「六つの精進」とは、すばらしい人生・経営を実現するために守るべき哲学だ。「経営の神様」と呼ばれた京セラ創業者稲盛和夫氏が唱えた。「六つの精進」は、次の6か条である。
❶ 誰にも負けない努力をする
❷ 謙虚にして驕らず
❸ 反省のある毎日を送る
❹ 生きていることに感謝する
❺ 善行、利他行を積む
❻ 感性的な悩みをしない
稲盛氏は「盛和塾全国大会」(2008.7/17)にて、「六つの精進」をテーマに講演を行なっている。その模様をまとめた著書が『六つの精進』(サンマーク出版)である。
「精進」とは、「一つのことに精神を集中して励むこと。一生懸命に努力すること」(デジタル大辞泉 小学館)である。稲盛氏は「六つの精進」を通して、人生はすばらしいものになるという。
「六つの精進」とは、どのような教えか。著書『六つの精進』を軸に、稲盛氏の哲学を学んでいく。
精進一:誰にも負けない努力をする
「経営の神様」と呼ばれる稲盛和夫さんですが、大学を卒業して就職した会社をすぐに辞めようとしています。というのも、就職した松風工業が、優良企業とは程遠い状態だったからです。同期が次から次へと辞めていくので、稲盛さんも辞めようとしました。しかし、それが叶わずひとり「松風工業」に残ることになるのです。
「3年で辞める若者」ではありませんが、かの「経営の神様」も会社を辞めようとした経験をもっています。ただ、この後が違いました。稲盛さんは、「自分の人生をうらんでみても、天に唾するようなものだ。たった一度しかない貴重な人生を、決して無駄に過ごしてはならない」(『人生と経営』 致知出版社p24) と心を改め、覚悟を定めます。
そして、「誰にも負けない努力」を始めました。すると研究成果が次から次にあがるようになり、幼い頃から不運つづきの稲盛さんの人生は、この時から好転していくことになるのです。
「誰にも負けない努力」を続けた稲盛さんは、『六つの精進』の講演で、こう語っています。
すばらしい人生を生きるにせよ、すばらしい企業経営をするにせよ、誰にも負けない努力をすること、一生懸命に働くことが必要です。このことを除いては、企業経営の成功も人生の成功もありえないのです。
努力の大切さは誰もがわかっています。
ポイントは「人並みの努力」ではなく「誰にも負けない」といっているところですね。では、「誰にも負けない努力をする」ためには、どうすればいいのでしょうか。そのためには「仕事を好きになることだ」と稲盛さんはいいます。
「一生懸命に働くというのは苦しいことです。その苦しいことを毎日続けていくためには、いま自分でやっている仕事を好きになることが必要です。好きなことであれば、いくらでもがんばることができます。
『六つの精進』(稲盛和夫 サンマーク出版) p24
楽しい仕事はありますが、楽な仕事はありません。仕事をする限り、いつかどこかで辛く苦しい経験をするものです。ただ、その苦しい経験のなかで「誰にも負けない努力」を続けた時、たとえ成果が出なかったとしても、仕事の醍醐味を深く知り、仕事を好きになることが人にはあります。
仕事を好きになるコツとは、「誰にも負けない努力をする」ことでもあるわけです。
稲盛さんは「惚れて通えば千里も一里」という言葉をあげています。「好きになった人であれば、会いにいくのが千里であっても一里のように感じ、遠い道のりでも、疲れもしないし辛いとも思わない」という意味ですね。
仕事に惚れて「誰にも負けない努力」をしたら、辛く苦しい仕事のなかにも「楽しさ」を見つけることができます。そうして人格は磨かれていきます。人格が磨かれていけば、他の人を思いやる慈悲心が生まれ「利他の心」が育まれていきます。
世のため人のためにと、さらに「誰にも負けない努力」を重ねていけば、きっと人生を良き方向へと導いていくことができるでしょう。
精進二:謙虚にして驕らず
「ただ謙のみ福を受く」
稲盛さんは若い頃に、この言葉に出会い「謙虚でなければ幸福を受けることはできない、幸福を得られる人はみな謙虚でなければならないのだ」(p39)と思い、生きていくうえで、経営を行なっていくうえで「謙虚さ」を大切にしてきたそうです。
「謙虚であるということは、人間の人格を形成する資質の中でもっとも大切なものではないかと思います。「あの人は立派な人格者だ」ということを我々はよくいいますが、人間性の中に謙虚さを備えている人を、我々はそいうふうに表現しているわけです」
『六つの精進』(稲盛和夫 サンマーク出版) p24
中国文学者の守谷洋氏の著書『中国古典一日一言 』(PHP文庫)に、「謙のみ益を受く」という言葉があります。中国古典「書経」にある言葉です。「書経」は、儒教の重要経典とされる五経(易経・書経・詩経・礼記・春秋)のひとつです。恐らく稲盛さんは、「謙のみ益を受く」のことをいっているのでしょう。
