コンプレックス(complex)とは、無意識に存在し、(顕在)意識にとって受け入れがたい内容を持つ複雑にからみあった情動的な集合体のこと。心理学者C.Gユング(Carl Gustav Jung)が、最初に提唱した。ユングは「言語連想実験」によって、人間の無意識に、自分ではコントロールできない複雑にからみあった「心の要素」(コンプレックス)があることを発見した。
日常会話に登場する「コンプレックス」は「劣等感」と同じ意味で使われがちだが、心理学の理論では「コンプレックス=劣等感」ではない。ユングの理論をベースに「コンプレックス」とその「解消法」について解説する。
目次
- 1 コンプレックスはいかにして発見されたか。
- 2 ユングの「言語連想実験」とは
- 3 コンプレックスという小悪魔が邪魔する
- 4 「意識」と「無意識」
- 5 「コンプレックス」にも肯定的な面がある
- 6 ユングの考えた心の構造
- 7 心の中でのコンプレックスのポジションと特徴
- 8 「自我」(ego)と「自己」(self)
- 9 「心の相補性」
- 10 「夢」は無意識からのメッセージ
- 11 「コンプレックス」のネガティブな側面
- 12 コンプレックスの解消
- 13 「心」は成長したがっている
- 14 リーダーを押しつけられたAさん
- 15 人格の発展ほど高価なものはない
- 16 コンプレックス解消は自分との対決
- 17 この世界の不思議さに心を開いていよう!
- 18 ユングのタイプ論をベースに開発された性格検査MBTI®を活用した自己分析セッション
ユングの初期の研究で有名なのが「言語連想実験」です。この実験に関する著作(1906年)で、ユングは「感情によって色づけられたコンプレックス」という言葉を使いました。「コンプレックス」は当初、日本語で「心的複合体」と訳されました。その後、「感情によって色づけられた」の部分は省力して、「コンプレックス」という呼び名が一般化しました。
では、ユングはどうやって「コンプレックス」を見つけ出したのでしょうか。それは、「言語連想実験」を行なった時のクライアントの反応によってわかってきたのです。
「言語連想実験」とは、クライアントに短い単語を投げかけて、連想する言葉を答えてもらうものです。投げかける言葉は、全部で100ありました。以下の表は、その一部です。
1. 頭 | 11. 机 | 21. インキ |
2. 緑 | 12.尋ねる | 22. 怒り |
3. 水 | 13. 村 | 23. 針 |
4. 歌う | 14. 冷たい | 24. 泳ぐ |
5. 死 | 15. 茎 | 25. 旅行 |
6. 長い | 16. 踊る | 26. 青い |
7. 船 | 17. 海 | 27.ランプ |
8.支払う | 18.病気 | 28. 犯す |
9. 窓 | 19. 誇り | 29. パン |
10. 親切な | 20. 炊く | 30. 金持ち |
『ユング心理学入門』(河合隼雄 培風館)p66の表を元に作成
例えば、「頭」と聞いて、どんな言葉が思い浮かびますか。連想して答えてみてください。「緑」では、どうでしょう。次に「水」では…。
こんな調子で、100個の言葉に対して連想する言葉を答えてもらいます。ユングはこれを2回繰り返しました。
「連想するなんて簡単でしょ。1秒とか2秒ですぐ答えられるよ」と、思うのですが、実際にやってみると、そう簡単にいきません。上の30語だけでも、ぜひ、試してみてください。
ユングが「言語連想実験」をした時、反応はクラアントによって様々でした。ある言葉では、すぐに言葉が返ってきますが、ある言葉になると、つっかえたり、必要以上に長く説明したり、あるいは、連想する言葉が全く出てこなかったりしたのです。1回目と2回目で、連想する言葉が異なるケースもありました。
「連想するなんて簡単でしょ。」と思っている「自分」は、顕在意識の領域にある「自我」です。「自我」(私)は「簡単」と思っているのに、実際やると、思った通りにうまくできません。
思った通りにできないので、人は、感情的に動揺します。赤面したり、冷や汗が出たり、変に早口なったりして、自分の意識(自我)では、コントロールがきかなくなります。
なぜ動揺してしまうのでしょう。
それは意識とは別に「他の意識領域」があって、そこにある「何か」が、「自我」に対して働きかけているからです。「何か」が横やりを入れてきて、足を引っ張っているのです。
通常の意識では、私たちは、「心の主人は自分」だと思っていますが、そうとも限らないのです。ユングは『分析心理学』(C.G.ユング みすず書房)のなかでこういっています。
