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目次
情けをかける。情けを知る。古くから日本には「共感」の意味を含む言葉があります。昨今、「マインドフルネス瞑想」の広がりにより、世界的に「慈悲心」に関する研究が行われています。
Googleの調査「プロジェクト・アリストテレス」で、『生産性の高いチームほど「心理的安全性」(psychological safety)が高い』と報告されました。「心理的安全性」とは、「恐れを抱くことなく自己主張できる心理状態のこと」です。
Googleは「マインドフルネス」のコンセプトを世界に広げた発信源です。「心理的安全性」と「慈悲心」は、無関係ではありません。
他者からの「慈しみの心」にふれる機会があり、それを互いに信頼しあっているからこそ、チームの「心理的安全性」も高まります。Googleは、マインドフルネス瞑想において「慈悲心」を育む独自のワークを開発しています。
「慈悲心」の中核にある能力は「共感力」です。「共感力」とは、「相手の気持ちに寄り添い、相手を理解しようとする力」です。
「リーダーに共感力が求められる」といっても、今更感が否めませんが、「共感力」は「マインドフルネス」や「心理的安全性」への注目度が高まるにつれて、再評価されている「力」です。
その証拠に「ハーバード・ビジネス・レビュー」は、ずばり『共感力』(ダイヤモンド社)というタイトルの本を出版しています。そこで、この書を手がかりに、リーダーの資質として古くから重視されている「共感力」を、改めて考えていきます。
『共感力』(ダイヤモンド社)に、こんな一文があります。
【EQの提唱者・心理学者 ダニエル・ゴールマン】
『共感力』(ハーバード・ビジネスレビュー編集部 ダイヤモンド社)p12
他者に関心を集中するのが上手な経営者は、はたから見てすぐにそうとわかる。彼らは、相手と共通の土台を見つけ出す、非常に重みのある意見を述べる、他の人々に「一緒に仕事をしたい」と思わせる、といった特質を持つ。こうした人々は、組織あるいは社会での地位にかかわらず、生来のリーダーとして頭角を表す。
【スタンフォード大 エマ・セッパラ博士】
『共感力』(ハーバード・ビジネスレビュー編集部 ダイヤモンド社)p22
人々はリーダーの信頼性に対して非常に敏感だが、思いやりを示されるとリーダーへの信頼感を強める。簡単に言えば、共感を示してくれる上司に対して、脳はポジティブに反応する。
ダニエル・ゴールマンがここで「他者に関心を集中する」といっているのは、「共感力」のことです。「共感力」の本ですから、当然のことながら、2人の学者は、「共感力」の高い人を肯定的に評価しています。では、なぜ、「共感力」を持った人は、人からより高く評価されるのでしょうか。
脳科学者の野中信子氏が「はじめに」で、その答えを書いています。野中氏によると、「私たちは、知能の高い人よりも共感力の高い人のほうに好感を持つ」と書き、その理由を「脳の領域」の観点から説明しています。
「知能を司る領域」と「共感力を司る領域」は、双方とも脳の「前頭前野」にあります。2つの機能は「協調している」というより、互いをけん制し、抑え合う働きをしています。ライバルのような関係ですね。そして「知能を司る領域」よりも「共感力を司る領域」のほうが、やや「強い」のです。
その結果、「知能指数の高い人」よりも「自分のことわかってくれている、と認識する人」(共感力の高い人)のほうに、好感を抱くわけです。
人間の脳がそうなった理由として野中氏は「社会性」をキーワードにあげています。人類は生き延びていくために「集団」を形成してきました。ライオンや熊など、人間を一瞬で殺せる猛獣から身を守るには、「集団」になることが有効です。1人で勝てなくても、5人、10人になれば、猛獣を倒すことができます。もし「集団」がバラバラになって独りになってしまったら、それは「死」を意味します。
そこで人間は、「集団」として行動するのに最適な選択である、他者と協力しあう「社会性」を身につけていくのです。他者と協力しあうには、他人の気持ちや考えを感じ取る「共感力」が求められます。つまり、人類が生き延びるためには、「共感力」が必要だったわけです。
その結果、人間の脳では「共感力を司る領域」のほうが「知能を司る領域」より強く働くのではないかと、脳科学者の野中氏はいいます。
