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宮崎駿の名言〈10選〉

コラム173『宮崎駿の名言〈10選〉』アイキャッチ画像

宮崎駿 略歴

 1941年(昭和16年)東京生まれ。東京都立豊多摩高等学校から学習院大学政経学部に進学し卒業。

 1963年 学習院大学卒業後、東映動画に入社。アニメーターとして働く。東映退社後、いくつかの会社を渡り歩き、その間に『アルプスの少女ハイジ』『未来少年コナン』『ルパン三世 カリオストロの城』に携わる。上映当時『ルパン三世 カリオストロの城』は興行的には振るわず、その後、映画界から声がかからなくなり不遇の時代を過ごす。

 1982年、雑誌『アニメージュ』(徳間書店)で『風の谷のナウシカ』連載開始。これを原作としてアニメ映画『風の谷のナウシカ』が制作・上映されヒットする。宮崎監督の名が一般の人々に知られるようになる。

 1985年スタジオジブリ設立。1986年の『天空の城ラピュタ』、1988年『となりのトトロ』と話題作を世に提供し、1997年『もののけ姫』は日本映画史の興行記録を塗り替えるヒット作となる。宮崎監督は、『もののけ姫』の完成後、引退宣言をしたが、翌年、撤回。

 2001年『千と千尋の神隠し』で、ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞し、アカデミー賞長編アニメ賞する。『千と千尋の神隠し』の完成記者会見でも引退宣言をしている。2004年『ハウルの動く城』は、世界的に高く評価され、宮崎監督は、ヴェネツィア国際映画祭にて栄誉金獅子賞を受賞。

  2013年、『風立ちぬ』を発表後、長編映画の製作からの引退を宣言するが、2023年『君たちはどう生きるか』が公開される。『君たちはどう生きるか』は、ゴールデングローブ賞と英国アカデミー賞においてアニメ映画賞を受賞し、第96回アカデミー賞(2024)で、長編アニメ映画賞を受賞する。『千と千尋の神隠し』に続き2度目の受賞となった。

2024年9月「アジアのノーベル賞」と呼ばれるマグサイサイ賞を受賞。マグサイサイ賞は、マザー・テレサ、ダライ・ラマ14世などが受賞してきた権威ある賞である。

【主な作品】『ルパン三世カリオストロの城』(1979)、『風の谷のナウシカ』(1984)、『天空の城ラピュタ』(1986)、『となりのトトロ 』(1988)、『魔女の宅急便』(1989)、『紅の豚』(1992)、『耳をすませば』(1995)、『もののけ姫』(1997)、『千と千尋の神隠し』(2001)、『ハウルの動く城』(2004)、『崖の上のポニョ』(2008)、『風立ちぬ 』(2013)、『君たちはどう生きるか』(2023)

宮崎駿の名言1:自分の思いを曲げない

 『何が映画か』(黒澤明 宮崎駿 徳間書店)は、黒澤監督と宮崎監督の対談本で、1993年の出版です。『日本テレビ『映画に恋して愛して生きて』で放映された内容をまとめたものです。『紅の豚』の公開が1992年ですので、『紅の豚』を完成させて一段落している時でしょうか。93年は、黒澤監督は83歳に、宮崎監督は52歳になる年です。2024年は宮崎監督が83歳になる年です。

 尊敬する巨匠黒澤監督を前にして、緊張し、聞き役になっている様子が、本からも伝わってきます。宮崎監督は、日本映画の実写の中で黒澤監督の『七人の侍』が最も好きだと明言しています。

『何が映画か』(黒澤明 宮崎駿 徳間書店)の表紙画像
『何が映画か』(徳間書店)
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 次の言葉は、黒澤監督との対談を終えて、インタビューで口にした宮崎監督の言葉です。

宮崎駿の名言

「自分の思いを曲げないで最後まで歩き続けて、それで堂々と死ぬ」

『何が映画か』(黒澤明 宮崎駿 徳間書店)p175

 この言葉に続けて「その見本として黒澤監督がはるかむこうを歩いていらっしゃるという、そいう感じです」といっています。黒澤監督をどれほどリスペクトしているかがわかる言葉です。

 この言葉は、黒澤監督から「学んだこと」と、とらえることができます。

 アニメと実写で違いはあれどもふたりとも監督です。宮崎監督は、黒澤監督を尊敬はするけど、監督としてはライバルだと考えています。そこで、記者から黒澤監督に「期待することは?」と尋ねられて、こう答えています。

