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ユングの見た夢(4)アフリカ・インド旅行での夢

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 ユングは心理学者でありながら文化人類学者でもありました。人間心理への洞察を深めようと世界を旅しました。『ユング自伝2』(みすず書房)で、ユングは、アフリカやインドに旅行したことを記しています。このコラムでは、ユングの旅に関する夢を中心として『ユング自伝2』に記載されている、その他の夢について解説します。

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『ユング自伝2』(みすず書房)
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北アフリカ旅行での夢(1920年)

 1920年3月、ユングは北アフリカへと旅立ちます。旅をしたのはアルジェリアとチュニジアです。西欧圏(キリスト教圏)から初めて外に出ることになりました。ユングは、アフリカ現地の喧騒やエネルギーに強いインパクトを受けます。

アルジェリア

それはユングの日ごろ接する人たちとは明らかに何かが違っていました。ユングはこう書いています。

「とにかくヨーロッパ人は意志となにかに向けられた志向という、ある節度をもっている。われわれに欠けているのは生命の強烈さなのだ」(p60)

まっつん
まっつん

ユングのこの言葉から、行き過ぎた「節度」は「生命力を奪う」ともとれます。社会が平和で安定するためには個々人に「節度」が求めれます。しかし、あまりにも「節度」を守ろうとすると、人間としての本能的な「生きるエネルギー」が削がれるとになります。

 結果、人間から活気がなくなります。よって、適度に節度を失う「祭り」が、世界各国で行われているのです。

 「祭り」は、ほどよく節度を失うことで盛り上がり、その場は活気に満ちあふれます。「祭り」は「生命の強烈さ」を取り戻すために「はめを外す」ことが許される、多くの人の求める社会的な行事です。

 さて、北アフリカを旅している間、ユングは、アフリカに関する夢を見ることはありませんでした。ところが、ヨーロッパ(フランス・マルセイユ)へと帰る日の前夜に、「この旅行の全体験を総括しているような夢」(p61)を見るのです。

 この夢は3部構成です。

  •  第1部:夢の場所〈原住民居住地区(カスバ)〉の提示。
  •  第2部:「アラブの黒人との橋の上の対決」
  •  第3部:「対決した者にユングの本を読ませようとする」場面。
ユングの夢

 夢のなかで、私はアラブの都市におり、そこにはアラブの都市にある砦のような、原住民居住地区(カスバ)があった。その都市は広原のなかにあり、まわりは城壁がめぐらされていた。城壁の輪郭は四方形であって、四つの門があった。

 夢の歳のなかにあるカスバは広い濠に囲まれていた。濠にわたされた、馬蹄形の暗い門に通ずる木橋の前に、私は立っていた。(中略)橋のなかばまできたとき、端麗な、まるで王者のような姿をした、美しいアラブの黒人が門から私の方へやってきた。(中略)彼は私と対決するように、私につかみかかり、私を打ち倒そうとしてきた。(中略)われわれは二人とも濠に落ちた。(中略)私は水中で格闘していたが、私自身死にたくなかったし、彼を殺そうとも思ってはいず、ただ気を失わせて戦えないようにしようとしたかっただけである。

 それから夢の場面は変転し、その若者は私とともに、砦の中央にある八角形の丸天井を張った大きな部屋にいた。私の前には床の上に、乳白色の羊皮紙に見事な書体で書かれた黒文字のが開かれていた。(中略)内容はわからなかったが「私の本」だという感じがあった。ついさきほど格闘した若い族長は床の上に、私の右に坐っていた。私は彼に、私はおまえに勝ったのだからこの本を読めねばならんぞと告げたが、彼はそれに逆らった

 私にはこの本を読ませることが絶対に不可欠だと解っていた。そしてついに彼は私の勧めに従った。

『ユング自伝2』(C.Gユング みすず書房)p61-62

 第1部の場所の形(城壁の輪郭は四方形であって、四つの門)からユングは曼荼羅(マンダラ)を連想しています。

 曼荼羅は自己の象徴です。すると、このカスバからやってきたと思われる2部の登場人物=アラブの黒人は、自己から送られてきたメッセンジャーと考えれます。

 そして、ユングは「王者のような姿をした、美しいアラブの黒人」と、つかみあいの戦いとなりました。水は「無意識」の象徴です。濠に落ちて水中での格闘は、まさに無意識で「対決」が起きていることを暗示します。