「満は損を招き、謙は益を受く」(書経)
ここでの満は慢心のことです。守谷氏は慢心が損を招く2つの理由をあげています。
- 自分自身、それ以上の進歩向上が望めない。
- 必ずや周囲の反発を招き、まとまる話もまとらなくなる。
慢心を抱いた組織が、その行いによって世間から退場を余儀なくされることは歴史が証明しています。大手企業のリーダーたちが「満」によって倫理観を欠き、その結果不祥事が発覚して、記者会見で頭を下げるシーンは現代において珍しくない光景となっています。
世の中では、他人を押しのけてでも、という強引な人が成功するようにみえますが、けっしてそうではありません。成功する人とは、内に燃えるような情熱や闘争心、闘魂をもっていても、実は謙虚な控えめな人なのです。
稲盛さんの上の言葉を聞き、経営学者ジェームズ・C・コリンズが提唱した『第五水準のリーダー』という概念が思い出されます。経営学書の名著『ビジョナリーカンパニー② 飛躍の法則』(日経BP)で提唱されたリーダー論です。
ある企業が飛躍した要因をコリンズ博士たちは調査していました。その中で、飛躍を導いたリーダーに共通する資質を発見したのです。その資質を『第五水準のリーダーシップ』と名付けました。
『第五水準のリーダーシップ』について、コリンズ博士は、こう書いています。
良い企業を偉大な企業に変えるために必要なリーダーシップの型を発見したとき、われわれはおどろき、ショックすら受けた。派手なリーダーが強烈な個性をもち、マスコミで大きく取り上げられて有名人になっているのと比較すると、飛躍を指導したリーダーは火星から来たのではないかと思えるほどである。
万事に控えめで、物静かで、内気で、恥ずかしがり屋ですらある。個人としての謙虚さと、職業人としての意思の強さという一見矛盾した組み合わせを特徴としている。
『ビジョナリーカンパニー2』(日経BP)
経営学者がチームとなって丹念な研究を重ねた結果、優れたリーダーの資質に「謙虚さ」をクローズアップしている点は、注目に値します。しかも「万事に控えめで、物静かで、内気で、恥ずかしがり屋」は、米国人のリーダーシップ・スタイルをイメージすると、とても意外です。
稲盛さんも長い人生を通して、数多くのリーダー・経営者と会っています。その経験から導き出された教訓が、経営学者の研究結果と重なっています。なおさらのこと「謙虚にして驕らず」を忘れたくありません。
精進三:反省のある毎日を送る
稲盛さんは、「反省のある毎日を送る」の章で、20世紀初頭の哲学者ジェームズ・アレンの『原因と「結果」の法則』(サンマーク出版)から、いくつかの言葉を引用しています。そのひとつが次のものです。
「心の中に蒔かれた(あるいは、そこに落下して根づくことを許された)思いという種のすべてが、それ自身と同種類のものを生み出します。それは遅かれ早かれ、行いとして花開き、やがては環境という実を結ぶことになります。良い思いは良い実を結び、悪い思いは悪い実を結びます。」『六つの精進』(稲盛和夫 サンマーク出版)p50
もし、「良い思いは良い実を結び、悪い思いは悪い実を結ぶ」のならば、日頃、「良い思い」を抱くことがとても大切になっています。
稲盛さんは、その「良い思い」を抱くために、「反省のある毎日を送る」と、私たちを諭すのです。
「反省だけなら、誰でもできる」。そんな言い方がありますが、稲盛さんのいう「反省」は、そう簡単に誰でもできるものではありません。稲盛さんは、「反省」をこう定義しています。
「自分の悪い心、自我を抑え、自分がもっているよい心を心の中に芽生えさせていく作業が、「反省をする」ということなのです。よい心とは、心の中心にある「真我」、つまり「利他の心」です。他を慈しみ、他によかれかしと思う、やさしい思いやりの心です。それに対して、「自我」とは、自分だけよければいいという「利己的な心」、厚かましい強欲な心のことです。
今日一日を振り返り、今日はどのぐらい自我が顔を出したのかを考えて、それを抑え、真我、つまり利他の心が出るようにしていく作業が「反省」というものです。」
「反省」は辞書に「 1.自分のしてきた言動をかえりみて、その可否を改めて考えること。2. 自分のよくなかった点を認めて、改めようと考えること。」(デジタル大辞泉 小学館)とあります。
確かに、この辞書にある意味合いでの「反省」は、「考えること」ですから、誰にでもできるのかもしれません。稲盛さんのいう「真我、つまり利他の心が出るようにしていく作業」となると、なかなか難しいものです。
とはいえ、稲盛さんの教えが心に残るのは、反省に「目標」がある点です。自らを省みるだけではなく、「利他の心」が養われるように、日々、反省をしていくわけです。すると、漠然と反省するよりも、「自分の悪い心、自我を抑え、自分がもっているよい心を心の中に芽生えさせていく」という目標があれば、目的意識が生まれ「反省」することに意味を感じられるようになります。