 膝を曲げずに自分もやろう!というふに思うだけです。「世間がいろいろいっても、とにかく俺の思う通りに生きるぞ!回りに迷惑をかけても、俺はこれで生きていく。そういうことをちゃんとやること、それが大事なことなんだと」と全身でおっしゃっているじゃないですか。僕はそう思いますが。で、これはね、人に迷惑を随分かけるんですよ。多くの犠牲を周りに押し付ける。

『何が映画か』(黒澤明 宮崎駿 徳間書店)p174

 宮崎監督はこれまで何度か「引退宣言」をし、それを撤回しながら作品を作りつづけてきました。『もののけ姫』の時、『千と千尋の神隠し』の時、それぞれ「引退宣言」をしました。

 2013年『風立ちぬ』の後の引退宣言では、記者会見も行われ、年齢的なことを考えると、「確かに、これで最後になるだろう」と思われ、多くのファンが「もう宮崎監督の新しい長編アニメ映画は観られないのか」と残念に思いました。

 ところが、この「引退宣言」もまた撤回された形になり、2023年『君たちはどう生きるか』が公開されました。そして、アカデミー賞(2024)で、『千と千尋の神隠し』以来、2度目となる長編アニメ映画賞の受賞となりました。

© 2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli
まっつん
まっつん

 世界に名を知られた宮崎監督のほどの人が「引退宣言」をすると、仕事で関係する多くの人々に影響が及びます。宮崎監督がいっている通り、「人に迷惑を随分」かけますし、「多くの犠牲を周りに押し付ける」ことになります。もちろん、世間はいろいろといいます。

 それでも、『君たちはどう生きるか』の制作にとりかかったのは、黒澤監督から学びとった=「世間がいろいろいっても、とにかく俺の思う通りに生きるぞ!回りに迷惑をかけても、俺はこれで生きていく。そういうことをちゃんとやること、それが大事なことなんだと」、この哲学を変わらず持ちつづけていたからかもしれません。

 「自分の思いを曲げないで最後まで歩き続けて、それで堂々と死ぬ」

 まさに、この言葉通りの人生を歩んできたのが、宮崎駿監督といえます。

宮崎駿の名言2:子どものために作れ

 『日本人への遺言』(朝日新聞社)は、歴史小説家「司馬遼太郎」さんの本で、宮崎駿監督が登場し対談をしています。話題は、「子どもの心」のこととなり、宮崎監督はこういっています。


『日本人への遺言 司馬遼太郎』(朝日新聞社)の表紙画像
『日本人への遺言』(朝日新聞社)
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宮崎駿の名言

ぼくはスタッフに子どものために作れ、子どものために作れといってきたんです。自分のために作るな、自分のためなら本を読め

『日本人への遺言』(司馬遼太郎 宮崎駿 朝日新聞社)

 宮崎作品を知っている人なら深くうなづく言葉です。

 宮崎監督の長編アニメ映画は、世代を問わず、国を超えて多くの人に愛されています。『天空の城ラピュタ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『となりのトトロ』『君たちはどう生きるか』など、主人公は「子ども」です。

まっつん
まっつん

 未来をになう「子ども」たちのために宮崎監督は、アニメ映画を作り続けてきました。かといって宮崎作品は「子ども向けアニメ」ではありません。大人が見ても感動があり、学びがあります。

 「子どもの心」の中に、「大人の心」の原型を発見できます。「子どもの心」には、大人が失ってしまった、忘れてしまったピュアな大切な何かが輝いています。映画の世界に没入し、宮崎映画の「主人公(子ども)」の心情にシンクロしていくと、大人になっても「忘れてはいけないもの」「失ってはいけないもの」が、心に浮かびあがってきます。

 自身に息づく「子どもの心」があらわになるので、宮崎作品を通して、多くの大人たちも胸をうたれるわけですね。

 司馬遼太郎さんは、宮崎監督との対談で、こういっています。

 人間は大人になっても、一人ずつ子供をもっていて、恋をするときや、作曲、絵画はー小説もしばしばそうですが、ときに学問も──その子どもがうけもっています。おくやみにゆくときは自分の中の大人がふるまうのですが、創造的なしごとは子どもの役割ですね。ただトシをとると、自分の中の子どもが干からびてきて、いい景色をみても小躍りするような気分が乏しくなります。

『日本人への遺言』(司馬遼太郎 宮崎駿ほか 朝日新聞社)

 「創造的なしごとは子どもの役割」

  司馬さんも宮崎監督も、日本代表する「創造的なしごと」をされてきた人物です。大人になって年齢を重ねても、しなやかな「子どもの心」を失わずに、創造性を発揮した人です。

