リーダーシップ研究家ジェームズ・M・クーゼスは、20カ国で出版され200万部を突破している『リーダーシップ・チャレンジ』という世界的ベストセラーの著者です。そのクーゼス氏が共同執筆した『信頼のリーダーシップ』(生産性出版)は、「信頼」を基軸にするリーダーシップについて書かれてある。
第1章の冒頭に、こんな言葉があります。
リーダーシップを技術とも考えない。
私はリーダーシップとは人間関係であると考えている。
──フィル・クイグリー(バシフィック・ベル社)──
リーダーシップは、「地位」でもなく「技術」でもなく「人間関係」である。わざわざ、この言葉をクーゼス氏が冒頭に置いた意図は、リーダーシップの「相互関係性」「双方向性」を強調したかったからです。
とかくリーダーシップは、「リーダー(上司)がフォロワー(部下)にいかに影響を与えるか」「リーダー(上司)がフォロワー(部下)をどう動かすか」という点がクローズアップされ、リーダーからフォロワーへ「一方通行」的にパワーが行使されるイメージとなりがちです。
リーダーの権限が強く、リーダーの命令に従うことが絶対であるような組織であれば、「一方通行」の思考で事足ります。戦後間もない、軍隊組織の風土が根強く残る古い組織であれば「一方通行」でもよいでしょう。
でも、現代は、そうはいきません。そこで「一方通行」に対してリーダーシップをこう考えます。
「リーダーシップとはリーダーとフォロワーとの相互作用の力学」
「相互作用の力学」なんて、小難しい言葉を使ってしまいましたが、要は、リーダーとフォロワーがいて初めて、そこにリーダーシップが発生し、リーダーシップは、「リーダーとフォロワーの互いの関係性によって左右される」ということです。
「俺がリーダーだ!」とどれだけ叫んでも、ついてくる人(フォロワー)が誰もいなかったら、その人はリーダーではないのです。だから、リーダーシップは「地位」ではないということになります。
リーダーとフォロワーとの関係性がキーになるとしたら、リーダーがフォロワーを「どう見るか」と同時に、フォロワーがリーダーを「どう見るか」が大切になってきます。
そこで、よりよいリーダーシップとは何かを考える時に、リーダーに質問するのではなく、フォロワーに対して、あなはリーダーに「何を求めているのか」「何を期待しているのか」と問うことになります。
「こんなリーダーならついていきたい」
そう思わせるリーダーとは、どんな人たちなのか。この問いをフォロワーの側にぶつけて調査していくのが、リーダーシップ研究の一手法です。
クーゼスらは、『信頼のリーダーシップ』を執筆するにあたり、15,000名以上の人々の参加を得て、400以上のケースを集めました。リサーチは米国以外の国も含めて10年以上に渡って行われました。
そして、10年間、繰り返し一貫した結果を見ることになるのです。
その一貫した結果とは?
「多くの人が理想として求め、感動を呼ぶリーダーとは、どんな特徴をもっているのか?」
クーゼスが行った調査によると、この答えとして、「正直さ」「未来指向」「情熱的」「有能である」の4つが、常に上位にあり抜きん出た結果を示しました。
調査は、1980年代後半から1990年代のことで、データーとしての古さは否めないのですが、企業不祥事が起きるたびに、その不誠実さからリーダーが失脚していく現代の日本において、第1位の「正直さ」は、温故知新の格言の通り、改めて大きくクローズアップしてよいリーダーの資質だと思います。
クーゼスは、『信頼のリーダーシップ』で、こう書いています。
「 われわれが行ったほとんどの調査で、正直さは他のリーダーシップの特徴よりも多く指摘されていた。正直さはリーダーシップにとり絶対的な必須条件である。もし人々が誰かに喜んで従うときには、それが戦場へであろうと会議室へであろうとも、その人が信頼に値する人材であるかどうかを確かめたくなる。」
『信頼のリーダーシップ』(ジョームズ・M・クーゼスほか 生産性出版)p19
「絶対的な必須条件」とまで言い切る点から、いかに、クーゼスが「正直さ」を重視しているかが理解できます。
そして、この上位4つの特徴─「正直さ」「未来指向」「情熱的」「有能である」─を満たすことで、フォロワーからの「信頼」を得ていくことが、リーダーシップを確かなものにしていきます。クーゼスは、「信頼」こそが、リーダーシップの源になると考えています。
そういえば、マネジメントの神様ピーター・F・ドラッカーは、マネジャーに求められる資質として「真摯さ」をとても強調していましたね。
クーゼスの調査で「正直さ」は、英語で「honest」です。ドラッカーの「真摯さ」は「integrity」です。「honest」も「integrity」も「誠実」という訳語があてられますが、「integrity」は「高潔」とも訳されるので、ふたつの意味はやはり違います。
クーゼスの「正直さ」は、より人間としての道徳観・倫理観の側面を取り上げています。ドラッカーの「真摯さ」(integrity)には、仕事を遂行する上での父性的な厳しさをともなう「高潔さ」の意味合いがより多く含まれています。
ドラッカーは「真摯さ」について、いろいろな説明をしているので、ひとつに絞りきれないのですが、例えば、代表的著書『マネジメント』[エッセンシャル版](ダイヤモンド社)で、「真摯さの定義は難しい。だが、マネジャーとして失格とすべき真摯さの欠如を定義することは難しくない」(p147)と書き、以下の通り記述しています。
- 強みより弱みに目を向けるものをマネジャーに任命してはならない。
できないことに気づいても、できることに目のいかない者は、やがて組織の精神を低下させる - 何が正しいかよりも、誰が正しいかに関心を持つ者をマネジャーに任命してはならない。
仕事よりも人を重視することは、一種の堕落であり、やがては組織全体を堕落させる。 - 真摯さよりも、頭のよさを重視する者をマネジャーに任命してはらない。
そのような者は人として未熟であって、しかもその未熟さは通常なおらない。 - 部下に脅威を感じる者を昇進させてはならない。
そのような者は人間としては弱い - 自らの仕事に高い基準を設定しない者もマネジャーに任命してはならない。
そのような者をマネジャーにすることは、やがてマネジメントと仕事に対するあなどりを生む。
上の内容を一読すると、ドラッカーの言う真摯さとは、目標を達成するうえでの揺るぎない意志の強さを含んだ「真摯さ」であることがわかります。だからといって、クーゼス氏の言う「人としての正しさ選びとる倫理的な正直さ」が不要なわけではありません。
「リーダーにカリスマはいらない」の記事で、大ベストセラー『ビジョナリーカンパニー2』(日経BP社)に登場する「第五水準のリーダー」について説明しました。「第五水準のリーダー」とは、卓越した業績を残した企業の研究から導き出されたリーダー特性です。
クーゼスの「正直さ」とドラッカーの「真摯さ」を兼ね備えることが、「第五水準のリーダー」へと近づいていくことになると思います。
また、リーダーに「正直さ」が求められていると理解しておくことは、「リーダーシップ」につきまとう、「特別の才能を持った特別な人だけが優れたリーダーになれる」という誤解を解き、リーダーであることのプレッシャーを和らげてくれます。
カリスマでなくていいのです。特別でなくていいのです。謙虚であり「正直」であろうとすることが、優れたリーダーになるための王道です。
(文:松山淳)(イラスト:なのなのな)