「われわれは自己の意志力や自己のエネルギーや自己の可能性を信じたいのですが、土壇場になると、ある範囲でしかできないことがわかります。なぜなら、コンプレックスという小悪魔に邪魔されるからです。コンプレックスは、われわれの意図とは関わりなく、独りで動き、それ自身の生を営む傾向をもつ自律的な連想の集合体なのです。」
コンプレックスという小悪魔が住んでいるのが「他の意識の領域」である「無意識」です。「自我」の足を引っ張る「小悪魔」を「感情によって色づけられたコンプレックス」だと、ユングは考えたのです。
心には、自分でわかっている「(顕在)意識」の領域と、自分ではわからない「無意識」の領域がある。
この考え方は、今では常識になっていますが、当時は精神分析学の開祖フロイトが「無意識の存在」を提唱して間もない頃です。
一時期、ユングはフロイトを師のように慕うようになります。それは「言語連想実験」を通して得た自分の考えが、フロイトの心理学に通じるものがあったからです。最終的にユングは、フロイトと別々の道を歩みます。「無意識」に関する考えが違ってきたのも、その原因です。
フロイトは「無意識」を「病の原因がある領域」と、否定的にとらえていました。ユングはフロイトの考えを認めつつ、「無意識」に、人格を高める働きもする肯定的な側面を主張していました。
「コンプレックス」を「劣等感」という意味で使うならば、それは否定的な意味合いが強くなります。でも、ユングは「コンプレックス」に、心の成長を促す創造的・肯定的な働きを認めていたのです。これはフロイト大きな違いです。
ユング派の心理療法家であった河合隼雄先生の著『コンプレックス』(岩波書店)に、こんなユングの言葉が紹介されていました。
「コンプレックスは広義においての一種の劣等性を示す。──このことに対して私は、コンプレックスをもつことは必ずしも劣等性を意味するものではないとただちにつけ加えることによって、限定を加えなければならない。コンプレックスをもつことは、何か両立しがたい、同化されていない、葛藤をおこすものが存在していることを意味しているだけである。──多分それは障害であろう。しかしそれは偉大な努力を刺激するものであり、そして、多分新しい仕事を遂行する可能性のいとぐちでもあろう」
「コンプレックスをもつことは必ずしも劣等性を意味するものではない」「新しい仕事を遂行する可能性のいとぐち」というように、ユングは、「コンプレックス」を、ただ否定的に認識するのではなく、人間にとってプラスに働く作用があることを認めていました。
さて、「コンプレックス」がプラスに働くのは、心に「相補性」の働きがあるからです。「相補」とは互いに補い合うことです。何と何が補い合うのかというと、「意識」と「無意識」が、補い合うのです。
ユングは「心の相補性」を強調した心理学者でした。「相補性」を考慮しつつ、ユングが考える「心の構造」を手ががりして、「コンプレックス」の話しをさらに進めていきます。
上の図1は、ユングの考えた「心の構造」とコンプレックスとの関係性をイメージ化したものです。
最初のポイントは、「コンプレックス」が「意識の領域と接近している」ことです。近くにあるので、私たちの意識の領域に侵入してきては「自我」の足を引っ張るのです。それはちょうど、大きな戦争にはならないまでも、国境線で他国の兵士と小競り合いが頻繁に起きているようなものです。
次のポイントは、複雑に絡み合っていることです。「コンプレックス」(complex)を辞書で引くと「複合の、いくつかの部分から成る、複雑な、入り組んだ」とあります。
ユングが「コンプレックス」という言葉をわざわざ使ったのは、無意識にある様々な要素と複雑にからみあって「コンプレックス」ができあがっていることを、強調したかったのでしょう。
クラゲの足のように心の底の方へと伸びているのは、意識の領域に接近しつつも、無意識の深いところにあるものとも「コンプレックス」が、からみ合っていることを表現したかったからです。
「コンプレックス」はとても複雑ですので、「コンプレックスの解消」は、なかなか一筋縄ではいかず、やっかいないことになります。
さて、もう一度図の1に戻ります。
「意識」と「無意識」の2つの領域があります。これは深層心理学の基本ですね。そしてユングは、「意識」の領域の中心を「自我」(ego)とし、「意識」と「無意識」の領域を含めた「こころ」全体の中心を「自己」(self)と考えました。
この「自我」と「自己」の関係性は、ユングが考え出した独自の考えです。
今、あなたがこの文章を読んでいて、「私は読んでいる」と意識したら、それは「意識」の領域にある「自我」(ego)の働きです。一方で、私たちの心にはとても大きくて広い「無意識」の領域があります。「自己」(self)を中心として、「無意識」にあるものも常に動き続けています。
