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ユングの見た夢(3)錬金術との出会いを予知する夢

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 『ユング自伝2』(みすず書房)に記録されている夢についての「前編」です。『ユング自伝2』にも、数多くの夢が記載されているため、「前編」「後編」に分けました。ユングの中年期以降の夢です。

『ユング自伝2』(みすず書房)のアイキャッチ画像
『ユング自伝2』(みすず書房)
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錬金術のシンボルの夢

 ユングは、1918年(43歳)から1926年(51歳)にかけて「グノーシス主義」について研究を深めます。グノーシス主義とは、1世紀から3世紀かけて地中海周辺で広まった宗教思想運動です。次にユングは、グノーシス主義の流れから「錬金術」の研究に没頭するようになります。

 「錬金術」の起源は古代エジプト、古代ギリシアなどで、中世ヨーロッパにおけるルネッサンス期に隆盛を極めます。「錬金術」には、2つの側面がありました。ひとつ目は、金ではない物質(水銀や銅)から、実際に、金を生み出す「化学的観点」です。ふたつ目は、金をつくり出すプロセスを「心の変容過程」になぞらえて考える「哲学的観点」です。

錬金術のイメージ写真

 ユングの「錬金術」に関する研究は「哲学的観点」であり、『心理学と錬金術』(1944年)、『結合の神秘』(1955年)にまとめられています。

 さて、ユングは『ユング自伝2』(みすず書房)の中で、錬金術への導きを感じさせる夢を繰り返し見ています。そのひとつが次の夢です。

ユングの夢

 私の家のそばに(中略)もう一軒の家が建っていた。ついに、私がその別棟に入って行く夢が生じた。その家で、私は、そのほとんどが、16、7世紀ごろのものであるすばらしい蔵書を見つけた。多数の分厚い皮表紙の大判の書物が、まわりの壁一面に並んでいた。その中には、銅の彫りものの奇妙な文字の飾りのついたたくさんの本や、見たことのないような変わったシンボルの入ったさし絵があった。(中略)ずっと後になってやっと、それらが錬金術のシンボルであることが解った。 

『ユング自伝2』(C.Gユング みすず書房)p5

 あたかも無意識は、将来的にユングが錬金術と関わることを知っていたかのようです。

 別棟は、ユングのまだ知らないパーソナリティの一部です。そこに中世の蔵書があり、錬金術のシンボルまでが夢に出てきているのです。

 別棟は、次の次「幽霊となった父と母の部屋の夢」にも現れます。

 この夢を見た15年ほどあとから、ユングは、夢に出てきた「分厚い皮表紙の大判の書物」を、つまり錬金術に関する書物を実際に集めることになるのです。

錬金術との出会いを早める夢(1926年ごろ)

 ユングは、次の夢によって、錬金術との出会いが早められたと書いています。

ユングの夢

 戦時中であった。私はイタリア戦線にいて、つまらない一人の農夫と一緒に彼の馬車で前線から後退しているところだった。(中略)その時、道の斜め向こうに大きい建物を見つけた。壮大な建築で、むしろ北イタリアの領主の館といったようなものだった。(中略)

 われわれが、中庭の真中、正面玄関の前に着いたとたん思いがけないことが起こった。鈍いひびきをたてて門が二つとも風で閉まってしまった。農夫は腰掛から飛びおりて叫んだ。「ああ、17世紀に閉じ込められた。」私はあきらめて考えた。「やれやれ、これでおしまいだ。けれどここで何をすべきだというのだろう。何年間も閉じ込められるのに。」その後で慰めになる考えが浮かんだ。「いつか何年か先にまた出られるだろう。」

『ユング自伝2』(C.Gユング みすず書房)p18-19

 この夢を見た後に、ユングは、「世界史や宗教や哲学の重苦しい書物を何巻も苦労して」(p7)読みますが、夢の内容を解釈するヒントを見つけられませんでした。

 しかし、錬金術が17世紀に興隆を極めることを知り、この夢が錬金術のことを示唆していることに気づくのです。

 ユングは、錬金術に関する本を集め始めますが、届けられた最初の本を読んでも、よくわかりませんでした。ほぼ2年間、その本を置かれたままになりました。時々、目を通しては、「ああばかげている、こんなものはわかるはずがない」(p8)と思っていたのです。