「知能指数が高くて高学歴」だけでは、「仕事のできるリーダー」になれない。このことは、多くの企業で実証済みでしょう。仕事は「集団」(チーム)でするものです。「社会性」を発揮し、チームとしての結束力を強めるには「共感力」が必要です。ですから、古くからリーダーの資質として「共感力」は指摘されてきたのです。
つづいて「共感」を2つに分解して、詳しく見ていきましょう。
「共感」を研究する心理学は様々あります。「感情心理学」や「認知心理学」は、その代表です。「人の感情」「人の認知」を専門に研究する分野ですね。
それらの分野は神経科学・脳科学と融合しながら研究が進展しています。人が笑った時、怒った時、泣いた時、脳のどこが働くのか、 どんな神経物質が分泌されるのか。そんなことを研究しています。
さて、「感情心理学」では「共感」を「認知的共感」と「情動的共感」(感情的共感)の2つにわけて考えます。
- 認知的共感:他者の視点を理解する力
- 情動的共感:他者の感情をくみ取る力
2つの共感を説明するにあたって、まず、小さな物語を読んでください。
課長Aさんがデスクワークをしていると、新人のSさん(女性)が取引先から帰ってきました。デスクに座るなり深いため息をもらします。顔の表情は暗く、背中が丸まっています。A課長は、チラチラSさんの様子を見て、考えます。
「何かミスして叱られたかな。それで落ち込んでいるのかな。それとも、何かプライベートで悩みごとでもあるのかな。いや、プライベートだったら、朝から元気ないだろ、なんか辛そうだな〜、ちょっと、声でもかけるか」
A課長は席を立ち、「Sさん、ちょっと話ししようか」と声をかけ、2人でミーティング・ルームに入りました。話してみると、やはり、ミスがあって、取引先に怒鳴られていました。Sさんは話をしながら、目に涙がたまってきて、今にもこぼれそうです。
その表情を見て、A課長は胸が苦しくなります。「それは辛かったな」と、つい言葉がもれました。Sさんは、その言葉を聞くと、声をあげて泣き出してしまいました。
「認知的共感」とは、他者の視点から相手を理解する力です。他人の立場になって思考し、他者の状況を把握する力といえます。
A課長は、Sさんの落ち込む様子を認知をして、「何かミスして叱られたかな」「それとも何かプライベートで悩みごと…」と、Sさんの立場になって内面を把握しようとしています。
他者の立場になって理解しようとすることを「視点取得」(perspective taking)と言います。これは「認知的共感」のポイントです。
靴の中に小石が入って痛がっている子供がいます。「石が入って痛い」と泣いています。大人でも、靴に小石の入ったことが無い人がいます。すると「そんな小石ぐらいで、本当に痛いのか」と考えがちです。これは「視点取得」ができていなくて、自分の立場や経験から判断している状態です。でも、自分の靴に小石を入れてみれば、すぐわかることです。
英語の格言に「他人の靴をはく」がありますね。「Only the wearer knows where the shoe pinches.(その靴を履くまで、その靴の痛い所はわからない)。これは、「相手の苦労は、その人の立場にならないとわからない」という教えであると同時に、「相手の立場になって考える大切さ」を諭す言葉です。「視点取得」(perspective taking)のことを言っているのです。
A課長には「認知的共感力」がありました。Sさんの様子を見て「視点取得」が自然と起きて、「何かミスして叱られたかな」と反応し思考が展開し始めました。
もし「認知的共感力」の低い上司だったら、落ち込んでいるSさんに気づくことができず、何も反応しなかった可能性があります。新人であれば、ミスは上司に報告しにくいものです。A課長は「認知的共感力」を働かせ、自らの行動で部下のトラブルを素早く察知することができたのです。
相手の内面状況を正確に認知しようとするのも「共感力」のひとつであり、よりよいリーダーシップにつながっていきます。
「情動的共感」とは、「他者の感情をくみ取る力」であり、「他人の感情を自分のことのように感じる力」です。「感情移入」することです。
A課長は、部下の様子を見て「なんか辛そうだな〜」と感じています。ミーティングルームでは、Sさんと話しをしながら、その表情を見て胸が苦しくなっています。人の表情や態度で自分の感情が同じように変化するのは「情動的共感」が働くからです。それは、脳内にある「ミラーニューロン」という神経細胞のなせる技です。
