EARTSHIP CONSULTINGhttps://www.earthship-c.comリーダーたちの自己成長をサポートするThu, 16 Jan 2025 01:30:13 +0000jahourly1https://www.earthship-c.com/wp-content/uploads/2021/09/cropped-538EARTHSHIP-LOGO-32x32.pngEARTSHIP CONSULTINGhttps://www.earthship-c.com3232 ネガティブな感情と上手につきあう7つのステップhttps://www.earthship-c.com/psychology/deal-with-negative-emotions-effectively/Tue, 08 Oct 2024 23:55:00 +0000https://www.earthship-c.com/?p=17470

 ネガティブな感情とつきあう7つのステップは、①承認(Acknowledge)→②対峙(Face)→③観察(Observe)→④識別(identify)→⑤受容(Accept)→⑥調和(harmonize)→⑦習慣(Ha ... ]]>

 ネガティブな感情とつきあう7つのステップは、①承認(Acknowledge)→②対峙(Face)→③観察(Observe)→④識別(identify)→⑤受容(Accept)→⑥調和(harmonize)→⑦習慣(Habit)です。

 人生、いろいろなことが起きてきます。決して、ラッキなーことばかりではありません。よくないことが起きた時に、ネガティブ感情を抱くことは、自然なことです。「いらいら」「落ち込み」「嫉妬」「憎しみ」「自信がない」など…。ただ、否定的な感情に飲みこまれることが習慣化されると、人生に問題を抱えることになりがちです。

 ネガティブな感情とつきあう上で大切なことは、「自己距離化」(self-distancing)です。

 「自己距離化」とは、感情と自分との間に距離をとることです。感情を冷静に「観察すること」といってもいいでしょう。観察できたら、そこに理性が働き、感情に振りまされることが少なくなっていきます。それはある意味、「感情的柔軟性」(Emotional flexibility)を身につけていくことです。

 長い人生、ネガティブ感情を抱くことはどうしてもあります。ですから、このプログラムの目標は次になります。

目標

「ネガティブな感情を持たないようにする」のではなく、「ネガティブな感情がわいてきても、それにふりまわされない心の習慣をつくる」こと。

 昨今、マインドフルネス瞑想が、世界的な数々の研究によって、健康維持に大きな効果を発揮することが確認されています。瞑想は、自分の思考・感情・感覚を判断することなく、観察することです。ですから、瞑想とは、まさに「自己距離化」の「心の習慣」をつくるための最良の技法といえます。

 そこで、本稿では、マインドフルネスの思想を取り入れつつ、ネガティブ感情と上手につきあっていくための基本的な考え方とその方法を、以下の7つのステップに基づいて解説していきます。

ネガティブ感情とつきあう7つのステップ

Step1:承認(Acknowledge)ネガティブな感情の必要性を認める。
Step2:対峙(Face)日頃、自分が抱く多様な感情と向き合う。
Step3:観察(Observe)自分の感情を理性的に観察する。
Step4:識別(Identify自分の感情が何かを見分ける。
Step5:受容(Accept)ネガティブな感情を受け入れる。
Step6:調和(Harmonize偏った心のバランス(調和)を取り戻す。
Step7:習慣(Habit)Step1〜6での気づきを日々の行動に活かし「習慣化」する。

ステップ1:ネガティブ感情を承認する

 Step1は、承認(Acknowledge)です。

 怒りや憎しみも、「健全な感情」のひとつです。ネガティブ感情も否定せず、必要なものだと承認していくことが、ネガティブ感情をマネジメントする際のスタートラインです。

 ネガティブ感情は、「健全な感情」です。

まっつん
まっつん

 健全とは「身心が正常に働き、健康であること」です。健康だからといって怒りや憎しみを感じないわけではありません。むしろ、健康だからこそ、怒りや憎しみを感じられるともいえます。

 健康であれば、怒りや憎しみを感じても、数時間〜数週間もすれば、そのネガティブ感情を穏やかなものにできます。

 問題となるのは、ネガティブ感情に飲み込まれて自分を見失ってしまうことです。日々、カッとなって暴力をふるったり、憎しみから他人の足をひっぱったりしていたら、人間関係にひびが入り、人生に様々な問題が起きてきます。

職場で、怒って同僚のネクタイをつかんでいる男性とそれをとめよとしている女性ふたりの写真

 心理学の言葉に「ネガティビティ・バイアス」(negativity bias)があります。ポジティブなものよりも、ネガティブなものに「より意識が向きやすい」という人間の心理的傾向のことです。

 つまり、自分のネガティブ感情を否定すれば否定するほど、その感情に意識が向いてしまいます。その結果、余計に感情にふりまわされる傾向が強められてしまうのです。

 であれば話しはシンプルです。そもそも否定しているものを「自分にとって必要なもの」「承認」していけばいいのです。そのためには、ネガティブな感情が、私たちの人生に「役に立っている」ことを理解していきましょう。

ネガティブ感情のポジティブな側面

・不   安: 人は、未来に備えることができる。
・怒   り: 人は、自分を守ることができる。
・憎 し み: 人は、人と距離をとることができる。
・落ち込み : 人は、行動をやめて、休むことができる。
・自信のなさ: 人は失敗しないよう努力する。

 「不安」があるからこそ、私たちは、未来のことを考え、用意周到になることができます。「怒り」を覚えるから、私たちは、不条理な要求に「ノー」をいい、自分を守ることができます。「憎しみ」を感じるから、私たちは人と距離をとって、不必要な人間関係を捨てることができます。

 「落ち込み」があるから、私たちは、行動することをやめて、しっかりと休息をとることができます。「自信がない」と感じるからこそ、人は、取り組むことに対して失敗しないように、さらに努力をします。

ネガティブ感情と承認するワーク

 それでは、ここでネガティブ感情を承認するワークをご紹介します。

 どんなことでも結構ですので、これまでの人生経験で、辛く苦しかったネガティブな体験を思い出し、その事実を書き出してください。次に、その時の辛さ苦しさについて、どんな感情だったかを書きます。最後に、その体験が、現在、どのような形で役に立っているかを書いてみてください。

【ネガティブ感情の承認ワーク】
Step1:過去の辛く苦しいネガティブ体験の事実を書く。
Step2:その時の感情を「感じるがまま」に本音で書く。
Step3:ネガティブな経験(感情)が今、どう役に立っているかを書く。 

 ネガティブ感情は、決して「100%悪者」ではありません。山あり谷ありの人生を乗り越えてゆくために、必要なものです。そんな風に、自分のネガティブ感情を認めてあげましょう。否定をやめれば、これまでとは違った変化が起きてきます。

ステップ2:自分の感情と向き合う(対峙)

 Step2は、対峙(Face)です。ここでの「対峙」とは、自分の感情に向き合うことです。

 日頃、人は感情を無意識のうちに抱いています。感情は、自然の流れに任せているようなもので、出ては消え、出ては消えていきます。また、ネガティブ感情は、向き合うとストレスになるので、無視していることも多いものです。

 もちろん、人によっては、かなり意識的に感情をコントロールしている人もいますが、コントロールしている人でも、感情と正面から向き合うことを習慣にしている人は、思ったより少ないものです。

 ですから、感情をマネジメントするためには、そもそもそれと向き合わなければ始まりませんので、意識的に「対峙」することが大切になります。

感情と向き合っている人のイメージ画像

 例えば、あなたの悩みを解決できる人がそばにいるとします。その人はあなたの知りたい「答え」を知っています。どうしますか。

まっつん
まっつん

「答え」を手にしたければ、あなたは、その人と向き合い、話し合いをするでしょう。そうすれば、あなたの悩みは解決します。もし、向き合うことをしなければ、いつまでたっても「答え」を手にすることはできません。

 それと同じように、感情と向き合う時間を作り、向き合う方法を知り、それに取り組むことで、「感情マネジメント」の扉が開かれます。

感情と向き合うワーク

 では、ここで感情と向き合うワークをご紹介します。

 下記の図は、感情の分類として有名な「ジェームズ=ラッセル説」に、ポールエクマン博士の基本的感情6分類(「幸福」「驚き」「悲しみ」「恐れ」「嫌悪」「怒り」)を追加して、作成したものです。元図は『感情の正体』 (渡辺弥生 ちくま新書p36)に掲載されていたものです。

 【感情と向き合うワーク】
 以下の図から「日頃、あなたがよく抱く感情」の上位7つを選び、書き出してみてください。

感情分類図「ジェームズ・ラッセル説」
『感情の正体』 (渡辺弥生 ちくま新書)p36掲載図を参考に作成 

 いかがでしょうか。7つを選ぶのに、さっと選べた人もいれば、かなり迷った人もいるでしょう。ここで大切なことは、「どの感情を選んだのか」「選ぶのにどれぐらい時間がかかったのか」ではなく、自分の感情と向き合い、考える時間をとったことです。

 もしかすると、4つのエリアのどこかに集中している人もいるかもしれません。すると、大まかでも「日頃、どんな感情を抱きやすいのか」、その傾向もつかめるはずです。

 こうして、まずは、意識的に自分の感情と向き合うことが、ステップ2「対峙」のフェーズとなります。

ステップ3:感情を落ち着いて観察する

 Step2は、観察(Observe)です。客観的に自分の感情を「観察」することで、感情のコントロールがしやすくなります。

 「自分の感情を観察している」という心理状態になっていれば、感情と自分に距離がとれている状態を意味します。それは、「自己距離化」(self-distancing)が図られている状態です。

感情を観察している人のイメージ・イラスト

 心理学者フランクルが提唱したロゴセラピーでは、「自己距離化」の大切さを説きます。自分を客観的に見ることが「自己距離化」です。もし、客観的に見ることができたら、そこに「理性」が働いています。

 「理性」とは、「感情に走らず、道理に基づいて考えたり判断したりする能力」(精選版 日本国語大辞典 小学館)です。

 「感情」の反対語が「理性」です。「感情的に〜する」の反対が「理性的に〜する」です。つまり、感情的になって自分を見失っている時に、「自分を取り戻す」のは、私たちの心に宿る「理性」の働きです。

 ついカッとなって言わないでいいことを言ってしまい、後悔したことがないでしょうか。理性が働けば、「これを言ってはいけない」と、ストップをかけられます。言わないでいいことを言わずに済みます。

 ですから、「理性」をいかに働かせるかが、感情マネジメントの成否を握ります。では、「理性」を働かせるには、どうすればいいのでしょうか。

 その答えが「自己距離化」です。「自分を客観的に見る心の習慣」を育むことができれば、そこには「理性」が働き、感情に振りまされることが、少なくなっていきます。

自己距離化を体験するワーク

 下の図は、ある人が自分の感情をイメージ化したものです。左は「イライラ」で、右は「楽しさ」です。このようにして、自分の感情を、外に出し、イメージ化することで、自分の感情を客観的に見てみます。

感情を観察するワークの図
(左)イライラ (右)楽しさ

 【感情を客観的に見るワーク】
 上の図を参考にして、自分の「ネガティブ感情」を絵に描いてみましょう。

 自分の感情を絵に描くだけでも、何か違った感じがするものです。さらにできたら、その絵(感情)に語りかけてみましょう。「あなたがいるから、私も今日までやってこれたのね」。そんな風にネガティブ感情を認めて、そこから対話してみるのもいいでしょう。

 対話をしてみると、思わぬ「気づき」があるかもしれません。

ステップ4:自分の感情が何かを識別する

 ステップ4は、識別(identifyです。自分の中で動く感情を、「見分け」ていきます。

 例えば、ちょっとしたことで「イライラ」してしまうAさんがいるとします。ある日、Aさんの「イライラ」が始まりました。そこで、感情マネジメント講座で教わった通りに、「自己距離化」を図ろうと、椅子に座って目を閉じて、自分の「イライラ」を観察してみました。

 すると、胸のあたりでイライラが激しく動いています。Aさんは「イライラだね」と心の中でつぶやきます。しばらく観察していると、イライラの奥に「情けなさ」が感じられてきました。Aさんは「情けなさだね」とまたつぶやきます。さらに、じ〜っと観察していると、今度は「寂しさ」が現れてきました。Aさんは「これは寂しさね…」と、いったとたん、目に涙があふれてきました。

涙を流す女性の画像

 Aさんは、涙を流しながら思います。「私はイライラしているというより、本当は寂しかったんだ」。

 私たちの「心」は、さまざまな感情が現れては消え、現れては消えてゆく「舞台」のようなものです。心理学で、「心」は「層構造」になっていると考えられています。Aさんのケースでは、浅い層で「イライラ」が動いていて、それより深い層に「情けなさ」「寂しさ」が隠れていたといえます。

 「イライラ」「情けなさ」「寂しさ」は、それぞれが独立して動いているわけではなく、Aさんの心の中では、つながって手をとりあって動いています。ですが、層構造になっていますので、浅いところにある感情は気づきやすく、深いところにある感情は、なかなか気づきにくいのです。

まっつん
まっつん

 Aさんが「情けなさ」「寂しさ」を感じたら、「情けない自分」「寂しい自分」になってしまいます。「情けない自分」「寂しい自分」を認めることができないので、「情けなさ」「寂しさ」を感じないように「イライラ」していたとも考えることができます。

 こんな風に、自分の中にある感情を観察して、感じて、「それが何であるか?」見分け(識別し)ていくと、隠されていた感情に気づき、心がホッとしたり、軽くなったりすることがあります。

 隠されていた感情からすると、「よく気づいてくれたね。ありがとう」といいたいところでしょう。

ネガティブ感情を識別できれば、問題なし

  さて、ポジティブ心理学者のふたり(ロバート・ビスワス=ディーナー 、トッド・カシュダン)が「ネガティブ感情」について研究し、まとめた本があります。『ネガティブな感情が成功を呼ぶ』(草思社)です。

『ネガティブな感情が成功を呼ぶ』(草思社)の表紙画像
 『ネガティブな感情が成功を呼ぶ』(草思社)
クリックするとAmazonへ!

 この本に、ネガティブ感情について研究した結果、「感情の識別」について、次の通り、書かれてあります。

 いつもいい気分でいなければという思い込みから抜け出し、さまざまな感情と向き合ってそれを識別することが大事だ。(中略)「いい」とか「悪い」以上の表現ができない人はストレスに負けやすく、それは多くの場合、健康上の問題になって表れる。ある状況で自分の感情がどういうものかを正確に識別できるようになると、それがネガティブ感情であっても特に問題ない。(中略)

 研究でわかったことは、ネガティブな感情は、それを理解し識別することによって心身に無害なものに転換できるということだ。従って、感情をなだめるための不健全な行為ー大酒、過食、他者への攻撃、自傷などーに走ることもなくなる。

 『ネガティブな感情が成功を呼ぶ』(草思社)p282-283

 「感情」を「識別」していくこと、つまり、自分の中にどんな感情が動いているのか見分けていくことが、いかに大切かがわかりますね。

感情を識別するワーク

 それでは、ここで感情を識別するワークをご紹介します。イライラしがちなAさんの例がまさにそれです。

 【感情を識別するワーク】(5分)
 ステップ1:椅子に座り、深呼吸しながら、自分の感情を観察する(見つめる)。
 ステップ2:その感情をしっかりと味わう。感じる。
 ステップ3:その感情が何かを言葉にする。(「不安」「さびしさ」「悲しさ」など)
 ステップ4:言葉にしたら、他の感情が出てこないか、しばらく観察を続ける。
 ステップ5:他の感情が出てきたら、また言葉にする。そのプロセスを繰り返す。

 このワークを繰り返していくと、「感情の識別力」が高まってゆくでしょう。その結果、「自己距離化」を図ることもできるようになり、感情にふりまわされない「感情的柔軟性」(Emotional flexibility)を育んでいくことができます。

ステップ5:ネガティブ感情を受け入れる

 ステップ5は、受容(Accept)です。ネガティブな感情をコントロールするのはやめて、「あっていいもの」と受け入れていきます。

まっつん
まっつん

 冒頭、「ネガティブな感情を持たないようにする」のではなく、「ネガティブな感情がわいてきても、それにふりまわされない心の習慣をつくる」ことが大切です、と書きました。

 繰り返しになりますが、長い人生、生きている限り、いろいろなことがありますから、ネガティブ感情はどうしても抱くものです。ですから、ステップ1で、ネガティブ感情をもつのは、人として健全なことであり、ネガティブ感情を否定せずに、それも必要だと承認(Acknowledge)しました。

 これは知的に行う「頭の理解」です。「頭ではわかるけど、心がついていかない」といいますね。その表現でいう「頭での理解」が、承認(Acknowledge)の段階です。

Aさん
Aさん

「ネガティブ感情が必要だと頭では理解したけど、心は全然、ついていかない。私はなんてダメなんだと、すぐに自己否定してしまい、何も変わらない。この感情を何とかしてほしい」

 まさにそうですね。こうした心理的なプログラムは、頭でわかっても、心がついていかないのです。すると、ネガティブ感情は、「やっぱりよくないものだ」と考え、否定し、「感じてはいけないものだ」と思い、拒絶してしまいます。

コントロールを手放し「あるがまま」

 否定や拒絶することは、ネガティブ感情を自分の思う通りにコントロールすることです。

 ですが、コントロールしようとすればするほど、「ネガティビティ・バイアス」(negativity bias)が働き、余計に、ネガティブ感情へエネルギーが注がれることになります。すると、心理的に「自分と感情の距離」が近づいて、ネガティブ感情に飲み込まれてしまいます。

 これは「自己距離化」とは、反対の方向性です。

 そこで、コントロールの手放しを推奨している心理療法にACT(Acceptance and Commitment Therapy:アクセプタンス&コミットメント・セラピー)があります。ACTのバイブルといわれる『アクセプタンス&コミットメント・セラピーACT第2版』(星和書店)に、こう書かれてあります。

『アクセプタンス&コミットメント・セラピー』
クリックするとAmazonへ!

 コントロールと回避の方略は、実際にはむしろ、事態をさらに悪くするのである。それは、感情・思考・記憶・イメージ・感覚といったものを意図的に抑制またはコントロールしようとする試みは、その意図とは逆の効果をもたらすからである。(中略)本質的に、望まない私的思考を締め出そうとクライエントが努力すればするほど、そうしたものは、一層強力で、支配的になってくる。

『アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT) 第2版 』(星和書店)p292-293

 では、どうしたらいいのでしょう。コントロールしようとすればするほど、うまくいかないのであれば、コントロールを手放せばいいのです。

 コントロールをやめて、「もう、それはあっていいよ」と、「あるがまま」に、自分の中にネガティブ感情を受け入れていくのです。それが「受容」(Accept)の段階です。

 「不安」を否定しません。「不安」は「不安」のまま「あっていいよ」と受け入れます。「イライラ」を拒絶しません。「イライラ」は「イライラ」のまま「あっていいよ」と受容します。

 つい自己否定してしまうなら、自己否定する自分も「それも自分だよね」と受け入れて、「今、自分が今すべきこと」に意識を向けて、行動することに心のエネルギーを注ぎます。それを「あるがままの姿」ということができます。

ネガティブ感情を受容するワーク

 それでは、ここでネガティブ感情を受け入れていく(受容)するワークをご紹介します。

 【感情を受容するワーク】(3分)
 ステップ1:過去の不快な出来事や短所(自信のなさなど)を思い出す。
 ステップ2:ネガティブ感情が、体のどこにあるか探す。
 ステップ3:その感情をしっかりと味わう。感じる。
 ステップ4:その感情に「そこにいていいよ」と声をかける。
 ステップ5:その感情がどう変化するか、観察し続ける。

 マインドフルネス瞑想がそうであるように、こうした心理的ワークも、すぐに効果の実感できないことのほうが多いものです。ですので、繰り返し行ってみてください。私たちが目指しているのは「感情にふりまされない心の習慣」でした。

 「習慣」は、「繰り返し」によってつくられます。ワークも繰り返すことで、「ネガティブな感情がわいてきても、それにふりまわされない心の習慣をつくる」ことになります。

ステップ6:偏った心のバランス(調和)を取り戻す

 ステップ6は、調和(Harmonizeです。調和とはバランスがとれていることです。ステップ1〜6のプロセスをふまえてさらに「心のバランス」をとることを目指します。

 ステップ6では、「書く」ことを中心に行なっていきます。「書くコト」が心身によりよい影響を与えることは、研究者の間でも、認められていることです。

「ペンを持ってノートに書いている人」のイメージ画像

 心理学者J・W・ペネベーカーは、1983年、サザン・メシスト大学の学生44名を対象に研究を行いました。学生たちに、人生で経験したトラウマティックな出来事について、1日15分、4日間連続で書いてもらいました。

 その結果、実験の前と後では、学生たちの保健センターへ訪問する回数が激減しました。その後の追跡調査でも、気分は改善され、肯定的な見通しがたち、身体的健康は増進したという報告がなされました。

 ペネベーカーは、その後も「書くことが心身によりよい影響を与える」ことに関する研究を続け、「筆記開示」(expressive writing)という概念を提唱し、数々の論文を発表しました。

『オープニングアップ』
クリックするとAmazonへ!

