目次
「ロープウェイで来た人は登山家と同じ太陽を見ることはできない」
『致知』(2013年10月号)より
苦労が喜びの質を高める。
『幸福論』で有名なフランスの哲学者アラン(1861-1951)。アランはペンネームで、本名はエミール=オーギュスト・シャルティエです。
この名言は「経験すること」の大切さを伝えています。人生には、経験しなければわからないことがあり、経験することで見えてくる真実があります。
ロープウェイで楽して山頂にたどり着いた人がいるとします。一方で、山のふもとから一歩一歩、汗をかきながら時間をかけ苦労して頂上に到達した人がいたとします。二人とも眺める景色は同じです。でも、感動は違います。二人の心の状態が違うからです。
だから、アランが言うように、二人は同じ景色を見ていながらも、同じようには景色を見ていないのです。
簡単に手に入ってしまうものは、「ありがたさ」や「感動」が薄くなりがちです。反対に、さんざん苦労して、時間をかけて手にしたものは「ありがたさ」「感動」が強くなります。
なぜなら、苦労をし時間をかけることで、目標に対する「期待感」が高まっていくからです。山頂から期待感がどんどんふくらんでいき、その期待がかなった瞬間は「心のご褒美」として最高のものです。
徹夜を何度もしてきた受験生が、第一志望の学校に合格しました。その知らせを聞いた瞬間の受験生の喜びはどうでしょう。ある会社で、何度もあきらめかけた新規事業立ち上げのプロジェクトが成功裏に終わりました。チームメンバーはその瞬間、抱き合って喜ぶことでしょう。拳を握りしめ天に突き上げる人もいるでしょう。
できれば苦労などしたくありません。でも、苦労をするから喜びは何倍にも大きくなるのです。
そう考えると、苦労が「喜びの質」「人生の質」を高めるといえます。
本当の喜びは、苦労を通してこそ味わうことができるのです。
「人間が後世に遺すことができる、ソウしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います」
人生そのものに価値がある。
内村 鑑三(1861-1930)は、明治・大正に期に活躍した思想家です。札幌農学校を卒業しています。で有名なウィリアム・スミス・クラークが初代の教頭を務めた学校として有名です。クラークといえば、「青年よ、大志を抱け!」(Boys, be ambitious!)ですね。
彼がいう「後世への最大の遺物」とは、人が人生で後世に残せるものが何かを語ったものです。
人はお金、仕事(会社・事業)、思想(考え)を後世へ残すことができます。親が子どもを育てようと、いろいろなことを教えますので、自然と、子へ「思想(考え)」を残しています。
親を嫌っていても、自分が親になった時に、つい親と同じことを口走ってしまった経験は、多くの人が経験しています。
そして、お金、仕事(会社・事業)、思想(考え)を残せなかったとしても、「人生そのもの」を残すことができます。地位や名誉もなく、決して裕福にならなかったとしても、世間の片隅で人とした正しい道を歩み、世のため人のために尽くした「人生」は、かけがえのないものです。
多くを語ることはなくても、その人の「生きる姿勢」「生き方」に誰かが感化され、生き方を悔い改めるようなことがあれば、その人の残した人生には計り知れない価値があるといえます。
静かに、勇ましい高尚な人生をつくりあげたいものです。
「人が寛大おうようの評判をとることは結構である。しかし寛大は用いるにあたって当を得なかったならかえって有害である」
矛盾のマネジメント。
イタリア、ルネサンス期の思想家ニッコロ・マキャヴェッリ(1469-1527)。彼が遺した思想を「マキャベリズム」と呼びます。
「マキャベリズム」は、「権謀術数主義」と訳されます。なんだか穏やかではありませんね。
マキャベリが生きた時代は、戦乱の世です。自らの国を守るために他国と戦うことは当たり前。戦乱の世にあって「権謀術数」は、国が滅亡を逃れるための必須の手段でした。
平和な日本で考えると「マキャベリズム」は「穏やかではない」といえますが、マキャヴェッリは現実主義者であり、自分の生まれた国(イタリア)を愛する人でした。イタリアを、イタリアに住む人たちを愛するからこそ、権謀術数を使ってでも、勝たなければならな戦いがあります。