 実は、宮崎監督は、「ぼくはスタッフに子どものために作れ、子どものために作れといってきたんです。自分のために作るな、自分のためなら本を読め」の後に、「といってきたんですが、恥ずかしいことに自分のために作ってしまいました」とお茶目なことをいっています。

『出発点』(宮崎駿 徳間書店)の表紙画像
『出発点』(徳間書店)
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 その「自分のために作った」作品が、『紅の豚』(1992年公開)です。『紅の豚』は、中年男性に向けた作品であり、宮崎監督の大好きな飛行機が登場します。

 宮崎監督は、自著『出発点』(宮崎駿 徳間書店)で、『紅の豚』について「まずもって、この作品が「疲れて脳細胞が豆腐になった中年男たちのための、マンガ映画」であることを忘れてはならない」と書いています。

© 1992 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, NN

 「子どものために作れ」といっておきながら、「自分のため」「大人のため」にも作品を生み出しています。そうした「しなやかさ」こそ、宮崎監督が「子どもの心」を失っていない証といえるでしょう。

宮崎駿の名言3:配慮を自分でも持っていないと

 宮崎監督の右腕に鈴木敏夫プロデューサーがいます。スタジオジブリも資本提携に関して紆余曲折あり、2023年、日本テレビの子会社となっています。一時期、スタジオジブリの代表取締役を務めていたのは、鈴木プロデューサーです。宮崎監督はクリエイターとして作品づくりに集中し、会社経営のことは主に鈴木プロデューサーの担当、というイメージがありますが、宮崎監督も経営陣の一員ですので、経営的なことにも関わります。

 そこで、宮崎監督の著書 『風の帰る場所』(文藝春秋)に「経営者」という一節があります。

 「経営者」の一節で、次の言葉があります。

風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡 (文春ジブリ文庫 )の表紙画像
『風の帰る場所』(文藝春秋 )
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宮崎駿の名言

「膨大な仕事をやってもらってる中で、一番近いものには厳しくすべきだけども、遠く離れてやっているスタッフに対してはね、そういう配慮を自分でも持っていないとと思うんですよ。外注はひどいとかね、十把一絡にそういうことをすぐ言う奴がいますけど、もう、大っ嫌いですね、そういう奴は」

『風の帰る場所』(宮崎駿 文藝春秋 )

 この言葉はあるエピソードを受けてのものです。そのエピソードとは、こんな感じです。

 宮崎監督が、ある時、ある面倒くさいカットがあって、あるプロダクションに外注します。できあがりを見たら、満足のいくできでした。
 「これはお礼を言ったほうがいい」と、宮崎監督は思います。その外注プロダクションから電話があって、「いや、とてもいいカットでした、どうもありがとうございました」と、お礼をいいました。

 後日談…。宮崎監督と電話で話した人は、監督の「感謝の言葉」を聞いて、泣いていたそうです。

 宮崎監督の「そういう配慮」とは、協力してくれた会社の人に対して、発注者だからといって高飛車になるなどもってのほかで、「一緒に作品をつくりあげている」という仲間意識をもって、そして、感謝の気持を丁寧に表現していくことです。

 それが「そういう配慮」です。

 スタジオジブリで掃除をしてくれるおじいさんとおばあちゃんがいたそうです。その人たちに対して、一番丁寧に挨拶するのは「自分」(宮崎監督)と鈴木プロデューサーだと、『風の帰る場所』(文藝春秋)に書かれています。

 「一番近いものには厳しくすべき」とある通り、スタジオジブリのスタッフに対しては、時に厳しく叱責をします。「NHKプロフェッショナル」で、鳥のカットが手抜きに思えたようで、あるスタッフを怒鳴りつけているシーンが流れました。

© 1986 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli

 作品づくりに対する厳しさがあるからこそ、感謝や挨拶など、人に対する基本的な配慮を大切にするともいえます。厳格さと丁寧な配慮があって、あの宮崎作品が生まれてくるのですね。

宮崎駿の名言4:本当に困らないとだめなんです

 2010年、スタジオジブリ作品のアニメ映画『借りぐらしのアリエッティ』が公開されました。企画脚本は宮崎駿さんですが、監督はジブリの米林宏昌さんです。公開をきっかけに『BURUTUS』が、スタジオジブリ特集を組み、宮崎監督のインタビューが掲載されています。

BRUTUS (ブルータス) 2010年 8/1号の表紙画像
『BURUTUS』(マガジンハウス)
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 そのインタビューで宮崎監督は、作品づくりについて語っています。

