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タイプ論の目的と経緯(ユング心理学)

ユング心理学コラム『「タイプ論」の目的と経緯』のアイキャッチ画像

 ユングは20年にわたる臨床経験と研究からタイプ論を生み出した。1921年、スイスで刊行された『心理学的類型(Psychplogical Type)』に詳細が述べられている。

 ユングがタイプ論を生み出した目的は、「自己理解・他者理解・人間理解」を深め「よりよい人間関係」を育んでいくためである。また、そのための「心の羅針盤」(Compass)となる知識を、一般の人に提供することである。人をタイプに分類することが、タイプ論の目的ではない。

 『心理学的類型(Psychological Type)』は、日本において2つの訳本がある。『タイプ論』(訳 林義道 みすず書房)と『心理学的類型』(訳 高橋義孝/森川俊夫 人文書院)である。

 現在、ユングのタイプ論をもとにしたアセスメントツールが開発され、それに多くの人がふれている。ただ、ユングが、どういった経緯で、どんな目的で、タイプ論を生み出したのかは、あまり知られていない。そこで、タイプ論の「目的」とその「経緯」について、本稿では解説していく。

ユングのタイプ論は性格タイプを分類するために生まれたのではない

 『タイプ論』(訳 林義道 みすず書房)に、ユングの「まえがき」があります。ユングは「専門医師たちの経験を狭い専門分野から広い世界を持ち出して、教養ある素人が専門分野の経験を利用できるようにしたい」(p5)と書いています。

『タイプ論』(みすず書房)
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 ユングの願いは、一般の人々でもタイプ論の知識を活用できるようになることでした。「編者序言」のページでは、「タイプ論」の意図が明確に述べられています。

「この基礎的な著書において著者(ユング)意図しているのは、心の構造や機能のあり方には一定の諸タイプがあることを明らかにし、それによって自分自身のためにも仲間のためにも人間理解を深めることである」

『タイプ論』(訳 林義道 みすず書房)p6
※(ユング)は加筆

タイプ論の知識は「心の羅針盤」

「自分自身のためにも仲間のためにも人間理解を深めること

まっつん
まっつん

これが、ユングの意図といっていますね。「意図」とは、「おもわく、めざすこと」です。ですので、タイプの知識を通して、自分を理解し、他者のことも理解し、人間理解を深めることが「ユングのめざしたこと」です。

 ところが、どうでしょう。タイプ論と聞くと、「じゃあ私は◯◯タイプ」「あの人は◯◯タイプじゃない?」と、タイプを「決める」ことに意識が向きがちです。

Aさん
Aさん

「私は◯◯タイプで、あなたは〇〇タイプね、あの人は〇〇タイプじゃない?」

 この考え方だと、タイプの「決定」が目的になっています。ユングが意図したことは、そうではありません。タイプを「決める」ことは「目的」ではなく、人間理解を深める「手段」に過ぎないのです。

 タイプ論のゴールとは、「自己理解・他者理解・人間理解」を深め「よりよい人間関係」を育んでいくことです。そのゴールにたどりつくための「心の羅針盤」(Compass)となるものが、タイプ論の知識です。

 ユングは、論文『心理学的タイプ論』(『南ドイツ月報』1936年2月号に初出)で、タイプ論の目的を、こう書いています。

ユング画像
心理学者C.Gユング
(Carl Gustav Jung)
ユングの論

「心理的タイプ論は、人間をいくつかの範疇に分けるという、それ自体としてたいして意味のないことを目的とするものではなく、むしろ心的経験素材を方法論をもって研究し整理できるようにしてくれる批判的な心理学を意味する」

『タイプ論』(訳 林義道 みすず書房)p590
※(ユング)は加筆

 ユングは、「タイプに人を分類することは、たいして意味のないことだよ」と言っています。

 タイプ論の目的は「タイプ分類ではない」

 ユングは「彼らが求めている真理は、彼らの視野を狭くするものではなく広くするような真理、暗くするのではなく明るくするような真理です」(『黄金の華の秘密』人文書院)と書いています。人のタイプを「ただ分類」したり「ただ決める」ことは、人の視野を狭め、暗くする考え方です。