「愛という理想」と「戦争という現実」の狭間から「マキャベリズム」は生み出されてきたのです。
『君主論』は、今も、リーダーの必読書と言われます。それは、ビジネスの世界においても、「理想」だけでは通用しない面があるからですね。
「寛大さ」は、リーダーの条件としてよくあげられます。でも、寛大ばかりでは、うまくいきません。組織に適度な緊張感をもたらす「厳しさ」がリーダーには求められます。
つまり、「寛大さ」と「厳しさ」という矛盾する要素を、使い分けていくスキルがリーダーには求められるわけです。ですので、リーダー学に「矛盾のマネジメント」という言葉があるわけです。
「細心さ」と「大胆さ」。「情熱」と「冷静さ」。「スピードアップ」と「スローダウン」
こうした矛盾した要素を我が身に抱えこみ、状況に応じて発揮していくのがリーダーの仕事です。
「もし私が、あなた自身の経験を省いて、これを探り出す助けを仕様と思うならば、私はあらゆる教師の中で最悪のものとなり、教師仲間から追放されるに価するでしょう。ですからもうその話はやめて、稽古しましょう。」
名著『弓と禅』は、ドイツの哲学者オイゲン・ヘルゲル(1884-1955)が弓の師につき、弓道を極めていくプロセスを記したものです。
哲学者にとって、体験されるものは言葉によって表現されねばなりません。つまり言葉による「理屈」「論理」がなければ納得できないのです。
ヘルゲルは、師に、「どうしてそうなるのか」「なぜそうなのか」「どうすればできるのか」と、論理的な「答え」を求めます。
しかし、精神の成熟がなければ「道」は完成しません。その感覚は、言葉では決して表現できるものではなく、まして、明快なロジックなどないものです。それが日本の武道・芸道における「道」というものです。
弓を的に当てるには、何度も、何度も鍛錬し、自分の力でつかんでいくものです。
ところが、ドイツ哲学者ヘルゲルは、何度そう言われようとも、しつこく師に尋ねるのです。それに対して師が、放った言葉が上の言葉です。あまりにしつこいので逆切れしてしまったといえます。
師はヘルゲルの挑発を受けて、夜に目隠しをしてて的に当てるという離れ技をやってのけます。その「離れ技」が、なぜできるのかを言語化して教えてしまったら、本人(ヘルゲル)のためになりません。
自分でやって、自分でつかんでいく。それに勝る学びはないわけですね。
学びとは自らに始まり、自らに終わるものです。
「彼を知るには、難(かた)きに似て易(やす)く、己を知るは、易(やす)きに似て難(かた)し」(他人を知ることは、難しいようで簡単である。自分を知ることは、簡単なようで難しいものである)
金言耳に逆らう。
無私の精神で、日航の再生に東西奔走した、京セラの創業者稲盛和夫氏は、西郷隆盛を尊敬していることは有名です。この西郷隆盛に大きな影響を与えたのが佐藤一斎(1772-1859)が記した「言志四録」です。
佐藤一斎は、江戸時代の儒学者です。儒学者とは、儒学を研究し教える先生です。儒学とは、「孔子」の教えを体系化したものです。「孔子」といえば『論語』ですね。
儒学者とは、つまり、東洋の哲学者・思想家といえます。
かの幕末の思想家佐久間象山は佐藤一斎から直接、教えを受けた弟子のひとりです。佐久間象山は、吉田松陰、坂本竜馬、勝海舟に影響を与えています。
一斎の教えは、幕末の志士たちを躍動させたエネルギー源かつ源流だといえます。
上の言葉の解説として、『小学生のための言志四録』にはこう書かれてあります。
「自分自身を見る時、人はどうしても主観を交えて見てしまうため、つい本当の自分の姿を見誤ってしまいます。客観的に自分自身を見ることは難しいことを、心しておくべきです」」
人は主観の生き物です。自分を「正しい」と自分で考えながら(主観で)生きています。主観的「正しさ」を信じているから心は安定します。主観は何も悪いことばかりではありません。
ただ、主観の「正しさ」は、ガンコさを生み出します。
他人から「あなたのここは間違っているから、直したほうがいい」と言われたとします。お酒の飲み過ぎとか、タバコの吸い過ぎとか…。でも、まったく直そうとしない人がいます。あなたも間違いを指摘されているのに直そうとしなかった経験がないでしょうか。
