金言耳に逆らう。
人からもらうアドバイスは、例えそれが「よい意見」であっても、時に、聞き入れ難いものになります。なぜなら、人間は自分の過ちを認めることが、なかなかできない生き物だからです。
人は、自分の行っていることが、ある程度「正しい」と感じることで、日々を健やかに過ごせます。明らかに誤りを犯ししているのに、「自分は間違っていない」と自己正当化しながら生きていると、心に負担がかかり、身体に何らかの症状が出るものです。
だから、間違っている時には、間違いを潔く認めることが、健やかな人生にとって大切になります。
完璧な人はいません。無くて七癖。人間、生きていれば、どこか改善すべき短所があるものです。自分で「正しい」と思っている時でも、人からアドバイスをもらったら、すぐに拒絶するのではなく、一度は受け入れてみることです。
江戸時代の武将にも「異見」を大事にしている人がいました。
その名は「黒田官兵衛」(くろだ かんべい)です。
黒田官兵衛は、福岡藩の藩祖です。「孝高」(よしたか)、「如水」(じょすい)という名もあります。福岡藩は黒田藩とも呼ばれることがあり、福岡城は官兵衛とその息子「長政」によって築城されました。
官兵衛は、豊臣秀吉の右腕と言われた軍師であり名参謀です。あまりにも秀でた才能を秀吉が恐れ、冷遇された時期もありました。
1600年、関ヶ原の戦いで、息子の黒田長政は徳川家康につきます。その戦功によって、筑前(現在の福岡県一帯)を、家康から与えられ福岡藩が成立するのです。初代藩主は長政であり、藩祖が官兵衛です。
江戸時代(1603年 – 1868年)には徳川幕府の裁量によって藩の統廃合が行われました。そのため武将の「一家」が存在できなくなる悲劇もありました。「お家取り潰し」などです。ですが、福岡藩は明治時代の廃藩置県が行われるまで約260年間も存続した数少ない藩です。
さて、軍師官兵衛はにおもしろい会議システムがありました。
歴史小説家の童門冬二さんは、『「情」の管理・「知」の管理―組織を率いる二大原則』(PHP研究所)で、「異見会」を、こう説明しています。
「この会は、なあなあ、まあまあの馴れ合い会議ではなくて、その会議に出る人間が、すべて人と異なる、特に、藩主と異なる意見を発表する、というのが主眼の会議であった」
『「情」の管理・「知」の管理―組織を率いる二大原則』(童門冬二 PHP研究所)
会議は人が集まって行われます。すると「集団心理」が発生して、誤った意見が「誤ったまま」通っていくことは、よくあることです。
会議で社長の言っていることが、明らかに「おかしい」と思っていても、部下は立場が危うくなることを恐れて、「誤り」を指摘できないものです。ポジションの高い人間に「異見」を述べることは、組織人にとって勇気のいることです。
これは江戸時代でも、現代でも変わらない人間心理です。
名参謀と呼ばれた官兵衛(孝高)です。人間の機微に通じていたでしょう。官兵衛は息子の長政と一緒になって、部下たちが人とは違う「異見」を言いやすい場を意図的に作りだしたのです。
とはいって「言うは易し行うは難し」です。自分と異なる意見を言われることは、自分の「異見」「正しさ」を否定されることです。「それは違う」「あなたは間違っている」と否定されたら、人間は感情的になるものです。
そこで、官兵衛(孝高)は「異見会」を始める時に、ひと工夫をしました。
黒田孝高は、この会を始めるに当って、座敷の中央に神を祀った。そして、列席者一同に言った。
「みんな、まずこの神に誓え。この会議に出席した以上は、何を言われても、決して怒らないと」(中略)
藩主が自分の耳に痛いことを言われたり批判されたりした時に、すぐにかっとならないように、戒めたのだ。」
『「情」の管理・「知」の管理―組織を率いる二大原則』(童門冬二 PHP研究所)