 ユングは白人であり、対決した者は黒人でした。黒人はユングと相反する存在ですので、ユング心理学でいう「影」(シャドー)であることも考えられます。

 その後、ふたりは、八角形の丸天井を張った大きな部屋にいます。この部屋の形からも曼荼羅(マンダラ)が連想できます。

 ユングは北アフリカへの旅行を通して、「ヨーロッパ人であるということの影響と制約のもとで、みることのできなくなっている私の人格部分を見出したい」(p64)と思っていました。

自己の影と自我の影

 まさに「みることのできなくなっている私の人格」が「美しいアラブの黒人」という姿をとって夢に現れたのです。ユングは、この夢を解釈するにあたって「自己の影」という概念を提示しています。

 ユング心理学でいう「影」(シャドー)は、個人的なことに関係することが多く、相性の合わない人や嫌いな人が夢に出てくることが多いものです。「自己の影」という言い方があるばらば、個人的な関係から現れる「影」(シャドー)は、「自我の影」といえます。

 ユングは「自己の影」については、こう書いています。

 アラブ人たちの黒い肌は、彼らを「影」として表したが、しかしそれは個人的な影ではなく、むしろ人種的なものとして、つまり私の意識的なペルソナと関わるのではなく、私の人格の全体性、自己と関わる人種的な影であった。カスバの族長としてかのアラブの若者は、いわば一種の自己の影とみなされるに違いない。

『ユング自伝2』(C.Gユング みすず書房)p64

 日本人は、西欧人に対して劣等感を持ちやすいといわれています。ですので、ユングのいう「人種的な影」は、日本人にとって西欧人だと考えられます。

 無意識の影(シャドー)は、拒絶する対象ではなくて、意識へと統合していく存在です。ユングは、自分で気づいていなかった「アラブの黒人」の要素を意識化していくことで、心理的な変容を遂げていくのです。

 ユングは「われわれの生きている生命われわれの忘れ去った生命との、互いに対立する二つの可能性を試みてみなければならない」(p45)と書いています。

 節度を守り過ぎて、生命のエネルギーを消耗しているのであれば、元気を失っているのであれば、忘れ去った「アラブの黒人」のような本能的で情熱的な荒々しさが、手助けとなるのです。 

インド旅行での夢

 1938年、カルカッタ大学の25周年記念祭の祝典に参加するようにと、インドのイギリス政府から招かれました。ユングはインドを訪れ、さまざまな地を巡ります。アフリカ同様にインドからも大きなインパクトを受けました。

インドのイメージ写真

 ユングはカルカッタにいる時に、赤痢にかかり10日間も入院することになります。快方に向かいホテルに戻って見たのが、次の夢です。聖杯伝説に関する夢であり、自身がヨーロッパ人であることを思い出せるの内容です。

 結論からいえば、「インドよりヨーロッパだぞ」と夢はいっているのです。 

ユングの夢

 私はイギリス南部の海岸からそう遠くないと思われるある未知の島で、大勢のチューリッヒの友人や知人たちと一緒にいた。(中略)島の南端の岩だらけの海岸に中世風の城があった。(中略)そこは聖杯の城であり、今夜はここで「聖杯の祭り」があるのだということが私にはわかった。(中略)

 ただ一つ私を悩ませたのは、彼(※ドイツ人の教授)がいつも死せる過去のことばかり話し、聖杯伝説のフランス起源に対するイギリスの関係を知ったかぶりをして講釈していたことである。彼は明らかに伝説の意味に気付いておらず、その伝説のなお生きている現在にも気付いていなかった。

 私はなんとなく心細くて周囲を見まわすと、私が高い城壁に立っていることがわかった。(中略)突然、私は葉の茂みのなかに動くものが見えた。はじめはねずみのように思ったが、しばらくしてそれが小さな、鉄の、頭巾をかぶった小人、つまりククラトスであって、小屋から小屋へちょこちょこと走りまわっていることが、はっきり見えた。「おや」、私はびっくりして教授に大声で叫んだ「それ、そこを見てごらん」。