普段、「特別な意識的、心理的作業」をすることがなければ、「無意識」にあるものを、私たちは知ることができません。
「自我」が「コンプレックス」に支配されてしまうケースもありますが、基本的に「コンプレックス」は「無意識」に潜んでいます。ですので、「コンプレックス」を理解するのが難しくなるのです。
ちなみに「特別な意識的、心理的作業」と書きましたが、その代表的なものは「夢分析」です。クライアントが夢について語り、専門家(精神科医、心理療法家、カウンセラーなど)と一緒になって分析していくことで、「コンプレックス」など無意識にあるものを理解できることがあります。
さて、「夢分析」が出ましたので、「夢」とからめながら、ユング心理学の重要コンセプトである「心の相補性」についてお話します。
「心の相補性」は、「意識」と「無意識」が、お互いに補い合う関係性であることを意味します。
例えば、仕事で失敗したり、親しい人との別れがあったり、何かとても辛いことがあったとします。「とても辛い」と思うのは、「意識」の領域にある「私」であり「自我」の部分です。
「辛さ」で、いっぱいいっぱいになっている時、「ゲラゲラ大笑いするようなとても楽しい夢」を見ることがあります。これは多くの人から報告される事例です。
「夢は無意識からのメッセージ」です。「意識の私」(自我)は、辛くて辛くてしかたないのですが、「無意識の私」が「楽しい夢」を見せることで「意識の私」(自我)を支えようとするわけです。
つまり「無意識の住人」である「もうひとりの私」が、「こんなことで、負けるな、がんばれ!」と、メッセージを送ってきているのです。「意識」は疲れ果てていても、まだエネルギーのある「無意識」が、エネルギーを充電しようとしているともいえます。これぞ、「意識」と「無意識」が互いに補い合う「心の相補性」です。
この「相補性」があるため、「コンプレックス」も人を成長させる要因になりうるのです。
肯定的な側面ばかり書くと現実味に欠けますので、「コンプレックス」のネガティブな働きについてもふれます。もちろん「コンプレックス」は、なかなかやっかいです。
例えば、Aさんが幼稚園生の時に、劇をしていてセリフを忘れ、みんなの前で「笑い者」になってしまったとします。恥ずかしくてその場で泣いてしまい、とても嫌な思いをしました。
この経験をできるだけ早く忘れようとして、「無意識の領域」に記憶におしこめます。「おしこめる」ことで、普段は気にならなくなります。でも、「おしこめる」は「消える」ではありません。心の中で「小さな傷」となって残ることがあります。この無意識にある「小さな傷」が、「コンプレックス」のもとになります。
するとAさんは、自分では「大丈夫」と思っているのに、多くの人の前に立つと、どうしても赤面してしまったり、体が熱くなって変な汗が流れ出したりする人になるかもしれません。これは「コンプレックス」が「自我」に作用するからです。
Aさんが成長していき、基本的には真面目で優しい人なのですが、人前で話すのことに苦手意識を持ち、そうした機会をできるだけ避け、その結果、人前に出て堂々と話す人を極端に毛嫌いしたり、その人を見ると急にイラッとして、つい悪口を言ったりするようになると、これは「劣等感コンプレックス」が作用しているといえます。
ある能力や資質で、他人より劣っていることを素直に認められず、何らかのネガティブな現象を引き起こすとしたら、それが「劣等感コンプレックス」の働きです。
ちなみに、「劣等感コンプレックス」と「劣等感」は違うものです。劣等感は、「誰かより自分は劣っている」と認めることができ、急にイラッとしたり、悪口が出てきません。
例えば、アイドルになろうとして何度もオーディションを受けたものの、最終的に「アイドルになる夢」をあきらめたBさんがいたとします。Bさんは、テレビでアイドルを見ると、急に、イライラしてきて感情的になります。遠くにあるリモンコンを走っていって手にとり、チャンネルを変えるほどです。
だとすると、ユングのいう「感情によって色づけられたコンプレックス」、つまり「コンプレックス」が作用しているです。Bさんには、アイドルに対する「劣等感コンプレックス」があるといえます。Bさんは、夢をあきらめきれず、「私だってアイドルになれる」と、心のどこかで思っている可能性があります。
Cさんは「あんなアイドルみたいに、私はなれない」と、その「劣等性」を認めています。アイドルを見ても、別にイライラもせず感情的になりません。であれば、「劣等感」はあるけれど「劣等感コンプレックス」があるとはいえません。コンプレックスは何らかのネガティブな現象を引き起こします。