宮崎駿の名言

 作品というのは全部理詰めで作るとつまらないんです。理屈ではこうだけど、どうしてもこれではおかしい、これじゃつまらない、じゃあどうするか。理詰めじゃないものが出てくるには、本当に困らないとだめなんです。とにかく追い詰められるしかないんです、ものすごく。どれだけ自分を追い詰められるか。

『BURUTUS』2010 8/1(マガジンハウス)

 理詰めでは作品はつまらなくなるから、理詰めではないものを出すために、本当に困ることが必要というわけです。では、その理詰めではないもは、どこから出てくるかというと、宮崎監督は、上の言葉の前に、こういっています。

 人間の内面の奥の方には、何か混沌としたエネルギーやら個人の記憶を超えた記憶のようなものがあるんだと思うんです。それに従うわけです。『BURUTUS』2010 8/1(マガジンハウス)

 この言葉から、ユング心理学でいう『集合的無意識』(collective unconscious)を思い出します。

 ユングは、「無意識」「個人的無意識」(personal unconscious)と「集合的無意識」(collective unconscious)に分けて考えました。「個人的無意識」は「意識」の領域の下にあり「個人の記憶」が蓄積されています。そして「個人的無意識」のさらに奥に、「集合的無意識」があり、ここでは人類に共通する心のパターンが動いています。

 「集合的無意識」とは、まさに混沌したエネルギーであり「個人の記憶を超えた人類の記憶のようなもの」といえます。

まっつん
まっつん

「集合的無意識」の要素は、時に、「夢」の世界に登場してきます。神秘的で超常的な夢を見たら、それは「集合的無意識」からのメッセージかもしれません。

 宮崎監督が「集合的無意識」を知っているかどうかはわかりません。

 宮崎監督の言葉=「何か混沌としたエネルギーやら個人の記憶を超えた記憶のようなもの」は、ユング心理学で考えると、「集合的無意識」のことといえます。そして「それに従う」というのですから、宮崎監督は「集合的無意識」からヒントを得ようとしていると考えられるのです。

 ユング派心理療法家の河合隼雄先生は、『ユング心理学入門』(培風館)で、こう書いています。

『ユング心理学入門』(河合隼雄 培風館)の表紙画像
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「われわれの自我が問題に直面し、あらゆる意識的な努力を続けても解決できず、絶望に陥りそうなときに、自己の働きが起こり、われわれは今までの段階とは異なった高次の解決を得ることを経験する」

『ユング心理学入門』(河合隼雄 培風館)p228

 上の文でいう自我(エゴ)とは、ユング心理学では、心の表層部分である「意識」の領域を統括している「心の働き」です。「自己の働き」での「自己」(セルフ)とは、意識と無意識を含めた心全体を統括している「心の働き」です。「自己」(セルフ)の働きは無意識のものです。

 宮崎監督は、「理詰めじゃないものが出てくるには、本当に困らないとだめなんです。」といっています。「絶望に陥りそうなとき」に、「高次の解決」として「理詰めではない、作品をおもしろくする何か」を得てきたのでしょう。

© 2010 Mary Norton/Keiko Niwa/Studio Ghibli, NDHDMTW

 宮崎監督は、「経験のない人にはちょっとわからないと思うんですけどね」と前置きして、「人間の内面の奥の方には、何か混沌としたエネルギーやら…」と続けています。これを逆に言えば、「自分は経験をしているのでわかる」ということです。

 何度も何度も、本当に困って絶望しそうになって、そうして、無意識のもたらす高次の解決を手にして、あの数々の名作が創り出されてきたのですね。

宮崎駿の名言5:それは自分に対する敗北ですよ

 『黒沢明、宮崎駿、北野武 日本の三人の演出家』(インタビュー:渋谷陽一 ロッキング・オン) に、宮崎監督のロングインタビューがおさめられています。1989年11月に行われたものです。この時点での宮崎作品の最新作は『魔女の宅急便』です。

黒沢明、宮崎駿、北野武 ( ロッキング・オン)
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 宮崎監督は、自分のことをやたらと卑下します。例えば「このだらしなさとか、そんなの今さら他人に言われたくないし」(p114)「底知れぬ悪意とか、どうしようもなさとかいうのがあるのは十分に知ってますが」(p115)など、自分に対する評価になると、やけに否定的になります。

 この否定的なとらえ方は、自身のことだけに限らず、「大人」という存在に対する宮崎監督の実感のようです。

 宮崎監督は、「『人というのはこうものだ』っていうふうな描き方じゃなくて、『こうなったらいいなあ』っていう方向で映画を作ってます」(p114)といいます。

 大人の否定的な側面に共感していく映画ではなくて、子供たちが『こうなったらいいなあ』と思える映画づくりを目指しています。このインタビューでも、「子供のために作品を作りたい」といっています。 

