フランクル心理学( ロゴセラピー)は「ユーモア」を大切にする。V・E・フランクルは「笑うことへの勇気」という言葉を残している。彼が開発した心理療法のひとつ逆説志向(paradoxical intention)では「ユーモア」がポイントになる。逆説志向とは、「そうなってほしくない症状」を、逆に「もっとそうなれ」とユーモアをもってあえて望む(志向する)ことで、辛い症状を軽くしようとする。
フランクル心理学と「ユーモア」「笑い」との関係は深い。笑いが心の武器になるとは、どういったことか。フランクルの考えをおさえながら、辛い時の「ユーモア」「笑い」の考え方について解説する。
自分を笑えると自分が変わる
人前で話すことが苦手で、どうしても緊張してしまい悩んでいるAさん(女性)がいるとします。もし、Aさんが、フランクルのもとを訪れたら、こんなやり取りになるでしょう。
私は人前で話そうとすると、どうしても緊張してしまい、うまく話すことができません。どうすればいいのでしょうか。
緊張してもいいじゃないですか。「緊張しない」と考えるのではなく、逆にもっと緊張しよう、もっと緊張しようと考えてみてください。
えっ?そんなこと考えたら、もっと緊張してしまいますよ。私は、緊張しないで話しができるようになりたいのです。バカにしないでください。
Aさんの気持ちはわかります。でも、「私は緊張したくない」と、自分に意識を向け過ぎている限り、緊張はとれません。自分を見つめていることが、緊張の原因なのです。だから過度の自己観察をやめて、もっと緊張してやれと、自分を笑い飛ばすのです。そうすれば、緊張しないですみます。
本当ですか?なんだか、バカにされているような…笑い飛ばすって…でも、どうやるのですか?
例えばですね、人前で話す直前にドキドキ緊張してきたら、「緊張してやるぞ。もっと緊張してやる。世界緊張選手権で世界一になるぐらい緊張してやるんだ。ついでにギネス記録に登録してやるぞ」と、ユーモアをまじえて、自分を笑いのネタにしてしまうのです。自分でバカらしくて、アホらしくて、くだらなくて、笑えてくることを考えるのです。何かありませんか。
何かないかって急に言われても、そうですね、私は緊張して顔が赤くなっていまうのです。それが嫌なんです。だから、「もっと緊張して、もっと顔を赤くして、顔を真っ赤にして、みんなを笑わせてやるわ。真っ赤に燃える太陽より顔を赤くして、みんなを笑わせて、場を盛り上げてみせるわ」…。
Aさん、その調子ですよ。笑いが起きたら、場がなごんで、話しがしやすくなりますよ。それは自分のことではなくて、今、目の前にいる人たちのことを考えていることです。「緊張するな」では、心のベクトルが自分に向いています。「笑って場を盛り上げる」だっったら、ベクトルが他人に向いていますね。そこがポイントなんです。
心のベクトルの向きですか…なるほど、確かにそうですね。私は、自分のことばかり考えていたのかもしれません…。
眠れぬ夜にユーモアを
「逆説志向」は、夜、眠れない時にも有効だとフランクルは言っています。眠れないことは、とても辛いですね。眠ろうとすれば、するほど眠れなくなります。フランクルは、不眠の心理をこう表現しています。
眠ろう眠ろうと努力すればかえって眠気はさめる一方ですし、また、これはもがけばもがくほど一層ひどくなるものです。眠れるのをいらいらしながら待ち、その上で自分を不安な面持ちで見守る人は、自分から眠りを追い払っているわけです。
『時代精神の病理学』(V・E・フランクル[著] 宮本忠男[訳] みすず書房)p77
確かに、そうですね。眠れない経験を一度でもしたことがあれば、納得できるでしょう。眠ろうとする努力が、結果的に、自分にベクトルを向けることになってしまい、「私は眠れない、眠れない」という「過度の自己観察」が発生してしまっているのです。
なるほど、「過度の自己観察」がいけないことはわかりました。では、どうすれば眠れるようになれるのでしょうか。
フランクルは、「眠ることをあきらめてください」といいます。「眠ろう眠ろうと」することで、眠れなくなっているのですから、眠ることをあきらめることで、眠りは近づいてくるというのです。
「眠れない眠れない」とか「どうすれば眠れるんだ」とか、「睡眠」について一切考えるのはやめます。どうせ眠れないのですから、「眠り以外のことを思い切って考えてみようと決心する」というのが、フランクルの教えです。ちょっと表現は古いですが、「こんな風に考えてみたら」というフランクルからのユーモアラスな提案です。
「今夜はちっとも眠りたくない、ひとつ今夜は体を休ませながら、あれやこれやを考えてみたい。この前の休暇のことや次の休暇のことなどを」。
『時代精神の病理学』(V・E・フランクル[著] 宮本忠男[訳] みすず書房)p77
こうしたユーモアを含めた「逆説志向」のアドバイスによって、不眠に苦しむ人たちが、実際に眠れるようになったのです。驚くとともに、その効果を認めざるをえません。
もちろん、全ての人に効くとはいえないでしょう。不眠にも、様々な原因やレベルがありますので、病院に通っている方は、主治医の指示に従ってください。
「逆説志向」の事例を知れば知るほど、「ユーモア」の大切さを理解することができます。それは、「笑いの力」であり、自分を「笑い飛ばす」ぐらいの肩から力を抜けた感じのほうが「心の健康に良い」ということですね。次の事例もそうです。
