組織には風土があります。その風土に「染まらないぞ!」と思っていても、知らず知らずのうちに染まっていくのが人間というものです。
「出る杭になれ!」
この勇ましい言葉を信じて上司に逆らったら、「閑職に異動させられた」。
そんな泣くに泣けない話しを、某大手銀行の方から聞いたことがあります。口論になった時、その上司は「上司に逆らっていいことあると思うなよ」と最後、呟いたそうです。
「組織の力」は、社員が考える以上に強く、世間の常識とは異なる「独特の考え方」を社員に強制します。この「独特」が、創造性を高める「個性」ならいいですが、ここでの「独特」は、その会社に特有の「考え方の均質化」を意味します。
「考え方の均質化」とは、つまり、A社という会社であれば、A社の人たちはA社っぽく「みんな同じ考え方をしがちだ」ということです。社外から見た時の「その会社独特の考え方」は、時に異様に映ることすらあります。
「出る杭」の比喩を使えば、企業規模が大きくなればなるほど、無意識のうちに社員みんなが、組織風土に染められて「出ない杭」になっていくのです。
組織に「出ない杭」の社員がそろっているとマネジメントは楽です。ストレスが少なくて済みます。皆が似たような意見を持てば、反論が少なくなりミーティングはスムーズに進みます。会議の時間も短くなり効率的です。
「時間もないし、もういいよ、それでいこう、それで、みんなもいいね?」
「はい、それでいいです」
こんな会話が会議で頻繁に繰り返されているとしたら、ご察しの通り、「集団思考・集団浅慮」(グループ・シンク)に陥って、誤った意思決定がなされている可能性が高いです。
社会心理学者アーヴィング・ジャニス(Irving Janis)が『Groupthink』という本を出版したことを機に、世界に広まりました。
「集団思考/集団浅慮」(グループ・シンク)の罠にはまる典型例は、リーダーの周りにイエスマンが集まり「仲良しクラブ」になる状態です。
「仲良しクラブ」では、メンバー同士の人間関係が良く、チームの雰囲気はとてもいいのですが、議論を避ける傾向が強まります。その結果、アイディアがブラッシュアップされず短絡的な浅はかな結論になってしまうのです。
「集団思考」では、チームの「いい雰囲気」を優先するあまり、また、チームのメンバーから嫌われることを恐れて、「それでいいよ」とに同意することが多くなります。反対意見があることで、アイディアの質が高まる原理原則をなおざりにするのです。
そう考えると、やはりこの言葉を許容できる余裕が、チームをひっぱるリーダーには欲しいところです。
「出る杭になれ!」
この集団思考を防ぐ手立てをノーベル賞受賞者が続出するユダヤ人たちは古くからもっていたようです。
ユダヤ社会では全員が賛成した案は否決される。
全員が同じ意見であることを危険だと考えているそうです。これは「集団思考/集団浅慮」(グループ・シンク)を防止する具体策といえます。
このことを知ったのは、ドリームインキュベータ代表取締役会長「掘紘一」さんの『リーダーシップの本質』(掘紘一 ダイヤモンド社)という本を読んでです。堀さんは、こう書いています。
「全員賛成は、採用しようとしている案の長所の裏にある短所を誰も考えていない。他の案の持つよさを誰も考えていない。そうした危うさをはらみ、道を間違える可能性が大きいということで全員一致を否決にしたのがユダヤ人の知恵である。」
『リーダーシップの本質』(掘紘一 ダイヤモンド社)
A案、B案、C案あって、さんざん意見を戦わせた結果、例えば、多数決でA案になる。これ問題はないわけです。また、その場のリーダーが、皆の意見を聞いて、話し合い、最後の決断を下す。これも一つの意思決定パターンです。
でも、会議が長引いたり、議論するのに疲れてくると「早く終わらせたい」と考えるのが人間で、とにかく結論を出すために「みんなが賛成する」という事態も発生します。
社会心理学者アーヴィング・ジャニス(Irving Janis)は、「集団思考/集団浅慮」(グループ・シンク)に陥る原因として「ストレスからの回避」を指摘しています。つまり、ストレスのかかる話し合いから一刻も早く逃がれたいがために、「とにかく、とりあえず同意してしまう」のです。
これは、その場を支配する「空気」を察知しての「集団心理」によるものといえます。
みんなと意見が同じになるようにその場で働く空気感を「同調圧力」といいます。「同調圧力」に従ってとる行動を「同調行動」といいます。
会議室に、なんともいえない空気が流れて「全員賛成」に傾いていくこともあれば、強いリーダーの発言で「同調圧力」が発生することもあります。
日頃から、そのリーダーにメンバーが逆らうことができず、「これでいいな!」と言われたら、おびえながら「はい!」と同意してしまう。これを心理学では「追従」(ついしょう)と表現することがあります。
「追従(ついしょう)」とは、本心ではそうは思っていないけれど、「そうです」と同意することです。相手から好意的な評価を得たいがために、本当に言いたいこととは違う意見を表明して、相手に賛成することです。
日中の会議で「まったく社長の言う通りでございます。私も社長のご意見に賛成です」と言っておきながら、夜の街に繰り出し酒の力をかりて「まったく社長は何もわかってない、バカじゃないのか」と愚痴るのは、まさに「追従」といえるでしょう。
ひとりひとりの人が、善人で見識があっても集団になると「人が変わる」現象は、どんな会社でも起きています。本心で行動していないのです。
組織が人の集まりであり、そこに集団がある限り、私たちは「集団心理」から逃れることはできません。その証拠に、毎年、毎年、官公庁でも名のある大企業でもなんらかの不祥事が発生しています。組織ぐるみの隠蔽工作は「集団心理」の最たるものです。
「そんなものは我が社にはない」と断言したら、そのリーダーは「裸の王様」になっている可能性が大です。
日頃、部下(チームメンバー)は、本当に言いたいことの半分も言っていない。
そういつでも考えておくのが、人間の機微に通じた優れたリーダーといえます。イエスマンを周りに集めて、「心地よくなっている」と感じたら、危機感を覚えて、集団思考の罠に陥っているのではないかと、疑ってみてください。
「全員一致は否決」
この「ユダヤの知恵」は、リーダーが裸の王様になり、誤った道に進むことを防いでくれます。