 『人というのはこうものだ』となると、どうしてもニヒリズム(虚無主義)の要素が強くなります。ニヒリズム(虚無主義)とは、「この世界や人間に本質的な価値はない」とする考え方です。そこで、宮崎監督の言葉です。

宮崎駿の名言

 ニヒリスティックになったり、ヤケクソになったり、刹那的になるってことは、いまは少しも僕は肯定したくないんですよ!たとえそれが自分の中にどんなにあってもね、それで映画を作りたいとは思わないんです。それは自分に対する敗北ですよ。

『黒沢明、宮崎駿、北野武』 ( ロッキング・オン)p116-117

 大人の「だらしなさ」「底知れぬ悪意」「どうしようもなさ」が現実には確かにあって、それを『人というのはこうものだ』と物語っていくのが、大人の否定的な面に共感していくニヒリスティックな映画づくりです。

「大人だってだらしないし、底知れぬ悪意をもってるんだから、人ってそういうもんだよ、人生なんて無意味だよ」といったニヒリズム(虚無主義)は、人を悲観的にし、やがて絶望を生み出します。

 それは子どもたちから未来を奪う考え方です。もし、そんな考え方で映画を作ったら、まさに宮崎監督にとって「自分に対する敗北」になります。

  世界的心理学者V・E・フランクルは、こういっています。

悲劇に直面していても、幸せな人はいる。
苦しみにもかかわらず存在する意味ゆえに。
癒しの力は、意味の中にこそあるのです。 
『〈生きる意味〉を求めて』(V・E・フランクル 春秋社)

 フランクルは、「人生はどんな時にも意味がある」と考えた人です。宮崎監督のように、人生における希望の大切さを唱えつづけた人です。

まっつん
まっつん

 『こうなったらいいなあ』という方向性が、宮崎監督の指針です。『風の谷のナウシカ』(1984)も、『天空の城ラピュタ』(1986)も、『となりのトトロ 』(1988)も、人が『こうなったらいいなあ』という理想や希望をベースに描かれています。

 宮崎監督には、現代社会をおおうニヒリズム(虚無主義)を超克しようとする、つまり、ニヒリズムを乗り越え、ニヒリズムに打ち勝とうとする「生きる姿勢」があります。

© 1989 Eiko Kadono/Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, N

 数々の映画作品もそうですが、宮崎監督の生き方そのものも、私たちに『こうなったらいいなあ』という希望を与えてくれています。

宮崎駿の名言6:君を助けてくれる人間があらわれるよ

 『本へのとびら』(岩波書店)は、スタジオジブリ制作『借りぐらしのアリエッティ』(原作『床下の小人たち』)の公開(2010)と岩波少年文庫創刊60周年を機に生まれた本です。宮崎監督が岩波少年文庫の中から、3ヶ月をかけて再読し、50冊を選び出し、その感想が記されています。

本へのとびら――岩波少年文庫を語る (岩波新書) の表紙画像
『本へのとびら』(岩波書店)
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 出版は2011年10月20日です。本の後には、東日本大震災(3.11)の発生を受けての宮崎監督の思いが語られています。その文に、次の言葉がありました。

宮崎駿の名言

 何かうまくいかないことが起こっても、それを超えてもう一度やり直しがきくんだよ、と。たとえいま貧窮に苦しんでいても、君の努力で目の前がひらける、君を助けてくれる人間があらわれるよ、と、子どもたちにそういうことを伝えようと書かれたものが多かったと思うんです。

『本へのとびら』(岩波書店)p162-163

 宮崎監督の児童文学の「あるべき姿」を語ったものととれます。

 この言葉は、名言5であげた「『こうなったらいいなあ』っていう方向で映画を作ってます」の『こうなったらいいなあ』の具体的な内容と考えることができます。

 宮崎監督は、基本的には、子どものために映画を作っています。映画を通して、子どもたちにメッセージを伝えています。そのメッセージを次のものと考えると、深くうなづけます。

何かうまくいかないことが起こっても、それを超えてもう一度やり直しがきくんだよ、と。たとえいま貧窮に苦しんでいても、君の努力で目の前がひらける、君を助けてくれる人間があらわれるよ