 この視点はとても大切なことで、日本の心理臨床家たちも強調しています。

タイプを決めることがタイプ論のゴールではない

『ユング心理学入門』(河合隼雄 培風館)の表紙画像
『ユング心理学入門』(河合隼雄 培風館)
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 ユング派の河合隼雄は、『ユング心理学入門』(培風館)の中で、こう書いています。

タイプを分けることは、ある個人の人格に接近するための方向づけを与える座標軸の設定であり、個人を分類するための分類箱を設定するものではないことを強調したい」

『ユング心理学入門』(河合隼雄 培風館)p38

 また、「中公クラシックス」シリーズとして出版された『ユング 心理学的類型』(訳吉村博次 中央公論新社)では、心理療法家の河合俊雄が「解説」で、こう述べています。

『ユング 心理学的類型』(中央公論新社)
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「ユングの『心理学的類型』は決して人間を様々なタイプに分類することを目指したものではなくて、こころの中の様々な対立するものを示し、意識的に生きてこなかった側面が統合されていく可能性を描いたものなのである」

『ユング 心理学的類型』(訳吉村博次 中央公論新社)

 よく考えてみれば、いくつかのタイプで人を分類するなんて、そもそも無理がありますね。

 ちなみに、『ユング 心理学的類型』(訳吉村博次 中央公論新社)は、ユングの 『心理学的類型(Psychological Type)』の全訳ではなく、部分的に翻訳されたものとなります。 『タイプ論』(訳 林義道 みすず書房)が600ページを越えるのに対して、『ユング 心理学的類型』(訳吉村博次 中央公論新社)は、200ページほどです。

タイプを「できない理由」にしない

 さて、タイプ論の目的は、タイプの決定ではないことを、確認しました。とはいっても、人は「このタイプだから、こうなんだよね」と、自分や他人を「決めつける」ことが、よくあります。この「決めつけ」の生まれてくることが、タイプ論のデメリットであり、ユングがあやぶんでいたことです。

 性格タイプとは、あくまでも「性格の型」であり、ある「傾向」や「可能性」を示しているに過ぎません。ですから、「〇〇タイプの人は、必ずこう行動する」とか「私は〇〇タイプだから、絶対、これができないんだよね」といった、性格タイプで人を100%断定するようなとらえ方は、「ユングが望んだことではない」と、いい切れるのです。

 「〇〇タイプだから、これができない、ぜったい無理!」

 そんな風に、タイプの知識で、「できない理由」を作り上げてしまうのは、人の可能性を奪う考え方です。「タイプ」と「できない理由」を組み合わせると、論理的に正しく聞こえてきます。

 「私は〜ができません。なぜならば、〇〇タイプだからです」。

 こうした人に「正しさ」を感じさるロジックは、心に「癖」をつくり出します。この「心の癖」は、つまり「逃げ癖」ですね。少し辛かったり、苦しかったりすると、「無理だよ、だって〇〇タイプだもん」などと、タイプを理由にして言い訳が始まります。

 これは、人の可能性を閉ざしてしまう、とても寂しくて悲しいタイプ論の活用法です。

まっつん
まっつん

「できないかもしれない。でも、できるかもしれない」。それが人であり、人生です。本来、人の性格は、タイプで、その全てを説明できるほど、単純ではありませんし、浅いものではありません。人の性格はとても複雑ですし、人の可能性はもっと深く、豊かなものです。

 1921年『心理学的類型(Psychological Type)』を発表した後、ユングはタイプ論について、それ以上、論を深めようとしませんでした。集合的無意識や錬金術など、その他の分野に興味がうつっていったからだと、よく指摘されます。