人は、意味のないことに力が入りませんが、意味があるとわかれば継続する力が生まれます。
反省をして、邪で貪欲な、卑しい私に対して、「少しは静かにしなさい」「少しは足ることを知りなさい」と言い聞かせ、自我を抑えつけていく作業がいるのです。そうすることによって自分の魂を、自分の心を磨いていくことができるのです。
『六つの精進』(稲盛和夫 サンマーク出版) p56
日々、「反省」をして、「良い思い」をたくさん抱き、「良い実」を結ばせたいものですね。
小学校で習うような道徳・倫理観をベースにして、稲盛さんは経営判断を行なっていったのです。経営学の知識ではなくて、「人間として正しいかどうか」を基準にした判断が、後の成功につながったと、稲盛さんはいいます。
精進四:生きていることに感謝する
ユング派の心理療法家河合隼雄さんの著書『こころの処方箋』(新潮社)に、「強い者だけが感謝できる」という章があります。河合先生は京都大学の教授で、京セラは京都にありますので、おふたりは懇意にしていたと聞きます。
さて、なぜ、河合先生が「強い者だけが感謝できる」と書くのかといいますと、心理療法の場において、「感謝できるか否か」が、その人の「強さ」のバロメータになると考えているからです。河合先生は、こう書いています。
「ある人がどの程度の強さをもっているかを前もって知っておくことが必要なときがある。そんなときに、その人が適切な感謝をする力があるかどうかは、相当に信頼できる尺度のように筆者は思っている」『こころの処方箋』(河合隼雄 新潮社)p149
ここで「適切な感謝」と書いているところがポイントです。押し付けがましい感謝、つまり、「感謝してるのだから〜」と何か要求するような感謝は、「適切な感謝」とはいえません。それは「不適切な感謝」であり、「強い者」がすることではありません。なったのです。
では、稲盛さんは「感謝」について、どういっているのでしょうか。
「どんな些細なことに対しても感謝をする心は、すべてに優先する大切なものであり、「ありがとうございます」という言葉は、大きな力をもっています。この言葉は、自分自身を気持ちのよいすばらしい境地へと導いてくれるとともに、それを聞いた周囲の人々をもやさしいよい気持ちにする万能薬なのです。私も、「ありがとうございます」という言葉を、ずっといいつづけてきました」
稲盛さんは、幼い頃にあるお坊さんから「なんまん、なんまん、ありがとう」というように諭され、それ以来、この言葉を大切にし、繰り返し唱えつづけてきました。京セラはグローバル企業です。経営トップとして海外で教会に立ち寄った時にも、「なんまん、なんまん、ありがとう」を唱えていたそうです。
それぐらい人生において、感謝すること、「ありがとうございます」と口にすることを稲盛さんは大切にしていたのです。よって、「生きていることに感謝する」の教えが生まれてきます。
「生きていることに感謝する」は、とても根本的なもので、日々できる感謝です。「感謝できることあれば、感謝します」と考えていると、感謝の機会も少なくなります。ですが、「生きていること」「生かされていること」に感謝するのならば、生きている限り、毎日、毎日、感謝することできます。
まわりの人を心地よくする「感謝」は「良い思い」です。「良い思いは良い実を結び、悪い思いは悪い実を結ぶ」のであれば、こういえますね。
感謝できることがあるから感謝するのではなく、感謝するからこそ感謝したくなることが起きてくる。
河合先生のいう「強い者だけが感謝できる」を真理とするなら、日々、感謝することによって心を磨き「強い者」になれるといえます。「生かされていることに感謝」をし、心を強くして、たくましく人生を歩んでいきましょう。
精進五:善行、利他行を積む
「利他」は、稲盛さんの「座右の銘」といえる言葉です。さまざまな著書で稲盛さんは「利他」の大切さを説いてきました。例えば『成功の要諦』(致知出版社)では、こういっています。
世のため人のために尽くすことによって、自分の運命を変えていくことができます。自分だけよければいい、という利己の心を離れて、他人の幸せを願う利他の心になる。そうすれば自分の人生が豊かになり、幸運に恵まれる。
『六つの精進』(サンマーク出版)の中では、「善行・利他」に関してて「小善」と「大善」を比較して話を進みます。例として「お金の貸し借り」について、多くのページがさかれています。