 こうしたメッセージに対して、「そんなこといっても現実は違うよ、そうはならないよ」と、否定的な評価をくだすのがニヒリズム(虚無主義)です。

 「この世界や人間に価値なんてない」とするニヒリズム(虚無主義)は、さらなる高みへ向かう「心のエネルギー」を奪います。悪い意味での「あきらめ」を生み出します。

まっつん
まっつん

 ただでさえ人には、本能をベースとした「欲」があります。「欲」とは、人間を低いレベルにおしやろうとする力にもなります。「寝て」「食べて」という自分の「欲」を満たすことだけに夢中になったら、それはとても寂しい人生です。

 名言5にも登場した心理学者フランクルは、こう述べています。 

「自分の中の、より高い欲求や目標を含んだ、高いレベルで自分自身を見る経験がない限り、人間もまた、その人が本来持っていたであろうレベルより低い所に落ち着いてしまうのである」

『〈生きる意味〉を求めて』(V・E・フランクル[著]、諸富祥彦[監訳] 春秋社)

 人間には、「欲」という、自己を低いレベルに押しやる力が働いています。

 その力のいいなりになったら、なまけ癖のついた「だらしない人間」になってしまいます。だから、高いレベルへと自分を押し上げる「希望」や「理想」が必要なのです。

© 2010 Mary Norton/Keiko Niwa/Studio Ghibli, NDHDMTW

 「希望」や「理想」が必要なのは、子どもだけでなく、もちろん、大人も、です。

宮崎駿の名言7:大事なことは面倒くさい

  2013年8月16日放送のNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』(宮崎駿スペシャル「風立ちぬ」1000日の記録)で、宮崎監督の仕事ぶりが放映されました。宮崎作品『風立ちぬ』の制作現場への密着です。宮崎監督が、日頃、どんな風に仕事をしているのか、生の姿が映し出されていました。

© 2013 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, NDHDMTK
まっつん
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 この放送をみて、意外というか驚いたのは、宮崎監督が貧乏ゆすりをしながら「面倒くさい」という言葉をくりかえすことです。貧乏ゆすりは、自分を鼓舞するためにしているとのことですが、それにしても「面倒くさい」とは、ずいぶんとネガティブだな、と感じました。

 宮崎監督のことですから、「面倒くさい」は、本音でしょう。ただ、もちろん、「面倒くさい」に込められた意味がありました。それが次の言葉です。

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宮崎駿の名言

 そなんですよね。「大事なことは面倒くさい」のです。仕事のことは特にそうですね。面倒臭いことがたくさんあります。面倒くさいから、ついつい手抜きをしたくなります。そうして手抜きをしてしまうと、仕事の質が落ちて、いつかしっぺ返しがきます。

 楽すれば楽が災いして楽ならず。

 そんな言葉がありますが、手抜きは災いを連れてきます。ですから、仕事を丁寧にするとは、面倒くさいことから逃げずに、手を抜かずにやることですね。

 この名言は、次の宮崎監督の言葉の一部です。

「面倒くさいっていう自分の気持ちとの戦いなんだよ。何が面倒くさいって究極に面倒くさいよね。『面倒くさかったらやめれば?』『うるせえな』って、そういうことになる。世の中の大事なことってたいてい面倒くさいんだよ。面倒くさくないところで生きていると、面倒くさいのはうらやましいなと思うんです」

NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』(宮崎駿スペシャル「風立ちぬ」1000日の記録)

 仕事をするのが面倒くさいなと感じることもあります。でも、本当に仕事がなくなってしまったら、何もすることがなくなってしまったら、面倒くさいと感じられた日々が、どこか愛おしく感じられます。

 だから、仕事があること、仕事ができていること、面倒くさいと思えていることは、「うらやましい」となるわけです。

 「面倒くさい」と思うのは大いに結構。それより、手抜きをしないことが大切ですね。

宮崎駿の名言8:努力はいつか実る

 『半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義』(文藝春秋 )の出版は、2013年です。宮崎監督の対談相手である半藤一利さんといえば、文藝春秋で専務取締役を務めたこともある人で、新田次郎文学賞、山本七平賞などの文学賞の受賞歴もあり、特に昭和史に精通された人物として著名です。

 対談は前半と後半に分かれ、後半は、2013年公開の宮崎作品『風立ちぬ』にまつまわる内容になっています。

 宮崎監督から「半藤一利さんと対談をしたい」というリクエストがあり、この本が生まれました。零戦のことなど、かなりマニアックな話が展開されています。

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 「東京湾は昔、きれいだった」という対談の流れから、半藤さんの学生時代のこととなります。半藤さんは、高校・大学を通してボート部で活動していたそうです。大学は東大です。昭和26年(1951)、大学3年生の時に50センチの差で慶應に敗北し優勝を逃します。これに勝っていたらヘルシンキ・オリンピック出場でした。その翌年、大学4年となった半藤さんは「全日本優勝」を果たします。

 この話を受けて、宮崎監督のいった言葉が、次のものです。

宮崎駿の名言

地道に根気よく、つらいことでも頑張って続ければ努力はいつか実る。

半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.2817). Kindle 版.

