数々のオリンピックで金メダルを獲得してきた体操の内村航平選手。
東京オリンピック以前には、3つの大会に出場しています。2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロです。この3つのオリンピックで、内村選手は3つの金メダル、4つの銀メダルを獲得しています。
東京オリンピックは、鉄棒ひとつに競技を絞り、もちろん金メダル候補のひとりでした。しかし、演技中に落下。まさかの「予選落ち」で終わってしまいました。
落下後の姿は、いつもの様に淡々としているように見えましたが、その精神的ショックはかなり大きかったようです。内村選手は、「予選落ち」の現実について、テレビの取材にこう答えていました。
「予選終わってから3日間ぐらいは、 “努力って普通に裏切られることもあるんだな”とか、 “一生後悔するんだろうな”とか、すごく落ち込んだ日数があった」
日本テレビ『ZIP』(2021.8.20放送)
普段、テレビで見ている限り、あまり感情を表に出さないのが内村選手です。まさに「平常心の塊(かたまり)」のような人です。そんな彼だからこそ、この言葉から、メンタルに相当ダメージを受けていたことがわかります。
私はこの放送を見ていました。上の言葉を口にしていた時の内村選手は、いつもの様子とは違い「感情的」かつ「感傷的」でした。性格分析の観点から考えると、日頃、感情的にならない人が、感情的になるということは、それだけ強いストレス状態にあることを意味します。予選落ちの事実を話すこと、そのこと自体が、彼にとって辛いことでしょう。
しかし、内村選手は、こうも言っていました。
練習をやる以外ない。
“努力は裏切られる”と知ったからこそ、
もっとやらなきゃいけないと思う。
“努力は裏切られない”と証明したい
日本テレビ『ZIP』(2021.8.20放送)
挫折を知った一流のアスリートが放つ素晴らしい言葉です。まさに名言ですね。私たちに勇気を与えてくれます。
「努力は裏切らない」
よく、そう言います。
でも「努力が裏切られる」ことを、私たちは自身の人生経験からすでに知っています。どんなに努力をしても、達成できない目標や届かないレベルや叶わない夢が厳然と存在します。
厳しい現実を前にして、努力が裏切られ、心が折れそうになることもあります。実際、折れてしまうこともあるでしょう。
内村選手もまた「努力が裏切られる」経験をしました。強いショックを受け逆境に陥りました。でも、彼はその経験から、新たな目標を持つことに成功しました。
「“努力は裏切られない”と証明したい」
挫折の経験から、内村選手は「新たな志」「夢」を口にしました。それは新たに生まれ変わった内村航平を象徴する力強い言葉です。
東京オリンピックでの予選落ちは、彼にとって、今までで経験したことのない「大きな挫折」です。
ただ、まだまだ若い彼が歩むこれからの人生を考えれば、「大きな精神的転換点」であり「深い意味」をもった経験といえます。
「現役引退か!?」と、ささやかれましたが、内村選手は、現役を続行する決断をしました。
今後の成績がどうなるかわかりません。
ただ現役選手としての成績だけでなく、恐らく、現役引退後、彼は後進を育成する指導者になるでしょうから、その時、「あの予選落ちにも意味があった」と、つくづく実感する日が来ることでしょう。
深い挫折を味わった指導者は、深い挫折に陥った選手を導ける。
傷を負った経験があるから、傷を負った者を導ける。
人生のマイナスの経験は、将来的に、プラスになって返ってきます。その時、過去の辛く苦しい逆境の日々にも「意味があった」と知るのです。
逆境を乗り越えていく時、少しでも耳を傾けたいのが心理学者V・E・フランクルの教えです。
彼が打ち立てた心理学「ロゴセラピー」(Logotherapy)は、「逆境の心理学」と呼ばれます。
なぜなら、彼が、とんでもない逆境に陥り、それを乗り越えた経験があるからです。その「とんでもない逆境」とは、ナチスの強制収容所に収監されたことです。
ナチスによるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)は、20世紀最大の悲劇と呼ばれます。虐殺されたユダヤ人は、およそ600万人と言われています。
収容所での生活は、暴力と飢餓の日々であり、仲間が次から次へと死んでいきます。あまりの苦しさに自殺をする人も後をたちません。電気の流れている鉄条網に自ら飛び込んでいくのです。