なぜ、直さないのかと言えば、主観的な「自分の正しさ」にこだわっているからです。
でも、まわりの人からみたら、その人の「正しさ」は明らかに誤まっているのです。主観がいかに自己理解の邪魔になるのかの「良い例」です。つまり、自分で思っている自分は、間違っていることが多いものなのです。
ですから、耳に痛いアドバイス素直に受けいれることが、人間の成長に必要です。自己理解を深めるためには、「金言耳に逆らう」を心がけ、耳に痛いことを言ってくれる人をそばにおいておくことが大切です。
あなたの「間違い」を、「あなたは間違っている」と率直に言ってくれる人を大切にしましょう。
「ジャンプする時はしゃがみますよね。自分の好きなことばかりやって、いましっかりしゃがんでください。自分の好きなことばかりやって、いい運を掴もうというのは甘いです。嫌なこともやってください」
『致知』(2013年2月号)
嫌なことをしてこそ運気は上がる。
上の言葉は、作詞家吉本由美さんのお話しに出てきたものです。吉本さんといえば、杏里、平原綾香など、多数のアーティストに詞を提供している人です。
吉本さんは、就活をして広告代理店に入社しました。自分を表現するクリエイティブな仕事がしたかったのです。その頃から作詞の勉強もしていたそうです。ところが、ある日、総務部に異動になってしまいます。
「これでは、自分の表現したい仕事ができない」と、会社を辞めようと考えます。そこで、算命占星術家の高尾義政先生のところに相談に行きます。高尾先生は、吉本さんにとって「師」(メンター)のような存在でした。
すると「辞めてはいけない」と、上の言葉の通りに諭されたわけです。厳しくも優しい言葉です。
世間では「好きなことをしてワクワクしていれば、運気は上がる」という話しが主流だと思います。でも、高尾先生は違いました。
「自分の好きなことばかりやって、いい運を掴もうというのは甘いです。嫌なこともやってください」
現実はその通りですね。好きなことをし続けるためには、実は、嫌なことをしなければならない時期があります。しゃがみこむ時期、つまり嫌なことをしてこそ、その時期をどう過ごすかによって、次のチャンスがやってくるのです。
会社に入ったら、転勤・異動があり、自分の好きな部署にい続けることも、自分の好きな仕事をし続けることも、現実問題として難しいことです。
でも、そこで腐ってはいけないわけです。
なぜなら、「嫌なことすることで運をつかめる」のも世の真実だからです。
よく考えてみれば、嫌なことを嫌な顔せず前向きにとらえて取り組む人を、神様も応援するはずですね。
しゃがむから高くジャンプできる。嫌なこともするから好きなことができる。
この精神を忘れずに「いい運」をつかみましょう。
「運命がレモンをくれたらそれでレモネードを作る努力をしよう」
今、与えられているものを活かす。
運命はいつも人の味方をしてくれるわけではありません。
コロナ禍のような時代が突然、やってきて、それから逃げることができず、翻弄されることがあります。
結局のところ、それを受け入れていくしかなく、その逆境に、チャンスを見出していくことができたら、なおいいですね。
運命がレモンをくれたら、レモンを活かす。リンゴならリンゴを活かす。
『道は開ける』には、こんな言葉もありました。
「刑務所の鉄格子の間から、二人の男が外を見た。
一人は泥を眺め、
一人は星を眺めた」
この言葉は、「認知・解釈の大切さ」を教えてくれる逸話です。
同じ出来事を見たり体験したりしても、人がそれをどう受け止めるかは、その人の認知・解釈によります。
コップに水が半分入っているのを見て、「水が半分しかない」と嘆く人もいれば、「水が半分もある」と喜ぶ人もいるでしょう。同じ現実を前にして、感じ方に考え方に大きな差が出るのです。
運命がレモンをくれた時に、「レモンなんて、こんなんじゃ何もできない」と否定的にとらえるから、「レモンでも、工夫すれば何かできる」と肯定的にとらえるかで、その後の運命は変わってくるものです。
今、与えられたものを受け入れ、活かしていくことが、運命をよりよく変えていく秘訣です。