 それが次第に、わかる箇所が増えていき、ユングの興味をひき始め、最終的には、「そうだ、これだ!私はそもそも始めから錬金術の研究を運命づけられているのだ」(p8)と思い至るまでになるのです。

 ユングは、夢の中で17世紀に閉じ込められてしまいました。そして、実際、ユングは、17世紀前後の世界に閉じこめれるがごとく、錬金術に没頭することになるのです。

幽霊となった父と母の夢

 すでに亡くなっているユングの父と母が登場する夢です。

 この夢は、「父」「母」「音楽の流れるホール」の3部構成になっています。

 ユングは、「この夢の中の最も大切なイメージは、「霊魂のためのレセプションの部屋」であり、魚の実験室である。前者はやや滑稽めいているが結合を表し、後者は私のキリストに対する強い関心を示している」(p20)と書きます。

 「結合」は、ユングが研究を深めた錬金術の重要キーワードです。物質と物質が「結合」することで「金」が生まれてきます。錬金術の思想のは、キリスト教の考えも含まれています。

ユングの夢

 私は再び私の家に未だ中へはいったこともない大きい別棟がつけられているという夢を見た。(中略)私は実験室としてしつらえてある部屋にはいった。(中略)これは私の父の仕事場であった。しかし父はそこにいなかった。壁ぞいにある棚には沢山のびんがあり、いろんな考えるかぎりの種類の魚がいれてあった。私は驚いてしまった。何と今私の父は魚族学をやろうとしているのだ!

 そこに立って周囲を見まわすと、そこにカーテンがあって、時々強い風でも吹いているようにはためているのに気がついた。(中略)そこで私は自ら出かけてゆき、そこにドアがあって、それは私の母の部屋に通じていることをみとめた。何だか気味悪い雰囲気であった。私は、これは私の母が訪ねてきた部屋で─実際は彼女はずっと以前に亡くなっていたが─、彼女が訪問してくる霊の眠りのためにこのようなベッドをしつらえたのであることを知っていた。彼らは二人組でやってきた、いわば幽霊の夫婦で、ここで一夜を、あるいは一日をすごしたのだ。

 私の母の部屋の向かい側にドアがあった。私はそれを開けて広いホールへはいっていった。それは大きホテルのロビーを思いおこさせた。(中略)ブランドバンドがダンス音楽や行進曲を吹きならしている以外には、そのホールには誰もいなかった。

『ユング自伝2』(C.Gユング みすず書房)p1819

 ここでも別棟が登場していますね。自分の家に実際になくても、「別棟に入っていく夢」を見たら、「内なる自分の気づいていない何か」を夢が知らせていると考えられます。

 まず前半が父の夢になっています。夢の中で、ユングのお父さんは「魚」の研究をしています。

キリストのイメージ写真

 ユング曰く「魚」は「キリスト」の象徴だそうです。ですので、前半は、キリスト教について無意識が何か言ってきているわけです。ユングのお父さんは牧師であり、ユングもキリスト教を信仰しています。

 中盤に亡くなった母が登場してきて、父と母が、夜の時を過ごす「霊の眠り」のためのベッドがあります。この部分が、「霊魂のためのレセプションの部屋」です。

 「結婚した男女がふたり」で「ベッド」といえば、これは「結合」と関連してきます。

 ですので、「霊魂のためのレセプションの部屋」は、錬金術の「結合」を示唆していると考えられるのです。

 最後、大きなホテルのようなホールが登場します。ここには誰もいないのですが、ブラスバンドの曲が大きな音で流れていて快活ですらあります。気味悪い雰囲気の「霊魂のためのレセプションの部屋」とは対照的です。

まっつん
まっつん

 勢いある音楽の流れる「ホール」は、「昼の世界」であり、「表の世界」であり、「意識」領域のイメージ化ともいえます。それとは違い、前半と後半は、亡くなった父と母が登場し、霊が眠る「夜の世界」であり「裏の世界」であり、「無意識」領域のイメージ化です。

 ユングは、「私の両親は共に「魂の治癒」の問題を背負って現れてきて、それこそまさに私の仕事なのである、何かが未だ完結されず、私の両親のもとにある」(p34)と書いています。