 ペネベーカーは、自著『オープニングアップ: 秘密の告白と心身の健康』(北大路書房)で、こう書いています。

 今日では、世界中の実験室で、数十もの筆記実験が研究者たちの手によって行われています。感情的動揺について筆記することで、小学生や老人ホームたちの入居者、関節炎患者、医学生、極刑の囚人、子どもを出産した母親、レイプの被害者たちの身体的健康と精神的健康を改善に導くことが確認されています。感情について筆記することは、健康に対してより効果が現れるだけでなく、不安や抑うつを低減させたり、大学の学業成績を上昇させたり、新しい就職先の獲得を手助けしたりすることが確認されています。

『オープニングアップ: 秘密の告白と心身の健康』(北大路書房)p55

 こう考えると、小学生の頃、「日記」に自分の感情を思うがままに書いていたことは、思っている以上に、効果があったのではないかと考えられます。

心に調和をもたらす書くワーク

 「書く」ワークとして、ここでは次の3つをご紹介します。

 以下のワークでは、着眼点が違うものの、共通して心がけてもらいたいことが2つあります。

 ひとつ目は、時間を決めることです。5分とか10分とか、自分なりに時間を決めて、時間が来たら、そこで必ず終えることが大切です。「まだ途中だよ」「書き切れてないよ」。そんな感じが残っていいのです。その中途半端な感じが、「じゃあゃ、次(明日)、書くか」と、継続していくモチベーションとなります。

 ふたつ目は、書く時に、文章のうまい下手は、一切、気にすることなく書くことです。誰にも見られないのです。言葉が汚くなってもいいです。思うこと、感じることを、「あるがまま」に書いていきましょう。

 ❶【ネガティブな出来事を書き出す】(10分)
 これまでの人生経験で、「辛かったこと」「苦しかったこと」「嫌だったこと」などネガティブな感情を抱くことを、事実と感情をまじえながら赤裸々に書いていきます。書いていて、その場で考え方こと、感じたことも、書いていきます。

 ❷【ジャーナリング(書く瞑想)】(5分)
 マインドフルネスのムーブメントから「書く瞑想」といわれる「ジャーナリング」を行う人が増えています。❶では、テーマを「ネガティブな出来事」に設定しまたが、「ジャーナリング」は、その時に頭に浮かんだこと、出てきたことを、どんどん書いていきます。ちょうど瞑想している時に、雑念が湧いてきていて、その雑念を、ひろいあげて書くようなものです。雑念を処理していきますので、瞑想と似た効果が得られると考えられています。

 ❸【シャドー・ワーク】(5分)
 「シャドー」(影)とはユング心理学の概念です。「シャドー」(影)とは、「そう生きられなかった自分」です。自分と反対の性格で、あなたをイライラさせる相性の合わない人を思い出すと「シャドー」(影)のイメージがつきやすいでしょう。あなたが「他人に優しい人」だったら「他人に厳しい人」を、あなたが「せっかちな人」だったら「のんびり屋」の人を…。反対の性格の要素が、あなたの中にもあって、無意識で息づいています。

 そこで、あなたを不快にさせる人について書いていきます。「この人から自分は何を学べるだろう」「この人の何を今、自分は取り入れたらいいだろう」と考えて、思うこと、感じることを自由に書きます。

ステップ7:行動し習慣化していく

 ステップ7は、習慣(Habit)です。ステップ1〜6まで体験してきたワークで、いずれかを習慣化していきます。そして、「ネガティブ感情にふりまされない心の習慣」を、実際につくっていきます。

 このプログラムの目標は、「ネガティブな感情を持たないようにする」のではなく、「ネガティブな感情がわいてきても、それにふりまわされない心の習慣をつくる」ことでした。

 そこで、習慣化するためのポイントは、3つあります。

習慣化する3つのポイント

❶ストレスがかからない:ストレスがかかると長続きしません。継続することで習慣化されます。
❷毎日できる:毎日、続けることで習慣となります。「これなら毎日できる」と思うことに取り組もう。
❸短時間でできる:忙しい日々で、必ず毎日するためには、短時間できることが必要条件となります。

 この世界には、様々なセラピー技法があります。カウンセリングひとつとっても、基本的な考え方が違い、その技法も異なります。それぞれのセラピー技法が効果をあげていますが、残念ながら、100%ではありません。

 クライアントの話しを徹底的に聴く「非指示型のカウンセリング」がどうしても合わず、具体的に「こうしなさい」と指示をくれるカウンセラーのところでよくなった、という例は数多くあります。

 つまり、何が効果的かは、人それぞれなのです。

 マインドフルネス瞑想が、健康を増進するのに確かな科学的根拠があるとされています。でも、「じっと座っているなんて、耐えられない、そんなのストレスだ!」という人には逆効果でしょう。

 ですから、ここまで読んできて、「ピンとくるものがないな」「毎日、続けるなんて面倒くさいくて、できない」と思うなら、他の技法を試したほうがいいです。世界にはもっと他にもたくさんのセラピー技法があります。

まっつん
まっつん

 ただ、ここまで書いてきたことで、何か「ピンときて、しっくりとくる」ものがあれば、ぜひ、取り組んでみてください。もし、継続できたら、「ネガティブ感情と上手につきあっていく」ことができるようになるでしょう。

 継続は力なりです。

 ネガティブ感情にふりまされない「心の習慣」づくりの成功を、心からお祈りしています。


]]>
ネガティブな感情との上手なつきあい方(オンラインセミナー)https://www.earthship-c.com/seminar/emotional-management/Fri, 20 Sep 2024 23:55:00 +0000https://www.earthship-c.com/?p=17421

 マインドフルネスの考え方をベースにした「感情マネジメント」のオンライン(Zoom)セミナーです。このセミナーの目的は、次のものです。  感情とはそもそも何なのか?感情心理学に関する知識をお伝えしつつ、自分の感情と向き合 ... ]]>

 マインドフルネスの考え方をベースにした「感情マネジメント」のオンライン(Zoom)セミナーです。このセミナーの目的は、次のものです。

感情マネジメントセミナーの目的

「ネガティブな感情を持たないようにする」のではなく、「ネガティブな感情がわいてきても、それにふりまわされない心の習慣=感情的柔軟性(Emotional flexibility)をつくる」こと。

 感情とはそもそも何なのか?感情心理学に関する知識をお伝えしつつ、自分の感情と向き合う様々ワークに取り組んでいきます。ネガティブな感情とつきあっていく上で効果的な「瞑想」については、パートをわけて集中的に取り組んでいきます。

 日頃、「いらいら」「落ち込み」「嫉妬」「憎しみ」など、何らかのネガティブ感情にふりまわされて困っている方、または瞑想をストレスマネジメントの習慣として取り入れたい方など、どうぞ気軽にお申し込みください。

 第4回 2025年1月25日(土) 13:00〜16:10 オンライン:Zoom
 お申込みはイベント予約サイトPeatixからとなります。→ 第4回 1/25(13:00-16:10)

ネガティブな感情とつきあうために大切なひとつのコト 

 ネガティブな感情とつきあうために大切なことは、「自己距離化」(self-distancing)です。

「自己距離化」とは、感情と自分との間に距離をとることです。心理学者フランクルが提唱したロゴセラピーでは、「自己距離化」の大切を説いています。シンプルにいえば感情を客観的に理性を働かせながら見ることです。

 感情を落ち着いて「観察する」といってもいいでしょう。観察できたら、そこに理性が働いているわけですから感情に振りまされることが少なくなっていきます。

瞑想する女性の画像

 「自己距離化」の反対が、感情と自己が同一化している状態です。心理学で「感情の過剰同一化」といいます。特にネガティブな感情に飲み込まれてしまうと、人は、理性の働きが弱くなる傾向があります。

 怒りに我を忘れる。

 そんな表現があります。怒りに任せて、言わないでいいことを言ってしまい、後悔したことがないでしょうか。理性が働いていれば、「これを言ってはいけない」とストップをかけられます。言わないでいいことを言わずにいられます。

 つまり、感情と自分との間に距離をとれる心の習慣ができれば、私たちはより理性的になって、感情をマネジメントしやすくなります。

 そこで、本セミナーでは、自己距離化の「心の習慣」を育むうえで有効とされるマインドフルネス瞑想を中心に、様々なワークに取り組んでいただきながら、不快な感情と上手につきあっていくスキルを学びとっていただきます。

ネガティブな感情を受け入れることがスタートライン

 「怒り」「憎しみ」「嫉妬」「むなしさ」「うつうつ」「自信がない」など、私たちはネガティブな感情を、よくないものと否定しがちです。不快な感情を抱いた時には、なんともいえない後味の悪さがありますので、否定したくなるのは、仕方のないことです。

 ただ、進化心理学の観点からいうと、現代人がもつ様々な感情は、人類が生き延びていく(適応する)ために「必要なものだった」と考えることができます。必要なものだったのですから、100%否定することはありません。

喜怒哀楽のイメージ画像

 また、否定された心の要素は、より強く、その人の中で意識化される傾向にあります。否定するのに余計に「心のエネルギー」を使います。ある人を憎んでいる時に、「憎しみはよくない、憎しみを持ってはいけない」と思っていると、むしろ逆に、憎しみが強くなってしまいます。皮肉なものです。

 反対に「どんな感情であれ、必要なもの」と、肯定的に思えれば、あなたの中に起きてくるネガティブな感情に変化が起きてきます。

 そこで本セミナーでは、「ネガティブな感情も必要なもので、自分の中にあっていいもの」と受け入れられるように、感情心理学でいわれている基本的な理論にもふれていきます。

1/25 (土)第4回ネガティブな感情と上手につきあう7つのステップ
〈クリックすると予約申し込み Peatixへ〉

瞑想を中心に様々なワークに取り組み感情と向き合う

 日頃、私たちの感情は、ほぼ無意識のうちに起きてくるものです。

 勝手に出てきて、一瞬で、消えてゆく感情あれば、何日も何ヶ月も何年も居座り続ける感情もあります。「思い出すだけで腹が立ってくる」などと言いますが、まさに「引きずる」という心理現象です。

 感情は、無意識のうちにあまりにも自然と働くので、人は、日頃、自分の感情をわざわざ時間をとって観察などしません。特に、ネガティブな感情は、否定的にとらえられ、それと向き合いたくありませんので、無視していることが自然です。

 しかし、無視を続けていると、感情に対して客観的に理性を働かせる「自己距離化」の「心の習慣」がおろそかになりがちです。

感情に向き合う5つの技法

 そこで、「たまには向き合ってみるか」といった軽い感じで、向き合っていきます。例えば、下のイラストは、自分の感情を「見える化」(可視化)するワークのアウトプットです。

 そこで、「たまには向き合ってみるか」といった軽い感じで、向き合っていきます。例えば、下のイラストは、自分の感情を「見える化」(可視化)するワークのアウトプットです。

 左は、「イライラ」であり、右は「うれしさ」です。

 感情は、私たちの体の中を流れるエネルギーであり、目に見えないものです。だから扱いにくいです。でも、こうして「見える化」すれば、そのこと自体が、感情を客観的に観察していることであり、日頃の感情よりも、心理的に距離をとって、落ち着いて冷静に、自分の感情について考えることができます。

 「見える化」した後、次の5つの技法で、ネガティブな感情にアプローチしていきます。

5つのアプローチ技法

❶変容(Change):ネガティブな感情をポジティブなものに変容する。

❷解放(Release):外へ出すようにイメージし、深呼吸を繰り返し、ネガティブな感情を手放す。

❸観察(Observe):良い・悪いの評価をせずに、ただネガティブな感情を見つめる。

❹受容(Accept):ネガティブな感情を「必要なもの」「あってよいもの」とし、受け入れていく。

❺感謝(Appreciate):ネガティブな感情に対して「ありがとう」と感謝をする。

感情に名前をつけるワーク

 また、ネガティブな感情に、「名前をつけるワーク」もします。「イライラ」では、否定的な感じがしますが、ユーモアをもって「イラちゃん」とか「イライラくん」と命名します。

 そして、日頃、「イライラ」が出てきたら、「あ〜、今、私のなかで『イラちゃん』が動き出したのね。へ〜元気ね、がんばってね」と、軽くいなすような感じで、イライラに対して声をかけ、そうして「ネガティブな感情にふりまされない心の習慣」をつくっていきます。

 昨今、多くの人が習慣とする「瞑想」は、まさに雑念(思考、感情、感覚)を客観的に見るトレーニングであり、自己距離化の心の習慣をつくる上で、もってこいです。

 そこで、瞑想には、ひとつのパートをつくって集中的に取り組んでいきます。


 自分の感情とは、一生、つきあっていくものです。どうせ、つきあうのですから、上手につきあっていきたいものですね。そのための、ちょっとしたヒントをお届けしますので、もし、よろしければご参加ください。

1/25 (土)第4回ネガティブな感情と上手につきあう7つのステップ
〈クリックすると予約申し込み Peatixへ〉

セミナー・コンテンツ(3時間)

◆講師挨拶/自己紹介(10分)

◆Intro:講師挨拶/セミナー概要説明など(10分)
  講師自己消化やセミナーの目的、プログラム全体の流れを説明します。

◆Part1:逆境と感情心理学理論(50分)
 パート1では、主に、逆境を乗り越えていく人の特徴や感情心理学で説かれる理論を説明していきます。
(※10分休憩)

◆Part2:感情と向きあうワーク(60分)
 パート2では、感情と向き合うワークを中心に体験します。
(※10分休憩) 

◆Part3:マインドフルネス瞑想の実践(40分)
 パート3は、基本的な瞑想に取り組んだあと、感情と向き合う瞑想に取り組みます。
 椅子に座ったままでOKです!

◆質疑応答(10分)

※ 終了後の質疑応答へのご参加は自由です。
※途中、随時、休憩をとりながら進めます。
※ リアルタイムの講演形式です。グループワークは行いません。リラックスしてお聞きください。
※本セミナーは Zoomを使います。ビデオはOFFのままでも結構です。
※コンテンツは当日の進行状況によって、順番を変えるなど、小さな変更があることを予めご了承ください。
※鬱病、パニック障害など何らかの精神疾患のある方は、必ず、主治医にご相談のうえ、ご参加ください。本セミナーを治療を目的としたものではありません。

こんな人にこのセミナーはオススメ!

  • ネガティブな感情に振り回されることが多いので何とかしたい方。
  • 自分が嫌いで、自分に自信が持てず、ネガティブ感情に支配されやすい方。
  • 何ごともネガティブに考えがちで、日々、困っている方。
  • 繊細な気質(HSP)の持ち主で、生きづらさを感じている方。
  • 自分の感情に素直に向き合ったことがないので、向き合ってみたい方。
  • 瞑想に興味があり、瞑想を実際に、体験したい方。

セミナー申込み概要(Peatix)

  • セミナータイトル:第4回「ネガティブな感情との上手なつきあい方〜マインドフルネスをベースにした感情マネジメント講座〜」
  • 開催日時2025年1月25日(土) 13:00-16:10
  • 受講費:3,800円(税込) 
  • 開催形式:オンライン(Zoomを使用)
  • お申し込み:ピーティックス(イベント決済システム)より

Peatixから申し込む

Peatixセミナー申し込みの画面の画像

 イベント・コミュニティ運営システム「Peatix」(ピーティックス)からのお申し込みとなります。カード決済などその他の支払い方法が可能です。以下のボタンをクリックすると「Peatix」の申し込みページにジャンプします。

1/25 (土)第4回ネガティブな感情と上手につきあう7つのステップ

講師プロフィール

松山淳(JUN MATSUYAMA)
早稲田大学LRC(Life Redesign College)講師
瞑想セラピスト/心理カウンセラー/研修講師

松山淳プロフィール写真

 1968年東京生まれ。成城大学文芸学部卒。1992年JR東海エージェンシー入社。2000年に退職。2002年アースシップ・コンサルティングを創設。2010年 深層心理学者ユングの性格類型論をベースにする国際的性格検査MBTI® の資格を取得し、「アマゾン・ジャパン」「楽天」「パナソニック」など大手企業を中心に社員研修を行う。

 2011年、東日本大震災を契機に「フランクル心理学」への造詣を深める。同年、Facebook-Page『リーダーへ贈る人生が輝く言葉』の運営開始。フォロワー数は、11,000名を超える。

 2016年4月〜2019年3月 産業能率大学(情報マネジメント学部・経営学部)で兼任講師を務める。2020年YouTubeチャンネル「君へ贈る言葉」を開設。

 ナチュラル・メディテーション・ジャパンを主宰し、瞑想セミナーを定期的に開催し瞑想を指導している。

【著書】

  • 『君が生きる意味』(ダイヤモンド社)【中国、ベトナム、台湾、三ヶ国での翻訳決定】
  • 『「機動戦士ガンダム」が教えてくれた新世代リーダーシップ』(SBクリエイティブ)
  • 『バカと笑われるリーダーが最後に勝つ トリックスター・リーダーシップ』(ソフトバンク新書)
  • 『真のリーダーに導く7通の手紙』(青春出版社)
  • 『「上司」という仕事のつとめ方』(実務教育出版)

]]>
渋沢栄一の名言【10選】https://www.earthship-c.com/nice-word/shibusawa-eiichi-quotes/Thu, 01 Aug 2024 23:38:00 +0000https://www.earthship-c.com/?p=17086

 渋沢栄一(1840-1931)は、「近代資本主義の父」と呼ばれる歴史に残る偉人。「論語」の教えを人生の指針とし、「士魂商才」「義利両全」の言葉とともに「 道徳と経済の両立」を提唱した。渋沢の著『 論 ... ]]>

 渋沢栄一(1840-1931)は、「近代資本主義の父」と呼ばれる歴史に残る偉人。「論語」の教えを人生の指針とし、「士魂商才」「義利両全」の言葉とともに「 道徳と経済の両立」を提唱した。渋沢の著『 論語と算盤』は有名である。

 渋沢栄一は、江戸時代、天保11年(1840年)、現在の埼玉県深谷市血洗島にあった豪農の家に生を受ける。若き日は尊皇攘夷の志士として高碕城乗っとりや横浜を襲撃する異人殺害計画を立案する。異人殺害計画は失敗に終わり、「最後の将軍」徳川慶喜の一橋家に仕える。その後、幕府の家臣として渡仏し、帰国後、明治政府の官僚(大蔵省)となる。大蔵省を辞職した後、実業家として大成していく。生涯を通して約600をのぼる教育機関や社会事業の支援に力を尽くした。1931年(昭和6年)に亡くなり、享年91歳。

 2024年、新札が発行され1万円の肖像にもなった。渋沢栄一はどんな哲学をもって生きたのか。渋沢栄一が残した名言(「金はたくさん持つな、仕事は愉快にやれ」など)を軸にして、渋沢栄一の人生哲学にせまる。

渋沢栄一の名言❶:家族のため親のために働くのだと考えて働く

 渋沢栄一は、「近代資本主義の父」と呼ばれる近代史の偉人です。みずほ銀行、東京海上日動火災保険、東京ガス、帝国ホテル、サッポロビール、JR、日本郵船など、これらの企業含め約470社の創設に関わりました。

 渋沢栄一の思想の根幹には、「他(人や社会)への貢献」があります。

 「自分の利益」を優先する生き方もあれば、「他人・社会の利益」を優先する生き方もあります。この2つの思想を渋沢栄一は、「主観的人生観」「客観的人生観」という言葉で整理しています。(参考文献:『富と幸せを生む知恵』実業之日本社)

「主観的人生観」とは、自分を「主」とし、他人や社会を「従」とし、自分を満足させる生き方。
「客観的人生観」とは、他人や社会を「主」とし、自己を「従」とし、自分より家族や社会に貢献する生き方。

『富と幸せを生む知恵』
クリックするとAmazonへ!

 そこで、『富と幸せを生む知恵』(実業之日本社)にて、渋沢栄一は次のようにいっています。

渋沢栄一の名言

「労働者が働くのは自分の本分であり、かならずしも自分の利益だけを得ようとするものではない。つまり家族のため親のために働くのだと考えて働くならば、不満も生まれず、経営者にも満足と安心を与え、ひいては国家の利益にまでつながっていく。一労働者のみならず、さらに重要な位置にいる人たちがみな同じ気持ちになれば、社会は平和になり繁栄に向かう。」

『富と幸せを生む知恵』(渋沢栄一 実業之日本社)

 「客観的人生観」の大切さを、この言葉から読み取ることができます。

まっつん
まっつん

人は、ひとりでは生きられません。他人がいて、社会があって生きていくことができます。だから、「自分のためだけ」ではなく、「世のため人のためになること」をすることが大切になるわけです。

 仏教に「自利利他」という言葉があります。他(人や社会)のためにしたことは、めぐりめぐって自分のところにかえってくるものですね。他人のためにすることは、同時に、自分のためにもなっているのです。 


渋沢栄一の名言❷:正しい道理の富でなければ、永続することができぬ。

 渋沢栄一は、孔子の「論語」を座右の書とし生きる指針にしていました。いかに「論語」を大切にしていたかは、次の言葉からわかります。

『論語』をよく読んで味わうようにすれば、大きなヒントも得られる。だから私は普段から孔子の教えを尊敬し、信ずると同時に、『論語』を社会に生きていくための絶対の教えとして常に自分の傍から離したことはない」

『現代語訳 論語と算盤』(渋沢栄一 現代語訳:守屋淳 ちくま新書)

 そこで、渋沢栄一は『論語と算盤』という本を書いています。「論語」が「理念」「道徳」の比喩であれば、「算盤」(ソロバン)が「利益」「経営」「経済」の比喩です。論語と算盤を並べて、「利益」を出す経営にあたって、人の道から外れない「理念」がいかに重要であるかを説いたのです。

 渋沢栄一が生きた時代から時が流れた今も、道徳的な「理念」を欠いた経営が行われています。社員を使い捨てにするようなブラック企業は、その一例です。また、売上・利益至上主義になり、倫理観を失ってしまう経営リーダーもいます。売上・利益に目がくらんだ結果、企業の不祥事が発覚し、記者会見で頭を下げる経営陣たちの姿は、度々、ニュースで見られます。

まっつん
まっつん

こうした姿は、「主観的人生観」「客観的人生観」の考え方になぞらえると、「自分の会社だけよければいい」という「主観的経営観」に陥った末路の姿といえます。

 その反対の「客観的経営観」では、自社の社員はもちろんのこと、お客様や取引先や社会と共に成長・繁栄していこうとする「人や社会に貢献」しようとする「正しい道理」が組織に根づいています。

 渋沢栄一は、『論語と算盤』に、次のように書いています。

『論語と算盤』(筑摩書房)
クリックするとAmazonへ!
渋沢栄一の名言

正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。ここにおいて論語と算盤という懸け離れたものを一致せしめることが、今日の緊要の務めと自分は考えているのである」 

『現代語訳 論語と算盤』(渋沢栄一 現代語訳:守屋淳 ちくま新書)

  『論語と算盤』が出版されたのは、1916(大正5)年です。100年以上前のことです。

 企業不祥事が後をたたない現代の世相において、渋沢栄一の言葉は決して古びることはなく、今の時代にも十分に通用しますし、また、必要な言葉といえます。 


渋沢栄一の名言❸:「九思の教」を守るように心掛け

 「論語」の教えを人生の指針としていた渋沢栄一は、こう語っています。

『渋沢栄一逆境を生き抜く言葉』の表紙画像
『渋沢栄一逆境を生き抜く言葉』
クリックするとAmazonへ!
渋沢栄一の名言

「いつの場合でも孔子の所謂(いわゆる)「九思の教」を守るように心掛け、自分の盲動が道理にもとらぬように努めてきたつもりである。」

『渋沢栄一逆境を生き抜く言葉』(イースト・プレス)

 上の言葉にある「盲動」「妄動」とも書き、「考えもなくむやみに行動すること。分別を欠いた行動」(デジタル大辞泉小学館)のことです。そして、「論語」の「九思の教」とは次のものです。

  • 【1】見る……ものを見るときは、蔽(おう)われることなく明らかにする
  • 【2】聞く……聞くときは、誤ることなく事物の真相や実体を得ようとする
  • 【3】顔色……顔つきは、温和にする
  • 【4】態度……身ぶりは、恭しく慎み深くする
  • 【5】言葉……ものを言うときは、忠実で言行一致させる
  • 【6】仕事……仕事をするには、慎重に軽はずみがないようにする
  • 【7】疑問……わからない点は、師や友に聞いて解決する
  • 【8】怒り……腹が立っても、我を忘れず、後難を考えて忍耐する
  • 【9】利益……利益を前にして、それが道義にかなうかどうかを考える

 さきほどの「盲動」(妄動)をとってしまうのは、【8】「怒り」が原因になることが多いですね。カッとなると、「分別を欠いた行動」になりがちです。

 「怒りで我を忘れる」という表現があります。我を忘れてしまっては、理性を失い、「人の道」にそった道理ある判断はできなくなってしまいます。怒ると、ストレスホルモンが分泌されますので、体にもよくないです。

 また、怒りは、自分だけの問題だけなく、周囲の人を不快にし、他に迷惑をかけます。

 渋沢栄一が貫いた「客観的人生観」をもち「他者への貢献」を人生の指針とするなら、「怒りをいかにおさえるか」の「アンガーマネジメント」が大切になってきますね。


渋沢栄一の名言❹:不運、不遇なときにあっては、悲観生活がいい

 人生、山あり谷ありです。「資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一にも不遇の時はありました。もともと農家出身です。武家社会の江戸時代にあって農民は差別される存在でした。幕末は、尊皇攘夷の志士として活動するも、大きな成果をあげることはできず、失敗ばかりでした。若き日の渋沢栄一は、時代に冷遇されていたといえます。

『はじめて世に出る青年へ』
クリックするとAmazonへ!

 そんな渋沢栄一が、不運、不遇のときの心構えを語っています。

渋沢栄一の名言

不運、不遇なときにあっては、悲観生活がいいのである。いつも、くよくよと暮らしているといえばなんだかあほらしいことのように思うけれども、そのくよくよの生活に案外大きなためになる良いことがある。ある人にとっては、まったくこのくよくよが第一の役に立っているのである。」

『はじめて世に出る青年へ』(徳間書店)

 「くよくよする」というと、悲観的になって、迷い苦しんでいる姿をイメージします。

 しかし、渋沢栄一は、「くよくよする」をポジティブにとらえます。「くよくよは、その人のやる気を促し、活動の源泉となるものである。決してこのくよくよをしりぞけてはいけない」(『はじめて世に出る青年へ』)といっています。

まっつん
まっつん

確かに、もし何もかもあきらめてしまったら、人は「くよくよ」すらしなくなります。ふて腐れて、投げやりになってしまいます。そうして「無気力」になってしまうのが、何よりよくありません。

 人は投げやりになると、自分を中心とした「主観的人生観」にとらわれて、「あの人が悪い、この人が悪い」「会社が悪い」「社会がおかしい」と、「他(人や社会)への貢献」ではなく、「他(人や社会)への攻撃」が始まります。その攻撃がひどくなれば、人の道から外れ、罪を犯してしまうことすらあります。

 「くよくよ」するのは、その人のやる気がくすぶってはいるものの、まだやる気を失っていない状態です。また、「くよくよする」といった時には、確かに苦悩してはいるのですが、不運、不遇から乗り越えていこうと、いろいろと「考えている」状態をイメージします。

 だから「くよくよ」したくなる不運の時には、思い存分、「くよくよ」しましょう。そうして割り切って、「くよくよ」が徹底されると、やがて、不運の時期を乗り越えるグッドアイディアを思いつくものです。

 あわてず、あせらず、あきらめず。「くよくよ」も「ポジティブな力」に変えていけることを忘れないでいましょう。

 


渋沢栄一の名言❺:自分のやるべきことをやるだけやったら

 人事を尽くして天命を待つ。

 この言葉は、「自分のやべるきことにベストを尽くしたのなら、あとは運命に任せて、結果については思い悩むことはないよ」といった意味合いです。自分のしたことの結果を心配している時に、私たちの背中を支えてくれる言葉です。

 さて、「論語」の有名な一文に「友あり遠方より来る、亦(また)楽しからずや」(学而第一)がありますね。「友の大切さ、ありがたさ」を思い出させてくれる言葉です。ただ、この言葉の前後を見ていくと、また違った味わいになります。

学んで時に之を習う、亦悦ばしからずや。
友あり遠方より来る、亦楽しからずや。
人知らずして怒らず、亦君子ならずや

(学んだことを折に触れて実践する、喜ばしいことではないか。
友人が遠くから訪ねて来てくれる、楽しいことではないか。
人が知ってくれなくても気にしない、いかにも君子だね。)

 渋沢栄一は、上の言葉を、それぞれ独立してとらえるのではなく、つなげて考えるようにといっています。『我が世渡りの道』(渋沢栄一/梔堂)で語った内容をまとめると、おおよそ次の通りになります。

「我が世渡りの道: 渋沢栄一『処世の大道』を読む」の表紙画像
『我が世渡りの道』
クリックするとAmazonへ!

