松下幸之助は、松下電器産業(現パナソニック)創業者。明治27(1894)年、和歌山県に生まれる。16歳の時、大阪電灯に入社し7年間働く。同社を退社後、自宅で、妻むめのと妻の弟である井植 歳男と共に起業する。大正7(1918)年、松下電気器具製作所を創業。昭和4(1929)年、松下電器製作所に改名する。
昭和21(1946)年、出版社の「PHP研究所」を創設。『道をひらく』『指導者の条件』『素直な心になるために』など数多くの著作を遺し、本を通しての啓蒙活動を行った。昭和54(1979)年、松下政経塾を設立。政治家の育成にも力を注ぐ。平成元(1989)年に94歳で没。「経営の神様」の異名をもつ。名経営者として世界に名を知られ、その教えに今も多くの人が耳を傾けている。
目次
松下幸之助の名言1:人間はだれもが光る
「ウェルビーイング」(心身共に健やかな状態)や「人的資本経営」が、人事マネジメントのキーワードになっています。人材の力をいかに引き出し、育て、その価値をどこまで高めることができるかは、経営上の大きな目標にもなっています。
パナソニックを1代でグローバル企業に育てあげた松氏幸之助は、人材育成においても優れていたといえます。『人を活かす経営 』(PHP文庫) の中で、松下氏は、こう述べています。
人間はだれもが、磨けばそれぞれに光る、さまざまなすばらしい素質をもっている。
だから、人を育て、活かすにあたっても、まずそういう人間の本質というものをよく認識して、それぞれの人がもっているすぐれた素質が生きるような配慮をしていく。
それがやはり、基本ではないか。
人それぞれ違う素質をもってこの世に生まれてきます。そして育った環境も人それぞれです。だから「人材の素質をいかす」ことが大事だと、誰もが理解できています。では、そのために何が必要なのでしょうか。松下氏は上の言葉に続けて、こう述べています。
「なによりも仕事上の知識、技能を修得させ、向上させるといったことが必要なのはいうまでもない。そうしたものがおろそかになっては、仕事をスムーズに進めていくこと自体がむずかしい」(『人を活かす経営』PHP)
言われてみれば当然のことですね。ですが、仕事に必要な「専門知識」が、上司から部下へと継承されていないことがあります。モチベーション・マネジメントのポイントとして、次のことがよくいわれます。
目標を達成するためのスキル・ノウハウが何かを知り、それを「身につけられる」と感じられればモチベーションを維持できる。
成果を出すことは人のやる気を高めます。しかし、成果をあげることがすぐに無理でも、仕事に必要なスキル・ノウハウが何かを知り、それを「この会社では身につけることができる」と、見通しをもてていれば、モチベーションに好影響を及ぼし続けます。
例えば、新人A君が成果を出すのに「英会話力」が必要だとします。A君は英語が苦手です。高校生の時は、いつも赤点でした。それでも「英語」を身につければ「今以上に成果を出せる」と「わかっている」のと「わからない」では、大きな差があります。
「先の見えない霧の中を、ただ、やみくもにさまよう」のではなく、「先の見えない霧の中だけれど、ライトと地図を手に入れれば、なんとかなる」と思えていることが、大事です。
そう考えると、松下氏がいう「仕事上の知識、技能を修得させ、向上させる」という、いってみれば当たり前のことが、改めて、人材育成には大切なことだと理解できます。
松下幸之助の名言2:熱意のある人はハシゴを考える
昭和34年(1959年)、松下氏は「大卒定期採用者壮行会」の講演で、こう述べています。
この二階に上りたい、何とかして上がりたいという熱意のある人は、ハシゴを考えましょう。非常に熱意のある人は、どうしたら上れるのか、ということでハシゴを考える。
この二階に上ってみたいなあ、というくらいの人ではハシゴは考えられません。
上の言葉は、「熱意ある願望」の大切さを説いています。「2階に上れたらいいけど、別に上れなくてもいいや」といった中途半端な「願い」では、そこに差が生まれてきます。