さすが名軍師です。人間の心理をよく理解しています。怒りにとらわれたら、「聞く耳」をもてないどろこか、「言い争い」になってしまいます。
「異見会」の主旨は、人と異なる意見を出し合うことで、建設的な結論を導き出すことです。リーダー(藩主)を「裸の王様」にしないことです。あくまで冷静に異なる意見を述べ合うことで「異見会」は成立します。
それには、人と違うことを認めあえる組織風土が必要です。
「異見会」は、福岡藩がなくなるまで江戸時代を通して続けられました。福岡藩が明治維新を迎えるまで、約260年も存続したのです。
藩が明治時代まで残った力になっていたのかもしれません。
グローバル社会にあって「人材の多様性」を意味する「ダイバーシティ」は、日本でもすっかり定着した考え方になりました。
黒田官兵衛の「異見会」とは、それぞれの意見を認めるという点では、広義の意味での「ダイバーシティ」(人材の多様性)を促進するものでした。
戦後の日本企業で、人材の「ユニークさ」をどこよりも尊重した会社といえば「ソニー」でしょう。
創業者のひとり盛田昭夫氏に、「異見」に関するエピソードがあります。
それは盛田氏が副社長時代のことです。当時、会長だった田島道治氏と、どうしても意見があわず衝突しました。田島会長は「ソニーを辞める」と言い出しました。これに対して、盛田氏は言葉を返します。
「お言葉ではありますが、あなたと私がすべての問題についてそっくり同じ考えを持っているなら、私たち二人が同じ会社にいて、給料をもらっている必要はありません。その場合は、私かあなたのどちらかがやめるべきでしょう。
この会社がリスクを最小限に押さえて、どうにか間違わないですんでいるのは、あなたと私の意見が違っているからではないでしょうか。」
『MADE IN JAPAN―わが体験的国際戦略』(盛田昭夫 朝日新聞社)
この「異見」を認め合おうとする言葉に田島会長は驚き、「ソニーを辞める」という考えを撤回したのです。
意見が違っているからこそ、間違わないですんでいる。
これは、集団心理のデメリットのひとつ「集団思考/集団浅慮」(グループシンク)を回避する基本的な考え方です。
「グループシンク」とは、組織内の人間関係の良好さが仇(あだ)となり「愚かな結論」に至ることです。「仲良しクラブ」になって、反対意見をぶつけあう議論を避ける傾向が強まり、浅はかなアウトプットをしてしまうことです。
「集団思考/集団浅慮」(グループシンク)は、社会心理学者アーヴィング・ジャニス(Irving Janis)が『Groupthink』という本を出版したことを機に、広まった概念です。
ソニーは井深大氏と盛田氏のふたりが創業者です。
井深氏は技術者であり、盛田氏が営業・マーケティング全般を担いました。ソニーを世界企業に育てた名参謀が盛田氏といえます。
黒田官兵衛しかり、盛田昭夫しかり、「異見」を認める姿勢は、名参謀として共通しています。
大ローマ帝国の皇帝であり、哲人でもあった、マルクス・アウレーリウスの『自省録』(岩波文庫)にこんな言葉があります。
「友人が抗議を申し込んで来たならば、たとえそれがいわれなき抗議であろうともこれを軽視せずに、彼を平生の友好関係にひきもどすべく試みること」
『自省録』(マルクス・アウレーリウス 岩波文庫)
盛田氏は、この言葉通りのことを実践したわけですね。
そういえば、福岡は個性あふれる著名な芸能人を輩出する土地柄として有名です。
高倉健、井上陽水、タモリ、郷 ひろみ、松田 聖子、チェッカーズ、MISIA、浜崎あゆみ、家入レオ、黒木瞳、妻夫木聡、田中麗奈、蒼井優…と、あげればきりがありません。
黒田官兵衛の「異見会」が作りだした「個性」を認めあう風土のなせるわざなのかもしれません。
「異見」を認めて、「個性」を認めて、人が育つ組織風土をつくりあげていきましょう。
(文:松山 淳)