『ユングの症例』(1)の後編として、『ユング自伝1』に登場する症例をまとめた。ユング心理学の症例で有名な「私はローレライ」という女性から始め、「月に住む女性」やシンクロニシティの事例としてもとりあげられる「ピストル自殺した男性」の症例を取りあげた。
ユングが医師に成り立ての頃、医師たちは分裂病(現在の統合失調症)患者の言葉を理解しようとしていなかった。ユングは、意味不明な患者の言葉に意味を見出そうと研究に励み、それに成功した医師である。この点が、ユングを歴史に残る偉大な心理学者にしたのだ。「私はローレライ」の事例は、その代表的な症例である。
『ユングの症例』(1)とあわせて読むと、ユング心理学が確立されていく流れが見えてくる。
症例:「私はローレライ」という女性(バベット)
1908年、ユングはチューリッヒ公会堂でこのバベットの事例について講演をしています。1909年には、訪ねてきたフロイトにバベットの症例を話しています。(P187)
バベット(女性)は、チューリッヒの生まれで中流の環境に育ちました。妹は娼婦で、父親は大酒飲みでした。彼女は39歳で早発性痴呆(現在の統合失調症)に罹患します。ユングが会った時、すでに20年間、施設にいた患者です。
バベットは「完全に発狂し、全く意味のなさない最も狂気じみたことを言っている」(p184)とされていました。
当時の精神科医は、バベットの発言を意味不明と切り捨ててしまっていました。しかし、ユングは彼女の発する言葉にも、何かしら「意味がある」のではないかと考えました。
彼女は「私はローレライ」と口にします。ユングはドイツの詩人ハイネに「ローレライ」という詩があることを突きとめます。その詩の始まりは「なぜかわからないが…」だったのです。
するとこう考えられます。医師たちがバベットのことを「意味不明」とか、「その言葉の意味はわからない」というから、彼女は「私はローレライだ」というのだと…。
またバベットは「私はソクラテスの代理」だともいいます。ソクラテスは、告発され死刑になっています。すると、彼女は「私はソクラテスのようんい不当に告発されている」といいたいのだと考えられるのです。
意味不明とされていた彼女の言葉には、意味のあったことをユングは発見します。つまり、他の医師たちは、「完全に発狂したと考えていましたが、彼女の中に「正常な人格」が残っていると考えられたのです。
我々が無意味だとみなしてきたものの多くが、そう思うほどにおかしくないものであるということが納得できるようになった。
※上記の内容は『ユング自伝1』(みすず書房)p184−185に記載
症例:神の声を聞く老婦人
この症例の老婦人は分裂病(現在の統合失調症)でした。治癒は難しいとされていました。
彼女には、全身に行き渡る声がするのです。彼女にとって胸の中央の声は神の声でした。
ある時、「神の声」が「彼に聖書についてあなたを試させなさい」(p185)といいました。つまり、ユングが聖書について彼女の問題を出すことで、彼女を試そうというわけです。
ユングは彼女に聖書を1章ずつ読むように宿題を出し、覚えているかどうかを試験しました。これをユングは2週間に1回の頻度で行い、約7年間も続けたのです。
約6年後に、「あらゆるところにあった声が彼女の左半身に退き、一方右半身は完全に声から解放」(p186)されたのです。ユングにとって「予期せぬ成功」でした。
患者たちはのろまで無力でなように、あるいは全く馬鹿にみえるかもしれないが、患者の心の中には外見よりももっと多くのものがあり、意味あるものももっと多いのである。
※上記の内容は『ユング自伝1』(みすず書房)p185−186に記載
症例:月に住む女性
この症例は、15歳の時に、近親相姦を受けた18歳の女性です。17歳のときに病院に入りました。彼女は「幻聴をきき、食物を拒み、まったく無言」(p188)の状態でした。
ユングは、何週間もかけて、彼女が話すようになることに成功します。
彼女の話によると、彼女は「月」に住んでいました。月の地下の住処にいて、月の高い山には人を殺す吸血鬼が住んでいます。彼女は吸血鬼を滅ぼす決意をし、長い時間をかけて、そのための塔を立てます。
数日後、ついに吸血鬼がやってきて、彼女の前に立ちました。その翼がとても大きく全体が見えません。彼女が手にナイフをもって近づくと、なんと吸血鬼は、「この世のものとは思えないほど美しい男」(p189)だったのです。
彼女はその男に魅了されました。男は彼女を抱いて飛び去って行きました。
彼女がこの話をした後、抑えることなく話せるようになりました。しかし、その後、症状は悪化してしまいます。月(空想の世界)と地球(現実の世界)のどちらに住むかで、激しい葛藤が起きたのです。