 ただもしかすると、将来的に、「人をタイプで決めつける」という危うい事態になることを、ユングはある程度、見通していたのかもしれません。「私は◯◯タイプで、あなたは〇〇タイプね」といった風に、まるで手軽な「占い」のようになってしまうことを…。

 すると、タイプ論について語れば語るほど、ますます本来の目的からずれていく可能性が高まってしまいます。だから、それ以上、語ることをやめてしまったのではないでしょうか。

 タイプ論でユングが何を目指したのか。その意図を、まずはしっかりと理解しておくことが大切ですね。

「この基礎的な著書において著者(ユング)意図しているのは、心の構造や機能のあり方には一定の諸タイプがあることを明らかにし、それによって自分自身のためにも仲間のためにも人間理解を深めることである」

『タイプ論』(訳 林義道 みすず書房)p6
※(ユング)は加筆

 前段で紹介した上の文章の続きは、こうです。

 「タイプ間の対立は、宗教上の争いや学問・文化・世界観の角逐において、また人間関係の中で、いかなる場合にも必ず重要な役割を演じている」(p6)。

タイプ論は争いをおさめる知恵袋

 「角逐」とは「争うこと」です。ユングは軍に従事していたこともあります。ユングが生きた時代(1875〜1961)は、日本の年号でというと「明治」「大正」「昭和」です。ユングは、2度の世界大戦を体験した世代です。人間同士の「争い」に、心理学者として、強い関心を抱いていました。

 第一次世界大戦が1914年〜1918年です。著書『心理学的類型(Psychological Type)』の発表が、1921年です。時間を巻き戻して、最初に、ユングが性格タイプに関する論を発表したのは、1913年(ミュンヘンの精神分析学会での講演)とされています。この講演内容は、補論として『タイプ論』(みすず書房)に収録されています。

 タイプ論の考えを発展させ、深めていった時期は、第一次世界大戦と重なっているのです。

 「争い」と「性格タイプ」の知識を結びつけた文章が、『タイプ論』(みすず書房)にあります。

ユングの論

「人間は自分とは異なる立場を理解したり認めたりすることがほとんどできないものだということは、私が臨床の場で何度もいやというほど、思い知らされている事実である。(中略)たしかに争いはつねに人間の悲喜劇につきまとうものであるが、(中略)見解の相違を調停するための基盤になりうるのは、私の確信するところによれば、さまざまなタイプの構えを認めること、それも単にさまざまなタイプが存在するというだけでなく、誰もが自らのタイプにある程度囚われているため他人の立場を十分に理解することができなことを認めることである」

『タイプ論』(訳 林義道 みすず書房)p524

 上の文章から「争い」をおさめるための2つの教訓を導き出せます。

さまざまな性格タイプがあり、その違いを、互いに認めあおう。(みんな違って、みんないい。)
❷自分自身も、相手と同じように、あるタイプとして生きていることを自覚しよう。

 この言葉は、争いをおさめるための教訓であり、よい人間関係を築くための知恵であり、そして、「何のためにタイプ論を生み出したのか?」、その問いに対する答えにもなるものです。

 もう1度、確認しておきましょう。

 タイプ論の目的は、「自己理解・他者理解・人間理解」を深め「よりよい人間関係」を育んでいくことです。そのゴールにたどりつくための「心の羅針盤」(Compass)となるものが、タイプ論の知識です。

まっつん
まっつん

タイプ論の目的に関するユングの考えは、他にもあります。ここでは基本的なところだけおさえて…、では次に、「そもそも、どんな考えからタイプ論が生み出されてきたのか?」、タイプ論が生まれた経緯について、述べていきます。

どうやってタイプ論は生まれたのか?

