「心理的誤差傾向」とは、人間のする認知・評価の場面で心理的なエラーが発生する傾向のこと。「ハロー効果」「寛大化傾向・厳格化傾向」「中央化傾向」が代表例である。心理的誤差は、人間の認知が主観的であることに起因する。心理的誤差傾向の存在を認め、客観的な評価を心がけること、人事評価の公平性を維持するポイントになる。
「人間は、本当に人を公平に評価できるのか?」
この問いに対して「できる」と答えるよりも、「実際には無理だ」と答えるリーダーのほうが、自己理解できているでしょう。
なぜなら、人間には心理的エラーがつきものだからです。
心理的エラーは、人間の判断が「主観的」であることに起因します。「主観的」とは、ものの見方、認知・判断・評価の仕方が、その人独自の基準に依存する状態です。
Aさん、Bさん、Cさんの3人がいます。仲はよいですが、3人の性格は違います。その3人で1泊2日の温泉旅行に出かけました。その経験に対して3人全員がまったく同じ評価にならず、三人三様になることは、容易に想像がつきます。
全体として「楽しかった」という大まかな感想はあるにしても、細かく満足ポイントを聞いていくと、どこかでズレがあるものです。
Aさんの満足ポイントは、「宿のスタッフの人間性・優しさ」で、Bさんは「夕食の日本料理」で、Cさんは「温泉から眺める風景」であったとか…。そのズレが発生するのは、人間の認知が主観的であり独自のものだからです。
この「認知の主観性・独自性」が、人事評価における心理的誤差を生み出します。
心理的誤差傾向とは、認知の主観性・独自性によって評価の結果に誤差が発生する傾向のこと。
心理的誤差傾向は、職場での「人物評価」を例にとればわかりやすいでしょう。例えば、営業部長のことを、Aさんは「頭が切れるし感じがいいし、一緒に仕事がしたい」と肯定的に評価します。Bさんは「なんか部長って、あざとくて腹黒く感じるのよね」と否定的に評価します。
こんな職場で日常的にかわされる「人物評価」でのズレも「心理的誤差」のひとつといえます。
ある特定の要素(部分)によって、全体の評価が惑わされること。
例えば、学生時代に文学賞をとった新入社員が入ってきたとします。課長が書類づくりを任せてみると、巧みな文章を書くような印象を受けました。「やっぱり文学賞をとっているだけあるな」と感じ、「この新人は優秀だ」と評価します。
でも、「文章が上手」は、社員に求められる能力としては「部分」です。文章が上手でも、言葉づかいができていなかったり、人前でまったく話せなかったりしたら「優秀」とはいえませんね。
「文章が上手」という「部分」の事実だけで、「その人は優秀だ」と全体的な評価をしてしまうのが「ハロー効果」です。
ちなみに、ハロー(halo)は「後光」という意味です。光のまばゆさに目がくらみ、判断を誤るというわけです。
「あの新人は返事がいい。なかなかいい人材じゃないか!」。
そんな評価の言葉を聞くのは、どんな職場でもよくあることです。でも、「返事がいい」は「部分」の能力です。「いい人材」かどうかは、「返事がいい」だけではわかりません。
この反対もありますね。「あの新人はろくに返事もできない。ぜんぜんダメだな」。「返事が悪い」という部分で、全体として悪い評価をしてしまうのです。
このように「ハロー効果」は、肯定的な評価になることもあれば、否定的な評価になることもあります。肯定的なケースを「ポジティブ・ハロー効果」といい、否定的なケースを「ネガティブ・ハロー効果」といいます。
寛大化傾向とは、評価が甘くなる傾向のこと。
厳格化傾向とは、評価が厳しいくなる傾向のこと。
評価者の性格や仕事に対する能力が高いか否かが関係する。
寛大化傾向は、評価者の性格が「優しくていい人」のケースでよく発生します。性格的に厳しい評価をつけられないのです。「低い評価をして、恨まれたくない、文句をいわれたくない、嫌な人だと思われたくない」など、防衛的な心理が働いています。
また、部下に比べて仕事の能力が劣っていると感じていて、「こんな自分が厳し評価はできない」と、甘いポイントをつけがちになります。
厳格化傾向は、寛大化傾向の反対です。評価者の性格が「厳しい人」のケースでよく発生します。
特に、評価者の能力が高く仕事に精通しているケースでは、「自分に比べて、劣っている」と感じられるため、低い評価をつける傾向にあります。
「なんでこんな簡単な仕事ができないんだ。使えない奴だな」などと、攻撃的な心理をもつ評価者は厳格化傾向が強まります。
中央化傾向とは、評価に尺度がある時に、中央の評価に偏る傾向のこと。
アンケートで「よい」「ふつう」「わるい」の選択項目あり、「どちらともいえないな」と感じた時に、つい「ふつう」に丸をつけてしまう。そんな経験がありませんでしょうか。これが「中央化傾向」です。
人事考課でも「どちらともいえないな」と頭を抱えるケースは多いものです。
「企画力」「コミュニケーション能力」「交渉力」などの項目があり、5段階評価になっています。「A主任の企画力は4でもないし、かといって2では悪すぎるし、じゃあ真ん中とって3でいいかな」と…。よくあります。
「企画力といっても、よく考えると、何をもって3なのか、4なのか、よくわからなんだよな」。
そんな風に、基準が不明確だと「中央化傾向」は強まります。評価基準に対する不安が無難な評価である中央化傾向に拍車をかけるのです。
対比誤差とは、評価者が自身の能力・資質を対象者と比較して、過大評価または過小評価してしまうこと。
例えば、評価者の上司が「英語をまったく喋れない」とします。その上司のもとに帰国子女の新人が配属されてきました。英語の発音はネイティブで、TOEIC900点台です。フランス語とドイツ語も話せます。
すると、評価者は自分と比べて新人のほうが優れていると感じます。「自分を基準にして比較する」時に、対比誤差は生まれます。
「数字に強い」上司は、それが苦手な部下をついつい「ダメだな」と思ってしまう。その逆もありりますね。「私は数字がどうも弱くてね・・」という上司は、数字に強い部下を「優秀だな」と評価しがちです。
日本の組織では「評価者訓練」という名で、古くから評価者が公平な人事評価ができるよにトレーニングが行われてきました。管理職にとって定番の研修です。
「評価者訓練」では、心理的誤差傾向の知識を習得します。また、心理的誤差は、評価者の「認知の癖」によって生まれるため、自身がどのような「認知の癖」をもっているかをチェックします。
ただ、ひとりの人間が複数の人間を完全に公平に評価しようとするのは、どこまでいっても無理があります。
そこで、「360度多面評価」といった複数の人によって社員個人を評価する制度が生まれ、多くの企業で導入されています。
評価者個人がもつ「認知の癖」を修正することは難しいのです。心理的誤差傾向を少なくし、公平な人事評価をするためには、複数の人が評価に関わる「360度多面評価」などの多面的な評価が、解決策として現実的です。
(文:松山淳)