 ひとりで学びを深めて、実践することは、それはそれでよいことだ。友が来て、共に学ぶ実践することは、さらによいことだ。そして、友と実践してきたことが、世に知られればもっとよいことだが、人に知ってもらえなくても、気にすることはない。それが君子(徳のある立派な人)というものだよ。

 「友あり遠方より来る」の部分がとても有名ですが、この3連の句では、最後の「人知らずして怒らず、亦君子ならずや」が、とても大切な教訓になっているのがわかります。この言葉を受けて、渋沢栄一は、こう書いています。

渋沢栄一の名言

自分のやるべきことをやるだけやったら、たとえそれが人に知られず、世間から受け入れられようが受け入れられまいが、それは気にすることなく、決して腹を立てたり怒ったり、悲観したりするようなことはないようにしてきたつもりである。」

『我が世渡りの道』(梔堂)

 「人事を尽くして天命を待つ」に通じるものがありますね。

まっつん
まっつん

 人生の結果はもちろん大事です。ですが、その結果を出すために、どれだけベストを尽くしたかが大事です。

 なぜなら、例え、その時、結果を出せなくても、ベストを尽くすことによって人は成長をとげていきますし、次のチャンスをつかんだ時に、そのベストを尽くした経験がいきてくるからです。

 「どれだけ結果が出たか」を気にするより、「どれだけベストを尽くしたか」を気にしましょう。人生は長く、次のチャンスが必ず訪れるものですから…。


 

渋沢栄一の名言❻:至誠を基として、道理に適うことでなければ一歩も動かぬ

 渋沢栄一が主に活躍した明治は、江戸の価値観が崩れ去り、一気に、西洋化が進んだ時代でした。近代化を果たすため、日本より進歩している西洋の考え方やモノを積極的に取り入れていきました。そのため、西洋に価値をおき、古い日本の伝統を否定する風潮が生まれていました。

 ただ、渋沢栄一は、江戸時代にはなかった「株式会社制度」を普及させ、日本の西洋化・近代化をおし進めた人です。ただ、中国古典の「論語」の教えを大切にしていることからもわかる通り、伝統的な考え方にも価値を見出そうとする思考法を持ちあわせる人でもありました。

 そのひとつが「武士道」です。江戸時代が終わり、武家社会が崩壊して日本が近代化していく過程で、「侍」(サムライ)の生き様を説く「武士道」の存在は、影が薄くなっていきました。

 江戸時代に農家で生まれ、「侍」への憧れもあったでしょう。1905年(明治38年)、渋沢栄一は「武士道」について講演をしています。そこで「武士道」について、次のように述べています。

書籍「渋沢栄一、「武士道」を語る: 論語と実業と東西のサムライたち 渋沢栄一、 幕末明治研究会」の表紙画像
『渋沢栄一、「武士道」を語る』
クリックするとAmazonへ!
渋沢栄一の名言

「至誠を基として、道理に適うことでなければ一歩も動かぬ」という決心こそ、取りも直さず真の武士道であると称してよいのではないでしょうか。

『渋沢栄一、「武士道」を語る』(幕末明治研究会)

 武士道というと、忠義を軸とし「お殿様のためなら命を捨ててもよい」と、自分の「命」を軽くあつかうかのような面があります。これに対して、渋沢栄一は、「ひとえに「君父に尽くす」とか、あるいは「生命を捨てる」とかいうのでなければ武士道ではない、というような解釈をしなくてもいいと思うのです」と述べて、上の言葉をつづけています。

 江戸時代(武家社会)ではないので、誰かのために「生命を捨てる」は、時代遅れですね。

まっつん
まっつん

「至誠」とは「このうえない誠実なこころ」です。「道理」とは「人として行うべき正しい道」です。つまり、「誠実なこころをもって、人として正しい道を迷うことなく歩んでいく」、これが渋沢栄一にとっての「武士道」です。

 上の言葉を述べた後に、「論語」の言葉が出てきます。

 見義不為、無勇也。(義を見て為ざるは勇なきなり)
(下村湖人訳:行なうべき正義を眼前にしながら、それを行なわないのは勇気がないのだ。)」

 もともと武士道は、中国の古典からの影響も受けて時代とともに形成されていったものです。江戸時代の「侍」にとって「論語」は、学ぶべき教養のひとつでした。

 この「論語」の言葉は、渋沢栄一のいう「武士道」の考えそのものといえます。「誠実さ」とか「人としての正しい道」などというと、経営や経済を考える時には「そんな精神論は役に立たない」と一蹴されがちです。ですが、それが役に立つし、大事なのだといいたくて、渋沢栄一は『論語と算盤』を書いたわけですね。


渋沢栄一の名言❼:小事が積んで大事となり、一日が積んで百年を生む

 蟻の一穴(いっけつ)天下の破れ

 この言葉は、「大事は、ほんのささいなことから起こる。ちょっとしたことが原因で、たいへんなことになる」(デジタル大辞泉小学館)という意味です。「小さな事をおろそかにすると、大変なことになるよ」という警句です。ですので、仕事で小さな事に手抜きをしている社員を叱ったり、戒める時に使われる言葉です。

 この言葉をひっくり返せば、「小さな事をおろそかにせずに、大切にして続けていると、逆によいことになる」と考えることができます。

 雨垂れ石を穿(うが)つ。

 そんな言葉がありますね。「小さな努力でも根気よく続けてやれば、最後には成功する」(デジタル大辞泉小学館)。「雨垂れ石を穿つ」は、中国の古典「漢書」にあった言葉です。「継続は力なり」で、コツコツと小さなことを、長い間、続けていくと、何らかの成果につながり、人生には、いいことがあるものです。

蟻の一穴天下の破れ「雨垂れ石を穿つ」。2つの言葉がいうのは、小さな事が普段、考えてる以上に大切だということです。渋沢栄一は、次の言葉をのこしています。

『渋沢百話』
クリックするとAmazonへ!
渋沢栄一の名言

人間界のことは小事が積んで大事となり、一日が積んで百年を生むが社会の常で、小事と思ったことも後日案外の大事となって再現するような例はままあるから、なかなかに油断はできない。ゆえに道理の識別を過たぬようにすることは容易ならぬ仕事である。

『渋沢百話』(近代経済人文庫編集部)

 「こんな小さな事に、なんで力を入れなくはいけないんだ」

 と、人は、ついつい手抜きをしがちです。仕事で忙しくしていれば、すぐ成果を出すことに意識が向きます。よって、広い視野で人生を眺めることができなくなり、小さな事の積み重ねが大きな成果になることを、忘れがちです。

 小事が積んで大事とる。一日が積んで百年を生む。

 渋沢栄一がいったこの考え方を胸に秘めて、塵も積もれば山となる。ですから、小さな事をおろそかにせず、長い目で見て、人生を歩んでいきましょう。


渋沢栄一の名言❽:金はたくさん持つな、仕事は愉快にやれ

 渋沢栄一は、西洋で行われていた「株式会社制度」を日本に導入し、普及させた人物です。そのポイントは、「富の独り占め」が起きないようにすることでした。株を買ったらその会社からの配当があります。会社の利益を他(人や社会)へ還元するシステムが株式会社制度です。

 渋沢栄一は、「多数の合資協力による「株式会社」「合資会社」などを起こして、利益は独り占めせず、みなとその恩恵を分け合ってきた」(『富と幸せを生む知恵』)といっています。

 利益を独り占めする「富の独占」は、「正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ」(『現代語訳 論語と算盤』ちくま新書)といった渋沢栄一にとって、人の道から外れた「正しくない道理」だったわけです。

この考え方がベースにあり、渋沢栄一の名言として、とても有名「金はたくさん持つな、仕事は愉快にやれ」が、登場してきます。それが次の一文です。

『富と幸せを生む知恵』
クリックするとAmazonへ!
渋沢栄一の名言

「私はこう思うのだ。富を積むというような際限のないこと、そして無価値なことに一生を費やすより、実業家として立つならば、自分の学問・知識を活用し、生きがいのある働きをして一生を過ごせば、そのほうがはるかに価値ある生涯を送ることができる。要するに「金はたくさん持つな、仕事は愉快にやれ」という主義なのである」

『富と幸せを生む知恵』(渋沢栄一 実業之日本社)

 「金はたくさん持つな」といっておきながら、渋沢栄一は、大富豪だったのですから矛盾しているようです。お金をたくさん持っている人だからいえる言葉だと、皮肉をいいたくなります。

 ただ、渋沢栄一がいいたいことは、「お金をたくさんもつこと」そのものを目的として、仕事や事業をしないほうがいい、ということです。その考え方では「富の分配」ではなく「富の独占」になり、自分を中心にして考える「主観的人生観」に陥ってしまいます。

 渋沢栄一は「他人・社会の利益」を優先する「客観的人生観」を大切にして生きた人です。

 「お金はあるけど、生きがいのない人生」は、なんとも寂しい人生です。「主観的人生観」だとそうなりがちです。反対に、「客観的人生観」を軸にした「お金に少し困るけれど、生きがいのある人生」は、愉快で意味ある人生です。

まっつん
まっつん

 人が生きがいを感じるのは、自分という存在が誰かの役に立ち、成果が出たり、感謝されたりすることです。その結果、お金をたくさんもらえるなら、なお喜ばしいことですね。

「金はたくさん持つな、仕事は愉快にやれ」

 これが渋沢栄一にとっての仕事に対するポリーシー(主義)といえます。この言葉の後に、「私はこの主義でやってきて、事業に対しても独力経営を避け、代わりに多数の合資協力による「株式会社」「合資会社」などを起こして、利益は独り占めせず、みなとその恩恵を分け合ってきた」と続くのです。

 利益を独り占めする人より恩恵を分け合う人のほうが、神様も応援してくれるはずです。渋沢栄一は、恩恵を分け合う考えを生涯を通して一貫したから、福徳の神様にも愛されたのでしょう。

渋沢栄一の名言⑨:正しいことをねじ曲げようとする者とは、争う

 同時代を生きた渋沢栄一のライバルといえば三菱財閥を築き上げた岩崎弥太郎です。岩崎弥太郎は、時代が明治になると、土佐藩から買い取った船で海運業を始め、その後、巨万の富をえることになります。

 さて、岩崎弥太郎が大富豪として社会で知られるようになった頃、渋沢栄一は、第一国立銀行の頭取として実業界で名を馳せていました。

 1878年(明治11年)、渋沢栄一と岩崎弥太郎は、東京墨田区向島の料亭「柏屋」で会って話しをしています。渋沢栄一の四男である渋沢秀雄が書いた『明治を耕した話』(青蛙選書)によると、岩崎弥太郎が渋沢栄一を味方に引き込もうと誘そったそうです。

 この時、岩崎弥太郎は、渋沢栄一が推奨する株式会社制度(合本法)を、「船頭多くして船山に登る」と批判しました。そして、「優れたリーダーの専制的な経営が必要」「巨大な利益が独占できるからこそ働き甲斐がある」(『明治を耕した話』青蛙選書)と自説を展開しました。

 ふたりの話し合いは、物別れに終わります。そういえば渋沢栄一に、こんな言葉があります。

『論語と算盤』(筑摩書房)
クリックするとAmazonへ!
渋沢栄一の名言

「正しいことをねじ曲げようとする者、信じることを踏みつけにしようとする者とは、何があってもこれと争わなければならない。このことを若いみなさんに勧める一方で、わたしはまた気長にチャンスが来るのを待つ忍耐もなければならないことを、ぜひ若いみなさんには考えてもらいたいのである。

『現代語訳 論語と算盤』(渋沢栄一 現代語訳:守屋淳 ちくま新書)

 この言葉通りに、料亭での会談の後、渋沢栄一は、ほぼ独占状態にあった三菱の海運業に、三井財閥の力をかりて参入します。両者は激しく争いましたが、最後は、合併することになります。そうしてできた会社が、現在の「日本郵船」です。

 渋沢栄一は「財閥」をつくりませんでした。歴史に「たられば」はありませんが、もし、渋沢栄一が、岩崎弥太郎のような性格の持ち主だったら、渋沢財閥があったことでしょう。

 「他人・社会の利益」を優先する「客観的人生観」を、有言実行した人物が、渋沢栄一です。

渋沢栄一の名言⑩:社会には恩返しをしなくては申し訳ない

  「ペイ・フォワード」

 この言葉をタイトルとした『ペイ・フォワード 可能の王国』(原題『pay it forward』 ワーナー・ブラザーズ)という映画もありましたね。

『ペイフォワード 可能の王国(ワーナー・ブラザーズ)
『ペイフォワード 可能の王国』
クリックするとAmazonへ!

 「ペイ・フォワード」とは、恩を与えてくれた人に恩を返すのではなく、他の誰かに恩を送ることです。例えば、親から受けた恩を親に返すのではなく、自分の子どもに送れば「ペイフォワード」です。上司から受けた恩を、上司にではなく自分の部下に送れば、それも「ペイフォワード」といえます。

 日本にも「恩送り」という言葉がありますね。渋沢栄一が、財閥をつくることをせず、「客観的人生観」をベースにして成し遂げたことを思うと、「ペイ・フォワード」(恩送り)の言葉が、自然と頭にうかんできます。

 渋沢栄一に、恩返しに関する、次の言葉があります。 

明治を耕した話―父・渋沢栄一 (1977年) (青蛙選書〈53〉)の表紙画像
『明治を耕した話―父・渋沢栄一』
クリックするとAmazonへ!
渋沢栄一の名言

「どんな賢い人でも、社会があればこそ成功できたのだ。だからその社会には恩返しをしなくては申し訳ない」

『明治を耕した男』(渋沢秀雄 青蛙房)

 『明治を耕した話』(青蛙選書)を書いた渋沢栄一の四男「渋沢秀雄」によると、上の言葉を、日頃からよく口にしていたそうです。

 人は主観的人生観が強くなってしまうと、国や社会から、「与えてもらう」ことを考えがちになります。「与えてもらうこと」が不十分だと、国や社会を批判し、人によっては恨むことすらあります。

 その発想を逆転しているのが、渋沢栄一ですね。「他人・社会の利益」を優先する「客観的人生観」を軸にして、自分から「与える」ことや「分け合う」ことを大切にして生涯を過ごしました。そうした創られた企業や組織(みずほ銀行、東京海上日動火災保険、東京ガス、帝国ホテル、サッポロビール、JR、日本郵船)は、今も存続しています。

 数多くの人に働く場を提供し、生活していくための礎となっていて、時代を越えて、今を生きる人たちが渋沢栄一の恩恵をこうむっています。

 そう考えると、渋沢栄一は、社会に恩返しをしたと同時に、ペイ・フォワード(恩送り)をした人でもあったといえます。

 決して「論語」でなくていいのだと思います。人として正しい道を貫き、働き、そして後世の人々が恩恵をこうむるペイフォワードをすることができたら、それは生きがいのある、とても素晴らしい人生を送ったといえます。

 渋沢栄一は、私たちが生きがいある人生を送るヒントとなる多くの名言を残してくれた人物です。 

(文:まっつん)


]]>
バレーボール男子日本代表の名言https://www.earthship-c.com/nice-word/quotes-japanese-mens-volleyball-team/Mon, 22 Jul 2024 09:10:38 +0000https://www.earthship-c.com/?p=17135

 バレーボール男子日本代表主要メンバーである石川祐希選手、髙橋藍選手、西田有志選手を中心に、ブラン監督の名言も紹介する。  バレーボール男子日本代表のキャプテンは、石川祐希選手です。選手として海外で活躍する一流プレイヤー ... ]]>

 バレーボール男子日本代表主要メンバーである石川祐希選手、髙橋藍選手、西田有志選手を中心に、ブラン監督の名言も紹介する。

石川祐希の名言:現状維持ではなく、つねに前進、向上する

 バレーボール男子日本代表のキャプテンは、石川祐希選手です。選手として海外で活躍する一流プレイヤーでありつつ、リーダーシップを発揮して日本代表チームをまとめています。

 石川選手を古くから取材してきたスポーツライター田中夕子氏によると、かつて自己中心的な要素が濃かったのですが、キャプテンになってから変化しているといいます。その点を田中氏が尋ねると、石川選手は「キャプテンになってからのほうが圧倒的に記憶は濃いですね。」(『日本男子バレー勇者たちの軌跡』文藝春秋)と答えています。

 この言葉から、石川選手が、選手としてだけでなくリーダーとしても成長をとげていることがわかります。

『頂を目指して』(徳間書店)

 石川選手の自伝『頂を目指して』(徳間書店)には、こんな言葉があります。

石川祐希の名言

「現状維持ではなく、つねに前進、向上するためには昨シーズンや前回以上の目標を掲げてクリアしていくことが必要だと思っている」

『頂を目指して』(石川祐希 徳間書店)

 現状維持は後退である。

 現役リーダーたちから、そんな言葉が、よく口にされます。現状という「ぬるま湯」にひたり続けていると、世界は常に変化を続けているので、遅れをとってしまうわけです。

 遅れをとらないためには、石川選手がいうように「つねに前進、向上する」ことを心がけていかねばなりません。10代から海外に挑戦し、日本代表チームを世界2位のランクに押しあげた立役者は、まさにこの言葉の通りに実践してきたわけですね。

 「現状維持ではなく、つねに前進、向上する」というマインドセットをもちたいものですね。

石川祐希の名言:逆に1回経験していれば、どうにかなる。

 2024バレーボールネーションズリーグで、バレーボール男子日本代表は、銀メダルを獲得しました。世界ランキングは過去最高の2位に浮上しました。

『Number Web』(文藝春秋)

 2023年のバレーボールネーションズリーグで、日本代表は、3位となり銅メダルと獲得しています。石川選手は、2024バレーボールネーションズリーグ前の記者会見(2024.5)で、決勝に行ったことがないので、パリ五輪で金メダルをとるためにも、決勝に行くことの大切さを強調していました。そして、こう口にしていました。

石川祐希の名言

「なんでも初めての経験って、そんなにうまく行くものじゃないなと学んできているし、逆に1回経験していれば、どうにかなる。イメージが少しでもできていれば、近づけるという感覚があるんです。

『Number Web』「決勝に行くぞ」石川祐希はなぜ“ギアを上げた”?  (2023/9/25 田中夕子)

 石川選手は、この言葉通り、2024バレーボールネーションズリーグで、決勝に進み、フランスに敗れたものの、銀メダルを手にしました。2023年の「3位決定戦」と1位(金メダル)を賭けて戦う「決勝」では、そこに大きな差があります。だから、石川選手は、パリ五輪に向けて、「決勝」を1回経験しておくことの大切さを強調したわけです。

 人生、なにごとも経験ですね。ひとつひとつ経験を積み重ねていきながら、人は、成長していきます。だから、何かをやる前に考え過ぎることなく、「とにかくやってみる」というマインドセットが大切になります。

 その経験が成功でも失敗でも、人は、必ず、その経験から「学び」という大きな宝物を手にするのですから…。


髙橋藍の名言:自分たちがやることは変わらない。

 髙橋藍選手にとって、パリ五輪は、東京五輪に続いて2度目のオリンピックとなります。日本代表は、東京五輪ではメダルに手が届かず7位でした。石川選手もそうですが、髙橋選手も、パリ五輪の大切さをインタビューで口にしています。

『anan』(2023/10/11号)

 次の言葉は、パリ五輪の予選にのぞむにあたっての言葉です。

髙橋藍の名言

「自分たちがやることは変わらない。もちろん五輪切符を取りにいくんですけど、それだけでイメージするんじゃなくて、自分たちのリズムで、自分たちのバレーを信じること。それができればどの相手にも勝てる…」

『anan』(2023/10/11号)

 よく負けた試合の後のインタビューで、選手たちや監督が「自分たちのやりたいことを、相手にやられてしまった…」と、敗因の言葉に口にすることがあります。

 日本代表のトップアスリートたちですから、経験も豊富で、試合前のミーティングも綿密に行い、どのように自分たちが戦うのかは、頭に入っているはずです。ところが、頭でわかっていても、試合状況は刻々と変化していき、その日の調子もありますし、疲労がどの程度蓄積していくかもありますし、本番は、頭でわかっていることが、なかなかできないのが現実です。

 だからこそ、髙橋選手のいうように、試合の流れに左右されないシンプルなマインドセット=「自分たちがやることは変わらない。」を持っていることが大切ですね。

 試合という複雑な状況のなかで役にたつのは、逆にシンプルな言葉であり考え方です。


西田有志の名言:楽しめたもん勝ちですよ。

 西田有志選手は、両親がバスケットボール選手で、幼い頃はバスケットをしていました。中学からバレーボールを始め、日本代表まで登りつめました。今や日本代表に欠かせない存在です。パリ五輪予選では、その鋭いサーブやアタックでチームの勝利に貢献してきました。 

西田有志選手のインタビューWEBの画像
『GROWING』

 その西田選手にとって、逆境といえるのが、2022年に発症した原因不明の体調不良です。高熱が出たり、ひどい発汗があったりで、とにかく苦しみました。病院に行っていろいろな検査をしても、原因がわかりません。この時期のことを西田選手は、「すべてが楽しくなくなりました。生きることに精一杯で、とにかくしんどかったです」といっています。

 そんな苦しい時期をくぐり抜けて手にしたのがパリ五輪の切符です。西田選手は、『GROWING』のインタビューで、こんな人生哲学を語っています。

西田有志の名言

成功したら楽しいし、失敗したら悔しい。それが人生だと思っていますし、ずっといい時なんてない。その時々の人生をいかに楽しめるかが大切だと思っています。苦しい時でも何か楽しいことを見つけて、リフレッシュして、それで本業がうまくいけばいい。楽しめたもん勝ちですよ

「逆境を力に変える「楽しめたもん勝ち」の心 代表エースの前向き思考」『GROWING』

 人生、山あり谷ありですね。いい時もあれば、悪い時もあります。山の天気のように、人生の状況は変わっていくものです。大切なのは、「人生の谷」という逆境にあって、西田選手のいうように、楽しむ心を忘れないことですね。

 心理学者フランクルは、20世紀最大の悲劇と呼ばれたナチスの強制収容所にとらわれ、生き延びた人物です。フランクルは、強制収容所の地獄の日々にあって、ユーモアを大切にし、仲間と笑い合ったといいます。

『夜と霧』(みすず書房 霜山徳爾 訳)の表紙画像
『夜と霧』(みすず書房)
クリックするとAmazonへ!