 つまり、「キリスト教に関して、未完となっている取り組むべき仕事があるぞ」と夢はいっているのです。その仕事が、錬金術の「結合」に関することだと、ユングはこの夢で気づかされたのです。

学者になった父の夢

 ユングは「キリスト教」を信仰しつつも、その教えに関しては、納得していませんでした。なぜ、納得できないかといえば、その教えが、「善」の面だけを強調しているからです。

 ユングは、世界を二律背反の関係で考えました。「光」があれば「闇」があり、「善」があれば「悪」があります。ふたつは相反する考えですが、共に存在することで、互いを支え合っているのです。そう考えると、「善い人であれ」と「善」を主張するキリスト教は、ユングにとってどこか偏っている感じがするのです。

まっつん 
まっつん 

 キリスト教的な「神の善」を光とした時に、その闇の面を視野に入れていたのが、グノーシス主義であり錬金術でした。ユングは、キリスト教の一般的な見方とは異なる面に目を向けて思考を深めていったのです。

 キリスト教に関する考えをまとめた著が『アイオーン』であり『ヨブへの答え』です。ユングは「『アイオン』においては、神聖なイメージの明暗両面について言及している」(p23)と書いています。

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 次の夢でも、ユングの亡くなったお父さんが登場します。ユングの父親は牧師でしたので、これもキリスト教が関係してきます。ただ、この夢に出てくる「父」は、生前の姿とは、違うようです。

ユングの夢

 その夢は私はずっと前に死んだ父を訪ねるところから始まった。彼はどこか田舎──私の知らないところだったが──に住んでいた。私は十八世紀風の家、広々としていて数棟の大きい離れをもった家を見た。(中略)この家の地下室に石棺がおかれてあった。私の父は管理人としてそれらを保管していた。

 すぐに私は、父が管理人であるだけでなく、傑出した正真正銘の学者──生前には決してそうではなかったが──であることを知った。私は彼の書斎で彼に会った。(中略)不思議なことにY博士(中略)とその息子が、どちらも精神科医であるが、そこに同席していた。(中略)

 父は大きい聖書を彼の書棚からとってきた。父のもっている聖書は光沢のある魚の皮で表装されていた。彼は旧約聖書の個所(中略)を開き、どこかの節を解釈し始めた。彼はそれをあまりにもすらすらと学識豊かにやったので、私はついてゆくことができなかった。(中略)彼の心は深い考えに満ちていたのである。私は困惑し、彼がわれわれのような無学な三人を前にして話をしなければならないのは残念なことだと思っていた。

 そこで光景が変わった。父と私とはその家の前で小屋のような建物に向かっていた。(中略)大きい板切れを投げたり、掘ったりするようなごつごつんという音が聞こえた。(中略)父はそこに幽霊がでているのだと私に教えた。あきらかに、何らかのポルターガイストが騒音をたてていた。

 それからわれわれは家にはいった。われわれは狭い階段を二階へ上がっていった。そこには奇妙な光景が見えてきた。(中略)全体が巨大なマンダラである。それは全く実際の会議場にそっくりであった。

 夢の中で、突然私は中央からけわしい階段が壁の高い一点にまで到っているのを見た。(中略)私の父は「今こそお前を最高の存在へと導くだろう」と言った。そして、彼は膝まずき、額を床につけた。私は父のまねをして同じように膝まずいたが、強く感動した。何かの理由で、私は自分の額を完全に床につけられなかった──多分、一ミリメーターほどの隙間があっただろう。しかし、ともかく私は父と同じ姿をしたのだ。

『ユング自伝2』(C.Gユング みすず書房)p2426

 まず父親が「正真正銘の学者」として登場しています。ユングが「生前には決してそうではなかったが」と書いている通り、現実世界とは、異なっています。

 ユングは、夢の父親を、自分の「分身」ととらえます。つまり、夢の中の父親は、ユング自身と考えるのです。すると、ユングが、学識豊かで心は深い考えに満ちる「正真正銘の学者」になるというわけです。実際、ユングは「賢者」と呼ばれる、その通りの人物となりました。

 前の「幽霊となった父と母の夢」では、「キリスト教に関して、未完となっている取り組むべき仕事がある」ことに気づいた段階でした。そこから一歩進んで、この夢では、旧約聖書の解釈を「すらすらと学識豊かに」やっているのです。ユングの人生ステージが次の段階へと移行しつつあります。