A課長はSさんの感情をくみ取って、「それは辛かったな」と口にします。するとSさんが泣き出してしまいます。なぜ、Sさんは泣き出したのでしょうか。
それは、A課長がSさんの感情を代弁してくれたからです。自分が感じていることを的確に表現してくれたからです。こうなると、「A課長は私のことを理解してくれる」と思ってもらえます。さぞ、SさんはA課長に対する「信頼感」を高めたことでしょう。
私たちが一般的に「共感力」と聞いて思い浮かべるのは、「情動(感情)的共感」のほうですね。「認知的共感」と「情動(感情)的共感」の違いについて、『共感の社会神経科学』(勁草書房)に、こんな一文があります。
認知的共感と感情的共感(または情動的共感)との間の決定的な違いは、前者には他人の視点に関する認知的理解が含まれるのに対して、後者には、他者と感情を共有すること(中略)が含まれていることである。
共感におけるこれらの異なる2つの側面は、発達を通して互いに関連し、相互作用することがこれまでに示唆されている。
『共感の社会神経科学』 (ジャン・デセティ, ウィリアム・アイクス 勁草書房)p288
ここでポイントになるのは、「認知的共感」と「情動的共感」が相互作用することで「共感力」が高まるという点です。
「認知的共感」が高いけれど「情動的共感」が低いとどうなるでしょう。先ほどのA課長と新人Sさんの場面設定で考えると、A課長は、Sさんが「何かミスして叱られたかな。」と考えはするけれど、「感情の共有」がないので、「ちょっと声をかけるか」と思わないかもしれません。それは結果的に「共感力に乏しい冷たい態度」になります。
反対に、「認知的共感」が低くて、「情動的共感」が高いとどうでしょう。「認知的共感」が低いと、相手の立場になること、「視点取得」がおろそかになるので、突然、みんなのいる場で、「どうした大丈夫か、失敗したのか、取引先にでも怒鳴られたか、それは辛いな!」と、身勝手な共感(感情共有)をするかもしれません。身勝手な共感は、「共に感じている」のではなく「自分だけが感じている」状態です。それは「自己中心的な共感」といえるでしょう。
Sさんの立場になってみれば、突然、職場のメンバーがいる前で、「失敗したのか、大丈夫か」などと自己中心的な共感をされたら、それはとても恥ずかしいことであり、辛いことです。「認知的共感」が働けば、A課長がしたように、「ちょっと話そうか」と声をかけて、二人になって話す判断をするでしょう。
「共感力」といった時に、「認知的共感力」と「情動(感情)的共感力」の2つがバランスよく働いて「真の共感」となることを理解しておきましょう。
冒頭で、「共感力」とは、「相手の気持ちに寄り添い、相手を理解しようとする力」と述べました。「相手の気持ちが理解できる」ではなく「理解しようとする」です。というのも、本当に相手の気持ちを100%理解することはできないからです。
ひどく辛い体験をした後に、誰かに「その気持ちわかるよ」と言われて、「そんな簡単にわかってたまるか」と感じた経験はないでしょうか。あるいは、そう言われてしまったことが、あるかもしれません。
「共感力」をとても大切にする臨床心理士やカウンセラーなど、何らかの対人援助をする人たちは、「本当に相手の気持ちを100%理解することはできない」と自覚しています。
100%理解できないから、10%でも20%でも理解しようと、黙って相手の話しに聞き入り、相手を理解しようと積極的に努力するのです。もし、「簡単に理解できる」と思っていたら、相手の話しを深く聴くことができず、気持ちに寄り添うことができなくなるでしょう。その結果、「共感力」はとても貧しいものになってしまいます。
共感力の高い人は、「本当に相手を理解することはできない」と、知っています。ですので、「100%の共感はない」と知ることが、共感力を高めるスタートラインに立つことになるのです。
それでは、ここで「共感力」を構成する3つの力について述べていきます。「共感力」は「観察力」「想像力」「表現力」の3つの力を高めていくことで、育まれるものです。
- 観察力:他者を雰囲気、表情、声のトーンを感じ取る
- 想像力:相手がどんな気持ちでいるかを想像する
- 表現力:相手が感じていることを言葉にする