 その詳細は、名著『夜と霧』(みすず書房)になり出版されました。フランクルは、この本の中で「ユーモアもまた自己維持のための闘いにおける心の武器である」(P119)と書いています。

 「苦しい時でも何か楽しいことを見つける」

 この西田選手の言葉は、心理学者フランクルの教えに通じるものです。辛く苦しい日々にある時、「心の武器」になる考え方ですから、大切にしたい言葉ですね。


石川祐希の名言:その決断で人生が大きく変わった。

 石川選手は、世界のトップ選手が集うイタリアのセリアAでプレーする選手です。その決断は大学生の時でした。中央大学1年の時に、喫茶店で、当日の監督から、セリアAからオファーがあることを告げられます。

石川選手のインタビューが掲載された『サンデー毎日』(2024年6月30日号 )の表紙画像

 大学生で海外選手と競い合うわけですので、迷いがあって当然ですが、そのオファーに対して、石川選手は「行きたいです」と即答します。この時の決断について、インタビューで、こう答えています。

石川祐希の名言

「本当に興味があっただけで、後先など考えていなかった。その決断で人生が大きく変わった」

女子バレー・石川真佑が語る“エース”の覚悟。(『REAL SPRTS』 2023.04.06)

 ちゃんと後先を考えなさい。

 そんな忠告の言葉があります。後先を考えたほうが、もちろん、物事はうまくいく可能性が高くなります。しかし、後先を考えることには、デメリットがあります。それは、後先を考え過ぎてしまって、結局、決断できない、というデメリットです。そうなると、人生のチャンスを逃してしまうことになります。

 「後先を考えた決断」「後先を考えない決断」

 どちらがいいのかは、未来になってみないとわかりません。ただ、迷った時には、「正解」を探して考え過ぎるのではなく、自分のした決断を「正解にすればいい」と考えて、前に進むのも人生の打ち手のひとつです。

 人生は一度きりであり、時間には限りがあるのですから…。  


髙橋藍の名言:やってきたことをやり切って、勝つか負けるか。

 勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし

 日本プロ野球で名将と呼ばれた野村克也監督が口にしていた言葉です。元は、肥前国平戸藩の第9代藩主「松浦静山」の言葉です。平戸といったら現在の長崎県ですね。松浦は剣術の達人でもあり、上の言葉は、剣術書『常静子剣談』に出てきます。

 「神がかり」といった現象が、確かに、スポーツの世界に存在します。明らかに格上の相手を格下のチームが倒す時に、そこに何か不思議な力が働いているように感じることがあります。

 「スポーツ史上最大の番狂せ」といわれた試合がラグビーの世界にあります。2015年のロンドンW杯で、世界の強豪南アフリカを日本代表が撃破した試合です。テレビで観戦していても、試合全体の流れや日本代表選手たちの動きに、何か不思議な力を感じとることができました。もちろん、選手本人たちは「ただ全力を尽くして、必死にやっているだけ」なのですが…。

『Number Web』2024/07/16

 髙橋選手は、試合の勝ち負けについて、こんな考え方を言葉にしています。

髙橋藍の名言

「チームの目標としてメダル、金メダル獲得を掲げていますが、最終的にはやってきたことをやり切って、勝つか負けるか。勝てなかったら何かが足りなかったか、出し切れる力がなかったか、まだまだもっともっと追い込む必要があったということ。勝てればやってきたことが出し切れた、正解だった、というだけのことなので。(中略)プレッシャーはありません。

『Number Web』高橋藍がいま描く“男子バレー最高の結末”とは?(2024/07/16)

 髙橋選手は、現実的です。勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし』ではなく、「勝ち」にも「負け」にも、明確な原因があるというスタンスです。

 そのスタンスがゆえに、「強い男子バレーを見せるのが最優先ではなく、自分たちがやってきたこと、つくりあげてきたものをすべて出し切って勝つか負けるか、勝負するのが一番」ともいっています。

 この言葉から、「何を優先し、何に最も力を注ぐべきなのか」について明確になっていることがわかります。いい意味での「割り切り」が、髙橋選手のメンタルの強さをつくりあげているのですね。


西田有志の名言:その時に自分ができる100%を出し続ける

 西田選手は、海外でプレーをしていた時期もありました。しかし、海外でプレーを続けていくことで、選手寿命が短くなると判断し帰国し、2023年から「パナソニック パンサーズ」に所属しています。

 そのパナソニックのサイトに、西田選手のインタビューが記事があります。インタビュアーは、元バレーボール日本代表の福澤達哉氏です。

パナソニック西田選手インタビューWEB画像
『Panasonic Group』HP

 福澤氏に、「周囲が期待する以上のスピードで成長してこられましたが、結果を出すために大事にしていることはありますか。」と質問されて、西田選手はこう答えています。

西田有志の名言

「日々の準備や練習の質にこだわり、その時に自分ができる100%を出し続けることを心がけています。この6年間でオリンピックに出たり、世界大会でメダルを獲得したり、一見すると順風満帆なキャリアに見えますが、毎年のようにケガにも悩まされてきました。そうした時でも、その日の自分のベストを尽くし続ければ、必ず良くなっていくはずだという考えでやっています。」

『Panasonic Group』HP

 ベストを尽くしている時、人は最善の心の状態となる。

 そんな考え方が心理学にあり「自己超越」といいます。「自己超越」は、自分にとらわれていない、自分を超えている精神状態です。人は、ついついさぼり心が芽生えて、楽な道を選んでしまいます。さぼりたいという、自分の欲にとらわれ、ベストを尽くせなくなります。

 ですが、西田選手のいうように、「その日の自分のベストを尽くし続ければ、必ず良くなっていくはずだという考え」を持つことができれば、自分へのとらわれを抑えることができ、自己超越の状態になりやすくなると考えられます。

 西田選手の言葉で注目したいのは、「その日の自分のベスト」といっている点です。

 前に書いた通り、西田選手は、原因不明の体調不良で、2ヶ月ほど苦しみました。病気の時の自分と、健康で調子のよい自分の「ベスト」には、大きな差があります。

 でも、西田選手は体調が悪いなら悪いなりに、「その日の自分のベスト」を尽くして、復活してきたと考えられます。

 「毎日、いつでも、自分のベストでなくていい」のです。

 「いつでもベストでなければならない」と考えると、長い人生、疲れてしまいます。だから、「その日の自分のベスト」でいいわけです。そうすることで、道は切り開かれてゆくものです。


ブラン監督の名言:全員をオリンピックの舞台に立たせてあげたい。

 パリ五輪で、男子バレーボール日本代表を率いるのがフィリップ・ブラン監督です。元フランス代表の選手であり、2001年から2012年まで、世界の強豪男子フランス代表チームの監督でもありました。約7年間日本代表を導いたブラン監督は、パリ五輪を最後に退任することになっています。

男子バレーボール日本代表フィリップ・ブラン監督の日テレNEWSのWEB画像
『日テレNEWS』2024/7/8

 選手選考が行われ、2024年7/7にパリ五輪の最終メンバーが発表されました。選考を兼ねた2024バレーボールネーションズリーグは、14人の出場メンバーと4人の交代選手で戦ってきました。五輪の規定に従い、12人のメンバーと1人の交代選手に絞らねばらなりません。

 パリ五輪の最終メンバーを発表するミーティングで、ブラン監督は苦悩を吐露します。

真鍋政義監督の名言

「オリンピックの年にやらなければならない、一番やりたくないミーティングだ。ここにいる全員をオリンピックの舞台に立たせてあげたい。でもそれはできないんだ」

『日テレNEWS』2024/7/8

 厳しい選択を迫られるリーダーの「真実の瞬間」が、そこにあります。ですが、厳しい選択をしたからこそ、勝利への意欲も高まるはずです。

 パリ五輪に向けて共に戦ってきた仲間から、どうしても選ばられない人が出てきます。最初からわかっていたことですが、その事実は、「オリンピックに出られない人の思いを背負って戦う」という、選手個々の「絶対に負けられない」という強い思いをつくりだしていきます。

 スポーツの世界は厳しいものです。厳しいからこそ、人生のドラマが生まれ、そこにまた深い喜びも生まれてくるのです。

(文:松山 淳


自己分析セッション by MBTI® プロスポーツチームも活用する自己分析メソッド

 大リーグ、アメリカンフットボールなどプロスポーツチームも活用する国際的性格検査MBTI®を使用しての自己分析セッションです。MBTI®は、世界三大心理学者のひとりC.Gユングの理論がベースになっており、世界の企業が人材育成のために導入しています。その人の「生まれ持った性格」を浮きぼりにするのが特徴です。自分本来の「強み」を知ることができ、心理学の理論をもとに自己理解・他者理解を深めることができます。

《MBTI受講者実績:2,003名》

MBTI自己分析セッションの案内画像

 セッションには「対面型」「オンライン型」(Zoom)があります。それぞれ、「個人セッション」「グループセッション」をお受けしています。

]]>
バレーボール女子日本代表の名言 2024https://www.earthship-c.com/nice-word/womens-volleyball-japan-quotes/Tue, 11 Jun 2024 23:55:00 +0000https://www.earthship-c.com/?p=16910

 2024年6/14、バレーボール女子日本代表チームのパリ五輪出場が決定した。6/12、カナダに敗北したが、他国チームの勝敗を計算したところ、日本が世界ランキングで五輪への切符を手にすることになった。監督は眞鍋政義が務め ... ]]>

 2024年6/14、バレーボール女子日本代表チームのパリ五輪出場が決定した。6/12、カナダに敗北したが、他国チームの勝敗を計算したところ、日本が世界ランキングで五輪への切符を手にすることになった。監督は眞鍋政義が務め、キャプテン古賀紗理那選手を筆頭に、世界に通用する選手がそろっている。

 パリ五輪での活躍に期待し、女子バレーボール日本代表チームの面々からつむぎ出される言葉を紹介していく。 

古賀紗理那の名言❶:結果は積み上げたものの後についてくる

 「勝ち」「負け」が、はっきりするスポーツでは、勝利か敗退かによって世間からの評価はがらりと変わります。「手のひら返し」の言葉通り、予選で負けのこんでいた日本代表チームが、本戦で勝ち続けると、「批判の雨あられ」が「賞賛の嵐」へと変わります。

古賀紗理那選手の画像
『東京スポーツ新聞社』(2024.4.14)

 結果に対して常に重い責任を背負わされるのは、アスリートの宿命です。

 だから、結果には、もちろんこだわるのですが、結果にあまりにとらわれてしまうと、逆に、結果がともわないこともあります。

 2024年5月から始まるバレーボールの国際大会ネーションリーグを前にしてのインタビューで、古賀紗理那キャプテンは、こう語っています。

古賀紗理那の名言

「結果、結果という頭になってしまうと、私も含めてみんなが勝手にプレッシャーを感じてしまう。結果は積み上げたものの後についてくる。」

「古賀紗理那が示すエースの覚悟」『東京スポーツ新聞社』(2024.4.14)

  勝負ですから、確かに勝たなければなりません。

  ですが、勝ちという結果が重荷になって、選手が実力を発揮できないこともあります。であれば、古賀キャプテンがいうように「結果は積み上げたものの後についてくる」と割り切るのも大切なことですね。


古賀紗理那の名言❷:気持ちと気持ちのつながりが、苦しい状況の時ほど大切

 試合の途中で、敵チームとの点差がつき、劣勢になると、選手同士でとるコミュニケーションの量が少なくなっていきます。言葉を交わさなくなり、雰囲気が暗くなって、選手ひとりひとりが孤立していきます。

 その結果、選手同士でのプレーの連携がとれなくなり、チーム全体としての「力」が落ちていきます。

 2023年パリ五輪出場のかかった予選で、女子日本代表は成績がふるわず五輪の切符を手にすることがができませんでした。FIVB世界ランキング(2023年9月25日時点)では、1位トルコ、2位アメリカ、3位ブラジル、4位セルビア、5位イタリア、6位 中国、7位ポーランド、8位ドミニカにつづいて、9位が日本でした。

『Number Web』 (2023/9/25)

 五輪切符は持ち越しとなりましたが、世界のトップ10には入っていました。五輪切符を逃した試合をふりかえり、古賀キャプテンはこう語っています。

古賀紗理那の名言

「一人一人が心をタフに、全員が『私がここで活躍する』『絶対点を獲ってチームに貢献する』という気持ちと気持ちのつながりが、苦しい状況の時ほど大切だと感じました。次のシーズンは今年よりも苦しい戦いになりますが、そういう時こそ一人一人にならず、チームで助け合う。」

『Number Web』男子バレーはいいが、女子は厳しい」逆境に燃えた主将・古賀紗理那はチームをどう変えた? (2023/9/25 田中夕子)

 気持ちの問題ですべてが解決するわけではありません。しかし、どんなスポーツもメンタルの重要性が叫ばれています。それほど試合中の「気持ち」は、勝敗に影響するわけです。

 「気持ち」は目に見えません。気持ちと気持ちがつながっているかどうかは、選手たちが感じるしかありません。選手同士の気持ちがつながった試合になると、ベンチにいる監督、コーチはもちろんのこと、観客とも気持ちがつながっていくような感じになります。

 テレビで鑑賞していても、選手と会場全体との一体感が伝わってくることがあります。

 たかが「気持ち」、されど「気持ち」。

 いかに選手同士が自ら、互いに気持ちをつなげていくか。「気持ちのつながり」が、チームの勝利に貢献するのです。


古賀紗理那の名言❸:勝っていきながら成長したい

 勝利にまさる報酬はなし。

 甲子園に出場した無名の高校が、試合を重ねるごとに強くなっていく。そんな現象がよく起きます。スポーツ選手にとって勝利は何よりの「力」になるものです。

 同じ労力でも、勝った試合と負けた試合では、試合後の疲労感がまるで違います。勝った後は、どれだけ疲れていても、心地よさや充足感があります。反対に負けた後は、後悔の念からひどい疲労感におそわれます。

 勝つことは何よりの「心の報酬」となり、選手を成長させていきます。

古賀紗理那の名言

「今自分たちができることや課題をクリアにしたり、自分たちの勝ちパターンを見つけることが大切だと思う。チームとして1試合ずつ勝っていきながら成長したい

「古賀紗理那が示すエースの覚悟」『東京スポーツ新聞社』(2024.4.14)

 古賀選手が「チームとして1試合ずつ勝っていきながら成長したい」というように、勝つことで、チームが抱えている様々な課題が解決していくことがあります。

 特に、チーム間に漂うも暗い雰囲気や緊張感は、勝利が吹き飛ばしてくれるものです。

 スポーツは勝つことだけが全てではありませんが、勝つことで成長し、チームは前に進むことができます。


石川真佑の名言❶:周りに流されちゃいけない。

 古賀紗理那キャプテンにならぶ日本のエースといえば、石川真佑選手です。日本代表としてデビューしたのは2019年のことで、東京五輪(2021)にも代表選手として出場しています。

 次の言葉は、2023年4月のインタビューです。

石川祐希の名言

「勝ちたい気持ちがあるからこそ、周りに流されちゃいけない。自分の思いはしっかり持ってやりたいなと思っています。」

女子バレー・石川真佑が語る“エース”の覚悟。(『REAL SPRTS』 2023.04.06)

 石川選手は、この言葉の前に、『もちろん周りから「こうしたらいい」というふうに言われることもあるので、しっかり受け入れるところは受け入れますけど、やっぱり、決め切るために上げてもらいたいとか、自分が思ったことは伝えていかなきゃいけないなと。』といっています。

 石川選手は、かつて「自分の思い」をあまり言わない選手だったそうです。

 しかし、様々な世界大会で経験を積んで、他の選手からの影響もあって、「自分の思い」を伝えるようになりました。そのベースに「勝ちたい気持ち」のあることが大切ですね。

 勝ちたいからこそ、「自分の思い」を伝える。

 勝利への思いが、選手たちの心を開いていくのですね。

 


石川真佑の名言❷:自分だけじゃなくてバレーボール界を盛り上げていくためにも

 『動機善なりや、私心なかりしか

 経営の神様と呼ばれた京セラ創業者稲盛和夫氏の言葉です。稲盛氏は、この言葉で自問自答をくりかえしていたといいます。

 自分のしようとしていることの動機は、本当に「善」であるのか。また、「自分だけよければいい」という私心だけになっていないか。

 それが『動機善なりや、私心なかりしかの意味です。

 この言葉をひっくり返せば、「善の心にもとづき、みんなのことを思ってする行い」が大事だということです。

NumberWEBにのる石川真佑選手の画像
『Number Web』2024/02/14

 石川選手は日本のリーグを離れ、2023年、イタリアのチーム「フィレンツェ」に所属しプレーを続けました。そして、自分のことをSNSで積極的に発信するようになりました。その理由が次の言葉です。

石川真佑の名言

「日本からすごくたくさんの方が応援してくれているので、SNSを通してでも、イタリアからいろいろと生活も発信していければいいなと思って。(中略)自分だけじゃなくてバレーボール界を盛り上げていくためにも」

『Number Web』「イタリアに来てよかった?」渡欧から4カ月、初の海外生活で奮闘する女子バレー石川真佑(23歳)に期待したい“巻き込む力”とは

 この言葉で注目するのは、「自分だけじゃなくてバレーボール界を盛り上げていくためにも」とう思いです。石川選手の心には、「自分のためだけ」ではなく、バレーボール界という「みんなのため」があります。

 人は「自分のため」だけでなく「みんなの思い」を背負った時に、強くなれます。

 石川選手の視点は、アスリートだけなく、誰もが大事にしたい「思い」といえます。


岩崎こよみの名言❶:弱みも見せられるようなチームになれば、もっと強くなる

 岩崎こよみ(埼玉上尾メディックス)は、A代表に5年ぶりに復帰した選手です。20代の選手が多いなか、ベテランとしてチームに落ち着きと安定感をもたらしています。

『Number Web』(2024/5/27)

 岩崎選手は、「弱みを見せる」ことについて語っています。

岩崎こよみの名言

「バレーボールであれ、プライベートであれ、みんなそれぞれ悩みもあるし、大変なことも抱えている。私もそうですけど、そういうことを含めて支え合えるような、弱みも見せられるようなチームになれば、もっと強くなるんじゃないかなと思う。」

『Number Web』「息子と会えないのは寂しいけど…」女子バレー岩崎こよみ(35歳)

 「弱みを見せる」というと、それこそ「弱い人間のすること」と、人は「弱み」を否定的にとらえがちです。しかし、岩崎選手は、「弱みを見せる」ことで、「もっと強くなる」と、ポジティブにとらえています。

 ハーバード大学教育学大学院教授ロバート・キーガンの著に『なぜ弱さを見せあえる組織が強いのか』(英治出版)があります。タイトルの通り、「弱さを見せあえる」ことが「組織の強さ」につながることを解説している本です。

『なぜ弱さを見せあえる組織が強いのか』(英治出版)クリックするとAmazonへ!

 キーガン氏は、本の冒頭で、次のように述べています。

 本書で紹介する組織は、組織のタイプこそまちまちだが、ある際立った共通点がある。人々の能力をはぐくむのに最も適した環境をもっているのだ。そうした環境は、みんなが自分の弱さをさらけ出せる、安全であると同時に要求の厳しい組織文化によって生み出される。

『なぜ弱さを見せあえる組織が強いのか』(ロバート・キーガンほか 英治出版)p17

 上の文章でいいたいことは、岩崎選手が言葉にした「弱みも見せられるようなチームになれば、もっと強くなるんじゃないかなと思う。」と同じです。

 弱みがあることが問題なのではなく、弱みを隠すことに心のパワーをとられることが問題なのです。

 人は誰だって「弱さ」「弱み」をもっています。「弱さ」「弱み」もあって、その人らしさです。

 「弱さ」を隠そうとすると、「その人らしさ」を発揮できなくなくなります。「自分らしさの発揮」は、実力を発揮できるかどうかに関わってきます。

 自分らしさを発揮できれば、自然体でいられて実力を出せます。そうしてチームは強くなるのです。

 また、「弱さ」を「見せ合えるチーム」とは、メンバーがお互いの本質を理解しあっているチームであり、より深いレベルで相互理解が進んでいるチームです。

 メンバー同士の相互理解が深まれば、古賀キャプテンのいっている「気持ちと気持ちのつながり」も生まれやすくもなります。

 「弱さ」「弱み」を認め、見せ合うことで、チームは強くなっていきます。


真鍋政義監督の名言❶:試合ぐらい楽しめよ。

 2024年、女子バレーボール日本代表を率いているのが真鍋政義監督です。試合後のインタビューの姿を見ると、静かで落ち着いた感じですが、内面はポジティブの塊(かたまり)です。

『Number Web』2022/10/14

  ミドルブロッカーの山田二千華が、監督に「例えば24-24の場面で自分にサーブが回ってきたら、どういうサーブを打つ?」と聞かれ、「ミスをしないように、アンパイなサーブを打っちゃいます」と答えると、監督は

「オレだったら、そんなチャンスで回ってきたら、『ここでもしサービスエースを取ったら、オレはスーパーヒーローになれる』って考える。」『Number Web』2022/10/14

と、言葉が返ってきました。

 スーパーヒーローになれるとは、ものすごい積極思考です。

 また、日本代表チームが5連敗となったネーションリーグでは、選手に向けて、こういいました。

真鍋政義監督の名言

試合ぐらい楽しめよ。何十時間も練習して、この日のためにずっと積み重ねてきて、試合はその発表会みたいなもんなんだから。楽しむぐらいの気持ちで行けばいい」

『Number Web』「24-24でどういうサーブを打つ?」女子バレー眞鍋政義監督が若手に植え付ける“プラス思考” 世界4強逃すも「選手は自信を持っていい」

 これは選手を勇気づける言葉ですね。

 連敗中ともなれば、選手たちは責任を感じて、モチベーションが落ちて、楽しむことができなくなっています。次も負けるのではないかと恐れに支配されてもいるでしょう。

 そんな時に、リーダーが「試合ぐらい楽しめよ」といってくれると、心を軽くすることができます。

 真剣だけど深刻にならず。

  真鍋監督ならではなのポジティブ思考なリーダーシップの好例といえますね。

(文:松山 淳


自己分析セッション by MBTI® プロスポーツチームも活用する自己分析メソッド

 大リーグ、アメリカンフットボールなどプロスポーツチームも活用する国際的性格検査MBTI®を使用しての自己分析セッションです。MBTI®は、世界三大心理学者のひとりC.Gユングの理論がベースになっており、世界の企業が人材育成のために導入しています。その人の「生まれ持った性格」を浮きぼりにするのが特徴です。自分本来の「強み」を知ることができ、心理学の理論をもとに自己理解・他者理解を深めることができます。

《MBTI受講者実績:2,003名》

MBTI自己分析セッションの案内画像

 セッションには「対面型」「オンライン型」(Zoom)があります。それぞれ、「個人セッション」「グループセッション」をお受けしています。

]]>
石川祐希の名言【8選】https://www.earthship-c.com/nice-word/ishikawa-yuki-quotes/Wed, 05 Jun 2024 23:35:00 +0000https://www.earthship-c.com/?p=16858

 男子バレーボール日本代表主将の石川祐希選手。バレーボール世界最高峰のプロリーグ「セリエA」でも活躍し、日本バレーボール界を牽引する選手として確かな功績を残しつづけている。2023年、予選を勝ち抜き、パリ五輪の切符を手に ... ]]>

 男子バレーボール日本代表主将の石川祐希選手。バレーボール世界最高峰のプロリーグ「セリエA」でも活躍し、日本バレーボール界を牽引する選手として確かな功績を残しつづけている。2023年、予選を勝ち抜き、パリ五輪の切符を手にした。自力での五輪出場は16年ぶりの快挙となった。

 キャプテンとしてリーダーシップを発揮したことによって石川選手には、確かな変化が見れられる。石川選手がどんな考えを持っていて、何を大切にしているのか。インタビューに答えた言葉を頼りに、石川選手の名言を紹介していく。

石川祐希の名言❶:仲の良さが結果に繋がっている

 2024パリオリンピックの公式サイトに石川祐希選手のインタビュー記事があります。その中で、石川選手が日本代表チームが強くなった理由を話しています。

パリオリンピック公式サイト石川祐希選手のインタビュー記事のイメージ画像
2024パリオリンピックの公式サイト

 最も時間を割いて話しているのは、海外チームを経験した選手が増えてきたことです。石川選手を筆頭に髙橋藍選手や西田 有志選手など海外を経験している選手が増えています。

 かつてサッカー男子日本代表はW杯に出ることができませんでした。しかし、海外チームに所属する選手が増え、W杯に出場できるようになり、2022年11月には、カタールW杯の予選リーグで強豪ドイツとスペインに勝利しました。

 バレーボール男子日本代表も同じ奇跡をだどっているといえます。2024年6月時点で世界ランキングは4位(1位ボーランド、2位イタリア、3位アメリカ)です。

 さて、バレーボール男子日本代表の躍進理由として、石川選手はチームメンバーの「仲のよさ」も指摘していて、こう述べています。

石川祐希の名言

「日本チームの仲の良さが結果に繋がっているというのは間違いなくあると僕は思っていて、普段からいい意味で気を使わない選手たちばかりなので、思ったことも話せるし、そういった仲の良さが勝負どころで、みんなで頑張っていくぞっていうときにひとつになれる

パリオリンピック公式サイト「石川祐希が語る、日本男子バレーが強くなった理由」

 上の言葉で注目すべきは、「仲がいいから、思ったことも話せ、ひとつになれて、それが結果につながっている」という点です。

 グーグルが生産性の高いチームを研究した結果、チーム内の「心理的安全性」(psychological safety)の高いチームほど高い成果をあげていた、と発表しました。その後、「心理的安全性」は日本においても、チーム(組織)づくりの重要なキーワードになっています。

 「心理的安全性」とは、チームメンバーが、恐れを抱くことなく自分の言いたいことを言えるかどうかのことです。

 例えば、何かをいうと、まず否定から入り他者を攻撃するメンバーが多いと、自分の意見を言うことに恐れが生まれ、言いたいことが言えなくなってしまいます。これは「心理的安全性」が低いチームです。こんなチームでは、勝利につながるアイデアが埋もれてしまうことになります。