 そうですね。まさに子どもたちに「希望」を感じさせてくれる言葉です。

 宮崎監督だって、現実の世界では、努力が100%実らないことは、痛いほどわかっています。宮崎監督の手がけた作品の全てが、そのクオリティや第三者からの評価や興行収入などを含めて、自分自身で納得のいく結果になっているかるといえば、「そうではない」と、インタビューでよく話しています。

まっつん
まっつん

 確かに努力は100%は実らないけど、がんばって続けていると、実ることもあります。それも現実であり、そこに「希望」があります。だから「不安」にならず、「頑張って続ければ努力はいつか実る」と信じて、私たちは「地道に根気よく」やっていくわけですね。

 「不安」にならず、と書きました。その「不安」について、宮崎監督は、こう語っています。 

宮崎駿の名言

 若い人たちはやたら「不安だ、不安だ」と言うんですが、ぼくは「健康で働く気があれば大丈夫。それしかないだろう」と言い返しています。「不安がるのが流行っているけど、流行に乗っても愚かなる大衆になるだけだからやめなさい」と。「不安なときは楽天的になって、みんなが楽天的なとき不安になれ」とね。

半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.2619-2622). Kindle 版.

 人は誰もが不安になるものです。「不安がるな」といっても不安は無意識の作用が大きので、どうしても不安は出てくるものです。

 そこで、「不安に対処する方法としてよく言われていること」と、宮崎監督の言葉「健康で働く気があれば大丈夫。それしかないだろう」は、共通点があります。

 不安に対処する方法のひとつは、「不安は不安のままにして、行動することに意識をフォーカスしていこう」です。

 不安になる自分を否定するのではなく、不安になっているその気持ちはそのまま受け入れて、不安なままでいいから、行動していくことに集中するのです。

 もし、その行動が仕事であれば、「とにかく仕事をすること」であり、宮崎監督の「それしかないだろう」は、不安対処に関して的を射ることばです。仕事に集中できれば、その時、人は「不安」を感じていません。不安は心から消えています。

© 2013 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, NDHDMTK

 だから、「つらいことでも頑張って続ければ努力はいつか実る」ことを信じて、「地道に根気よく」、自分のやるへきことに集中していくことが、とても大切ですね。

宮崎駿の名言9:闇も大切なんだと

 書籍『時代の風音』(朝日新聞出版者)は、宮崎監督の希望で生まれた対談本です。対談相手は、歴史小説家の司馬遼太郎と芥川賞作家堀田善衛です。宮崎監督は、最も尊敬する小説家として堀田善衛の名をあげています。

時代の風音 (朝日文芸文庫)の表紙画像
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 話題が「アニメーション」になったところで、司馬さんが宮崎監督にお願いをします。「宮崎さんに一つ作ってほしいテーマがあるのですが。平安時代の京の闇に棲んでいた物の怪のことです」(p115)と。

 司馬さんがこのリクエストをしたのは、天狗が出るという志明院(京都)に泊まった時に不思議な体験をしたからです。天狗だったかどうかはわかりませんが、司馬さんは、障子がゴトゴト揺れたり、ドンドンドーンと四股を踏むように踏んでいく音を聞いたといっています。

 司馬さんの不思議な体験が話された後、いつくかの奇怪談がつづき、そうした目に見えない存在は、「電気がつくといなくなると言いますね」と宮崎監督がいうと、司馬さんが「いなくなる。だから電気のない闇というもののすばらしさを、宮崎さんのアニメでひとつ表現していただきですな」(p117)と、ここでまたリクエストがなされます。

 この対談の時、すでに『となりのトトロ』(1988)は、公開されていました。

© 1988 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli

 司馬さんは『となりのトトロ』がお好きだそうです。「物の怪」の一種といえる「トトロ」や「ネコバス」が登場しています。闇の側にいる存在たちへの想いが宮崎監督にはあります。そこで宮崎監督は、こう語っています。

宮崎駿の名言

 森と闇が強い時代には、光は光明そのものだったのでしょうね。でも、人間のほうが強くなって光ばかりになると、闇もたいせつなんだと気がつくわけです。私は闇のほうにちょっと味方をしたくなっているのですが(笑)