相手を共感しようとする行為は、観察から始まります。これは「認知的共感」につながる力です。A課長が新人Sさんの様子を観察して、声をかけたように、観察することで、わかってくることがあります。
「観察」を辞書でひくと、「物事の状態や変化を客観的に注意深く見ること」とあります。共感力を高めるには、ただ見るのではなく「注意深く見ること」です。
「共感力」の乏しい人は、そもそも他者に興味がないので、ただ見て終わってしまいます。そうではなく、意識を観察する相手に向けて、相手のなかに入っていくように「注意深く見る」のです。
顔の表情はどうでしょう。話している声のトーンはどうでしょうか。黙っていても、体をゆすったり、貧乏ゆすりをしたり、何か表現していないでしょうか。「注意深く見る」ことで、相手の気持ちに寄り添うことができます。
「想像力」とは、相手がどんな気持ちでいるかに思いを巡らせることです。「本当に相手の気持ちを100%理解することはできない」と前段で述べました。ですから、想像するしかないのです。
A課長も、新人Sさんを観察し、想像していましたね。
「何かミスして叱られたかな。それで落ち込んでいるのかな。それとも、何かプライベートで悩みごとでもあるのかな。いや、プライベートだったら、朝から元気ないだろ、なんか辛そうだな〜、ちょっと、声でもかけるか」
想像が当たることもあれば、外れることもあります。まったく的外れな想像になってしまうこともあるでしょう。でも、「この人は、今、どんな気持ちだろう」と、相手の立ち場になって想像してみなければ、相手の気持ちを感じるとることはできません。
想像しようとしないで、「すぐにわかる、悲しいんでしょ!」といった手間暇かけない共感は、「認知的共感」だけであって「情動的共感」の欠けたものです。それは「この人は、何もわかってくれない」という結果を招くことになります。
想像するためにはどうすればいいのでしょう。想像するためには、相手をよく観察し、話し合いの最中であれば、話しを聴こうと「黙る」ことです。
共感する時の主役は相手です。自分ではありません。相手が話すことに耳を傾け、どんな気持ちでいるのかを想像することで、相手の気持ちが、自分にも伝わってきて「感情の共有」が実現されるのです。
「表現力」は、相手に「理解しよとする努力」を伝えることです。「言葉」と「ボディ・アクション」によるものがあります。
A課長が新人Sさんの話しを聞き、「それは辛かったな」と言った「言葉」がそれです。相手の気持ちを想像し、どんな風に感じてるのかを、共感する人が、言葉に出すのです。それが的確であればあるほど、相手に「この人は、共感してくれている、わかってくれている」という思いを抱くことになります。
「ボディアクション」の代表は、「うなづき」「顔の表情」です。
「うなづき」は「話しを聞いています」というメッセージになります。
無表情でまったくうなずかないで話しを聞かれると、「この人は、私の話しを聞いているのだろうか」と相手は不安になります。人によっては拒絶されているように感じます。そうなると、共感度合いは急降下ですね。ですので、「うなづく」ことは、とても大切なのです。
「顔の表情」は、相手の感情にシンクロさせるのがポイントです。
相手が仕事で失敗して泣いているのに、ヘラヘラ笑っていたら、相手は怒り出してしまうでしょう。これでは「共感力ゼロ」ですね。
相手が悲しいそうにしているのあれば、「悲しい表情」をし、喜んでいるのであれば、「明るい表情」をし、感情をくみ取りながら相手の感情に合わせた顔の表情をつくります。これを意識せずとも、自然とできる人たちが「共感力が高い」と言われる人たちです。
カウンセリングの基礎を築き上げた世界的心理学者でありカウンセラーのカール・ロジャーズは、「共感」について、こう述べています。『共感的傾聴術』(古宮 昇 誠心書房)の訳文を引用いたします。
共感という状態、すなわち共感的であるということは、他者の内的準拠枠を、自分があたかもその他者であるかのように、しかも『あたかも』という性質を失うことなく、正確にかつ感情的な要素と意味とともに認識することである。
それゆえ、他者の傷つきやウ喜びを感じ取るように感じ、それらの感情の原因をその人が認識するように認識するが、そのとき、『あたかも』自分自身が傷つきや喜びを感じているかのように、という認識を失うことがない。
『共感的傾聴術』(古宮昇 誠心書房)p20 ※太字筆者による