 反対に、石川選手のいっていることが、「心理的安全性」の高いチームです。

「仲がいい」→「思ったことも話せる」→「ひとつになれる」→「結果につながる」

 上のループの回っていることが、チームには欠かせません。

 「仲がいい」

 「仲がいい」などというと、あまりに単純で、チームづくりする上で軽視されがちですけど、チームビルディングにおいて「仲のよさ」は、私たちが考えている以上に大切なことなのです。


石川祐希の名言❷:ここから上がっていく自信

 パリオリンピックの出場をかけたFIVAW杯が、2023年9/30〜10/8日に行われました。対戦国は、フィンランド、エジプト、チュニジア、トルコ、セルビア、スロベニア、アメリカでした。

 石川選手はキャプテンとしてチームをひっぱりました。ただ、大会前半は、腰の痛みもありパフォーマンスは100%ではありませんでした。絶対的エースの存在である石川選手が、その不調から試合の途中で、交代させられる場面もありました。

 初戦のフィンランド戦では、2セットを先取したものの、その後2セットをとられ、第5セットまでもつれんこんでの勝利でした。そして、次の試合で格下のエジプトに負けてしまうのです。その後は、エジプトより強いチームとの試合が続きます。パリ五輪出場に赤ランプがともりました。

 この時の心境を石川選手は、『Number Web』のインタビューで、こうふりかえっています。

石川祐希の名言

「もう負けられない、ヤバい、という感情はなかったです。むしろ自分に目を向けても、ここから上がっていく自信しかありませんでした」

『Number Web』「自分に失望した」衝撃発言から始まった“石川祐希の9日間”」

 石川選手のメンタルの強さを象徴する言葉です。

 キャプテンとして100%のパフォーマンスを発揮できず、格下を相手にして負けてしまったら、その罪悪感から、自信を失ってもおかしくありません。

 しかし、石川選手は「ここから上がっていく自信しかありませんでした」といっています。

 不運という海に落ちたら、底までいって、地を蹴ってあがってくればいい。

 昔から、よくそういいます。「落ちるところまで落ちたら、後はあがるだけ」。そんな言葉もあります。この言葉通りに、石川選手は、試合を重ねるごとに調子をあげていき、パリ五輪の切符を手にします。

まっつん
まっつん

「自信」のあることは確かに大事ですが、もっと大切なことは、「勝利を目指す情熱」です。自信はなくても、情熱は持ち続けることはできます。

 「自信があるかないか」ではなく「どれだけ勝利を望んでいるか」。

 自信のあるないを気にすることはやめて、勝利への情熱に意識を向けていきましょう。


石川祐希の名言❸:そういった舞台に立つことしかない

 「立場が人を育てる」

 リーダー論として、古くから言われている言葉です。リーダーという立場になってみて、実際に行動し苦悩も味わい、その経験が自信となり、リーダーとして成長していく、ということです。

まっつん
まっつん

 リーダーシップ理論を本でどれだけ読んでも、リーダーとして成長はしません。泳げるようにはなるには、実際に、海やプールに飛び込ばなければならないように、リーダーとして成長するには、実際に、リーダーの立場となって、経験を積むに限ります。

 石川選手の次の言葉も、経験することの大切さをいっています。『バレーボール ネーションズリーグ2024』を前にして「U-NEXT」のインタビューで出た言葉です。

石川祐希の名言

「あのレベルに行ったら1点を取って、それを経験にするとか自信をつけるしかないので、まずはああいう準決勝とかそういった舞台に立つことしかないなって風に思います。結果を出して成長するだけだなって思っています」

『バレーボール ネーションズリーグ2024』を前にして「U-NEXT」のインタビュー

 あのレベルとは、石川選手自身のイタリアでのレギュラーシーズンのことです。石川選手は、世界のトップレベル「セリエA」に所属するクラブチーム「ミラノ」でプレーをしています。

 経験は無駄にならない。

 そうよく言いますが、経験にまさる「自己成長の妙薬」はありません。自らを磨き成長させるために、そういった舞台に飛び込んでいきたいものです。


石川祐希の名言❹:よく耐えたなぁ、って思いますよ(笑)

 石川選手は2014年の時に、イタリアに渡たりました。2024年4月で、9度目のシーズンを終え、所属する「ミラノ」の選手として、バレーボール世界最高峰のプロリーグ「セリエA」で第3位となりました。

 9年間の海外プロリーグでの感想を記者に尋ねられて、答えた言葉が次のものです。 

石川祐希の名言

「よく耐えたなぁ、って思いますよ(笑)。耐えた、というとめっちゃ苦しい、みたいな感じだから、違うかな。よくやったな、よくやってるな、のほうが正しいですね」

『Number Web』《独占インタビュー》石川祐希が明かした自負「それでも僕が先頭に立っている」

 「耐える」というと、石川選手のように、「めっちゃ苦しい」という意味合いが含まれて、つい否定したくなります。耐えるなんて古臭くて役に立たない精神論だ、とも考ええられがちです。

 ですが、「耐える力」も、人間にとって大切な資質です。

 「ネガティブ・ケイパビリティ」(Negative Capability)

 コロナ渦を通して、この言葉を耳にするようになりました。日本語では、「否定的能力」「負の能力」などと訳されます。精神科医帚木(ハハキギ ホウセイ)先生は、『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(朝日選書)の中で、こう定義しています。

『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(朝日選書)の表紙画像
『ネガティブ・ケイパビリティ』(朝日選書)
クリックするとAmazonへ!
ネガティブ・ケイパビリティ(Negative capability)

「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」
「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」

 耐えることは決して、古臭い役に立たない精神論ではありません。耐えることで得られる答えがあり、耐えることで見えてくる新たな世界があります。

 石川選手は、「よく耐えたなぁ」と「よくやったな、よくやってるな」に言い直しています。ただ、感想として、真っ先に出てきた言葉のほうが、石川選手の9年間に対する率直な気持ちだとも考えられます。

 石川選手はクラブチーム「ミラノ」を離れ、世界の強豪「ペルージャ」への移籍が発表されました。(2024年5月時点)。9年間、耐えた経験を踏み台にして、新たな世界へと羽ばたくことになったのです。

 耐えることも、人生において、大切なことです。


石川祐希の名言❺:ちゃんとやるときはちゃんとやる

 やるときはやる。やらないときはやらない。

 できるビジネスマンたちがよく口にする言葉です。オンとオフの切り替えをしっかりして、セルフマネジメント能力の高い人ほど、仕事ができるものです。

 石川選手は、日本代表チームが強くなった理由として「オン・オフの使い分け」についてもふれていました。

石川祐希の名言

「遊ぶときは遊ぶし、ちゃんとやるときはちゃんとやるといったオンオフがきっちりしているので、そこが今の日本チームの強さというか、良さかなと思います」

パリオリンピック公式サイト「石川祐希が語る、日本男子バレーが強くなった理由」

 仕事でもスポーツでも成果を高める鍵は、「集中力」です。試合の時に、集中力の欠けた選手が、高いパフォーマンスを発揮できないことは火を見るよりも明らかです。

まっつん
まっつん

 反対に、極度の集中状態になると、アスリートたちは「ゾーンに入る」といった心理状態となり、その選手の能力を越える力を発揮します。スポーツ心理学で「ゾーン」は研究対象にもなっています。

 集中力を発揮するには、「体調のよさ」が求められます。疲れていは集中力はとぎれとぎれになります。パフォーマンスもさがりがちです。では、「体調のよさ」をキープするにはどうすればいいのかといえば、オンとオフをしっかりと切り分けて、休む時にはしかっりと休むことです。

「ちゃんとやるときはちゃんとやって、ちゃんと休む時にはちゃんと休む」

 石川選手のいうように、オンとオフをきっちりと切り替えていくことが、アスリートだけでなく、ビジネスマンにとっても大切です。


石川祐希の名言❻:プレー以外でチームを勝利に導く

 石川選手は、所属するミラノではプレーオフ準々決勝に駒を進めました。そこで、強豪ペルージャに勝利します。ペルージャはレギュラーシーズンに無敗のチームです。しかし、石川選手は準決勝で敗れ、3位決定戦に回ることになりました。

 準決勝での敗戦の後、石川選手は、チームプレイヤーとして大切なことを言葉にしています。

石川祐希の名言

プレー以外の面でも、言葉などを使ってもっともっとチームを助けられるような行動をしていかなければいけないと思っています。今季、課題にしていた『プレー以外でチームを勝利に導くこと、助けること』をもう一度意識してやっていきたいです」

『WebSprtiva』【石川祐希・独占インタビュー】

 試合中に試合以外の場面でも選手同士のコミュニケーションは大切です。

 特に試合中は、選手同士が言葉を交わすことが求められます。話すことによって戦術を確認する意味あいもありますが、コミュニケーションの重要性は、士気を高める効果を左右する点にあります。

 バレーボールを見ていると、セットによってまったく別チームになってしまうことがあります。第1セットを10点差をつけて楽々とったチームが、第2セットで敵チームにまったく歯が立たないなんてことがあります。

まっつん
まっつん

その要因はさまざまなです。ただ、ひとついえることは、負けているチームは士気が低く、勝っているチームは士気が高いことです。勝っているチームはよく声が出ていて、選手同士が互いに声をかけあっています。

 「声を出せ!」

 チームスポーツを率いる監督やコーチたちは、試合中、くりかえし選手たちに向かって叫んでいます。選手だってわかってはいるのですが、負けていると声が出なくなるのです。

 石川選手も、トップレベルでの経験を通して、「声を出すこと」「コミュニケーションをとること」、その重要性を痛いほど理解しているはずです。だから自身の課題として、次のことを設定していたわけですね。

『プレー以外でチームを勝利に導くこと、助けること』

 その時、「言葉」が大きな力になります。

 トップレベルのアスリートたちは皆、「言葉の力」を深く理解しているものですね。


石川祐希の名言❼:高いパフォーマンスを発揮しつづけるためには、

 2020年の『バレーボールマガジン』でのインタビューで、石川選手は「コミュニケーション」の重要性を言葉にしています。

石川祐希の名言

外国人枠で来ているので、即戦力としてのパフォーマンスの高さが問われる立場にいます。高いパフォーマンスを発揮しつづけるためには、コミュニケーションをしっかりとることが必要です。

『バレーボールマガジン』石川祐希選手インタビュー前編「いい締めくくりと、いいスタートになった試合でした」(2020-01-17 )

 イタリアでプレーをする日本人の石川選手は、イタリア人にとって「異人」です。「異人」が「異国」にとけこむには、いかに信頼してもらうかです。

 プレーで信頼してもらうのは最も確かな方法です。ただ、チームプレーとなると、個人の能力がどれだけ高くても勝利につながらず、信頼を得るのには十分ではありません。

 そうなると残された道は、常にコミュニケーションをとって、「人となり」、つまり、自身の「人間性」を理解してもらうことで、信頼を獲得することです。

 信頼は、コミュニケーションによってつくられます。

 試合の場面でコミュニケーションは大事ですが、試合の以外の場面で、選手同士はより多くの時間を過ごします。試合以外の場でとられるコミュニケーションの質が信頼につながり、チームの絆を深め、結果的に高いパフォーマンスにつながるものと考えられます。

 プレーの能力を高めることに意識が向き、「言葉をかわすこと」を軽視しがちです。トップアスリートほど、コミュニケーションの質が高いパフォーマンスにつながることを理解しています。

 チームにおいて、コミュニケーションの大切さを忘れないでいたいものです。


石川祐希の名言❽:キャプテンになってからのほうが圧倒的に記憶は濃い

 『日本男子バレー勇者たちの軌跡』(文藝春秋)の著者であるスポーツライター田中夕子氏は、石川選手を古くから取材してきた人です。

 その田中氏はいわく、石川選手は、試合中の自分のプレーについては細いところまで覚えていて、語ることができたそうです。ただ、試合全体の流れなど、自分のプレー以外になると、その正確さに劣る面があったそうです。

 それが日本代表のキャプテンになってから変化したといいます。田中氏が石川選手にそのことを指摘して、返ってきた言葉が次のものです。

『日本男子バレー勇者たちの軌跡』(文藝春秋)
クリックするとAmazonへ!
石川祐希の名言

キャプテンになってからのことはよく覚えているけれど、キャプテンになる前のことはあんまり覚えていないかもしれない、というぐらい。キャプテンになってからのほうが圧倒的に記憶は濃いですね

『日本男子バレー勇者たちの軌跡』(田中夕子 文藝春秋)

 この点も「立場が人をつくる」といえるエピソードですね。

まっつん
まっつん

キャプテンとなれば自分のことばかりでなく、チームの勝利に向けてメンバー全体のこと、試合の流れを常に意識しつづけなければなりません。これは「心の視野」が広がったことを意味します。

 人として成長していくことは、心の視野が広がることです。

 それまで見えなかったものが見えるようになり、感じ取れなかったものが感じ取れるようになる。

 それが心の成長であり、人格の発達です。

 意識発達のアインシュタインとも呼ばれる心理学者ケンウィルバーの本『INTEGRAL LIFE PRACTICE』(日本能率協会マネジメントセンターp13)の中に、次の言葉を見つけます。

『INTEGRAL LIFE PRACTICE 』
クリックするとAmazonへ!

「人間の発達とは自己中心性(self-centrocity)が減少していくプロセス」

 かつての石川選手は、自分に焦点があってしましたが、キャプテンとして「心の視野」が広がり、より全体に対して意識を向けるようになり、その結果、「キャプテンになってからのほうが圧倒的に記憶は濃い」ことになっているのでしょう。

 成長をつづける石川選手の活躍に期待です。 

(文:まっつん)


]]>
夢を叶える言葉 【8選】https://www.earthship-c.com/nice-word/dreams-come-true-words/Sun, 26 May 2024 20:38:00 +0000https://www.earthship-c.com/?p=16730

 夢を叶えるために心がけておきたい8つの考え方を言葉にしました。 夢の実現に向けて努力している人を励ます言葉です。  人は、「マインドセット」(心構えや考え方)を変えることで、「やる気」を維持することができます。よって、 ... ]]>

 夢を叶えるために心がけておきたい8つの考え方を言葉にしました。
 夢の実現に向けて努力している人を励ます言葉です。

 人は、「マインドセット」(心構えや考え方)を変えることで、「やる気」を維持することができます。よって、その人の「マインドセット」の差によって努力の質が決まってくるといえます。

 「マインドセット」を変えるのに必要なのは、ちょっとした「気づきの言葉」です。そんな「気づきの言葉」を、「夢を叶えようと努力をしている人」「これから夢の実現を目指す人」へ、お届けします。

夢を叶えるには、行動が大切。

 人それぞれ、いろいろな夢があります。その夢を叶える鍵は、「行動」にあります。

 大きな夢をもつことは、とても素敵なことです。とても素敵なことですから、その夢を叶えるために、口だけにならず、確かな行動をとっていきましょう。

 夢は大きく。行動は小さくとも確実に。

 コツコツと確かに続けていくことで、夢は夢物語に終わらず、あなたのもとに近づいてきます。

『夢へ』

夢はでっかく、
行動は小さな一歩から。
志は高く、日々の実践を着実に。

理想の未来を夢物語に終わらせないため、
手を動かし、足を動かし、
人生を動かしていく。


夢を叶えるには、「やるべきこと」を積み重ねる。

 夢を叶えるための「行動」には、2種類あります。

 「やりたいこと」「やるべきこと」です。

 「やりたいこと」を行動に移すのは、モチベーションを維持しやすいので、続けられます。でも、「やるべきこと」は、「やりたくないこと」の時もあるので、やる気を出すことが難しくなります。

まっつん
まっつん

夢は、「やりたいこと」と「やるべきこと」の2つを行って初めて叶えられます。そして、多くのケースで夢を叶えるための行動は、「やりたいこと」よりも「やるべきこと」が多いもののです。

 だから、夢を叶えるためには、「やるべきこと」から逃げずに、「やるべきこと」を続けることです。「やりたいこと」だけでなく、「やるべきこと」の積み重ねで、夢は実現されます。

『積み重ね

はるか遠くに見える夢は、
今、目の前にあるやるべきことの
積み重ねで実現される。

だから、夢や目標の遠さを嘆くことはない。
実現の難しさを哀しむことはない。

喜ぼうが哀しもうが、
やるべきことをやったものが、
その手に夢をつかむのだ。


夢を叶えるには、「願い」続けること。

 夢に向かって努力をしていると、なかなかうまくいかなくて、挫折を味わうことがあります。そんな時、やる気を失ってしまい、「やるべきこと」ができなくなることもあります。

まっつん
まっつん

 そんな停滞の時、夢を叶えるために大切なことは、夢の実現を「願う」ことです。願い続けることです。

 やる気を失い、行動できなくなっても、「願う」ことならできます。夢の実現が信じられなくなっても、夢が叶うようにと、「願い続ける」ことはできます。

 願う力が、夢を叶える力。

 夢が遠くに感じられ疲れた時は、心を静めて夢が叶うことを「願い」続けましょう。

 

『願う力

願うことは「力」となる。
人は何かを求め願うから、
それを始め、それに取り組み、やり続ける。

願ったからといって、必ず叶うわけじゃない。
でも、願うから続けられることがあり、
叶えられることがある。

願うことは、夢を実現する力。
夢が叶うことを願い続けよう。


夢を持つから、夢は叶えられる。

 夢を持つことから、何もかもが始まります。宝くじを買わなければ、決して宝くじは当たらないように、夢を持たなければ、夢が叶うこともありません。

 ただ、現実は厳しく、時に「夢なんてもっても叶わないよ」と冷めた声が聞こえてきます。熱い心に冷めたい水を浴びせる言葉は、夢に向かって進んでいる時に、よく出会うものです。

 そんな、あなたの夢を小馬鹿する言葉に出あったら、夢を持っている自分に誇りをもち、雑音をかきけすぐらいに、さらに努力を重ねましょう。

 夢を持ちましょう。夢をもっていること自体が、人生にはりを与え「チャレンジ精神」を育んでくれるのですから…。

夢を持つ』

夢をもつとけなされた。
世の中そんなに甘くないよ。
夢を語ると笑われた。
うまくいくのはひと握りの人間だよ。

でも、夢をもたない人ばかりになったら、
挑戦しない人であふれてしまう。

夢を持とう。
夢があるから、
人は理想を目指し、挑戦するのだ。


どんな夢を実現するかは、自分で決める。

 夢を実現する途中では、いろいろと決めることがあります。

 決める時に、他人の意見を参考にすることもあります。他人からのアドバイスは大事です。かといって他人の言葉に耳を傾けてばかりで、自分で決めないと、あなたの夢が他人の夢になってしまいます。

まっつん
まっつん

 他人に決められると、いろいろと言い訳をしがちです。「だって、自分じゃなくて、あの人が言ったんだから…」と。

 あなたの夢は、あなたが叶えるのであって、他人が叶えるのではありません。

 自分だけは決められないことも多いのが人生です。でも、肝心なことは、最後の最後は自分で決めましょう。どんな人間になり、どんな夢を目指すかは、自分で決められるものです。

 自分で決めたのなら、他人のせいにはできず、努力にも磨きがかかります。自分で決めて、夢に向かって突き進んでいきましょう。

決める』

人生、自分で決められないことが多いけれど、
どんな人間になろうとするかは、
自分で決められる。

どんな人間になろうとし、
どんな生き方を志すかで人生は決まってくる。

よい生き方を志し、よい人生を歩みたい。


夢を叶えるには、「楽しむ力」が大切になる。

 夢を叶えるには、人に負けぬ努力が必要です。他人の2倍、3倍の努力をして、夢は実現されるものです。

まっつん
まっつん

 努力は時に辛いものです。決して、楽しいことばかりではありません。むしろ、嫌になることも多くて、だから、挫折してしまう人が出てきます。

 オリンピック選手やプロスポーツの選手など、トップアスリートたちは辛く苦しい練習に取り組み、夢を叶えていきます。夢を目指す限り、練習は避けられません。苦しい努力からは、逃げられません。「やるべきこと」から逃げたら、夢は遠のいていきます。

 努力を続けることは、苦しいことですが、「その苦しさを少しでも楽しもう」と、工夫することはできます。

 夢を叶えるためには、「やるべきこと」があります。どうせやるのです。やるなら苦しみながらするよりも、楽しみながらしたほうが、続けられるものです。

 夢を叶える力は、楽しむ力。

 夢に向かって「やるべきこと」を、楽しむことを忘れないでいましょう。

夢の架け橋』

好きなことができないと、
悲しむことはない。

なぜなら、好きになれないことに
真剣に取り組む力が、
夢を実現する力を創りあげるから。
楽しくないことを楽しめる力が、
夢を君の手元に近づける。

今、目の前にあるやるべきことが、
いつでも夢への架け橋である。


夢を叶えるために、続けた努力に大きな意味がある。

 現実は厳しいものです。必死に努力を重ねても、時に、夢が叶わないこともあります。

 オリンピック選手なろうと努力した人たちの誰もが、オリンピック選手なれるわけではありません。オリンピック選手になった人たちの誰もが、メダルをとれるわけではありません。

 では、夢が叶わないことは、してきた努力を無意味にするのでしょうか。

 そんなことはありませんね。結果が出なくても、努力が報われなくても、夢に向かって努力したことが、次の人生で大いに役に立つのです。

 人生は続いていきます。目指した夢が叶わなかったとしても、「次」があるのです。

 だから、夢が叶うか叶わないかは思い煩うことはなく、今、「やるべきこと」にベストを尽くしましょう。

努力』

努力を続けても、
結果の出ないことがある。

けれど、努力を続けたことは、
他の何かを続ける大きな力になる。

努力を重ねても、
夢が叶わないこともある。
けれど、夢に向けて努力したことは、
次のチャンスをつかむ
確かな追い風となる。


夢を叶えるには、「そのうち」を「今から」に。

 人は「今日やるべきこと」を先延ばしにすることがあります。やるべき努力は、「苦」になりますので、「苦」から逃げるために「今日はまあいいか」と、「やるべきこと」を先延ばししてしまうのです。

 先延ばしすることが癖になると、努力が実らず、夢がどんどん遠のいていきます。先延ばし癖は、夢の実現にとって敵となる心です。

まっつん
まっつん

「そのうち、そのうち」と考えていると、時間がどんどん過ぎていきます。「いつかやればいい」と思っていると、「いつまでもやらない自分」になってしまいます。人生は有限です。時間には限りがあるのです。

 だから、「そのうち」という言葉が口から出てきたら、すぐに「今のうちに」と言い直して、「やるべき努力」に手をつけましょう。「いつかやればいい」は「今日やるといい」と考え直して、すぐにやってみましょう。

 「今のうち」「今日から」を口癖にすれば、あなたの夢を叶える確率が、ぐっと高まります。 

今日から』

「そのうち」を「今のうち」に。
「いつか」を「今日から」に。

一度きりの人生、時間は有限だ。
「そのうち」やればいいと思うことは、
「今のうち」にやっておく。
「いつか」始めればいいと思うことは、
「今日から」始める。

「今のうち」「今日から」
を合言葉にして、
君の夢を叶えよう。

(文:まっつん)


「夢を叶えたい君へ贈る言葉」YouTube

]]>
宮崎駿の名言〈10選〉https://www.earthship-c.com/nice-word/miyazaki-hayao-quotes/Wed, 20 Mar 2024 23:55:00 +0000https://www.earthship-c.com/?p=16233

 『何が映画か』(黒澤明 宮崎駿 徳間書店)は、黒澤監督と宮崎監督の対談本で、1993年の出版です。『日本テレビ『映画に恋して愛して生きて』で放映された内容をまとめたものです。『紅の豚』の公開が1992年ですので、『紅の ... ]]>

宮崎駿 略歴

 1941年(昭和16年)東京生まれ。東京都立豊多摩高等学校から学習院大学政経学部に進学し卒業。

 1963年 学習院大学卒業後、東映動画に入社。アニメーターとして働く。東映退社後、いくつかの会社を渡り歩き、その間に『アルプスの少女ハイジ』『未来少年コナン』『ルパン三世 カリオストロの城』に携わる。上映当時『ルパン三世 カリオストロの城』は興行的には振るわず、その後、映画界から声がかからなくなり不遇の時代を過ごす。

 1982年、雑誌『アニメージュ』(徳間書店)で『風の谷のナウシカ』連載開始。これを原作としてアニメ映画『風の谷のナウシカ』が制作・上映されヒットする。宮崎監督の名が一般の人々に知られるようになる。

 1985年スタジオジブリ設立。1986年の『天空の城ラピュタ』、1988年『となりのトトロ』と話題作を世に提供し、1997年『もののけ姫』は日本映画史の興行記録を塗り替えるヒット作となる。宮崎監督は、『もののけ姫』の完成後、引退宣言をしたが、翌年、撤回。

 2001年『千と千尋の神隠し』で、ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞し、アカデミー賞長編アニメ賞する。『千と千尋の神隠し』の完成記者会見でも引退宣言をしている。2004年『ハウルの動く城』は、世界的に高く評価され、宮崎監督は、ヴェネツィア国際映画祭にて栄誉金獅子賞を受賞。

  2013年、『風立ちぬ』を発表後、長編映画の製作からの引退を宣言するが、2023年『君たちはどう生きるか』が公開される。『君たちはどう生きるか』は、ゴールデングローブ賞と英国アカデミー賞においてアニメ映画賞を受賞し、第96回アカデミー賞(2024)で、長編アニメ映画賞を受賞する。『千と千尋の神隠し』に続き2度目の受賞となった。

2024年9月「アジアのノーベル賞」と呼ばれるマグサイサイ賞を受賞。マグサイサイ賞は、マザー・テレサ、ダライ・ラマ14世などが受賞してきた権威ある賞である。

【主な作品】『ルパン三世カリオストロの城』(1979)、『風の谷のナウシカ』(1984)、『天空の城ラピュタ』(1986)、『となりのトトロ 』(1988)、『魔女の宅急便』(1989)、『紅の豚』(1992)、『耳をすませば』(1995)、『もののけ姫』(1997)、『千と千尋の神隠し』(2001)、『ハウルの動く城』(2004)、『崖の上のポニョ』(2008)、『風立ちぬ 』(2013)、『君たちはどう生きるか』(2023)

宮崎駿の名言1:自分の思いを曲げない

 『何が映画か』(黒澤明 宮崎駿 徳間書店)は、黒澤監督と宮崎監督の対談本で、1993年の出版です。『日本テレビ『映画に恋して愛して生きて』で放映された内容をまとめたものです。『紅の豚』の公開が1992年ですので、『紅の豚』を完成させて一段落している時でしょうか。93年は、黒澤監督は83歳に、宮崎監督は52歳になる年です。2024年は宮崎監督が83歳になる年です。

 尊敬する巨匠黒澤監督を前にして、緊張し、聞き役になっている様子が、本からも伝わってきます。宮崎監督は、日本映画の実写の中で黒澤監督の『七人の侍』が最も好きだと明言しています。

『何が映画か』(黒澤明 宮崎駿 徳間書店)の表紙画像
『何が映画か』(徳間書店)
クリックするとAmazonへ!