この「熱意ある願望」に関する、京セラ創業者稲盛和夫氏のエピソードがありますので、ご紹介します。稲盛氏の著書『生き方』(サンマーク出版)に、その様子が書かれています。稲盛氏といえば松下幸之助亡き後、「経営の神様」と呼ばれた人ですね。
エピソードは、稲盛氏がまだ若き日、初めて松下氏の講演を聞きに行った時のことです。講演の中で「ダム式経営」の話しになりました。
「ダム式経営」とは、水不足になった時にダムに水があれば困らないように、会社もいざという時に備えて、資産を十分に蓄え、余裕のある経営を目指すものです。
この話を聞いていかがでしょうか。「それができたら苦労はないよ」「そんな当たり前のことは誰でもいえる」などと、つい否定的にとらえてしまわないでしょうか。会場もそんな雰囲気になったそうで、最後、質問がされました。
「ダム式経営ができれば、たしかに理想です。しかし現実にはそれができない。どうしたらそれができるのか、その方法を終えてくれないことには話にならないじゃないですか」
この質問に対して、松下氏はポツリとこう答えました。
「そんな方法は私も知りませんのや。知りませんけども、ダムをつくろうと思わないとあきまへんなあ」
この答えに、失笑が広がります。しかし、稲盛氏は「体に電流が走るような大きな衝撃を受け」たと書いています。なぜ、それほどまで強いインパクトがあったのでしょうか。稲盛氏は、こういいます。
「ダムをつくる方法は人それぞれだから、こうしろと一律に教えられるものではない。しかし、まずダムをつくりたいと思わなくてはならない。その思いがすべての始まりなのだ。(中略)つまり、心が呼ばなければ、やり方も見えてこないし、成功も近づいてこない。だからまず強くしっかりと願望することが重要である。そうすればその思いが起点となって、最後はかならず成就する」
『生き方』(稲盛和夫 サンマーク出版)
冒頭の松下氏の言葉に戻りましょう。
「非常に熱意のある人は、どうしたら上れるのか、ということでハシゴを考える」とありました。ダム式経営も同じで、「まずダムをつくりたいと思わなくてはならない」わけです。
2階に上りたいと願うから、ハシゴというアイディアが出てきます。そもそも2階に上ることを願ってない人に、ハシゴは思いつきません。
どんな思いをもち、その思いに対して、どれだけ熱意があるのか。
それが大切ですね。
松下幸之助の名言3:賢い人を集めてもうまくいくとは限らない
「チームビルディング」
この言葉が、日本に広く普及しました。人と人が集まっただけでは「チーム」とはいえず、それは単なる「集団」「グループ」です。「チーム」とは、メンバー同士の相乗効果から、個々の能力の総和を越えたものが引き出されてくる人の集まりだといえます。
「うちは、まだまだチームになっていない」。日本代表チームやプロスポーツのチームを率いる監督たちが、よくそういいます。
日本人は、「以心伝心」を無意識のうちに行おうとする精神文化をもっています。「以心伝心」にはメリットもありますが、やはりデメリットがあります。デメリットは「言葉にすること」=「言語化」が後回しになり、コミュニケーションに対して受け身になることです。「日本人ははっきり言わないので、何を考えているかわからない」と、欧米諸国の人から批判されます。
では、「以心伝心」のメリットは何でしょうか。「以心伝心」のメリットといえる最たる例は「阿吽の呼吸」です。「以心伝心」は否定的な意味合いにとられることもありますが、「阿吽の呼吸」と聞けば、優れたコミュニケーション手法としてポジティブな印象があります。
言葉にせずともわかりあえる。サッカー、ラグビー、バスケットなど、試合中、優れたチームプレーが生まれる時、そこに言葉を越えた「阿吽の呼吸」の世界があります。言わずとも相手が何を求めているかが瞬時にわかり、それに答えようと個々の選手が自ら動ける。最高のプレーが生まれる瞬間です。
「阿吽の呼吸」は、「知能指数」(IQ=Intelligence Quotient)というより、「心の知能指数」(EQ=Emotional Intelligence Quotient)の問題です。「知能が高いか低いか」「頭がいいか悪いか」ではなく、「相手の立場から考え、感じられる力」が「阿吽の呼吸」には求められます。
