません。今の一つひとつの瞬間に、かけがえのない可能性が秘められているのです。初心を忘れないということが、この簡単な真実を教えています。
『マインドフルネス低減法』(北大路書房)p59-60
❹. 自分を信じる
「自分を信じる」とは、「自分の感覚を信じること」です。
瞑想には様々な手法があります。世界中に、たくさんの有名な「先生」「師」(メンター)がいます。カバットジンもそのひとりです。でも、瞑想の先生があなたにとって、100%正しいことを伝えているとは限りません。
瞑想をするのは、あなたであり、先生ではないのです。ですから、先生の言うことを鵜呑みにすることに注意しつつ、自分の感覚を大切にするのです。
瞑想中に「心の空間」で起きていることは、100%、その人オリジナルのものです。そのオリジナリティに大きな価値があることを信じて、自分に意識を向けていくのです。
あなたの「感覚」を本当に知ることができる人は、あなたしかいないのです。
自分自身であることに責任をもち、自分の中の声に耳を傾け、自分という存在を信じる、と言うことを学んでいかなければなりません。そして、自分が信じられるようになればなるほど、ほかの人への信頼感も生まれ、ほかの人の良さも見えてくるようになるのです。
『マインドフルネス低減法』(北大路書房)p61-62
❺. むやみに努力をしないこと
瞑想には確かな効果があります。気持ちがスッキリするとか、ストレスが軽減するとか、集中力が高まるとか…他にも、たくさんの効果があります。
その効果を目的として、人は、瞑想に励みます。より上達しようと努力を重ねます。
ですが、「その効果を達成するのだ」「もっと上達するのだ」という強い目的意識、達成意識は、瞑想の進歩を邪魔してしまいます。
「努力」という言葉は、瞑想にふさわしくないのです。ですので、「むやみな努力はしないこと」というアドバイスが生まれてきます。
瞑想は「ただする」ものです。「ただする」ことで、効果が現れてきます。目的の無い意識を持ってこそ、「ただする」ことは可能となります。
瞑想の場合、ゴールに到達するための一番の良い方法は、結果を急いでむやみに努力しようとしたりしないで、瞬間瞬間の事柄に注意を集中し、受け入れる、ということなのです。忍耐づよく規則正しくとり組んでさえいれば、ゴールはおのずと近づいてきます。そして、おのずと近づいていく力は、あなたの中から生まれてくるのです。
『マインドフルネス低減法』(北大路書房)p63-64
❻. 受け入れること
「受け入れる」とは、「あるがまま」を見ようとすることです。
人は、否定したり肯定したり、「評価」に心を忙しくして、「あるがまま」をそのまま受け入れることができません。
瞑想中に起きることは、そのまま受け入れます。受け入れるとは、評価をしないことにもつながっていきます。
また、「受け入れる」とは、「気づき」に対する冷静な態度をつくります。瞑想中には、あれこれ雑念が浮かびます。過去と未来を行ったり来たりし、悲しんだり喜んだり、不安になったり希望をもったり…ホントに忙しいものです。
そうした雑念に「あっ、またあれこれ考えている」と気づいたら、「そのまま」を受け入れるのです。「そのままで」いいのです。
「そのままでいい」となれば、「また雑念を浮かべてしまった…」と、感情の波風を立たせずにすみます。さらに思考を展開せずにすみます。
「あるがまま」に、自分の中で起きていることを受け入れていくことが、瞑想の質を高めてくれます。
私たちは瞑想を行う中で、一つひとつの瞬間が訪れ、”自分がその瞬間と共に存在している”ことを確認することによって、あるがままを受け入れる姿勢を学んでいきます。一つの感じ方や考え方、見方などを自分に強制するのではなく、どんな感じや考えが生じてきても、それこそが今あるものとして、受け入れられるようになるのです。
❼. とらわれないこと
「とらわれる」と、瞑想を台無しにすることがあります。「もっとこうなってほしい」「こうあるべきだ」「そうあらねばならない」。
そんな「とらわれ」の感覚は、瞑想での深まりゆく意識を、浅い場所に引き戻してしまいます。効果を期待していはいけないのです。
瞑想が上達していくと、とても強い「至福感」に包まれることがあります。言葉では表現しきれない「幸福感」です。この「至福感」「幸福感」があまりに素晴らしいため、「もっと続いてほしい」という「とらわれ」が出てきます。すると、「至福感」がすっと消えてしまうことがあるのです。
そんな私の経験からも、「とらわれ」から自由になることが、瞑想には大切だといえます。
この「とらわれないこと」は、同時に、「あるがままを受け入れること」に通じていきます。「雑念が出たから、この瞑想が失敗だ」と考えることも、ある意味は、「とらわれ」です。
瞑想に対して、何も雑念がわかない「無念無想」を理想のイメージとした時に、その理想が「とらわれ」となって、進歩を邪魔するのです。
理想を持つことは大事です。大事ですが、瞑想は「ただするだけ」です。
何かをしようとするのではなく、何もしないようにするのが瞑想です。
理想に近づこうとするのは、「目的意識」「達成意識」を強めてしまい、瞑想を浅いものにしてしまいます。
とらわれないということは、あるがままのものごとを受けとめるための方法です。自分の心が何かにとらわれたり、何かを追いやろうとしていることに気づいたら、そういう衝動を意識的にとき放って、そのあと、どんなことが起きるかを観察するようにしてみてください。
マインドフルネス瞑想のムーブメントが訪れ、日本でもたくさんの本が出ています。瞑想の「手法」「考え方」は、様々であり、本を読めば読むほど、「どれが正しいのか」と「とらわれ」が生まれてくる人もいます。
鎌倉時代、日本に「禅」を広めた「道元」に「只管打坐」(しかんたざ)という言葉があります。「只管」(しかん)とは「ひたすら」「ただ一つのことに専念すること」という意味です。「打坐」は「座ること」ですので、ここでは「座禅」「瞑想」をすることです。
つまり、効果とかやり方とか、あれこれ考えずに、ただただ瞑想をひたすらすることが、大事なのです。
ひとつのことに意識を向けて集中する。
言ってみれば、瞑想のやり方は、これだけです。座っていても、立っていても、歩いていても、「ひとつのことに意識を向けて集中する」ことができれば、瞑想になります。それが「マインドフルネス」な状態です。
ジョン・カバットジンが提唱する「マインドフルネス瞑想」における「7つの態度」は、全て「ひとつのことに意識を向けて集中する」につながっていきます。
瞑想は「効果を期待していはいけない」ものですが、続けていくと、確かな「効果」が出るものです。ぜひ、日々の生活に「瞑想」を取り入れてみてください。
それでは、最後に、瞑想の本質を凝縮したジョン・カバットジンの言葉を紹介して、このコラムを終えます。
あまりにも期待感や目的意識が強すぎると、瞑想の精神が損なわれ、効果どころか逆に障害になってしまうのです。瞑想の本質は、”何もしない”ということです。何もしないで、あるがままに受け入れ、とき放つことによって、”全体性”を体験するのです。
(文:松山 淳)