 次の言葉は、黒澤監督との対談を終えて、インタビューで口にした宮崎監督の言葉です。

宮崎駿の名言

「自分の思いを曲げないで最後まで歩き続けて、それで堂々と死ぬ」

『何が映画か』(黒澤明 宮崎駿 徳間書店)p175

 この言葉に続けて「その見本として黒澤監督がはるかむこうを歩いていらっしゃるという、そいう感じです」といっています。黒澤監督をどれほどリスペクトしているかがわかる言葉です。

 この言葉は、黒澤監督から「学んだこと」と、とらえることができます。

 アニメと実写で違いはあれどもふたりとも監督です。宮崎監督は、黒澤監督を尊敬はするけど、監督としてはライバルだと考えています。そこで、記者から黒澤監督に「期待することは?」と尋ねられて、こう答えています。

 膝を曲げずに自分もやろう!というふに思うだけです。「世間がいろいろいっても、とにかく俺の思う通りに生きるぞ!回りに迷惑をかけても、俺はこれで生きていく。そういうことをちゃんとやること、それが大事なことなんだと」と全身でおっしゃっているじゃないですか。僕はそう思いますが。で、これはね、人に迷惑を随分かけるんですよ。多くの犠牲を周りに押し付ける。

『何が映画か』(黒澤明 宮崎駿 徳間書店)p174

 宮崎監督はこれまで何度か「引退宣言」をし、それを撤回しながら作品を作りつづけてきました。『もののけ姫』の時、『千と千尋の神隠し』の時、それぞれ「引退宣言」をしました。

 2013年『風立ちぬ』の後の引退宣言では、記者会見も行われ、年齢的なことを考えると、「確かに、これで最後になるだろう」と思われ、多くのファンが「もう宮崎監督の新しい長編アニメ映画は観られないのか」と残念に思いました。

 ところが、この「引退宣言」もまた撤回された形になり、2023年『君たちはどう生きるか』が公開されました。そして、アカデミー賞(2024)で、『千と千尋の神隠し』以来、2度目となる長編アニメ映画賞の受賞となりました。

© 2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli
まっつん
まっつん

 世界に名を知られた宮崎監督のほどの人が「引退宣言」をすると、仕事で関係する多くの人々に影響が及びます。宮崎監督がいっている通り、「人に迷惑を随分」かけますし、「多くの犠牲を周りに押し付ける」ことになります。もちろん、世間はいろいろといいます。

 それでも、『君たちはどう生きるか』の制作にとりかかったのは、黒澤監督から学びとった=「世間がいろいろいっても、とにかく俺の思う通りに生きるぞ!回りに迷惑をかけても、俺はこれで生きていく。そういうことをちゃんとやること、それが大事なことなんだと」、この哲学を変わらず持ちつづけていたからかもしれません。

 「自分の思いを曲げないで最後まで歩き続けて、それで堂々と死ぬ」

 まさに、この言葉通りの人生を歩んできたのが、宮崎駿監督といえます。

宮崎駿の名言2:子どものために作れ

 『日本人への遺言』(朝日新聞社)は、歴史小説家「司馬遼太郎」さんの本で、宮崎駿監督が登場し対談をしています。話題は、「子どもの心」のこととなり、宮崎監督はこういっています。


『日本人への遺言 司馬遼太郎』(朝日新聞社)の表紙画像
『日本人への遺言』(朝日新聞社)
クリックするとAmazonへ!
宮崎駿の名言

ぼくはスタッフに子どものために作れ、子どものために作れといってきたんです。自分のために作るな、自分のためなら本を読め

『日本人への遺言』(司馬遼太郎 宮崎駿 朝日新聞社)

 宮崎作品を知っている人なら深くうなづく言葉です。

 宮崎監督の長編アニメ映画は、世代を問わず、国を超えて多くの人に愛されています。『天空の城ラピュタ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『となりのトトロ』『君たちはどう生きるか』など、主人公は「子ども」です。

まっつん
まっつん

 未来をになう「子ども」たちのために宮崎監督は、アニメ映画を作り続けてきました。かといって宮崎作品は「子ども向けアニメ」ではありません。大人が見ても感動があり、学びがあります。

 「子どもの心」の中に、「大人の心」の原型を発見できます。「子どもの心」には、大人が失ってしまった、忘れてしまったピュアな大切な何かが輝いています。映画の世界に没入し、宮崎映画の「主人公(子ども)」の心情にシンクロしていくと、大人になっても「忘れてはいけないもの」「失ってはいけないもの」が、心に浮かびあがってきます。

 自身に息づく「子どもの心」があらわになるので、宮崎作品を通して、多くの大人たちも胸をうたれるわけですね。

 司馬遼太郎さんは、宮崎監督との対談で、こういっています。

 人間は大人になっても、一人ずつ子供をもっていて、恋をするときや、作曲、絵画はー小説もしばしばそうですが、ときに学問も──その子どもがうけもっています。おくやみにゆくときは自分の中の大人がふるまうのですが、創造的なしごとは子どもの役割ですね。ただトシをとると、自分の中の子どもが干からびてきて、いい景色をみても小躍りするような気分が乏しくなります。

『日本人への遺言』(司馬遼太郎 宮崎駿ほか 朝日新聞社)

 「創造的なしごとは子どもの役割」

  司馬さんも宮崎監督も、日本代表する「創造的なしごと」をされてきた人物です。大人になって年齢を重ねても、しなやかな「子どもの心」を失わずに、創造性を発揮した人です。

 実は、宮崎監督は、「ぼくはスタッフに子どものために作れ、子どものために作れといってきたんです。自分のために作るな、自分のためなら本を読め」の後に、「といってきたんですが、恥ずかしいことに自分のために作ってしまいました」とお茶目なことをいっています。

『出発点』(宮崎駿 徳間書店)の表紙画像
『出発点』(徳間書店)
クリックするとAmazonへ!

 その「自分のために作った」作品が、『紅の豚』(1992年公開)です。『紅の豚』は、中年男性に向けた作品であり、宮崎監督の大好きな飛行機が登場します。

 宮崎監督は、自著『出発点』(宮崎駿 徳間書店)で、『紅の豚』について「まずもって、この作品が「疲れて脳細胞が豆腐になった中年男たちのための、マンガ映画」であることを忘れてはならない」と書いています。

© 1992 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, NN

 「子どものために作れ」といっておきながら、「自分のため」「大人のため」にも作品を生み出しています。そうした「しなやかさ」こそ、宮崎監督が「子どもの心」を失っていない証といえるでしょう。

宮崎駿の名言3:配慮を自分でも持っていないと

 宮崎監督の右腕に鈴木敏夫プロデューサーがいます。スタジオジブリも資本提携に関して紆余曲折あり、2023年、日本テレビの子会社となっています。一時期、スタジオジブリの代表取締役を務めていたのは、鈴木プロデューサーです。宮崎監督はクリエイターとして作品づくりに集中し、会社経営のことは主に鈴木プロデューサーの担当、というイメージがありますが、宮崎監督も経営陣の一員ですので、経営的なことにも関わります。

 そこで、宮崎監督の著書 『風の帰る場所』(文藝春秋)に「経営者」という一節があります。

 「経営者」の一節で、次の言葉があります。

風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡 (文春ジブリ文庫 )の表紙画像
『風の帰る場所』(文藝春秋 )
クリックするとAmazonへ!
宮崎駿の名言

「膨大な仕事をやってもらってる中で、一番近いものには厳しくすべきだけども、遠く離れてやっているスタッフに対してはね、そういう配慮を自分でも持っていないとと思うんですよ。外注はひどいとかね、十把一絡にそういうことをすぐ言う奴がいますけど、もう、大っ嫌いですね、そういう奴は」

『風の帰る場所』(宮崎駿 文藝春秋 )

 この言葉はあるエピソードを受けてのものです。そのエピソードとは、こんな感じです。

 宮崎監督が、ある時、ある面倒くさいカットがあって、あるプロダクションに外注します。できあがりを見たら、満足のいくできでした。
 「これはお礼を言ったほうがいい」と、宮崎監督は思います。その外注プロダクションから電話があって、「いや、とてもいいカットでした、どうもありがとうございました」と、お礼をいいました。

 後日談…。宮崎監督と電話で話した人は、監督の「感謝の言葉」を聞いて、泣いていたそうです。

 宮崎監督の「そういう配慮」とは、協力してくれた会社の人に対して、発注者だからといって高飛車になるなどもってのほかで、「一緒に作品をつくりあげている」という仲間意識をもって、そして、感謝の気持を丁寧に表現していくことです。

 それが「そういう配慮」です。

 スタジオジブリで掃除をしてくれるおじいさんとおばあちゃんがいたそうです。その人たちに対して、一番丁寧に挨拶するのは「自分」(宮崎監督)と鈴木プロデューサーだと、『風の帰る場所』(文藝春秋)に書かれています。

 「一番近いものには厳しくすべき」とある通り、スタジオジブリのスタッフに対しては、時に厳しく叱責をします。「NHKプロフェッショナル」で、鳥のカットが手抜きに思えたようで、あるスタッフを怒鳴りつけているシーンが流れました。

© 1986 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli

 作品づくりに対する厳しさがあるからこそ、感謝や挨拶など、人に対する基本的な配慮を大切にするともいえます。厳格さと丁寧な配慮があって、あの宮崎作品が生まれてくるのですね。

宮崎駿の名言4:本当に困らないとだめなんです

 2010年、スタジオジブリ作品のアニメ映画『借りぐらしのアリエッティ』が公開されました。企画脚本は宮崎駿さんですが、監督はジブリの米林宏昌さんです。公開をきっかけに『BURUTUS』が、スタジオジブリ特集を組み、宮崎監督のインタビューが掲載されています。

BRUTUS (ブルータス) 2010年 8/1号の表紙画像
『BURUTUS』(マガジンハウス)
クリックするとAmazonへ!

 そのインタビューで宮崎監督は、作品づくりについて語っています。

宮崎駿の名言

 作品というのは全部理詰めで作るとつまらないんです。理屈ではこうだけど、どうしてもこれではおかしい、これじゃつまらない、じゃあどうするか。理詰めじゃないものが出てくるには、本当に困らないとだめなんです。とにかく追い詰められるしかないんです、ものすごく。どれだけ自分を追い詰められるか。

『BURUTUS』2010 8/1(マガジンハウス)

 理詰めでは作品はつまらなくなるから、理詰めではないものを出すために、本当に困ることが必要というわけです。では、その理詰めではないもは、どこから出てくるかというと、宮崎監督は、上の言葉の前に、こういっています。

 人間の内面の奥の方には、何か混沌としたエネルギーやら個人の記憶を超えた記憶のようなものがあるんだと思うんです。それに従うわけです。『BURUTUS』2010 8/1(マガジンハウス)

 この言葉から、ユング心理学でいう『集合的無意識』(collective unconscious)を思い出します。

 ユングは、「無意識」「個人的無意識」(personal unconscious)と「集合的無意識」(collective unconscious)に分けて考えました。「個人的無意識」は「意識」の領域の下にあり「個人の記憶」が蓄積されています。そして「個人的無意識」のさらに奥に、「集合的無意識」があり、ここでは人類に共通する心のパターンが動いています。

 「集合的無意識」とは、まさに混沌したエネルギーであり「個人の記憶を超えた人類の記憶のようなもの」といえます。

まっつん
まっつん

「集合的無意識」の要素は、時に、「夢」の世界に登場してきます。神秘的で超常的な夢を見たら、それは「集合的無意識」からのメッセージかもしれません。

 宮崎監督が「集合的無意識」を知っているかどうかはわかりません。

 宮崎監督の言葉=「何か混沌としたエネルギーやら個人の記憶を超えた記憶のようなもの」は、ユング心理学で考えると、「集合的無意識」のことといえます。そして「それに従う」というのですから、宮崎監督は「集合的無意識」からヒントを得ようとしていると考えられるのです。

 ユング派心理療法家の河合隼雄先生は、『ユング心理学入門』(培風館)で、こう書いています。

『ユング心理学入門』(河合隼雄 培風館)の表紙画像
『ユング心理学入門』(河合隼雄 培風館)
クリックするとAmazonへ!

「われわれの自我が問題に直面し、あらゆる意識的な努力を続けても解決できず、絶望に陥りそうなときに、自己の働きが起こり、われわれは今までの段階とは異なった高次の解決を得ることを経験する」

『ユング心理学入門』(河合隼雄 培風館)p228

 上の文でいう自我(エゴ)とは、ユング心理学では、心の表層部分である「意識」の領域を統括している「心の働き」です。「自己の働き」での「自己」(セルフ)とは、意識と無意識を含めた心全体を統括している「心の働き」です。「自己」(セルフ)の働きは無意識のものです。

 宮崎監督は、「理詰めじゃないものが出てくるには、本当に困らないとだめなんです。」といっています。「絶望に陥りそうなとき」に、「高次の解決」として「理詰めではない、作品をおもしろくする何か」を得てきたのでしょう。

© 2010 Mary Norton/Keiko Niwa/Studio Ghibli, NDHDMTW

 宮崎監督は、「経験のない人にはちょっとわからないと思うんですけどね」と前置きして、「人間の内面の奥の方には、何か混沌としたエネルギーやら…」と続けています。これを逆に言えば、「自分は経験をしているのでわかる」ということです。

 何度も何度も、本当に困って絶望しそうになって、そうして、無意識のもたらす高次の解決を手にして、あの数々の名作が創り出されてきたのですね。

宮崎駿の名言5:それは自分に対する敗北ですよ

 『黒沢明、宮崎駿、北野武 日本の三人の演出家』(インタビュー:渋谷陽一 ロッキング・オン) に、宮崎監督のロングインタビューがおさめられています。1989年11月に行われたものです。この時点での宮崎作品の最新作は『魔女の宅急便』です。

黒沢明、宮崎駿、北野武 ( ロッキング・オン)
クリックするとAmazonへ!

 宮崎監督は、自分のことをやたらと卑下します。例えば「このだらしなさとか、そんなの今さら他人に言われたくないし」(p114)「底知れぬ悪意とか、どうしようもなさとかいうのがあるのは十分に知ってますが」(p115)など、自分に対する評価になると、やけに否定的になります。

 この否定的なとらえ方は、自身のことだけに限らず、「大人」という存在に対する宮崎監督の実感のようです。

 宮崎監督は、「『人というのはこうものだ』っていうふうな描き方じゃなくて、『こうなったらいいなあ』っていう方向で映画を作ってます」(p114)といいます。

 大人の否定的な側面に共感していく映画ではなくて、子供たちが『こうなったらいいなあ』と思える映画づくりを目指しています。このインタビューでも、「子供のために作品を作りたい」といっています。 

 『人というのはこうものだ』となると、どうしてもニヒリズム(虚無主義)の要素が強くなります。ニヒリズム(虚無主義)とは、「この世界や人間に本質的な価値はない」とする考え方です。そこで、宮崎監督の言葉です。

宮崎駿の名言

 ニヒリスティックになったり、ヤケクソになったり、刹那的になるってことは、いまは少しも僕は肯定したくないんですよ!たとえそれが自分の中にどんなにあってもね、それで映画を作りたいとは思わないんです。それは自分に対する敗北ですよ。

『黒沢明、宮崎駿、北野武』 ( ロッキング・オン)p116-117

 大人の「だらしなさ」「底知れぬ悪意」「どうしようもなさ」が現実には確かにあって、それを『人というのはこうものだ』と物語っていくのが、大人の否定的な面に共感していくニヒリスティックな映画づくりです。

「大人だってだらしないし、底知れぬ悪意をもってるんだから、人ってそういうもんだよ、人生なんて無意味だよ」といったニヒリズム(虚無主義)は、人を悲観的にし、やがて絶望を生み出します。

 それは子どもたちから未来を奪う考え方です。もし、そんな考え方で映画を作ったら、まさに宮崎監督にとって「自分に対する敗北」になります。

  世界的心理学者V・E・フランクルは、こういっています。

悲劇に直面していても、幸せな人はいる。
苦しみにもかかわらず存在する意味ゆえに。
癒しの力は、意味の中にこそあるのです。 
『〈生きる意味〉を求めて』(V・E・フランクル 春秋社)

 フランクルは、「人生はどんな時にも意味がある」と考えた人です。宮崎監督のように、人生における希望の大切さを唱えつづけた人です。

まっつん
まっつん

 『こうなったらいいなあ』という方向性が、宮崎監督の指針です。『風の谷のナウシカ』(1984)も、『天空の城ラピュタ』(1986)も、『となりのトトロ 』(1988)も、人が『こうなったらいいなあ』という理想や希望をベースに描かれています。

 宮崎監督には、現代社会をおおうニヒリズム(虚無主義)を超克しようとする、つまり、ニヒリズムを乗り越え、ニヒリズムに打ち勝とうとする「生きる姿勢」があります。

© 1989 Eiko Kadono/Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, N

 数々の映画作品もそうですが、宮崎監督の生き方そのものも、私たちに『こうなったらいいなあ』という希望を与えてくれています。

宮崎駿の名言6:君を助けてくれる人間があらわれるよ

 『本へのとびら』(岩波書店)は、スタジオジブリ制作『借りぐらしのアリエッティ』(原作『床下の小人たち』)の公開(2010)と岩波少年文庫創刊60周年を機に生まれた本です。宮崎監督が岩波少年文庫の中から、3ヶ月をかけて再読し、50冊を選び出し、その感想が記されています。

本へのとびら――岩波少年文庫を語る (岩波新書) の表紙画像
『本へのとびら』(岩波書店)
クリックするとAmazonへ!

 出版は2011年10月20日です。本の後には、東日本大震災(3.11)の発生を受けての宮崎監督の思いが語られています。その文に、次の言葉がありました。

宮崎駿の名言

 何かうまくいかないことが起こっても、それを超えてもう一度やり直しがきくんだよ、と。たとえいま貧窮に苦しんでいても、君の努力で目の前がひらける、君を助けてくれる人間があらわれるよ、と、子どもたちにそういうことを伝えようと書かれたものが多かったと思うんです。

『本へのとびら』(岩波書店)p162-163

 宮崎監督の児童文学の「あるべき姿」を語ったものととれます。

 この言葉は、名言5であげた「『こうなったらいいなあ』っていう方向で映画を作ってます」の『こうなったらいいなあ』の具体的な内容と考えることができます。

 宮崎監督は、基本的には、子どものために映画を作っています。映画を通して、子どもたちにメッセージを伝えています。そのメッセージを次のものと考えると、深くうなづけます。

何かうまくいかないことが起こっても、それを超えてもう一度やり直しがきくんだよ、と。たとえいま貧窮に苦しんでいても、君の努力で目の前がひらける、君を助けてくれる人間があらわれるよ

 こうしたメッセージに対して、「そんなこといっても現実は違うよ、そうはならないよ」と、否定的な評価をくだすのがニヒリズム(虚無主義)です。

 「この世界や人間に価値なんてない」とするニヒリズム(虚無主義)は、さらなる高みへ向かう「心のエネルギー」を奪います。悪い意味での「あきらめ」を生み出します。

まっつん
まっつん

 ただでさえ人には、本能をベースとした「欲」があります。「欲」とは、人間を低いレベルにおしやろうとする力にもなります。「寝て」「食べて」という自分の「欲」を満たすことだけに夢中になったら、それはとても寂しい人生です。

 名言5にも登場した心理学者フランクルは、こう述べています。 

「自分の中の、より高い欲求や目標を含んだ、高いレベルで自分自身を見る経験がない限り、人間もまた、その人が本来持っていたであろうレベルより低い所に落ち着いてしまうのである」

『〈生きる意味〉を求めて』(V・E・フランクル[著]、諸富祥彦[監訳] 春秋社)

 人間には、「欲」という、自己を低いレベルに押しやる力が働いています。

 その力のいいなりになったら、なまけ癖のついた「だらしない人間」になってしまいます。だから、高いレベルへと自分を押し上げる「希望」や「理想」が必要なのです。

© 2010 Mary Norton/Keiko Niwa/Studio Ghibli, NDHDMTW

 「希望」や「理想」が必要なのは、子どもだけでなく、もちろん、大人も、です。

宮崎駿の名言7:大事なことは面倒くさい

  2013年8月16日放送のNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』(宮崎駿スペシャル「風立ちぬ」1000日の記録)で、宮崎監督の仕事ぶりが放映されました。宮崎作品『風立ちぬ』の制作現場への密着です。宮崎監督が、日頃、どんな風に仕事をしているのか、生の姿が映し出されていました。

© 2013 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, NDHDMTK
まっつん
まっつん

 この放送をみて、意外というか驚いたのは、宮崎監督が貧乏ゆすりをしながら「面倒くさい」という言葉をくりかえすことです。貧乏ゆすりは、自分を鼓舞するためにしているとのことですが、それにしても「面倒くさい」とは、ずいぶんとネガティブだな、と感じました。

 宮崎監督のことですから、「面倒くさい」は、本音でしょう。ただ、もちろん、「面倒くさい」に込められた意味がありました。それが次の言葉です。

DVD『宮崎駿の仕事』
クリックするとAmazonへ!
宮崎駿の名言

 そなんですよね。「大事なことは面倒くさい」のです。仕事のことは特にそうですね。面倒臭いことがたくさんあります。面倒くさいから、ついつい手抜きをしたくなります。そうして手抜きをしてしまうと、仕事の質が落ちて、いつかしっぺ返しがきます。

 楽すれば楽が災いして楽ならず。

 そんな言葉がありますが、手抜きは災いを連れてきます。ですから、仕事を丁寧にするとは、面倒くさいことから逃げずに、手を抜かずにやることですね。

 この名言は、次の宮崎監督の言葉の一部です。

「面倒くさいっていう自分の気持ちとの戦いなんだよ。何が面倒くさいって究極に面倒くさいよね。『面倒くさかったらやめれば?』『うるせえな』って、そういうことになる。世の中の大事なことってたいてい面倒くさいんだよ。面倒くさくないところで生きていると、面倒くさいのはうらやましいなと思うんです」

NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』(宮崎駿スペシャル「風立ちぬ」1000日の記録)

 仕事をするのが面倒くさいなと感じることもあります。でも、本当に仕事がなくなってしまったら、何もすることがなくなってしまったら、面倒くさいと感じられた日々が、どこか愛おしく感じられます。

 だから、仕事があること、仕事ができていること、面倒くさいと思えていることは、「うらやましい」となるわけです。

 「面倒くさい」と思うのは大いに結構。それより、手抜きをしないことが大切ですね。

宮崎駿の名言8:努力はいつか実る

 『半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義』(文藝春秋 )の出版は、2013年です。宮崎監督の対談相手である半藤一利さんといえば、文藝春秋で専務取締役を務めたこともある人で、新田次郎文学賞、山本七平賞などの文学賞の受賞歴もあり、特に昭和史に精通された人物として著名です。

 対談は前半と後半に分かれ、後半は、2013年公開の宮崎作品『風立ちぬ』にまつまわる内容になっています。

 宮崎監督から「半藤一利さんと対談をしたい」というリクエストがあり、この本が生まれました。零戦のことなど、かなりマニアックな話が展開されています。

半藤一利と宮崎駿の 腰ぬけ愛国談義 (文春ジブリ文庫)の表紙画像
『腰抜け愛国談義』(文藝春秋)
クリックするとAmazonへ!