あるとき、社員の父親が「お金を貸してほしい」と、稲盛さんの自宅を訪ねてきました。事情を聞くと稲盛さんは、「お父さん、私がお金を貸すことはあなたのためにななりません。いまどれだけ困っておられるのかは知りませんが、それはできません。お父さんは現在の苦境を真正面から受け止めて、耐えていかなければなりません」(p81)と、断りました。
困っている人にお金を貸すのは、善行であり利他であるはずです。しかし、「小善」と「大善」の尺度で見た時に、すぐにお金を貸することは「小善」となるかもしれませんが、本当にその人のためになる「大善」になるのかと問うと、そうとはいえません。
「苦境を真正面から受け止め耐えることを学ぶように」導くことが「大善」といえます。
稲盛さんの判断は正しく、この時の社員は、後に京セラの幹部となって活躍したそうです。
「立派な人生を送るためにも、また立派な経営を続けていくためにも、真の善行、利他行を積むということに努めてください。」
精進六:感性的な悩みをしない
反省はしても後悔はしない。
そんな言葉がありますが、過去の失敗など過ぎた出来事をくよくよと考え続けることは「心」によくありません。「マインド・ワンダリング」(mind wandring)という言葉があります。
マインドは「心」で、ワインダリングは「さまよう」という意味です。そこで「マインド・ワンダリング」とは、今すべきことに集中できず、くよくよとあれこれ考え続けて、心がさまよっている状態です。
例えば、仕事で失敗して上司にひどく怒られたことを、帰りの電車や家に帰ってきて、「あんな言い方ないじゃないか」「なんなんだ、あれでも上司か」「だったら、お前がやってみろよ」などと考え続けてしまうと、その度に「ストレスホルモン」が分泌されてしまうのです。
過剰にストレスホルモンが分泌されると、自律神経が乱れ、心身のバランスが崩れていってしまいます。だから、稲盛さんは、「感性的な悩みをしない」と説くわけです。
「すんだことに対して深い反省はしても、感情や感性のレベルで心労を重ねてはなりません。理性で物事を考え、新たな思いと新たな行動に、ただちに移るべきです。そうすることが人生をすばらしいものにしていくと、私は信じています」
そういう稲盛さんは、京セラで不祥事があった時には、たいへんな苦労を味わいました。「厚生省の許可をとらずにファインセラミック製の膝関節を売って金儲けしている」とマスコミに叩かれたことがあるのです。稲盛さんが、テレビカメラの前で頭をさげる姿が、連日、ニュース映像となって流れました。
心を痛めた稲盛さんは、臨済宗妙心寺派円福寺の西片老師を訪ねました。西片老師は、稲盛さんに対して、こう言葉をかけました。
「ひどい目にあったということは、あなたが過去につくった罪、穢れ、つまり業が結果として出てきたということで、そのときに業は消え去っていくのです」(p97)
この言葉を聞いた稲盛さんは、すぐには納得できなかったものの、家に帰って救われる思いがしたそうです。そこで稲盛さんは、こういっています。
災難にあったとき、それは自分が過去に犯した罪、穢れ、業つまりカルマが結果となって出てきたのだと考えるのです。命までとられるわけではなく、その程度ですんだのであれば、むしろお祝いをしなければならない。そういうふうに思い、すっきりとそのことを忘れ、新しい人生に向かって力強く、希望を燃やして生きていく。そのことがすばらしい人生を生きていくために必要なのです。
『六つの精進』(稲盛和夫 サンマーク出版) p99
とても辛く苦しい目にあうと、そこには「救い」がないように感じられます。しかし、辛く苦しい経験を通して「罪、穢れ」が少しでも消えるのだとしたら、それは「救い」になります。
「救い」があるのならば、「救いなどまったくない」と感じている時よりも、少しは早く、過去を断ち切って忘れることができます。「感性的な悩み」をせずにすみます。
稲盛さんがいうように、「感性的な悩み」はほどほどにして、忘れてよいことはさっさと忘れて、新しい人生に向かって力強く、希望を燃やして生きていきましょう。
(文:松山 淳)
1932年(昭和7年)鹿児島県(鹿児島市薬師町)生まれ。1948年(昭和23年)鹿児島市高等学校第三部に進学。1951年(昭和26年)鹿児島大学工学部に入学。1955年大学卒業後、碍子メーカー松風工業(京都)に就職する。1958年、上司と衝突し松風工業を退社。
1959年(昭和34年)、京都セラミック株式会社(現京セラ)を創業。1984年、電気通信事業の自由化にともないNTTに対抗するため第二電電企画を設立。2000年10月に他会社と合併し、KDDIを設立する。
2010年2月、破綻した日本航空(JAL)の再生のため会長に就任。2年7ヶ月で再上場を果たし、再生に成功する。「経営の神様」と呼ばれる。
経営塾「盛和塾」の塾長として数多くの経営者を育成する(1983年〜2019年)。
2022年8月24日に永眠。享年90歳。