ですから、ビジネスにおけるチームビルディングでも、「知能指数が高くて賢い人を集めればうまくいく」というわけではありません。賢い人にこだわるよりも、「阿吽の呼吸」が生まれる「人と人の組み合わせ」が大切です。
松下幸之助氏は、『指導者の条件』(PHP)で、こう述べています。
立派な人、賢い人ばかり集めたからといって必ずしも物事がうまくいくとは限らない。反対に平凡な人たちでも組み合わせよろしきを得れば、非常に成果があがる。
そうした人の組み合わせの妙というものを指導者は知らなくてはならないと思う。
「賢い人」を集めようとするよりも、チームの何たるかを知り、「組み合わせの妙」によってチーム力を高められる「心のしなやかな人材」を集めた方が、結果的に、成果に結びついていきます。
松下幸之助の名言4:長所も短所もその人の持ち味
人には長所もあれば短所もあります。長所が多ければいいなと思いますが、そうとも言い切れません。なぜなら、長所と短所は「表裏一体」の関係になっているからです。
長所と思っていたことが、短所になり、短所となっていたことが長所にもなる。それが人間というものです。
神経質は、丁寧さに。いい加減は、大らかさに。 しつこさは、あきらめない心に。優柔不断は、しなやかさに 。臆病さは、用意周到さに。長所と短所は表裏一体。短所が長所をつくっています。
だから嘆くことはありません、自分のダメなところを…。短所は長所になります。人は短所があるから長所が輝き、もっと強くなれます。
松下幸之助氏は、こういっています。
長所だ、短所だといっても、それは大きな目で見れば、その人の持ち味、あるいは運命ともいえるものでね、絶対なものではない。それをどう見るかが大切なところなのでしょうね。
「私ほ短所なんてなければいい」と強く願い、もし、神様がその人の短所を全てとってしまったら、その人の長所が同時に消えてしまうでしょう。
だから、人を見る大きな目が大切ですね。大きな目で見て、大目に見れば、長所と短所が折り合わさって、その人の「持ち味」になっていることがわかります。
「持ち味」とは「個性」ともいえます。長所と短所の関係性をよく見つめて、自分の「個性」を大切にしましょう。
松下幸之助の名言5:結局、悩みはひとつ。
人間が一度に考えらるのはひとつです。人には意識と無意識があります。無意識は自分では自覚できないことなので、どれだけ気づこうと思っても気づけません。ですので、自分は悩んでいると気づくのは意識の領域のことです。
この意識の領域では、常に考えていることは、ひとつです。そうです、ひとつだけです。
それが人間の心の構造となっています。
もちろん私たちは無意識の領域をもっていますから、自分で「あーだ、こーだ」と悩みながら、同時に、他のさまざまなコトを考えています。とはいっても、無意識の動きは意識することはできないのですから、その時に悩むことはやはり「ひとつ」なのです。
松下氏もこういっています。
私の悩みは多い。悩むことは百も千もある。
しかし、千の悩みがあっても百の悩みがあっても、
結局その悩みは一つである
松下氏が、長い人生経験を経て、悩みを常に持ちつづけてきたけれど、結局のところ、それは「ひとつ」だと気づいたのは、悩むときは、ひとつのことしか悩めないという厳然たる事実からでした。
町工場から始めて世界のパナソニックを作った人ですので、それはそれは、悩みは尽きなかったでしょう。この言葉が出てきた章で、松下氏は「悩み」そのものを肯定しています。
悩むのは結局ひととつだし、また、悩むことがあるから、自分が向上していくし、悩むたびに知恵がつくのだから悩むことも必要なことだと、肯定します。
悩みは、運命が出す人に出す宿題です。
「その人に乗り越えられるからこそ、神様は宿題を出す」とよくいいます。その宿題に人は悩まされるわけですが、悩みがあって、人は成長していくのですから、ひとつひとつ乗り越えていきましょう。