『時代の風音』 (朝日新聞出版)p119

 都市化は、光を空間に広げていきます。光ばかりになったら陰影がなくなり単調で寂しい風景になります。

まっつん
まっつん

「光害」という言葉がある通り、光にも「害」があります。強い光の中にい続けると、人は安眠ができなくなり、心身に不調をきたします。人間には「闇」が必要です。人の性格にも、影があるから、個性が生まれます。

 実は、司馬さんからのこのお願いから着想をえて、あの『もののけ姫』(1997)が誕生したといわれています。

『もののけ姫』(監督:宮崎駿 スタジオジブリ)
『もののけ姫』
(監督:宮崎駿 スタジオジブリ)

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 この時いった通り、人間だけでなく、「闇」ほうにも味方をした名作が生まれました。

宮崎駿の名言10:人生の真実はキラキラした正しいものがあるんじゃないよ

 2023年12月16日、NHKプロフェッショナル「ジブリと宮﨑駿の2399日」が放映されました。『風立ちぬ』で引退宣言をしたため、宮崎監督の長編アニメ映画の新作は、もう観られないものとファンは思っていました。ところが、引退宣言を撤回し、『君たちはどう生きるか』が2023年に公開され、第96回アカデミー賞(2024)で、長編アニメ映画賞を受賞します。

© 2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli


 さて、宮崎監督は、NHKプロフェッショナル「ジブリと宮﨑駿の2399日」で、こんな言葉を残しています。

宮崎駿の名言

「人生の真実はキラキラした正しいものがあるんじゃないよ。ドロドロとか色々なもの含めて全部あるから、自分の奥に隠してあることとか眠っていることを引っ張り出して作品を作らなきゃダメな時期だろ」

NHKプロフェッショナル「ジブリと宮﨑駿の2399日」(2023.12.16放映)

 「自分の奥に隠してあることとか眠っていることを引っ張り出して」と聞くと、名言4で書いた次の言葉が思い出されます。

 人間の内面の奥の方には、何か混沌としたエネルギーやら個人の記憶を超えた記憶のようなものがあるんだと思うんです。それに従うわけです。『BURUTUS』2010 8/1(マガジンハウス)

 「人生の真実はキラキラした正しいものがあるんじゃないよ」からは、「私は闇のほうにちょっと味方をしたくなっている」(『時代の風音』p119)につながっていきます。

 光があれば闇があります。キラキラしたものだけではなくて、ドロドロとしたものもあり、ふたつが対立しあって、そうしてエネルギーが生まれてきます。

 「対立」がエネルギーを生む。この考え方を、世界三大心理学者のひとり「C.G.ユング」は大切にしていました。ユングはこういっています。

『エッセンシャル・ユング』(アンソニー・ストー 創元社)の表紙画像
『エッセンシャル・ユング』(創元社)
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「あらゆる意識は、おそらくそれと気づかないうちに無意識内に対立するものを求めるのである。対立するものがなければ、意識は抗いようもなく停滞、渋滞、硬直化へと向かう。人生は対立するものの閃光によってのみ生まれるのである」

『エッセンシャル・ユング』(創元社)p175 

 「意識」と「無意識」がぶつかりあって、まざりあって、人の心は成熟していきます。意識の表面にある「自我」(エゴ)と、心の奥底にある「無意識」からの働きかけがあって、その人ならではのユニークな何かが創造されていきます。

 「対立あるところに創造あり」です。

 「意識」(自我)だけで考える自分は、「小さい自分」です。人の心には「無意識」という、宇宙のように広い心の領域があり、それを含めて自分です。ですから、自分とは自分で考える以上に、もっと大きな心をもった「大きい自分」です。

 「小さい自分」だけで考えることは、自我(エゴ)を中心とした考え方です。

 原作『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎 岩波書店)で、主人公コペル君が、おじさんの「ものの見方」がタイトルのノートを読む場面があります。そのノートに、こう書かれてあります。

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「自分たちの地球が宇宙の中心だという考えにかじりついていた間、人類には宇宙の本当のことがわからなかったと同様に、自分ばかりを中心にして、物事を判断してゆくと、世の中の本当のことも、ついに知ることが出来ないでしまう。大きな真理は、そういう人の眼には、決してうつらないのだ

『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎岩波書店)p26-27

 ここでいう「大きな真理」を宮崎監督のいう「人生の真実」だとすれば、「自分ばかりを中心」にした「自我(エゴ)=中心」思考ではなく、無意識にあるドロドロしたものとも向き合い対立していく、心全体を視野に入れた考え方が求められます。 

© 2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli

  自分のドロドロしたものと対立し、それを受け入れ、時に傷つきながら、私たちは成長していくのです。

(文:松山 淳