これは「コンプレックス」の否定的な側面です。
心には「相補性」の働きがあります。「コンプレックス」にやられて「意識の私」(自我)が、否定的な状態になっても、「無意識」は、何とかして肯定的な状態になることを目的に動こうとします。
「コンプレックス」を解消しようとする働きが、「無意識」にはあるのです。
「無意識」にあるのは、もちろん「コンプレックス」だけでありません。ユングは、心の全体の働きとして「成長衝動」があると考えました。「今より、もっと成長しよう、成長しよう」というポジティブな働きが、私たちの心で生涯を通して働き続けるのです。
この働きを生み出し司るのが、「こころ」全体の中心である「自己」(セルフ)です。ユング派の心理療法家である河合先生は、『ユング心理学入門』(河合隼雄 培風館)で、こう書いています。
「安定した状態に人間の自我はとどまることなく、その安定性を崩してさえ、より高次の統合性へと志向する傾向が人間の心の中に認められる」
『ユング心理学入門』(河合隼雄 培風館)p220
つまり、人間の心には、今の自分よりも、さらに高い人格を目指す働きがあるのです。「創造的破壊」という言葉があります。何かが壊されることで、新しい何かが生み出されてくるのです。人の心は、自己成長のために「創造的破壊」をもたらすのだといえます。
先ほどのAさんのような人が、基本的には真面目なので、クラスで他の生徒たちがやりたがらない、学級委員長や文化祭実行委員長など、リーダー的な立場を、無理やり押し付けられてしまうことが、よくあります。
Aさんは、嫌で嫌で仕方ないのですが、多数決であっという間に決まり、断ることができませんでした。人前で話すことの多いリーダー的な役割は、Aさんにとって地獄です。毎日が憂鬱で学校に向かう足が重くなりました。朝起きて「もう学校に行きたくない」と思う日が、何度もありました。
でも、仲の良い友だちや理解ある担任の先生に支えられながら、ある期間、何とかリーダーをやり通しました。クラスをまとめようと、みんなの前に立ち、赤面し汗をかきながら、何度も話しをしました。
「これじゃダメ、変わらなきゃ」
自分でもそう思うようになり、自ら親や先生に相談しました。その積極的な姿は、これまでのAさんに決してなかったものです。Aさんは古い自分を壊して、新しい自分を創造しました。まさに「創造的破壊」を行ったのです。
リーダーの経験を通して、以前より人前に立つことが苦手でなくなり、Aさんは、堂々と話す人を見ても、イラッとしなくなりました。悪口をいう気も起こりません。
だとすれば、「地獄」と思った日々で、「劣等感コンプレックス」が段々と解消されていき、Aさんは人間として大きく成長できたといえます。
ユングは、こういっていましたね。
「コンプレックスをもつことは、何か両立しがたい、同化されていない、葛藤をおこすものが存在していることを意味しているだけである。──多分それは障害であろう。しかしそれは偉大な努力を刺激するものであり、そして、多分新しい仕事を遂行する可能性のいとぐちでもあろう」
Aさんは、「偉大な努力」をしました。そして、「コンプレックス」を乗り越えて、「新しい自分」に生まれ変わるという「新しい仕事」を成し遂げたのです。
- 「女性と話すと、どうしても赤面してしまう」
- 「大企業の人を相手にすると、なぜか、卑屈になってしまう」
- 「有名人でお金持ちの人を見ると、イライラしてくる」。
そんな「コンプレックス」にまつわる悩みを、誰かから聞かされ、その悩みが自分とは「別に、関係ないな」と思えると、「なんで、そんなことで悩んでいるんだ…?」と、「小さな問題」に思えます。
でも、誰だってひとつかふたつ「コンプレックス」を持っているものです。いざ自分の「コンプレックス」を考えてみると、それは「小さな問題」ではなく、生涯を通した「大きな問題」になっていることに気づきます。
この「大きな問題」に取り組んでいくことで、人は人格を高めていくのです。ユングは、こう言っています。
「すべての良いものは高くつくが、人格の発展ということは最も高価なものである」
『ユング心理学入門』(河合隼雄 培風館)p226
「コンプレックスの解消」は、人格の発展につながります。
ただ、その道は、痛みをともなう苦難の道になることが多いでしょう。カウンセリングを1回、2回受けて、「はい、おしまい」ということはまずなく、「コンプレックスの解消」は現実の出来事を通して段階的に成されていくものです。
Aさんは、「学校に行きたくない」という日々の中で、赤面にしながらも皆の前に立ち、心にすり傷をつくりながら自分を変えようとしました。そうした「自分との対決」無くして、「コンプレックスの解消」はありません。