「初心者の心、「初心」には、「私はなにかを得た」というような思考がありません。どのような自分中心の思考も、無限に広い心の中に限界をつくります。なにかを達成したいとか、達成したというような心がないとき、つまり、自分中心の思考がないとき、私たちは、本当の初心者なのです」
初心忘るべからず。
禅僧鈴木俊隆はアップル創業者スティーブ・ジョブズのメンター(師)です。ジョブズは結婚式を仏教形式で行い、それを執り行ったのが鈴木禅僧です。『禅マインド ビギナーズ・マインド』は、ジョブズの座右の書として有名です。
「初心忘れるべからず」
初めて、そのコトに向き合った時の気持ちを忘れずにいられたらどれだけいいだろうと思います。
常に「初心」であったら、日々、新鮮な気持ちでいられるからです。
でも、残念なことに、人間、なかなかそうはいきません。
人には「慣れ」があります。「慣れ」は、思考をパターン化します。パターン化は、毎日を苦なく過ごすための妙薬です。でも、慣れ過ぎると、新鮮な気持ちを失い感動の少ない人生になってしまいます。
だからこそ、初心を忘れないことが大切です。
自己中心的な思考をできるだけ薄くして、初心をもって、やるべきことに取り組んでいきたいものです。
「環境が人を作るということに捉われてしまえば、人間は単なる物、単なる機械になってしまう。人は環境を作るからして、そこに人間の人間たる所以がある。自由がある。即ち主体性、創造性がある」」
人は環境に打ち勝つ意志をもつ。
「朱に交われば赤くなる」
人は環境から多くの影響を受けます。そこにいる人の影響を受けて、変化していく存在です。ですので、「環境が人をつくる」というのは、ひとつの真実です。一方で、こんな言葉もあります。
「意志あるところに道は開ける」
人間の意志によって、環境からの影響を受けつつも、それを打ち破っていけます。なぜなら、人には自由意志があるからです。つまり、「朱に交わっても赤くならない」ということです。
ナチスの強制収容所を生き延びた心理学フランクルがいます。20世紀最大の悲劇と呼ばれる収容所は、生きる地獄という形容が物足りなく感じるほどの地獄でした。
でも、フランクルはその地獄にいて健全な精神を維持しました。また、人の模範になるような善心を失わなかった人を多数、目撃しているのです。優しい言葉をかけたり、飢えている人に自分のパンをわけ与える人がいました。
環境に人間の意志が打ち勝ったのです。
「意志あるところに道は開ける」
環境の力に負けそうになった時、この言葉をつぶやき、顔をあげて人としての正しい道を選び取り、前へ前へと進んでいきましょう。
「実際にやってみて、その結果失敗することは、やらずに安全地帯にいることよりずっと価値がある。「あの時、Aをしていれば、Bをしていれば」という呟きはかき消えて、自分に対してごまかしのない健康的な人生を歩める」
失敗は成功への近道。
失敗するから成功への道が見えてきます。何もしなければ、何も変わりません。失敗も、行動のひとつであり、ちゃんと評価して良い行いです。
失敗を恐れて何もしないより、何もしなことを恐れよ。
何かをすると、成功することもあれば失敗をすることもある。それが人生です。
褒められることもあれば、悪口をいわれたり批判されたり、バカだとかアホだとか、ひどい言葉を浴びせられることもあります。それはとても辛いことです。
でも、何かをすれば、迷い悩むこともあれば深い達成感を味わい、めちゃめちゃおいしいビールを飲めることもあります。その時の「達成感」「幸福感」といったら、「生きていてよかったな~」と思えるほどです。
「達成感」「幸福感」を味わうには、やっぱり、行動していくことです。
何もしないと何も起こらない。
何もしなくてもいいかなと思っても、心どこかで、「なんか寂しい…」と感じることがある。だから、すぐに
「何かしよう」とは思わないけれど、寂しい人生を送ることは嫌ですね。
安全地帯にいて、行動している人を批判して終えるより安全地帯を飛び出して批判される人になった方が
人生は、すがすがしく気持ちの良いものです。
そっちのほうが、すっきりします。例え、悪口、言われても…。
そっちのほうが、きっと、自分で納得できる、ビールのおいしい健康的な人生です。
(文:松山 淳)
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