 ユングがタイプ論を生み出していった経緯には、大きく3つあるとされています。1つ目は「言語連想検査」の結果です。2つ目は、「なぜ、フロイトとアドラーの理論が違うのか」を考えたことです。そして3つ目は、ユングが設立した「心理クラブ」での交流です。

  1. 「言語連想検査」の結果
  2. 「なぜ、フロイトとアドラーの理論が違うのか」を考えて
  3. 「心理クラブ」での交流

それでは、1つ目から順番に説明していきます。

❶「言語連想検査」の結果から

 ユングの初期の研究として有名なのが「言語連想実験」です。この実験に関する著作は1906年に発表されています。ユングが31 歳になる年です。「言語連想実験」で、ユングは、今でいう「コンプレックス」の研究に取りくみました。

「言語連想実験」とは、ある言葉をクライアントに投げかけて、思いつく言葉を返してもらうものです。 例えば、「頭」と聞いて、パッとどんな言葉が思い浮かびますか。連想して答えてみてください。「緑」では、どうでしょう。次に「水」では…。こんな調子で、クライアントに100個の言葉に対して、連想する言葉を答えてもらいます。以下は、その一部です。

1. 頭11. 机21. インキ
2. 緑12.尋ねる22. 怒り
3. 水13. 村23. 針
4. 歌う14. 冷たい24. 泳ぐ
5. 死15. 茎25. 旅行
6. 長い16. 踊る26. 青い
7. 船17. 海27.ランプ
8.支払う18.病気28. 犯す
9. 窓19. 誇り29. パン
10. 親切な20. 炊く30. 金持ち
ユング連想検査の刺激語
『ユング心理学入門』(河合隼雄 培風館)p66の表を元に作成

 ユングが「言語連想実験」をした時、反応はクラアントによって様々でした。ある言葉では、すぐに言葉が返ってきますが、ある言葉になると、必要以上に長く説明したり、あるいは、連想する言葉が全く出てこなかったりしました。実験は、2回行います。すると1回目と2回目で、連想する言葉が違うこともありました。

まっつん
まっつん

連想するだけです。とても簡単なことに思えます。ですが、言葉がつまってしまったり、出てこなかったりします。なぜ、そうなるのか、本人はわかりません。簡単に思えることが、訳もわからず難しくなってしまうなら、心のどこかに、真犯人がいそうです。

 この真犯人は、普段の自分では意識することのできない「無意識」の領域にいて、「意識」に働きかけてくるのだとユングは考えました。その働きかけてくる真犯人を、ユングは「感情によって色づけられた複合体(feeling-toned-complex)」としました。これが私たちが今でいう「コンプレックス」のことです。

 この実験を繰り返していく中で、ユングは、連想される言葉に、あるパターンがあることに気づいていきました。『ユングのタイプ論に関する研究』(佐藤淳一 創元社)には、「言語連想実験」からの着想について、こう書かれています。

『ユングのタイプ論に関する研究』
(佐藤淳一 創元社)
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「この言語連想の実験を通して、正常者において内的な連想をする人たちと外的な連想をする人たちがいることが分かった。前者は感情を伴った主観的な反応をするタイプで、後者は非個人的なトーンで客観的な反応をするタイプであった」

『ユングのタイプ論に関する研究』(佐藤淳一 創元社)p13

 さらに、この実験を「早発性痴呆」(統合失調症)と「ヒステリー」の患者に対して行っていくと、連想言語に違いが見られました。早発性痴呆(統合失調症)の患者は「内向」に、ヒステリー患者は「外向」に分類できる反応を示したのです。

 この実験は、「タイプ論」の「原点」といえるユングの臨床体験です。

❷「なぜ、フロイトとアドラーの理論が違うのか」を考えて

「言語連想検査」で成果をあげたユングは、フロイトの理論を知り「無意識」について興味を深めていきます。1907年、フロイトとユングが初めて会った時、13時間も話し続けたといわれています。ふたりは絆を深め、ユングはフロイトが設立した「国際精神分析学会」の初代会長にまでなっています。

 ところが、フロイトの心理学理論に違和感を覚えた始めたユングは、フロイトと距離をとるようになっていきます。ユングは1913年に発表した『リビドーの変容と象徴』で、「無意識」に関してフロイトとは異なる見解を示しました。ふたりの決別は決定的なものになりました。