それは「意識」と「無意識」の対決であり、「自我」(ego)と「自己」(self)の対決ともいえます。「自我」(ego)は、「私はリーダーなんてやりたくない」と思っていても、たゆまざる「人格の発展」を望む「自己」(self)は、「コンプレックスの解消」を後押しするがのごとく、「私がリーダーをやろう」と、迫ってくるのです。
「心の相補性」を考えれば、それは「対決」であると同時に、「助け合い」になっています。壊されるものがあることで、生み出されるものがあるのです。
Aさんは、学生という設定ですが、Aさんを企業組織のミドルリーダーに置きかえても通じる話しです。「地位が人をつくる」ですね。
河合先生は、こうも書いています。
「われわれの自我が問題に直面し、あらゆる意識的な努力を続けても解決できず、絶望に陥りそうなときに、自己の働きが起こり、われわれは今までの段階とは異なった高次の解決を得ることを経験する」
『ユング心理学入門』(河合隼雄 培風館)p228
問題に巻き込まれて苦悩している時、気分は落ち込み、未来に希望を見出すことができません。ひとりの人間の力に限界はあり、自分の無力さを打ちのめされることもあります。
この世界に「悲劇」は確かに存在し、何もかもハッピーエンドに終わることもありません。 とても辛い時は、今の状況から抜け出す可能性がゼロのように思えてしまいます。
でも、河合先生の言葉を読むと、可能性は常にゼロではないと思えます。数多くの悩める人を救い続けた河合先生は、クライアントの悩みが解決していく時に「事実は小説より奇なり」で「不思議なめぐりあわせ」「不思議な偶然」が、よく起きるといいます。
深い苦悩が何年も続いていたある人がいました。
その人が、ふと訪れた公園で「木」を見ていたら、それが「私の木」に思えてきました。すると「この木があれば、もう大丈夫」と思えるようになって、そこから立ち直っていったのです。
「公園の木でどうして?」と、疑問を持つかもしれませんが、人の心は論理的に説明のつくものばかりではありません。無理に説明しようとすると、逆に「真理」を見失います。
だからこそ、私たちは「今までの段階とは異なった高次の解決を得ることを経験する」のです。
「心が呼ぶ」という言葉があります。心の中で思っていたことが、現実の出来事としてやってくることです。それを私たちは「偶然」と呼びますが、心の奥にある「自己」(self)の声を、知らず知らずのうちに私たちは聞き取り、無意識のうちに行動しているから「意味のある偶然」が起きるのかもしれません。
ユングは、こうした「意味のある偶然の一致」(meaningful coincidence)が起きることを「共時性」(シンクロニシティ:synchronicity)と呼びました。
シンクロニシティ(共時性)とは《ユング心理学》ふと訪れた公園に「私の木」があることを、「そんなのただの偶然」と片づけず、自己(self)はその存在をすでに知っていた可能性のあること、そうした不思議さに心を開いておくことは、「高次の解決」を経験するするためのポイントです。
「自己の働き」や、「自我」と「自己」との「対決」「助け合い」(心の相補性)を通して、人格が発展していくことを、ユングは何より重視しました。一生かけて行われる人格発展のプロセスを「個性化の過程(individuation prpcess)」「自己実現(self-ralization)と呼びました。
「個性化の過程」とは〈ユング心理学〉「コンプレックス」の解消も、「個性化の過程(individuation prpcess)」のひとつであり、ユングから言わせれば、人格の発展に「コンプレックス」は決して無駄なものではなく、必要な価値あるものとなります。
コンプレックスで悩んだら、思い出してください。
「コンプレックス」があるから、今よりもっと成長できることを、そして、その成長は、何ものにもかえがたい、とても高価なものであることを…。
(文:松山 淳)
ユングのタイプ論をベースに開発された性格検査MBTI®を活用した自己分析セッション
《MBTI受講者実績:1,917名》
国際的性格検査MBTI®を使用しての自己分析セッションです。MBTI®は、世界三大心理学者のひとりC.Gユングの理論がベースになっており、世界の企業が人材育成のために導入しています。その人の「生まれ持った性格」を浮きぼりにするのが特徴です。自分本来の「強み」を知ることができ、心理学の理論をもとに自己理解を深めることができます。
自己分析の個人セッションには「対面型」と「オンライン型」(Zoom)があります。