 光景が変わり、霊現象であるポルターガイスト現象が発生しています。ユングは、ポルターガイストは、「思春期前の若い人に」によく起こることから、自分が「まだ未成熟であり、あまりに無意識なのだ」と解釈しています。

 そして最後、マンダラのような会議場で、「今こそお前を最高の存在へと導くだろう」と父がいうわけです。マンダラはユング心理学で最重要視される心全体の中心点「自己」(セルフ)の象徴です。心の発達過程での、ゴールでもあります。

 ユングがこれから目指すべき目標(ゴール)を、この夢は示唆しています。

 この夢を見た時点では、キリスト教に関して「まだ未成熟であり、あまりに無意識」であったものの、ユングはそれからひとつひとつ階段を登っていくように、地道に研究を重ね、そして著書を発表し、「最高の存在へ」と導かれることになるわけです。

幽霊の行列の夢(1924年早春)

 1922年(47歳)、ユングは、家を建てるためにスイスのボーリンゲンに土地を購入し、翌年、完成します。この家は、石で作られていて、増築を繰り返し、最後の形になったのが1955年(80歳)の時です。この家は別荘のような存在であり「ボーリンゲンの塔」という名で有名です。

 次の夢は、その「ボーリンゲンの塔」にいた時に見たものです。ユングは生涯を通して、数多くの神秘的、霊的体験をしています。 

ユングの夢

 私はまた足音や、話し声笑い声音楽などを聞いた。同時に数百人の黒服を着た人影が視えた。それはたぶん、日曜日の衣装を着て山からおりてきた百姓の子どもたちなのだろう、塔のまわりで足をふみならしながら、笑い声歌声や、アコーディオンの演奏を、塔の両面に浴びせかけていた。私はいらいらして、「もう我慢がならぬ。さっきは夢と思ったが、こんどこそは本当だ」と思ったら、目が覚めた。 

『ユング自伝2』(C.Gユング みすず書房)p43

 「私はまたも」と書いてある通り、この夢を見る前に、同じような現象に遭遇しているのです。

 寝ていたユングは、塔のまわりを歩く音を聞き目を覚まします。すると遠くで聞こえた音楽が近くなってきて、やがて、笑い声や話し声まで聞こえてきたのです。

 ユングは、窓から外を見ますが誰もいません。人影もなく静寂につつまれていました。そして、不思議なことだ、とあれこれ考えている内に、眠りに落ち、そして上の夢を見たのです。

 夢が現実なのか、現実が夢なのか、わからなくなる夢です。

 ユングは、「普通の夢と違ってこの種の夢では、無意識が夢みる人に対して、もっぱら強烈な現実的印象を与えようとしているように思われる」「その夜の出来事はすべてあまりにも現実味を帯びていた」(p44)と書いています。

まっつん
まっつん

 夢から覚めた時、「あまりにも現実味があって、本当にあったのかと思った」と、夢と現実の違いが曖昧で驚くことがあります。「とても夢とは思えない」。そんな「現実味」ある感覚をユングは、この夢で味わったわけです。

 ずっと後になって、ある年代記に、「音楽をかなでたり歌をうたったりして過ぎていく、延々と続く人たちの行列」に悩まされた人の話がのっているのを知ります。ユングは自分の体験したことと「まったく同じ」だと驚くのです。

 中世には、若者の傭兵たちの行進が、実際にありました。ですので、「若者たちが歌ったり飲んだりしながら、かれらの故郷に別れを告げている、春ごとにおこなわれた行進の一つあったかもしれない」(p45-46)と、ユングは思うのです。

 この経験をユングは「シンクロニシティ」(共時性・同時性)のひとつだと書いています。「同時性現象といののは、予感とか幻像とかがしばしば外界の現実となんらかの対応性をもってあらわれること」(p45)です。

 「シンクロニシティ」が起きる時、時と空間に限りがなくなります。時代を越え、空間を越えて、人は、「シンクロニシティ」を体験します。

 幽霊が出たといえば、それまでですが、ユングはある特殊な意識状態で、時空間を越えて、傭兵の若者たちの行列に遭遇したのかもしれません。

 

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(文:松山 淳