60年間、とても強い洗浄強迫があり細菌恐怖症で苦しむ婦人がいました。彼女は、フランクルのいるウィーン市立病院に入院する前、「生きることは私にとって地獄でした」と告白しています。
この患者に対してフランクルの同僚が「逆説志向」を試みました。それから約2ヵ月後に婦人は、普通の生活ができるようになったのです。この婦人が「それを笑い飛ばす」と表現しています。「それ」とは、自分の症状であり、現実に起きてくる不安や恐れのことでした。
60年もの間、苦しんでいたのに、約2ヶ月の逆説志向で、つまり「それを笑い飛ばす」ことによって、恐怖症の苦しみから解放されました。つくづくよかったと思いますし、ユーモアや笑いの底力を実感する事例です。
ユーモアについて、フランクルの言葉です。
この逆説志向は、何と言いましても、そのつどできるだけユーモラスに表現される必要があります。実際、ユーモアというものは、本質的に人間的な現象なのです。人間はこのユーモアによって、ありとあらゆるものから距離を取り、したがって自分自身からさえも距離を取って、自分をすっかり意のままにすることができるのです。このように距離を取るという人間の本質的能力を発揮させること、それこそわれわれが逆説志向を適用する際にいつも心がけていることなのです。
『時代精神の病理学』(V・E・フランクル[著] 宮本忠男[訳] みすず書房)p77
ここでフランクルは、「距離を取る」と繰り返しています。笑いによって、心理的な距離がとれることを「自己距離化」といいます。距離が取れると、何らかのセラピー効果の発生するのが人間の心なのですね。
フランクルは患者に「逆説志向」を説明し、それを試みようとして笑いが起きれば「もう賭けに勝ったのである」(『神経症1』 みすず書房p161)とまで言っています。
フランクル心理学は、笑いを大事にする心理学なのです。
笑うことへの勇気
フランクルは惨劇を極めたナチスの強制収容所を生き延びた心理学者です。地獄のような場所をすぐに想像できますので、ユーモアや笑いとは、ほど遠い世界だと思ってしまいます。
ところが、彼の書いた『夜と霧』読むと、フランクルが強制収容所でも「ユーモア」「笑うこと」を大切にしていた事実を知ることができます。
フランクルは、収容所で一緒に働く仲間に提案をしています。
「私は数週間も工事場で私と一緒に働いていた一人の同僚の友人を、少しずつユーモアを言うように教え込んだ。すなわち私は彼に提案して、これからは少なくとも一日に一つ愉快な話をみつけることをお互いの義務にしようではないかと言った」
『夜と霧』(V・E・フランクル[著] 霜山徳爾[訳] みすず書房)p132
ユーモアをひねり出そうとする時、心は過去、現在、未来の時空間を遊び回ります。
それは辛い「今」を忘れ去ることに大きな効果を発揮します。その行為は「逃げ」ではなくて、辛い状況で「生きる力」をつくりだすための知恵だったといえます。
フランクルは、強制収容所でユーモアを大事にしたことについて、こう書いています。
ユーモアもまた自己維持のための闘いにおける心の武器である。周知のようにユーモアは通常の人間の生活におけるのと同じに、たとえ既述の如く数秒でも距離をとり、環境の上に自らを置くのに役立つのである。
『夜と霧』(V・E・フランクル[著] 霜山徳爾[訳] みすず書房)p131-132
ここでも「距離をとり」という表現が見られます。心の病に対処する心理療法としての「自己距離化」もありますが、自分の置かれた状況がとても辛い時にも、「ユーモア」「笑い」によって「距離をとる」ことが大事なのです。
「環境の上に自らを置く」というのは、強制収容所という地獄に自分がいる事実を認めつつ、それに「飲み込まれない」「落ち込まない」ということです。もし、飲み込まれたら、心は苦悩に支配されて生きる気力が奪われてしまいます。
でも、ユーモアで自分を笑い飛ばし、苦悩の上に自らを置くことができれば、心のダメージを最小限におさえることができ、悲劇の中を生きながら、悲劇を演じるような感覚が生まれてきます。
そうすれば、絶望的な状況でも心は折れることなく、希望を見出すことができるのです。
先ほどのフランクルの言葉にあった通りです。
ユーモアは心の武器
どんなに辛いことがあっても、笑い飛ばすことができたら、いいですね。
今、日本は「他罰社会になっった」といわれています。人を攻撃すし自己満足に終始する精神がはびこっています。前後の文脈は無視して、言葉を切れ取られ、揚げ足をとられ、笑い飛ばすことが、とても難しくなっていますね。
そんな時代だからこそ、ユーモアや笑うことがますます大事です。フランクルは、こう言っています。
「不安を面とむかって見ることを、いやそれを面とむかってあざ笑うことを学ばねばならない。そのためには笑うことへの勇気が必要である」
『神経症 Ⅰ』 (V・E・フランクル みすず書房)p158
(『神経症 Ⅰ』みすず書房 p158)と書いています。
アドラーが「嫌われる勇気」ならば、フラクルは「笑う勇気」です。自分を笑い飛ばすことは、心に余裕のある証です。
「笑う勇気」を大いに発揮して、辛い自分をユーモアで笑い飛ばしましょう。
(文:松山 淳)