 「東京湾は昔、きれいだった」という対談の流れから、半藤さんの学生時代のこととなります。半藤さんは、高校・大学を通してボート部で活動していたそうです。大学は東大です。昭和26年(1951)、大学3年生の時に50センチの差で慶應に敗北し優勝を逃します。これに勝っていたらヘルシンキ・オリンピック出場でした。その翌年、大学4年となった半藤さんは「全日本優勝」を果たします。

 この話を受けて、宮崎監督のいった言葉が、次のものです。

宮崎駿の名言

地道に根気よく、つらいことでも頑張って続ければ努力はいつか実る。

半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.2817). Kindle 版.

 そうですね。まさに子どもたちに「希望」を感じさせてくれる言葉です。

 宮崎監督だって、現実の世界では、努力が100%実らないことは、痛いほどわかっています。宮崎監督の手がけた作品の全てが、そのクオリティや第三者からの評価や興行収入などを含めて、自分自身で納得のいく結果になっているかるといえば、「そうではない」と、インタビューでよく話しています。

まっつん
まっつん

 確かに努力は100%は実らないけど、がんばって続けていると、実ることもあります。それも現実であり、そこに「希望」があります。だから「不安」にならず、「頑張って続ければ努力はいつか実る」と信じて、私たちは「地道に根気よく」やっていくわけですね。

 「不安」にならず、と書きました。その「不安」について、宮崎監督は、こう語っています。 

宮崎駿の名言

 若い人たちはやたら「不安だ、不安だ」と言うんですが、ぼくは「健康で働く気があれば大丈夫。それしかないだろう」と言い返しています。「不安がるのが流行っているけど、流行に乗っても愚かなる大衆になるだけだからやめなさい」と。「不安なときは楽天的になって、みんなが楽天的なとき不安になれ」とね。

半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.2619-2622). Kindle 版.

 人は誰もが不安になるものです。「不安がるな」といっても不安は無意識の作用が大きので、どうしても不安は出てくるものです。

 そこで、「不安に対処する方法としてよく言われていること」と、宮崎監督の言葉「健康で働く気があれば大丈夫。それしかないだろう」は、共通点があります。

 不安に対処する方法のひとつは、「不安は不安のままにして、行動することに意識をフォーカスしていこう」です。

 不安になる自分を否定するのではなく、不安になっているその気持ちはそのまま受け入れて、不安なままでいいから、行動していくことに集中するのです。

 もし、その行動が仕事であれば、「とにかく仕事をすること」であり、宮崎監督の「それしかないだろう」は、不安対処に関して的を射ることばです。仕事に集中できれば、その時、人は「不安」を感じていません。不安は心から消えています。

© 2013 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, NDHDMTK

 だから、「つらいことでも頑張って続ければ努力はいつか実る」ことを信じて、「地道に根気よく」、自分のやるへきことに集中していくことが、とても大切ですね。

宮崎駿の名言9:闇も大切なんだと

 書籍『時代の風音』(朝日新聞出版者)は、宮崎監督の希望で生まれた対談本です。対談相手は、歴史小説家の司馬遼太郎と芥川賞作家堀田善衛です。宮崎監督は、最も尊敬する小説家として堀田善衛の名をあげています。

時代の風音 (朝日文芸文庫)の表紙画像
『時代の風音』 (朝日新聞出版)
クリックするとAmazonへ!

 話題が「アニメーション」になったところで、司馬さんが宮崎監督にお願いをします。「宮崎さんに一つ作ってほしいテーマがあるのですが。平安時代の京の闇に棲んでいた物の怪のことです」(p115)と。

 司馬さんがこのリクエストをしたのは、天狗が出るという志明院(京都)に泊まった時に不思議な体験をしたからです。天狗だったかどうかはわかりませんが、司馬さんは、障子がゴトゴト揺れたり、ドンドンドーンと四股を踏むように踏んでいく音を聞いたといっています。

 司馬さんの不思議な体験が話された後、いつくかの奇怪談がつづき、そうした目に見えない存在は、「電気がつくといなくなると言いますね」と宮崎監督がいうと、司馬さんが「いなくなる。だから電気のない闇というもののすばらしさを、宮崎さんのアニメでひとつ表現していただきですな」(p117)と、ここでまたリクエストがなされます。

 この対談の時、すでに『となりのトトロ』(1988)は、公開されていました。

© 1988 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli

 司馬さんは『となりのトトロ』がお好きだそうです。「物の怪」の一種といえる「トトロ」や「ネコバス」が登場しています。闇の側にいる存在たちへの想いが宮崎監督にはあります。そこで宮崎監督は、こう語っています。

宮崎駿の名言

 森と闇が強い時代には、光は光明そのものだったのでしょうね。でも、人間のほうが強くなって光ばかりになると、闇もたいせつなんだと気がつくわけです。私は闇のほうにちょっと味方をしたくなっているのですが(笑)

『時代の風音』 (朝日新聞出版)p119

 都市化は、光を空間に広げていきます。光ばかりになったら陰影がなくなり単調で寂しい風景になります。

まっつん
まっつん

「光害」という言葉がある通り、光にも「害」があります。強い光の中にい続けると、人は安眠ができなくなり、心身に不調をきたします。人間には「闇」が必要です。人の性格にも、影があるから、個性が生まれます。

 実は、司馬さんからのこのお願いから着想をえて、あの『もののけ姫』(1997)が誕生したといわれています。

『もののけ姫』(監督:宮崎駿 スタジオジブリ)
『もののけ姫』
(監督:宮崎駿 スタジオジブリ)

クリックするとAmazonへ!

 この時いった通り、人間だけでなく、「闇」ほうにも味方をした名作が生まれました。

宮崎駿の名言10:人生の真実はキラキラした正しいものがあるんじゃないよ

 2023年12月16日、NHKプロフェッショナル「ジブリと宮﨑駿の2399日」が放映されました。『風立ちぬ』で引退宣言をしたため、宮崎監督の長編アニメ映画の新作は、もう観られないものとファンは思っていました。ところが、引退宣言を撤回し、『君たちはどう生きるか』が2023年に公開され、第96回アカデミー賞(2024)で、長編アニメ映画賞を受賞します。

© 2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli


 さて、宮崎監督は、NHKプロフェッショナル「ジブリと宮﨑駿の2399日」で、こんな言葉を残しています。

宮崎駿の名言

「人生の真実はキラキラした正しいものがあるんじゃないよ。ドロドロとか色々なもの含めて全部あるから、自分の奥に隠してあることとか眠っていることを引っ張り出して作品を作らなきゃダメな時期だろ」

NHKプロフェッショナル「ジブリと宮﨑駿の2399日」(2023.12.16放映)

 「自分の奥に隠してあることとか眠っていることを引っ張り出して」と聞くと、名言4で書いた次の言葉が思い出されます。

 人間の内面の奥の方には、何か混沌としたエネルギーやら個人の記憶を超えた記憶のようなものがあるんだと思うんです。それに従うわけです。『BURUTUS』2010 8/1(マガジンハウス)

 「人生の真実はキラキラした正しいものがあるんじゃないよ」からは、「私は闇のほうにちょっと味方をしたくなっている」(『時代の風音』p119)につながっていきます。

 光があれば闇があります。キラキラしたものだけではなくて、ドロドロとしたものもあり、ふたつが対立しあって、そうしてエネルギーが生まれてきます。

 「対立」がエネルギーを生む。この考え方を、世界三大心理学者のひとり「C.G.ユング」は大切にしていました。ユングはこういっています。

『エッセンシャル・ユング』(アンソニー・ストー 創元社)の表紙画像
『エッセンシャル・ユング』(創元社)
クリックするとAmazonへ!

「あらゆる意識は、おそらくそれと気づかないうちに無意識内に対立するものを求めるのである。対立するものがなければ、意識は抗いようもなく停滞、渋滞、硬直化へと向かう。人生は対立するものの閃光によってのみ生まれるのである」

『エッセンシャル・ユング』(創元社)p175 

 「意識」と「無意識」がぶつかりあって、まざりあって、人の心は成熟していきます。意識の表面にある「自我」(エゴ)と、心の奥底にある「無意識」からの働きかけがあって、その人ならではのユニークな何かが創造されていきます。

 「対立あるところに創造あり」です。

 「意識」(自我)だけで考える自分は、「小さい自分」です。人の心には「無意識」という、宇宙のように広い心の領域があり、それを含めて自分です。ですから、自分とは自分で考える以上に、もっと大きな心をもった「大きい自分」です。

 「小さい自分」だけで考えることは、自我(エゴ)を中心とした考え方です。

 原作『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎 岩波書店)で、主人公コペル君が、おじさんの「ものの見方」がタイトルのノートを読む場面があります。そのノートに、こう書かれてあります。

『君たちはどう生きるか』(岩波書店)
クリックするとAmazonへ!

「自分たちの地球が宇宙の中心だという考えにかじりついていた間、人類には宇宙の本当のことがわからなかったと同様に、自分ばかりを中心にして、物事を判断してゆくと、世の中の本当のことも、ついに知ることが出来ないでしまう。大きな真理は、そういう人の眼には、決してうつらないのだ

『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎岩波書店)p26-27

 ここでいう「大きな真理」を宮崎監督のいう「人生の真実」だとすれば、「自分ばかりを中心」にした「自我(エゴ)=中心」思考ではなく、無意識にあるドロドロしたものとも向き合い対立していく、心全体を視野に入れた考え方が求められます。 

© 2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli

  自分のドロドロしたものと対立し、それを受け入れ、時に傷つきながら、私たちは成長していくのです。

(文:松山 淳


]]>
「悟り」のこころ(ユング心理学)https://www.earthship-c.com/jung-psychology/enlightenment/Thu, 14 Mar 2024 23:55:00 +0000https://www.earthship-c.com/?p=16108

 「悟り」とは、宗教的な修行を重ねた末に得られる特殊な覚醒体験を通して、人生に迷いがなくなる境地である。「悟りを開く」「悟りの境地に達する」という。心理学的に考えると、「悟り」とは「意識の変容」を意味する。  C.G.ユ ... ]]>

 「悟り」とは、宗教的な修行を重ねた末に得られる特殊な覚醒体験を通して、人生に迷いがなくなる境地である。「悟りを開く」「悟りの境地に達する」という。心理学的に考えると、「悟り」とは「意識の変容」を意味する。

 C.G.ユングの著『東洋的瞑想の心理学』(創元社)がある。東洋思想・宗教に関するユングの論文をまとめた本であり、「悟り」についても考察している。ユング心理学(分析心理学)を確立していくプロセスにおいて、東洋思想との出会いは、ユングにとってターニングポイントとなっている。

C.G.ユングの著『東洋的瞑想の心理学』(創元社)の表紙画像
『東洋的瞑想の心理学』(創元社)
クリックするとAmazonへ!

 無意識に関する意見の相違から、ユングは「師」といえたフロイトと訣別することになる。その後ユングは、方向喪失の状態となり精神的危機に陥る。この時期、ユングは「曼荼羅(マンダラ)のような絵」を描いていた。また、患者の中にも「曼荼羅のような絵」を描いて持ってくる人がいた。

 ユングは東洋思想の「曼荼羅」を知っていて「曼荼羅のような絵」を描いていたわけではない。不安定になっている自分の心をおさめようとして、自然と、「曼荼羅のような絵」を描いていたのだ。その絵が、東洋の曼荼羅に似ているとわかったのは、『黄金の華の秘密』と題する道教の錬金術に関する論文をみてであった。この論文は、中国在住のドイツ人宣教師リヒアルト・ヴィルヘルムが送ってきたものである。

ユング画像
心理学者C.Gユング
(Carl Gustav Jung)

 フロイトという「拠り所」を失い、「新たな拠り所」として期待したグノーシス主義の研究も納得できるレベルではなかった。仕事に行きづまっていたユングは、『黄金の華の秘密』との出会いについて、「これは私の孤独を破った最初のことがらであった。私は類似性に気づき始めた。私は何ものかと、そして誰かと関係を打ち立てることがきでるはずだ」(『ユング自伝1』みすず書房 p280)と自伝に書いている。

 「孤独を破った最初のことがら」という言葉から 、ユングにとってどれほどインパクトがあったのかがわかる。

 ユングはヴィルヘルムの論文をきっかけに、錬金術の研究に没頭していく。ユング独自の心理学理論を支える「新たな拠り所」を『黄金の華の秘密』の中に見い出したのである。

 それ以前に、「ヨガ」や「易」にも興味を持っていたユングは、『黄金の華の秘密』との出会いをきっかけに、西洋思想だけでなく東洋思想の考え方も取り入れながらユング心理学(分析心理学)を打ち立てていく。

 そのため「西洋」と「東洋」の出会いは、ユング派の日本人心理療法家にとっても課題といえる。次の3冊は、東洋思想とユング心理学を融合させたユング派の日本人心理療法家による代表的な著作である。

  • 『ユング心理学と仏教』(河合隼雄 岩波書店)
  • 『悟りの分析』(秋山さと子 PHP研究所)
  • 『仏教とユング心理学』(目幸黙僊 J.マーヴィン スピーゲルマン  春秋社)

 この3人の著者の中で特に興味を引くのが、目幸黙僊(ミユキ モクセン)氏の存在である。

 なぜなら、目幸氏は僧侶(浄土真宗)でありつつ、米国の大学で教えていた宗教学者であり、かつスイスのユング研究所で国際資格をとった心理療法家でもあるからだ。「東洋」と「西洋」の出会いの体現者が、目幸氏である。ちなみに、秋山さと子氏も禅寺の育ちである。

 目幸氏は、『仏教とユング心理学』(春秋社)において、「悟りの本質的な特徴は、自我の超越や自我の否定にあるのではなく、むしろ、自我が無意識の内容を統合するための絶え間ない努力を行うことを求める一生を賭けたプロセスにあるのである」(p75)と書いている。

『仏教とユング心理学』(目幸黙僊 J.マーヴィン スピーゲルマン  春秋社)の表紙画像
『仏教とユング心理学』(春秋社)
クリックするとAmazonへ!

 「悟り」を「一生を賭けたプロセス」とらえ、「自我が無意識の内容を統合する」こと、つまりユング心理学のキーコンセプトである「個性化の過程」と重ね合わせている。「個性化」(individuation)とは、『その人がなりうる〝本来の自分になっていくこと』だ。

 冒頭書いた通り、「悟り」といえば、「宗教的な何らかの修行を重ねた末に得られる特殊な覚醒体験」を想像する。神秘的、超常的、急激的な「覚醒体験」が「悟り」だ。すると、宗教を信仰せず、修行に取り組まない人々にとって、「悟り」は縁遠いものだ。しかし「個性化の過程」というユング心理学の視点から眺めていくと、その縁遠さが、やや身近なものとなってくる。

 目幸黙僊氏の考え方を軸に、ユング心理学の知識もおりまぜながら「悟りのこころ」について考えていく。

「悟り」とは何か?

 「悟り」とは本来、仏教の言葉です。でも、現在の日本においては、仏教だけに限らず、ヨガや精神世界やスピリチュアルの領域においても、「悟り」という言葉は使われます。いずれにしても、通常の意識を超越する「覚醒体験」ととらえることは、共通しています。

 では「悟り」とは、いったいどんな体験なのでしょうか。。「悟る」ことで、どんな変化が起きるのでしょうか。それを知るためには、実際に「悟り体験」をした人から話を聞くか、「悟り体験」をした人の記録にあたるに限ります。

 大乗仏教における「悟り体験」をまとめた本に『「悟り体験」を読む』(大竹晋 新潮社)があります。大竹先生は仏教研究者です。「悟り体験」の記された中国古典から近現代までの書を網羅して「悟り」の本質に迫っています。

書籍『悟り体験を読む』の画像
『「悟り体験」を読む』(新潮社)
クリックするとAmazonへ!

悟りの「頓悟」と「漸悟」

 仏教の悟り体験には、「頓悟」(とんご)と「漸悟」(ぜんご)があります。「頓悟」は、ある日、ある時、突然、「悟りの境地」に達することです。急激な変化を伴う覚醒体験が「頓悟」です。これに対して「漸悟」は、時間をかけて、だんだんと「悟りの境地」に至ることです。

まっつん
まっつん

 一般的に私たちが抱く「悟り」に対するイメージは、「頓悟」のほうでしょう。突然、「わからなかったものが、わかる」「明らかでなかったものが、明らかにされる」。そんな覚醒体験です。

 「頓悟」があっても、もちろん終わりではなく、宗教家たちの修行は「悟った」後も続きます。

 「頓悟」がいくつか起きて、さらに深い「悟り」に至る例もあります。「小悟」(小さな悟り)と「大悟」(大きな悟り)という言葉があります。「頓悟」が「小悟」の時もあり、「小悟」を積み重ねて段階的に「大悟」を得たとしたら、そのプロセス全体は「漸悟」だったといえます。

 目幸氏が「悟り」を「一生を賭けたプロセス」と書いているのは、「頓悟」と「漸悟」でいえば「漸悟」のほうだといえます。

悟り体験の5つの枠組み

 『「悟り体験」を読む』(新潮社)には、「頓悟」と「漸悟」のいずれもの例が掲載されています。大竹先生は、数多くの悟りに関する文献を読み漁り、「悟り体験」を5つの共通の枠組みに整理しています。それが次の5つです。

自他忘失体験

 自他忘失体験とは、自分と他者との隔たりがなくなり、「ただ心」だけになる状態です。「精神世界」の概念ですと、「非二元」(ノンディアリティ)「一元」(ワンネス)の体験といえるものです。人に強いインパクトを与える体験ですが、禅宗の臨済宗では「悟り」(見性:けんしょう)とはされない段階です。

 以下、個人名は、『「悟り体験」を読む』(新潮社)に登場する悟り体験をした「覚者」たちの名前です。

  • 倉田百三「宇宙と自己がとが一つになつているのを覚証した。其処(そこ)には天地と彼我とは端的に一枚であった」(p218)
  • 抜隊得勝「みだりな想いが尽きて胸中に一つの物もなく、内側〔である自己〕と外側〔である他者〕との隔てがなくなることは、晴れわたった大空のようであって、全方向にわたってすっきりしている」(p219)

真如顕現体験

 真如顕現体験とは、「自我の殻」が破られ「真如」を知る体験です。「真如」とは、この世界の様々な枠組みに「我(確かな自分)がない」ことです。つまり、「真如」を知るとは、仏教が重視する「空性」(からっぼさ)を知ることです。禅宗の臨済宗では、真如顕現体験をもって「悟り」(見性)とされます。

  • 山田無文「わたくしの心は忽然として開けた。無は爆発して、妙有の世界が現前したではないか」(p222)
  • 江部鴨村「そのとき俄然、私は、無限と有限と一体の実感を得た」(p222)

自我解消体験

 自我解消体験とは、私たちが日常で「自分」と考える「いつもの意識(自分)」=「自我の殻」が解消される体験のことです。「いつもの意識(自分)」が解消されて、「自我の殻」にあったものが外に飛び出し拡散される経験もあります。

  • 今北洪川「ただ、自分の体内にあった一つの気が、全方向の世界に満ち溢れ、光り輝くこと無量であるのを、知覚するのみだった」(p223)
  • 白水敬山「自己の心気力が宇宙に遍満して心身を忘失してしまった」(p223)
  • 朝比奈宗源「見るもの聞くもの何もかもきらきら輝いた感じ、そこに生も死もあったものではない」(p224)

基層転換体験

 基層転換体験とは、「いつもの意識(自分)」が解消されることで、生きている感覚の基礎となっている「心と体」の仕組み(感じ方・認識の仕方)に、パラダイムシフトが起きる体験です。「心の外側にあった全世界がその後は心の内側にあるかのように」(p226)感じられることも起きてきます。

  • 菩提逹磨「悟ってからは心が景色を包んでいるが、迷っているうちは心が景色に包まれている」(p226)
  • 原青民「心の外側に実在すると思っていたものは、まったく思いがけないことに、心の内側に顕現された対象であったのだ」(p176)

叡智獲得体験

 叡智獲得体験とは、悟り体験の前では知り得なかった「叡智」を獲得する体験のことです。解けなかった「公案」(師から与えられた悟りを開くための問題)が、たちどころにわかってしまいます。また、理解不能だった宗教的な問題が、わかってしまうこともあります。

  • 梶浦逸外「ひとたび見性いたしますと、あとにつづく公案がどんどん解決していきました」(p228)
  • 平塚らいてう「神とは何か、自我とは何か、神と人間との関係、個と全体との関係などと、女子大時代に頭の中だけでの、概念の世界で模索していた諸問題が、みんないっしょに解決され、」(p228)

 以上、5つの枠組みでの「悟り体験」の例は、あくまで一例であり、各時代を生きた覚者が「悟り体験」に関して、さまざまな表現をしています。あくまで大乗仏教での「悟り」体験です。

 「悟り」に近い超越的な「覚醒体験」は、仏教だけでなく、キリスト教(神秘主義)を始めとした西洋の宗教でもいろいろな体験が記録され、報告されています。ヨガや精神世界での「覚者」による「悟り体験」もあります。

 ただ、「悟り体験」の中核にある要素は、共通する点が多く、それを『「悟り体験」を読む』(新潮社)では、5つに整理しているわけです。

平塚らいていの悟り体験

 『「悟り体験」を読む』(新潮社)によると、多くの「悟り体験」をした人(覚者)が、古い時代から伝えられてきた「悟り」に関する叡智は「本当だった」と、驚いています。

 「自分と他者との隔たりがなくなり、「ただ心」だけになる」と書かれたのを読んだ時に、「そうなのか」と、頭では理解できます。「頭だけの理解」を真に理解するためには、やはり、実際に自分で体験するしかありません。半信半疑だった知識をリアルな体験を通して理解できた時、そこに自分自身の根幹を変化させる「驚き」が生まれます。

 また、多くの覚者が、「悟り」を得られたことに、強い喜びを感じています。大正から昭和にかけて女性解放運動を展開した思想家「平塚らいてい」は、「悟り体験」の喜びを、こう記しています。

平塚らいてうの自画像
平塚らいてう 出典:Wikipedia

「わたくしの場合は半年あまりかかって、徐々に心境が展開し、ついには百八十度の心的革命というか、一大転回を遂げたのでした。これはわたくしにとっては、まさしく第二の誕生でした。(中略)第二のこの誕生は、わたくし自身の努力による、内観を通して、意識の最下層の深みから生まれ出た真実の自分、本当の自分なのでした。

求め、求めていた真の人生の大道の入口が開かれたのです。さすがにうれしさのやり場がなく、わたしはその日、すぐに家に帰る気になれず、足にまかせてどこまでも歩きました」

『「悟り体験」を読む』(大竹晋 新潮社)p128

 「悟り」の強く深い喜びを「手の舞ひ、足の踏む所を知らず」と表現することがあります。「平塚らいてい」は、うれしさのあまり1日中歩いたと書いています。まさに「手の舞ひ、足の踏む所を知らず」状態だったのでしょう。

 どれほどの喜びなのか。ぜひ、体験してみたいものです。悟りを得た「覚者」たちは、誰もが日々、修行を重ねています。文献を読むだけでは「悟りの体験」はできないので、頭で理解しようとせず、「修行」に励むしかないですね。

「悟り」とは「意識の変容」のこと

 「平塚らいてい」の文章に「百八十度の心的革命」とあります。「心的革命」を心理学で考えれば、それは「心が変わる」ことであり「意識の変容」を意味します。「悟り体験」を「百八十度の心的革命」とするなら、「悟り」とは「意識の変容」の特殊なパターンといえます。

 「意識の変容」なら、誰もが経験しています。

まっつん
まっつん

 30代の人が10代の自分をふりかえった時、50代の人が30代の自分を思い浮かべ内省する時、「過去の自分」と「今の自分」を比べて、何らかの「変化」を感じとることができます。その「変化」こそが、長い時間をかけてなされた「意識の変容」です。

人生とは悟りの旅

 人は、「幸せ」を求めながらも、家族のことや、仕事のことや、お金のことや、病気のことや、いろいろなことで「人生の課題」を抱えます。それら「人生の課題」に取り組み、時に喜び、時に苦しみ、悲喜こもごもありながら、長い時間をかけて、人は意識を変容させていきます。

 自分で意図して心を「変容させる」のではなく、気づいたら自然と「変容していた」というのが、一般の人にとっての「意識変容」の姿です。宗教家たちの体験する「悟り」=「宗教的な何らかの修行を重ねた末に得られる特殊な覚醒体験」と、普通の人の「意識の変容」とは別ものです。

 ただ、日々の生活で苦悩することが、その人にとっての精神的な「修行」となっていて、「悟り」の本質を「心が変わること」=「意識の変容」ととらえるならば、宗教家と一般の人の「悟り」には、重なっている面があります。

 「百八十度の心的革命」とまではいかなくても、60度とか90度ほどのゆるやかで段階的な「心的革命」=「意識の変容」を、誰もが、年齢を重ねつつ経験しているものです。

 人生は、「わからなかったことがわかるようになる」、その連続です。

 子どもの頃にはわからなかったことが、大人になって初めてわかります。親になり苦労して初めて、自分の親の喜び苦しみが深く理解できます。お世話になってきた上司の苦労は、自分が上司になって経験を重ねて初めて、本当の意味でわかるものです。その「わからなかったことがわかるようになる」という経験が、「意識の変容」であり、広い意味での「悟りの体験」といえます。

 人生とは、長い時間をかけてなされる「悟りの旅」なのです。

悟りは無意識の内容を統合すること

『仏教とユング心理学』(春秋社)
クリックするとAmazonへ!