そんな地獄の状況を、フランクルは自分が打ち立てた心理学「ロゴセラピー」を心がけることで精神の健全さを保つことができました。
収容所での様子を冷静な筆致でつづった『夜と霧』(みすず書房)は、世界的ベストセラーとなりました。そして今なお、世界中の人生に苦悩する人々を救い続けているのです。
またフランクルの講演を収録した『それでも人生にイエスと言う』もまた、日本はもちろんのこと、世界中で読まれ続けている名著です。
フランクル心理学のエッセンスを一言で表現すれば、こうなるでしょう。
「どんな時にも人生には意味がある」
でも、苦悩のまっただ中にいる時には、なかなかそうは思えません。
「この辛い経験にも必ず意味がある」
そう言われても、虚しく言葉が上滑りするだけのこともあります。今すぐにでも苦悩を取り除いてほしいのに、
言葉だけでは慰めにもならないと…。
しかし、辛く苦しい日々=「逆境」を乗り越えた人たちは、よく共通した言葉を口にします。
「あの時の苦しい日々があったら今がある」
この言葉を別の言い方をすれば、「過去の辛く苦しい日々にも意味があった」ということですね。「意味があった」とは、「それを経験する価値があった」ということです。
つまり、辛く苦しい逆境に陥った時ほど、「今の自分が経験していることが将来、かならず何らかの形で役に立つ」と「今の経験に意味と価値」を見い出すのです。
これをレジリエンス心理学で、「ベネフィット・ファインディング」(benefit finding)といいます。レジリエンスとは、「精神的回復力」や「逆境を乗り越えていく力」を意味します。
「ベネフィット・ファインディング」(benefit finding)とは、辛く苦しい逆境のなかに意味や価値を発見していくこと。
ベネフィット・ファインディングは、逆境を乗り越えていく秘訣のひとつです。
内村選手の予選落ちは、「まさか」の出来事でした。
しかし、彼は、「“努力は裏切られない”と証明したい」と新たな目標を持つことで、「努力が裏切られる」マイナスの経験を「意味のある経験」にしました。
フランクルは、ナチスの強制収容所で、ロゴセラピーの教えを自分自身に向けるだけなく、仲間の囚人たちに説いてまわりました。
実際、「生きる意味」を感じられず、希望を失った人たちは、精神的に衰弱していってしまいました。反対に、地獄の日々に「生きる意味」を見い出し、希望を失わなかった人たちは、精神の健全さを保つことができたのです。
フランクルが今、生きていたら、逆境に苦しむ人々を前にして、やはり言うでしょう。
「それでもあなたの人生には意味がある」と…。
なぜなら、未来は決まっていないからです。
過去から今日までの人生は、今日から未来に何をするかによって必ず変化していきます。現時点の「意味がない」は、将来的に「意味があった」に変化するのです。
そのことをフランクルは、自身の「地獄のナチス強制収容所体験」を通して、その後のセラピー(診療)経験を通して、または講演などの啓蒙活動を通して、繰り返し、繰り返し、確認してきたのです。
内村選手の名言「“努力は裏切られない”と証明したい」からも、「どんな時にも人生には意味がある」と考えることが、決して無駄ではないことがわかります。
辛く苦しい逆境に陥った時、静かに胸の内でつぶやき続けましょう。
「今のこの苦しい経験にも意味がある」
「この経験は、必ず、プラスになってかえってくる」
「人生に無駄などない」
逆境は神の恩寵。
逆境を乗り越えていく度に、人はたくましく成長していきます。負けないでください。
未来で、あなたを待っている「人」がいます。
未来で、あなたを待っている「素敵なコト」があります。
その未来で待っている「人」や「素敵なコト」に、逆境を乗り越えて会いに行きましょう。
(文:松山 淳)
※内村選手のアイキャッチ画像:Wikipedia-Japanese artistic gymnast Kohei Uchimura Rick McCharles from Calgary, Canada – cropped and slightly revised version of Shiro, Rick, Kohei Uchimura
世界的ベストセラー『夜と霧』の著者であり、ナチスの強制収容所を生き延びた心理学者フランクル。彼の教えは、今なお人生に苦悩する人を救い続けています。フランクル心理学のエッセンスを「7つの教え」にまとめてお伝えいたします。