 この瞬間に夢は途切れ、場面が一変した。われわれは(中略)城外におり、そこは樹木の一本もない岩だらけの風景であった。(中略)聖杯は島の北端部にある無住の小さな家に隠されているということであった。聖杯を城に運ぶのがわれわれの仕事だと、私は思った。(中略)

 数時間の、相当きつい行軍の後に、われわれは島のもっとも幅の狭いところに着いた。(中略)陽は沈み、夜となった。(中略)私の仲間たちは次々と眠りこんで行った。どうすべきかと私は考え、私一人で海峡を泳いで渡って、聖杯を持ってこなければならないという結論になった。私は衣類を脱ぎ、そのとき目が覚めた。 

『ユング自伝2』(C.Gユング みすず書房)p113-115

(※ドイツ人の教授)は筆者追記

 聖杯伝説とは、主に中世ヨーロッパで書かれた物語です。「アーサー王伝説」の中核となっているテーマです。インドにいながらにして、聖杯伝説に関する夢を見るのですから、無意識が「ユングのなすべき課題」を提示しているといえます。

 夢に登場するドイツ人教授は、聖杯伝説が「今なお生きている」ことに気づいていません。次のシーンで、小人(ククラトス)が走り回っています。ユングは小人がいることを教授に教えてようと叫びます。つまり、伝説は「今なお生きている」ことを伝えようとしたのです。

 科学が発達した現代社会においても、心の中に小人は生きていて、聖杯伝説は死んではいないのです。

 場面が変わり、ユングは聖杯を城に運ぶ仕事をしなければならないことに気づきます。仲間がいるものの、最後、ユングはひとりで海を渡って聖杯を探しにいこうと決意します。

まっつん
まっつん

夢によれば、ユングの仕事はインドになくヨーロッパにあり、仲間はいるものの、最終的に、求めるもの(聖杯)を手に入れるには、どうやら、ひとりで取り組まなければならないようです。

 ユングは、この夢のメッセージを次のように表現しています。

 「あなたはインドでなにをしているか。むしろ、あなた自身とあなたの仲間のために癒しの器、世界の救い主を探しなさい。あなたはそれをさしせまって必要としている。というのも、あなたの状態は危険だ。あなたたちはみな、幾世紀かかけて作り上げたものをすべて破壊する、切迫した危機にあるのだ。」

『ユング自伝2』(C.Gユング みすず書房)p116

2つの予知夢

 ユングは、数多くの神秘体験をし、人智を越えた心の働きのあることを提唱しました。シンクロニシティ(共時性)は、その代表例です。予知夢はシンクロニシティ(共時性)のひとつといえます。患者からの報告だけでなく、ユング自身が未来を見通していたと思える「予知夢」を見ているのです。それが、次の2つです。

 予知夢❶は、ユングの妻の親戚が死ぬ前に見た夢です。 

ユングの予知夢❶

 私は、妻のベッドが石の壁に囲まれた深い穴になっている夢をみた。それは墓で、何か古めかしい感じがした。妻に似た姿が穴の中に坐っていて、上に浮かんできた。それは白いガウンで黒いシンボルが織りこんであるものを着ていた。

『ユング自伝2』(C.Gユング みすず書房)p142-143

 ユングは、「あまりにも奇妙な夢だったので、それが死を意味するではないか」(p143)と考えます。そして、朝の7時に、妻の従姉が午前3時に亡くなった知らせが届くのです。

 次の夢は、友人が事故死する2週間ほど前に見たものです。

ユングの予知夢❷

 私は園遊会に出席している夢をみた。そこで私は妹をみて驚いてしまった。というのは、その妹は数年間に亡くなっていたからである。死んだ友人の一人もそこにいた、(中略)そこで、妹が私のよく知っているある婦人と一緒にいるのをみた。夢の中でさえ私は結論を下していて、その婦人は死ぬのだと思った。

『ユング自伝2』(C.Gユング みすず書房)p143

 夢の中で、ある婦人がユングの妹といます。妹はすでに亡くなっているのですから、そこは「霊界」を意味しています。夢の中ですでにユングは「婦人は死ぬ」と思っているのがポイントです。

 そして実際、ユングはこの婦人の訃報を受け取ることになるのです。

 予知夢は、詳細な事実が一致するものから、大まかなイメージだけが伝えらえるものまで多種多様です。私の心に未来を予知している力があるのは、考えれば考えるほど不思議です。