症状が落ち着いた後、彼女は病院で看護婦として働いていました。ある日、彼女に対して失礼な態度をとった医師がいました。すると彼女はピストルを撃ったのです。医師は軽症で済みましたが、彼女がピストルをもって働いていたことがわかりました。
ユングが話すと、彼女はこう言ったのです。「あなたが私を見捨てていたら、私はあなたを撃ち殺していたでしょう」。(p190)
彼女は、それを機に病院を後にし故郷に帰りました。結婚し数人の子どもを持ちました。症状が再発することはありませんでした。
私に物語ることによって、彼女はある意味で悪魔を摘発し、地球上の人間に自らを所属させたのである。このおかげで、彼女は実生活にもどることができ、さらに結婚することすらできたのである。
※上記の内容は『ユング自伝1』(みすず書房)p188−191に記載
症例:ピストル自殺した男性(シンクロニシティ現象)
この症例の男性は心因性の抑うつ症でした。ユングが治療した後、ある女性と結婚しました。
ユングは、妻となった女性に好感をもてませんでした。なぜなら、彼女はとても嫉妬深い人で、夫を過剰に支配する人だったからです。それは、夫への「愛の欠如」が原因です。愛していないからこそ、自分の正しさを証明しようとして、理想の夫婦を演出するために、夫を無理にそばに置こうとするのです。
結婚して男性の抑うつ症をぶり返してしまいます。ユングは、そうなる事態を予想して患者(男性)と「精神が弱ってきたら連絡するように」と約束していました。
ある時、ユングは講義をする地のホテルに、夜中に帰りました。なかなか寝付くことができませんでした。夜中の2時ごろに、ドアが急いで開いて、誰かが部屋に入ってきた気配がしました。ユングはあわてて起きて灯りをつけ、部屋と廊下を見ますが、あたりは静まり返っていました。
ユングは、落ち着いて、今、起きたことを正確に思い出そうとしました。すると、「まるで何かが私の額それから後頭部を打ったような鋭い痛みの感じに目を覚まされた」(p200)ことに気づいたのです。
次の日、電報を受け取ります。患者の男性はピストルで自殺をしたのでした。銃弾は頭の後壁に残っていて、それは、ユングが痛みを感じた場所と一致するのです。ユングとの約束は守られませんでした。
この症例は、ユングが提唱した概念で最も有名といえる「シンクロニシティ」(共時性)の事例でもあります。
ユングは「この経験は元型的な状況─この場合は、死─と関連して非常にしばしば観察されるような一つの純粋に同時的な現象であった」(p201)と書いています。
自分の無意識は、彼が自殺した時に、それを感知したのだと、ユングは考えました。これは、「集合的無意識」の事例ともいえます。
私は現実には他所で起こっている何かを知覚することができたのである。集合的無意識はすべての人に共通である。つまりそれは古代人が「万物の共感性」と呼んだものの土台である。
※上記の内容は『ユング自伝1』(みすず書房)p188−191に記載
症例:平手打ちする貴婦人
この症例は、患者に対して「言うべきことは言う」=「積極的な介入」の大切さを教えてくれる事例です。
その貴婦人は、自分の使用人だけでなく医師に対しても平手打ちをする人でした。彼女は強迫神経症でサナトリウム(長期の療養所)で治療を受けていました。
その施設の医師も平手打ちをされ、彼女は他の施設へと回され、ユングが担当することになりました。彼女は最初、ユングと楽しげに話していました。しかし、彼女にとって必要な言うべきことをいったところ彼女は激昂しました。平手で打とうとユングを脅しました。
ユングは「結構です。あなたは婦人です。あなたが最初に打ちなさない。レディー・ファーストです。だけどその後で私が打ち返します」といいました。
婦人は勢いを失い椅子に座り、「今まで誰一人として私にそんなことを言った人はありません」といいました。
その時から治療はうまくいき始めたのです。
彼女は「自身に道徳的な制限を課することができないために強迫神経症にかかっていたのである。そうした人々は何か他の形の制限をもたねばならず、その目的を果たすために強迫症状が生じくるのである」(p207)と、ユングは書いています。
この貴婦人に必要だったのは、共感的な姿勢ではなく、男性的で厳しい道徳的な指導だったのです。
現代の二分された心の犠牲者たちは、自ら選んでなった神経症者にすぎない。彼らのみかけの症状は、自我と無意識の間の割れ目が閉じられた瞬間に消え失せるのである。
※上記の内容は『ユング自伝1』(みすず書房)p206−208に記載
(文:松山 淳)
ユングの症例(1)母親コンプレックスなど