ここで「あたかも」と表現しているのがポイントです。「100%の共感はない」と書きました。ですから「あたかも」なのです。「共感力」を高めようとする時に、目をつりあげて完璧に相手を理解しようと力むことはありません。「あたかも」でいいのです。
世界的なカウンセラーになるわけではないのですから、ビジネス場面で共感力を身につけようとする時には、65点ぐらいを取るつもりで、リラックスして取り組むことが大事です。
さて、「共感力」を身につける具体的なトレーニングでは、実際に、相手と話しをするロールプレイができれば最高です。でも、それにはセミナーや研修に参加したりで、お金もかかりますので、「独りでできる方法」をご紹介します。
「共感力」が乏しいと言われる人は、「人に対する興味が薄い」ことが多いです。人への興味が薄いので、相手の立場になって相手の感情に思いを巡らすことができないのです。
ですから、ことあるごとに、「この人は何を考えているのだろう」「今、どんな気持ちなのだろう」と「観察」「想像」「表現」してみるのです。
通勤電車の中でもいいですし、街中を歩いている時でもいいです。たくさんの人を見ることができます。
例えば、電車に乗ると、様々な人がいます。スマホはカバンにしまって、どんな人がいるかを観察してみてください。そこにいる人は、どんな表情をしているでしょうか。明るい表情でしょうか、暗い表情でしょうか。疲れているでしょうか。元気でしょうか。疲れていそうなら、どんな気持ちかを想像して、言葉で表現してみてください。「辛そうだな」とか「苦しそうだな」とか。
外れてもいいのです。聞いてみなければ、本当のところはわからないのですから…。大切なことは人間に興味をもち、他人の気持ちに寄り添おうと、自分の心を動かすことです。相手の立場になって、相手を理解しようと、思いを巡らすことです。
そうして「観察」「想像」「表現」を、日々、行うことで「共感力」は確実に高まっていきます。
人間の感情が、豊かに表現されているのがドラマや映画です。それは、人の心情に訴えるように巧みにつくられています。シナリオライターが、セリフをつくり、感情を設定し、監督が俳優に演技指導して、その感情が俳優を通して表現されます。
例えば、主人公が涙を流しています。いつもなら、ただ見るだけのドラマや映画を注意深く見てください。観察してください。そして、「どんな気持ちなのだろう」と「想像」し、その気持ちを言葉で「表現」してみてください。
悲しいのでしょうか。怒っているのでしょうか。悔しいのでしょうか。それとも喜んでいるのでしょうか。あまりに笑いすぎて涙が流れてくることもありますね。涙を流すには、いろいろな感情があるはずです。
家に独りでいるなら(もし、家族が理解してくれて平気なら)、俳優と同じ感情が湧くように演技をしてみてください。ストーリーは理解できているのですから、映画やドラマの世界に入ったと思って、俳優の感情を「あたかも」自分の感情のように感じてみてください。
これが他者の感情に寄り添うことであり、共感するということです。1分でも2分でもいいので、日々、実践してみると、「共感する」という感覚が理解できるようになり「共感力」が高まっていきます。
「HONDA」の創業者本田宗一郎氏は、こんな言葉を残しています。
「人を動かすことのできる人は、他人の気持ちになれる人である。そのかわり、他人の気持ちになれる人というのは自分が悩む。自分が悩んだことのない人は、まず人を動かすことはできない」
『本田宗一郎「一日一話」』(本田宗一郎 PHP)p91より
なぜ、リーダーに「共感力」が求められるのか。その答えが凝縮された言葉ですね。
リーダーは人を動かす人です。人を動かすには、自分中心ではなく、他人の立場になって考えることです。他人の立場から考えられる力こそ「共感力」です。ですから、リーダーに「共感力」が求められるわけです。
マインドフルネス瞑想の広がりから「共感力」が注目されています。それは、本田宗一郎さんが生きていた時代も当然のことながら、もっと前から言われてきた「リーダーの資質」といえます。
そもそもマインドフルネス瞑想には、「仏教」の教えが大きく影響しているのです。そう考えると、「慈悲心」の核になる「共感力」は、紀元前から大切にされてきたリーダーの条件です。
バランスのとれた「共感力」を育み、よりよいリーダーシップを発揮していきましょう。
(文:松山淳)(イラスト:なのなのな)