松下幸之助の名言6:一人前の大人というもの
リーダーシップは100年に及ぶ研究成果があり、さまざま学術的な理論があります。「SL理論」「PM理論」「サーバントリーダーシップ」「オーセンティック・リーダーシップ」など。
いろいろとあるのはいいのですが、リーダーシップを発揮する側の人間からすると、「結局、どれが正解なの?」といいたくなります。理論があり過ぎて、逆に、リーダーシップがわからなくなってしまうのです。
研究家の間でも、しばしば「リーダーシップは、研究すればするほど、さらにわからなくなる」と、いわれるほどです。そこで、松下幸之助氏の言葉です。
もし一緒に歩いている友人が、途中で何かにつまずいて転んだというようなことがあったら、だれもがその友人が起きあがることに手を貸す。
そういう行動がごく自然にとれるのが、一人前の大人というものである。
リーダーとは「一人前の大人」です。そして「一人前の大人」としての行動をとっていくことがリーダーシップです。
こう考えると、むずかしい理論が、とてもシンプルになります。
ニュースとなり世間を騒がせる企業の不祥事の数々は、「一人前の大人」としての行動をとれないことが原因です。企業の不祥事は後を断ちません。「死ね」と部下を罵倒するリーダーの所業には、首を傾げざるをえません。とてもシンプルに「一人前の大人であれば、しないこと」といえます。
「リーダーとは何か」を考えることは、「一人前の大人とは何か」を考えることです。「リーダーシップとはどんな行動か」を問うことは、「一人前の大人であればどんな行動をとるのか」を問うことです。
そんな人間学の視点と取り入れることで、リーダーシップはシンプルになり学びやすくなります。
松下幸之助の名言7:私心にとらわれない
人には生まれ持った「欲」があります。「欲」は本能的なものであり、生存本能が強く働けば、命を守るために、他人より自分を優先するのが人です。この傾向が強くなると何事も、他人より自分のためと「私心」が強くなっていきます。
「私心」というと否定的な印象がありますが、私心なくして、人は生きていけません。私心があって、自分を活かそうという成長欲も出てきますし、自分を守る術も身につけていきます。
ですが、人が社会で他者と共に生きる存在である限り、私心が強くなると、うまくいかなくことが多くなります。
「自分だけよければいい」
そんな考え方は、自分を小さな箱にとじ込め、自己の可能性や人生そのものを小さなものにしてしまいます。松下氏は、こんな言葉を残しています。
自分のやっていることは正しいのだとか、自分はこういう使命に立っているのだからこれをやるのだ、もしうまくいかなくてもそれはしかたがない、というような心境が大切だと思う。
そしてそのことは私心にとらわれない、ということに通じると思う。
「私心」とは、自分への執着であり、「自己執着」のことです。自己執着は、人の目を曇らせ「使命」(この人生でなすべき正しいこと)から人を遠ざけます。
もちろん、自分のしていることが正しくても、使命だからといって必ずしも、うまくいくわけではありません。使命だからこそ試練となって、逆にうまくいかないことも人生にはあります。
「私心」にとらわれ自己執着が強くなっていると、「どうしても自分だけが、こんな目にあうのだ。あの人が悪い、この人が悪い」と、何もかも他のせいにする「他責思考」が強くなってしまいます。
うまくいかな時に、使命の正しさを信じられると、「他責思考」から「自責思考」となって、「今、うまくいかないのは、自分に何か原因があるのかもしれないし、まだ時機をえていないだけなのかもしれない」と、冷静になれます。それが結局は「私心にとらわれない」マインドセットを育んでいくわけです。
自分のためだけでなく、世のため人のためにベストを尽くしてるか。
時々、自問自答してみましょう。
松下幸之助の名言8:過ちにどう対処するか
イチローに、こんな言葉がありました。
「結果がでないとき、どういう自分でいられるか。決してあきらめない姿勢が、何かを生み出すきっかけをつくる」(『夢をつかむイチロー262のメッセージ』(ぴあ)