先祖からのヒントの夢

 1911年、ユングは友人と北部イタリアを自転車旅行します。この途中でユングは、次の夢を見ることで、旅の計画をくつがえしてしまうのです。

ユングの予知夢❶

 夢で、私は昔のすぐれた人々の霊の集まりの中にいた。そのときの感じは、その後1944年の幻像にみた黒岩の神殿の「輝かしい先祖たち」に対するのと同様のものであった。会話はラテン語でなされた。長い巻いた羽をもった紳士が私に話しかけ、難しい質問をなげかけた。(中略)私は彼を理解した。しかし、彼にラテン語で答えるには、それに十分に習熟していなかった。これをたいへん不真面目と感じたので、その情緒のゆれによって私は目を覚ました。

『ユング自伝2』(C.Gユング みすず書房)p147-148

 まず「霊の集まり」の中にいるのですから、場面として現実を超越している世界です。「すぐれた人々」であることもポイントです。何か人間を超越した高次の存在を感じさます。

 1944年の幻像にみた黒岩の神殿の「輝かしい先祖たち」は、ユングが1944年に臨死体験をした時に出てくる黒岩と先祖たちです。ただの「先祖」ではなく、「輝かしい先祖たち」と書くのですから、霊界に住む賢者の集団とえいます。

 「長い巻いた羽をもった紳士」も不思議です。羽がついているのですから天使でしょうか。その高次の存在からユングは夢の中で質問されています。しかし、これにうまく答えられなかったわけです。ユングとしては、答えられなかったことが相当に悔しかったようです。

まっつん
まっつん

目を覚ましときにユングは、当時書いていた本である『無意識の心理学』のことを思います。ユングは『無意識の心理学』の書くべきことを夢の中で質問されていると思えて、一刻も早く、この本の原稿を進めようと決意するのです。

 その結果、旅の計画をくつがえして、家に帰ることにするのです。

 夢のメッセージによって、楽しい旅の計画を変更して家に帰ってしまうとは…。でも、それほど仕事熱心な人だったからこそ、心理学史に残る偉業を成し遂げたのだといえます。

母の死の夢

 ユングの母は突然、亡くなってしまいます。ユングがテッシン(スイス)に滞在中に訃報が届きました。その前日に、ユングは次の夢を見ています。これも予知夢のひとつといえます。

ユングの夢

 私は深いうす暗い森の中にいた。(中略)突然、私は全世界に鳴り響くかとも思われるような鋭い笛の音をきいた。私はひざはふるえ、おののいた。すると、灌木の下がざわめいて、一匹の巨大な狼猟犬がおそろしい口をあけて進んできた。(中略)その犬は私とすれちがって、突っ走っていった。そして、私は急に、あの恐ろしい猟人(ヴォータン)が人間の魂をとってくるように、猟犬に命令を下したのであることが解った。私は恐怖のうちに目覚めた。

『ユング自伝2』(C.Gユング みすず書房)p156

 ユングが夢の中で、かなりおびえていてます。ヴォータンとは、北欧神話のオーディンのことです。オーディンは戦争と死の神です。

 一見すると「死の神が、ユングの母親の魂をさらっていった」と考えられます。しかしユングは、ヴォータンを悪魔にしたてたのはキリスト教の宣教師だといいます。ヴォータンは、自然の霊であり、錬金術の世界では、文明の中に再び生をとりもどした存在です。

北欧神話オーディンのイメージイラスト

 「死」とは私たちが生きている世界から考えれば、魂が奪われる悪魔的なことかもしれないが、霊界から見れば、死とは誕生を意味します。

 ユングは母の死に関して、さらに不思議な体験をします。母の訃報を聞き急いで夜行列車に乗りました。その列車の中で、「まるで結婚式でも行われているようなダンス音楽や、笑いや、陽気な話し声を聞きつづけていた」のです。