 その後ユングは、本人が「方向性喪失の状態」と呼ぶ、精神的な危機を迎えます。時に、幻覚が見えるようになり、この状態が1912 年〜1917頃まで続いたといっています。第一次世界大戦の勃発を予知するような「海が血に染まるビジョン」が見えたこともあります。

まっつん
まっつん

先ほど、タイプ論の考えを深めた時期が、第一次世界大戦(1914年〜1918年)に重なると書きましたが、ユングの「精神的危機」の時期とも重なっています。

 ユングは「方向性喪失の状態」で、フロイトともアドラーとも違う、独自の心理学を確立する必要に迫られていました。そんな背景があり、ユングはフロイトとアドラーの心理学が、「なぜ、対立するのか?」について考えていったのです。

 フロイトの共同研究者ともいえるアルフレッド・アドラーも、理論の違いからフロイトとの関係が悪化します。最終的に、フロイトはアドラーを協会から追い出してしまいます。なぜ、フロイトとアドラーは対立したのか。その理論の対立を、「タイプの違い」としてユングはとらえました。

 ユングにいわせると、フロイトの心理学は「外向型」で、アドラーの心理学は「内向型」となります。

ユングの論

 フロイトの心理学が共鳴している基調は客体において快楽を求める遠心的衝動だが、これに対してアドラーの心理学の基調は主体に向かう、すなわち主体が力をもち生の抑圧的な暴力から解放される「優越状態」に向かう、求心的な衝動である。

『タイプ論』(訳 林義道 みすず書房)p541

フロイトとアドラーの違い

フロイトは、催眠や対話によって「トラウマとなった出来事」を意識化することで、クライアントを治癒しようとします。この「外との世界」との関係を重視している点が、「外向」ということです。

 アドラーは「内の世界」(心の中)を重視します。人は誰もが幼い頃に「劣等感」をもちます。劣等である自分を克服することを目的に「権力への意志」が育まれていきます。この「劣等感」「権力への意志」を重視するのがアドラーで、「劣等感」「意志」とは「内の世界」(心の中)のことです。ですので、アドラーの心理学は「内向型」と、ユングは分類します。

 ふたりの対立について、ユングは「外向 VS. 内向」という「タイプの対立」と考え、性格タイプに関する考えを深めていきました。

❸「心理クラブ」での交流

 ユングは1912 年に「心理学クラブ」を設立しました。「心理学クラブ」は、ユングの分析を受けた一般の人と、心理の専門家からなる集まりの場でした。ポイントは、健康な人たちが集まっていたことです。

まっつん
まっつん

 ユングは、この健康な人たちとの交流を通して、タイプ論に関する考えを深めていきました。ユングが「外向・内向」に、4つの「心の機能」(思考・感情・感覚・直観)を加えていったのは、「心理学クラブ」での人間観察が大きな役割を果たしたとされています。

 特に「直感」機能のヒントは、心理学クラブに参加していたマリア・モルツァーからのものであることを、ユングは明言しています。

  1. 「言語連想検査」の結果
  2. 「なぜ、フロイトとアドラーの理論が違うのか」を考えて
  3. 「心理クラブ」での交流

 以上、3つの観点から、タイプ論が生み出された経緯について説明してきました。いずれにしても、長い臨床経験と人生経験があって、タイプ論が生まれたことは確かなことです。ユングは「はじめに」で、こう述べています。

ユングの論

 本書は臨床心理学の分野における、ほぼ20年にわたる研究の成果である。このアイディアは、一方で精神科および神経科における臨床やあらゆる階層の人々とのつき合いによって得られた無数の印象や経験から、他方では友人や反対者との私の個人的な討論から、そして最後に私自身の心理的特質の批判から、しだいに生まれてきたものである。

『タイプ論』(訳 林義道 みすず書房)p541

 タイプ論は、決して、ユングの単なる「思いつき」で生まれたものではありません。20年にわたる臨床経験から生み出されたアカデミックな観点が保証された理論です。

(文:松山 淳



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