数々の記録を打ち立て、天才と呼ばれたイチローにもスランプはありました。特に現役時代の終盤は、成績不振に苦しみ、試合に出場することすらできませんでした。天才と呼ばれた人にも、「失敗」といえる時期は訪れたのです。
松下氏は「過ち」について、こう述べています。
大切なのは、過ちをおかしたときに、これにどのように対処するということだと思います。
この処し方いかんによって、人間としてのほんとうの値うちが決まるといっても決して過言ではないと思うのです。
人は誰もが失敗をし、過ちを犯すものです。その時、大切なことは、イチローがいうように、その苦難に対して「どういった自分」となり、「どう対処するか」に尽きます。
成功している時よりも、失敗している時に、その人の本性が出るものです。
だから失敗した時に、自分の「人間としてのほんとうの値うちが決まる」と思い、底力を発揮し自分のほんとうの値打ちを高めましょう。
松下幸之助の名言9:「できるはずだ。どうすればできるか」と考える
「できない理由」
これは、不思議なもので、ドンドンでてきます。予算がないから、人手が足りないから、優秀な人材がいないから、政治が悪いから、国が悪いから、世の中がおかしいから…。いい出したらキリがありません。
「できない理由」をひたすらいいあう非建設的な会議を、「建設的な会議」だと勘違いしていると、もったいないです。時間を浪費することになります。
もちろん、無謀なことには歯止めをかけなければいけませんので、「できない理由」は、それはそれとして大事です。
でも、「できない理由」を並べることが習慣化され風土になってしまうと、組織に沈滞ムードが漂うことになります。なぜなら、「できない理由」は新たな挑戦を遠ざけて、同じことの繰り返しを「よし」とするからです。同じことの繰り返しでは、時代にキャッチアップできず市場から、時代から取り残されてしまいます。
松下幸之助氏もこう述べています。
やはり事業でもなんでも「できない」と考えてしまえばそれで終わりである。
「できるはずだ。どうすればできるか」というように考えていってこそ、困難なこと、一見不可能のようなこともできるようになる。
「できない理由」ではなくて、「どうすればできるか」と問い「できる理由」を探していくのが大切ですね。
「できない理由」を探し出す名人になるのではなく、「できる理由」を発見する達人になりましょう。
松下幸之助の名言10:幸・不幸の両面があるということが、結局は幸福
「禍福はあざなえる縄のごとし」
「災い転じて幸となる」
「幸福は不幸の顔してやってくる」
いずれもの言葉も、逆境にある人を励ます世の真理です。
松下氏は、父の事業が失敗し、少年時代はとても貧乏でした。おまけに病弱でした。そして小学校しか卒業できませんでした。世界企業パナソニックを一代で作り上げた名経営者ですが、何度も逆境に陥っています。特に第二次世界大戦後、GHQによって財閥解体の対象となった時は、自分のつくった会社を取り上げられそうになったので、人生最大の逆境だったといえます。
長い人生において数多くの禍福を味わった松下氏は、こう述べています。
幸・不幸の両面があるということが、結局は幸福なのかもしれません。不幸な姿を一瞬でも味わうことによって、初めて幸福のありがたさを知ることができるからです。
これが、すべて幸福の連続だとしたら、そこからは、何ら、幸福感は生まれてこないでしょう。
確かに、その通りですね。幸福なことばかり続いたら、幸福が当たり前になって、幸福であることに「ありがた味」を感じることができなくなります。感謝の念を持てなくなります。
「ありがたい」の反対が「当たり前」です。
人生には、辛いことと幸せなこと、この二つがあって、人生に「ありがた味」をもたらしてくれるのです。「あ〜ありがたい」と感じる時、私たちは幸福の中にあるのです。
だから、不幸にあっても、、今の不幸は、次の幸福で深い「ありがた味」を感じるために必要な意味のある時だと覚悟を定めて、未来に向けて歩んでいきましょう。
(文:松山 淳)