 ユングは「一方では暖かさと喜びを感じ、他方では恐れと悲しみを感じていた」(p157)と書いています。

 死を「霊界への誕生」と解釈するなら、ユングの母を迎えた人々が集まって、その誕生を喜んでいたというわけです。

自己と自我の夢

 ユングは「自己」(セルフ)と「自我」(エゴ)の関係を考えさせられる夢として、次の2つの夢を提示しています。

 ひとつ目は、夢の中でユングはUFOを見ています。1958年10月に見た夢です。

ユングの夢

夢で私は、ふたつのレンズの形をして金属的な輝きをした円盤が、家をこえて湖の方に弧を描きながらぶーんと飛んでゆくのを、家の中から見た。それはUFO(空とぶ円盤)だったのだ。すると、もうひとつの円盤が私に向かって真直に飛んできた。それは全く円形をしたレンズで、望遠鏡の対物レンズのようであった。(後略) 

『ユング自伝2』(C.Gユング みすず書房)p168-169

 夢はまだ続き、別のUFOも現れます。ポイントは、ユングの夢うつつの中でのひらめきです。

「われわれは空とぶ円盤がわれわれの投影であるといつも考えている。しかし、今や、われわれが彼らの投影となったのだ。私は魔法の幻灯から、C・G・ユングとして投影されている。しかし、誰がその機械を操作しているのか」(p168)

UFOのイメージ写真
UFOのイメージ

 現代人は、科学的ではない不可解な存在を認めることができず、それを無意識に抑圧します。その抑圧されたものを外の世界に投げかけ、つまり投影して見るものがUFOだと、ユングは考えました。

 その考えが、ひっくり返っています。ユングは自分自身が投影された存在として、この世界に存在していると感じたのです。だとすると、ユングは投影された仮の存在であり、実体のない「幻」になってしまいます。

 「現実は幻のようなものだ」。神秘主義者たちは、そう口をそろえます。


 さて、内容は違うものの、UFOの夢と同じ感慨をユングにもたらしたのが次の夢です。1944年の臨死体験の後に見た夢です。  

ユングの夢

 私はハイキングをしていた。(中略)太陽は輝き、私は四方を広々と見渡すことができた。そのうち、道端に小さな礼拝堂のあるところに来た。戸が少し開いていたので、私は中にはいった。(中略)祭壇の前の床の上に、私の方に向かってひとりのヨガ行者が結跏趺坐し、深い黙想にふけっているのを見た。

 近づいてよく見ると、彼が私の顔をしていることに気がついた。 

『ユング自伝2』(C.Gユング みすず書房)p169

 自分が目の前にいることは、自分の存在が危険にさらされるので、これはちょっとした恐怖体験です。ユングは深いおそれのために目を覚まします。そして、次のように考えるのです。

「あー、彼が私について黙想している人間だ。彼は夢をみ、私は彼の夢なのだ。」彼が目覚めるとき、私はこの世に存在しなくなるのだと私には解っていた(p169)

 「自我」(エゴ)は、意識の中に存在します。「私は私である」と考える「自我」は、意識の領域に閉じ込められているともいえます。しかし、「自己」(セルフ)は違います。意識に比べて無意識の領域ははるかに広大です。自己は心全体の中心点として、時空間を超越することもあります。

 「UFO」や「瞑想するヨガ行者」を「自己」と考えた時に、「私」(自我)という存在は、投影された存在、もしくは、夢の中の登場人物となり、「私」(自我)は「幻」に過ぎなくなるのです。

 以上のふたつの夢について、ユングは、次の通りに解釈をしています。

 これらふたつの夢の目的は、自我ー意識と無意識との関係の逆転をもたらし、無意識を現実の経験をしている人格の発生源として示すことにある。この逆転は、「あちら側」の意見によると、無意識的存在が本当のもので、わらわれの意識の世界は一種の幻想であり、夢の中では夢が現実であるように、特殊な目的に従って作り上げられた見せかけの現実なのではないかと、示唆している。

『ユング自伝2』(C.Gユング みすず書房)p170

 実際に、現実が幻なのかはわかりません。それも意識(自我)の限界といえます。

 しかし、自我の限界を自己は越えていきますので、ユングのいう「わらわれの意識の世界は一種の幻想」も理論的には成立することになります。

まっつん
まっつん

 寝ている時に、人は、夢の中で生きています。あたかもそれが現実世界であるかのように、喜び、泣き、叫び、恐れ、笑い、怒り、うなされ、涙を流します。意識の世界(現実の世界)と同じように、無意識の舞台でも人は生き、人生を送っているのです。

 ユングの見た夢は、私たちがよりよく生きるための多くのヒントを残してくれています。

 

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(文:松山 淳