 そう考えてくると、「悟り」を「一生の賭けたプロセス」ととらえた、ユング派の目幸先生の言葉が腑に落ちてきます。

「悟りの本質的な特徴は、自我の超越や自我の否定にあるのではなく、むしろ、自我が無意識の内容を統合するための絶え間ない努力を行うことを求める一生を賭けたプロセスにあるのである」『仏教とユング心理学』(春秋社)p75

 目幸先生は、「自我の超越や自我の否定にあるのではなく」と書いています。

 「悟り」というと、「無我」「没我」という言葉がある通り、「自我」を「無くす」というイメージがあります。それが「自我の超越」「自我の否定」です。ですが、人が生きている限り、「自我」は決して「無くなる」ことはありません。

まっつん
まっつん

 もし「自我」(ego)が無くなってしまったら、「私(自分)という意識」が無くなり、思考や感情が働くなり、日常生活を送ることが困難になってしまいます。宗教家の人たちでさえ、「悟り体験」をした後も、自我意識を中心として人生は続いていくのです。

 そう考えると、悟りのプロセスとは、ユング心理学の観点からみると、「自我が無意識の内容を統合するための絶え間ない努力」といえるのです。

 上の一文の前に目幸先生は「我々は、ユングの概念と方法論を用いる研究によって、禅の悟りを自己実現つまり自己(Self)が自分自身を実現しようとする衝動という用語で心理学的に理解した」と書いています。

 ユング心理学で「自己実現」(self-realization)といえば、「個性化」(individuation)のことです。「個性化」(individuation)とは、「その人がなりうる〝本来の自分になっていくこと」です。

 では、「個性化」(individuation)はどのようにしてなされるのでしょう。その答えが、「自我が無意識の内容を統合するための絶え間ない努力」です。

 著書『自我と無意識』(第三文明社)の中で、ユングはこう書いています。

『自我と無意識』(C.G.ユング 第三文明社)
『自我と無意識』(第三文明社)
クリックするとAmazonへ!

「自らの無意識的な自己を実現する道を歩む者は、必然的に個人的無意識の内容を意識にとりいれ、それによって、人格は大きさを増すのである」

『自我と無意識』(C.G.ユング 第三文明社)p34

 上にある「無意識的な自己を実現する道」が、「自己実現」(self-realization)のことであり、「個性化」(individuation)のことといえます。

「悟り」とユング心理学

 「自我」や「自己」や「意識」や「無意識」という言葉が出てきて、初めてユング心理学にふれる人だと混乱します。ここで、ユング心理学の基本的な心の全体像についておさえておきましょう。

ユング心理学の「意識」と「無意識」

意識と無識の補償作用のイメージ図

 ユングは、心を「意識」「無意識」にわけて考えました。

 「意識」の中心には、「自我」(ego)があります。「自我」(ego)は、意識の領域を統括している「心の働き」です。

 「自我」が働くことで、「私(自分)」という意識が生まれ、何かを考えたり、何かを感じたり、何かを記憶したりできます。「自分が何を考えているか」「自分がどんな感情をもっているか(嬉しいのか、悲しいのか、怒っているのか)」「昨日、何かを食べたのか」を記憶し自覚できるのは、「自我」(ego)があるからです。

 「無意識」を、ユングは「個人的無意識」(personal unconscious)と「集合的無意識」(collective unconscious)に分けました。「個人的無意識」には、「意識」の領域から取りり払われ、忘れ去られた「心の要素」が蓄積しています。「集合的無意識」では、「人類に共通する心のパターン」(元型)が、動いています。

まっつん
まっつん

「意識」を統括するのが「自我」(ego)ならば、無意識を含めた心全体を統括している「心の働き」を、ユングは「自己」(self)としました。

 「自己実現」「個性化」において、心全体の中心にある「自己」(self)の働きがキーになってきます。

こころの補償作用

 「意識」と「無意識」は、相互に作用していて、補償しあう関係にあります。「意識」が偏っていく時、「無意識」が「意識」に働きかけて、心全体のバランスを保とうとします。

ユングは、『ユング 夢分析論』(みすず書房)で、こう書いています。

『ユング 夢分析論』(みすず書房)
クリックするとAmazonへ!

「こころとは自己調整を行うシステムであり、体という生がそうするのと同じようにしてバランスをとっています。行き過ぎた過程に対しては、それが何であれ直ちに、そして確実に補償が始まります。この補償を抜きにしては、正常な新陳代謝も正常な心もありえません。」

『ユング 夢分析論』(C.G.ユング みすず書房)P6

 「心の補償作用」であり「自己調整を行うシステム」の具体例が、夜に見る「夢」です。「夢」は「無意識」から「意識」へ向けたメッセージです。何かに追いかけられる夢を見たり、歯が全部抜けたりする夢を見るのにも、何らかのメッセージがあります。

 夢のメッセージをクライエントと共に考え味わっていくのが「夢分析」であり、その結果、人に「意識の変容」が起きてきます。心全体は、「意識」と「無意識」がエネルギーを交換し、お互いに補い合いながら、日々、変化していくのです。

 「悟り」を「意識の変容」の特殊なパターンととらえるなら、ユング心理学では、「悟り体験」を、「意識」と「無意識」の相互作用の観点から考えていくことができます。

「悟り」に対するユングの考え

 『「悟り体験」を読む』(大竹晋 新潮社)では、「悟りの体験」が5つの観点で整理されていました。「自他忘失体験」「真如顕現体験」「自我解消体験」「基層転換体験」「叡智獲得体験」でした。

まっつん
まっつん

「宇宙と自己がとが一つになつているのを覚証した」という「自他忘失体験」だけを考えても、「悟りの体験」とは、通常の意識では想像しにくい、神秘的かつ特殊な「意識の変容」といえます。

ユングの考えた「悟り」の仕組み

 ユングの著『東洋的瞑想の心理学』(創元社)に、『禅の瞑想という論がおさめられています。仏教学者「鈴木大拙」が英文で書いた著書に『禅仏教入門』があります。この著書がドイツ語に翻訳され出版されました。その時、ユングの書いた「序文」が『禅の瞑想です。「鈴木大拙」といえば、1897年(明治30年)に渡米し、「禅」を世界に広めた人物です。

 『禅の瞑想に、「悟り」について解説している箇所があります。それが次の一文です。

『東洋的瞑想の心理学』(創元社)
クリックするとAmazonへ!

 意識がその内容についてできるだけ空っぽになった場合、その内容は、一種の(少なくとも一時的な)無意識の状態になる。禅の瞑想の場合、この転換状態はたいてい、意識のエネルギーがその内容から抜きとられて、「空」の観念か、あるいは公案へと向かうときに生じる。(中略)こうして蓄積されたエネルギーは無意識領域へと向かい、自然にそこに充電されるエネルギー量を極限まで増大させる。

『東洋的瞑想の心理学』(C.G .ユング 創元社)旧版p195

 上の文からわかる通り、ユングは、「悟り」を、「意識」と「無意識」、「心のエネルギー」の観点から解説しています。

 日々の宗教的修行(坐禅/瞑想など)を通して、「意識」を「空っぽ」にする体験を積み重ねていくと、「無意識」の領域にエネルギーが充電されていきます。その極限まで増大したエネルギーが、何かをきっかけに、「無意識の内容」を伴って、「意識」の領域に、一気に流入していきます。

 その状態が、「特殊な覚醒体験」=「悟りの体験」を引き起こすと、ユングは考えました。

「悟り」とは意識と無意識の相互作用

 ユングは「長い年月にわたる禅の瞑想ときびしい修行によって、悟性の合理的なはたらきを消滅させる努力を重ねるとき、本性そのものがひとつの ── 唯一の正しい ── 答えを出すのである」(p197)とも書いています。

 「悟性の合理的なはたらき」は、「自我」(ego)による心の働きです。これを「消滅させる努力」が、坐禅や瞑想などの宗教的修行になります。その時、意識の領域が「空っぽ」になります。この状態を「無我」や「没我」といいます。

 そして、「本性そのもの」が、ある日、ある時、突然「唯一の正しい答え」を出すわけで、「本性そのもの」とは、ユング心理学でいう「自己」(Self)と考えられます。

 ユング心理学で考えた時、「悟りの体験」とは、「意識」(自我:ego)「無意識」(自己:self)を流れる「心のエネルギー」の相互作用によって、引き起こされる特殊な「覚醒体験」といえます。

 『禅の瞑想の中でも、ユングは「意識」と「無意識」の「相互作用」「補償作用」についてふれています。

 (※意識と無意識の)その関係は、本質的に言って、ひとつの補償的関係である。無意識の諸内容は、広い意味において補充するために、言いかえれば心の全体を意識的に方向づけるために必要な一切のものを、意識の表面にもたらすのである。無意識がさし出した、あるいは押しつけた断片を、意識的な生活の中に有意義に組み込むことができれば、そこから、個人の人格の全体によく対応した心の存在形態が生まれてくる。

それは、意識的な人格無意識的な人格の間に起る無益な葛藤をなくした状態である。

『東洋的瞑想の心理学』(C.G .ユング 創元社)旧版p196
(※意識と無意識の)は筆者追記

 ある人が、「個人の人格の全体によく対応した心の存在形態」になっていく時、その人は「個性化」(individuation)の道を歩んでいるといえます。

 「個性化」(individuation)をユングは「自己実現」(self-realization)とも呼びました。「自己実現」といった時の「自己」とは、心全体を統括している「自己」(self)の働きを、意味します。

まっつん
まっつん

 ユング派の目幸先生は、『仏教とユング心理学』(春秋社)において、「悟りの本質的な特徴」「自我が無意識の内容を統合するための絶え間ない努力を行うことを求める一生を賭けたプロセスにあるのである」(p75)としていました。

 上の文にある「意識的な人格」「自我」(ego)とし、「無意識的な人格」「自己」(self)とした時、「無益な葛藤のない状態」になるとは、意識と無意識の統合が進み、心全体のバランスがとれて、「その人がなりうる〝本来の自分〟」に近づいている状態といえます。

 つまり、「意識的な人格無意識的な人格の間に起る無益な葛藤をなくした状態」とは、「個性化」(individuation)が進んでいることを意味しているのです。

「悟り」は「自己」(self)の導き

 「その人がなりうる〝本来の自分〟」になるには、「自己」(self)が鍵を握っています。「悟り体験」に導かれていくこととは、ユング心理学の観点から考えると、「自己」(self)の働きに身を委ねていくことです。

 普段の私の意識=「自我」(エゴ)において、「悟れ、悟れ」とどれだけ必死に願っても、「悟りの体験」は起きてきません。「自我」(エゴ)を手放し、「自己」(self)に任せていくことで、「悟り」は近づいてきます。

 「悟り」の主導権は、「自我」(ego)ではなく、無意識の「自己」(self)にあるのです。

 目幸先生は『危機の世紀とユング心理学:目幸黙僊論考集』(創元社)で、「自我」(ego)「自己」(self)の関係を、こう説明しています。

目幸先生の危機の世紀とユング心理学:目幸黙僊論考集』(創元社)の表紙画像
『危機の世紀とユング心理学』(創元社)
クリックするとAmazonへ!

 エゴとセルフの関係は、ユングによると、ちょうど動かすものと動かされるものということです。(中略)自我はいつもセルフによって動かされているもので、セルフはいつも自我を動かしているものである。そして自我はセルフによって動かされている対象であり、セルフはいつも主体性をもっているというわけです。

『危機の世紀とユング心理学』(創元社)p73

 人は、自分で考え、自分で選択・決定し、主体性をもって行動しています。

 この主体性のある「自分」を考える「自分」が、上の文でいう「自我」(エゴ)です。ところが、この自我(エゴ)は、自己(セルフ)によって動かされていて、「主体は自己(セルフ)にある」と、目幸先生はいいます。 

 「自我」(エゴ)で考える「自分/私」とは、「意識」という狭い領域だけの「自分/私」です。

 その「自分/私」は、心全体から考えたら「部分の自分/私」に過ぎません。「自分/私のかけら」を見て、「自分/私の全て」と錯覚しているのが、「自我」(エゴ)の働きであり、普段の私たちの意識です。

意識と無識の補償作用のイメージ図

 その「錯覚」が強くなっていくと、「意識」と「無意識」が離れていき、「相互作用」「補償作用」が働きにくくなり、心全体のバランスが崩れていきます。その結果、心身に何らかの悪影響が及びます。

 心には「無意識」という、とても広くて豊かな領域があります。「無意識」を含めて初めて「自分/私の全体」といえます。

まっつん
まっつん

つまり、「私」という存在、その全体のバランスをとるためには、自己(セルフ)の主体性を受け入れ、「無意識」からの声にも耳を傾け、その声を「意識的な生活の中に有意義に組み込」んでいく「心の習慣」をもつことが求められます。

 その「心の習慣」が、目幸先生のいう「自我が無意識の内容を統合するための絶え間ない努力」であり、この努力が継続的に行われていけば、ユングのいう「個人の人格の全体によく対応した心の存在形態」が生まれてくる確率が高まります。

 宗教家たちは、「今より、よりよい人間になろう」として、宗教的な修行に励み「悟りの体験」を求めていきます。

「悟り」によって人の豊かさを知る

 禅では坐禅を組み、厳格なヨガ行者たちは、山にこもり瞑想を続けます。「悟りの境地」に達して「今より、よりよい人間になろう」とすることは、「個人の人格の全体によく対応した心の存在形態」を生み出していくことであり、それは「自分/私の全体」を知ろうとする体験にほかなりません。

悟りのこころのイメージ画像

 「自分/私の全体」を知るとは、無意識を含めた自分の心、その全体を知ろうとすることです。

 「無意識」は、宇宙のように広大です。その全体を人は、一生をかけても知り尽くすことはできないでしょう。しかし、宇宙に可能性を感じて人類が宇宙開発を続けるように、「無意識」という「心の宇宙」を開発し続けることによって、「心の広大さ」を知ることはできます。そのプロセスが「悟りへの道」です。

 ユング心理学で考えた時、「悟りの体験」とは、自己(セルフ)が導く「心全体の開発」といえます。

 現代において宇宙に実際に行ける人がひと握りの人間に限られています。それと同じように、悟りの境地に達する人は、ごくわずかの人間です。

 宗教家ではない私たちが、「悟りの体験」を求めて時間を費やすことは、日常生活を困難にします。

まっつん
まっつん

 ただ、「小さな私」(自我:エゴ)の背後に、大きな可能性をもった自己(セルフ)を知ること、つまり、「もっと大きな私」が確かに存在していると知ることは、日常生活において、私たちの「心を支える杖」になります。

 人は、「普段の自分」(小さな私)で考えているより、もっと大きく豊かな可能性をもった存在です。

 「悟りの体験」が確かにあると知ることは、人の可能性の豊かさを知ることであり、私たちを勇気づけてくれます。

(文:松山 淳


【参考文献】

『東洋的瞑想の心理学』(C.G.ユング 創元社)
『「悟り体験」を読む』(大竹晋 新潮社)
『ユング 夢分析論』(C.G.ユング みすず書房)
『自我と無意識』(C.G.ユング 訳:松代 洋一ほか 第三文明社)
『危機の世紀とユング心理学』(目幸黙僊 創元社)


ユングのタイプ論をベースに開発された性格検査MBTI®を活用した自己分析セッション

《MBTI受講者実績:2,003名》

 国際的性格検査MBTI®を使用しての自己分析セッションです。MBTI®は、世界三大心理学者のひとりC.Gユングの心理学的類型論(タイプ論)がベースになっており、世界の企業が人材育成のために導入しています。その人の「生まれ持った性格」を浮きぼりにするのが特徴です。自分本来の「強み」を知ることができ、心理学の理論をもとに自己理解を深めることができます。

MBTI自己分析セッションの案内画像

 自己分析の個人セッションには「対面型」「オンライン型」(Zoom)があります。

]]>
稲盛和夫の教え「六つの精進」https://www.earthship-c.com/nice-word/kazuo-inamori-six-diligences/Sun, 14 Jan 2024 23:55:00 +0000https://www.earthship-c.com/?p=15801

「六つの精進」とは、すばらしい人生・経営を実現するために守るべき哲学だ。「経営の神様」と呼ばれた京セラ創業者稲盛和夫氏が唱えた。「六つの精進」は、次の6か条である。 ❶ 誰にも負けない努力をする❷ 謙虚にして驕らず❸ 反 ... ]]>

「六つの精進」とは、すばらしい人生・経営を実現するために守るべき哲学だ。「経営の神様」と呼ばれた京セラ創業者稲盛和夫氏が唱えた。「六つの精進」は、次の6か条である。

❶ 誰にも負けない努力をする
❷ 謙虚にして驕らず
❸ 反省のある毎日を送る
❹ 生きていることに感謝する
❺ 善行、利他行を積む
❻ 感性的な悩みをしない

 稲盛氏は「盛和塾全国大会」(2008.7/17)にて、「六つの精進」をテーマに講演を行なっている。その模様をまとめた著書が『六つの精進』(サンマーク出版)である。

「精進」とは、「一つのことに精神を集中して励むこと。一生懸命に努力すること」(デジタル大辞泉 小学館)である。稲盛氏は「六つの精進」を通して、人生はすばらしいものになるという。

「六つの精進」とは、どのような教えか。著書『六つの精進』を軸に、稲盛氏の哲学を学んでいく。

精進一:誰にも負けない努力をする

 「経営の神様」と呼ばれる稲盛和夫さんですが、大学を卒業して就職した会社をすぐに辞めようとしています。というのも、就職した松風工業が、優良企業とは程遠い状態だったからです。同期が次から次へと辞めていくので、稲盛さんも辞めようとしました。しかし、それが叶わずひとり「松風工業」に残ることになるのです。

書籍『六つの精進』(稲盛和夫 サンマーク出版)の表紙画像
『六つの精進』(サンマーク出版)
クリックするとAmazonへ!

 「3年で辞める若者」ではありませんが、かの「経営の神様」も会社を辞めようとした経験をもっています。ただ、この後が違いました。稲盛さんは、「自分の人生をうらんでみても、天に唾するようなものだ。たった一度しかない貴重な人生を、決して無駄に過ごしてはならない」(『人生と経営』 致知出版社p24) と心を改め、覚悟を定めます。

 そして、「誰にも負けない努力」を始めました。すると研究成果が次から次にあがるようになり、幼い頃から不運つづきの稲盛さんの人生は、この時から好転していくことになるのです。

 「誰にも負けない努力」を続けた稲盛さんは、『六つの精進』の講演で、こう語っています。

稲盛和夫 精進の言葉

 すばらしい人生を生きるにせよ、すばらしい企業経営をするにせよ、誰にも負けない努力をすること、一生懸命に働くことが必要です。このことを除いては、企業経営の成功も人生の成功もありえないのです。

『六つの精進』(稲盛和夫 サンマーク出版)p14-15

 努力の大切さは誰もがわかっています。

ポイントは「人並みの努力」ではなく「誰にも負けない」といっているところですね。では、「誰にも負けない努力をする」ためには、どうすればいいのでしょうか。そのためには「仕事を好きになることだ」と稲盛さんはいいます。

稲盛和夫
稲盛和夫

「一生懸命に働くというのは苦しいことです。その苦しいことを毎日続けていくためには、いま自分でやっている仕事を好きになることが必要です。好きなことであれば、いくらでもがんばることができます。

『六つの精進』(稲盛和夫 サンマーク出版) p24

 楽しい仕事はありますが、楽な仕事はありません。仕事をする限り、いつかどこかで辛く苦しい経験をするものです。ただ、その苦しい経験のなかで「誰にも負けない努力」を続けた時、たとえ成果が出なかったとしても、仕事の醍醐味を深く知り、仕事を好きになることが人にはあります。

 仕事を好きになるコツとは、「誰にも負けない努力をする」ことでもあるわけです。

 稲盛さんは「惚れて通えば千里も一里」という言葉をあげています。「好きになった人であれば、会いにいくのが千里であっても一里のように感じ、遠い道のりでも、疲れもしないし辛いとも思わない」という意味ですね。

 仕事に惚れて「誰にも負けない努力」をしたら、辛く苦しい仕事のなかにも「楽しさ」を見つけることができます。そうして人格は磨かれていきます。人格が磨かれていけば、他の人を思いやる慈悲心が生まれ「利他の心」が育まれていきます。

 世のため人のためにと、さらに「誰にも負けない努力」を重ねていけば、きっと人生を良き方向へと導いていくことができるでしょう。

精進二:謙虚にして驕らず

 「ただ謙のみ福を受く」

 稲盛さんは若い頃に、この言葉に出会い「謙虚でなければ幸福を受けることはできない、幸福を得られる人はみな謙虚でなければならないのだ」(p39)と思い、生きていくうえで、経営を行なっていくうえで「謙虚さ」を大切にしてきたそうです。

稲盛和夫
稲盛和夫

「謙虚であるということは、人間の人格を形成する資質の中でもっとも大切なものではないかと思います。「あの人は立派な人格者だ」ということを我々はよくいいますが、人間性の中に謙虚さを備えている人を、我々はそいうふうに表現しているわけです」

『六つの精進』(稲盛和夫 サンマーク出版) p24

 中国文学者の守谷洋氏の著書『中国古典一日一言 』(PHP文庫)に、「謙のみ益を受く」という言葉があります。中国古典「書経」にある言葉です。「書経」は、儒教の重要経典とされる五経(易経・書経・詩経・礼記・春秋)のひとつです。恐らく稲盛さんは、「謙のみ益を受く」のことをいっているのでしょう。

『中国古典一日一言 』(PHP文庫)
クリックするとAmazonへ!

 「満は損を招き、謙は益を受く」(書経)

 ここでの満は慢心のことです。守谷氏は慢心が損を招く2つの理由をあげています。

  1. 自分自身、それ以上の進歩向上が望めない。
  2. 必ずや周囲の反発を招き、まとまる話もまとらなくなる。

 慢心を抱いた組織が、その行いによって世間から退場を余儀なくされることは歴史が証明しています。大手企業のリーダーたちが「満」によって倫理観を欠き、その結果不祥事が発覚して、記者会見で頭を下げるシーンは現代において珍しくない光景となっています。

稲盛和夫 精進の言葉

世の中では、他人を押しのけてでも、という強引な人が成功するようにみえますが、けっしてそうではありません。成功する人とは、内に燃えるような情熱や闘争心、闘魂をもっていても、実は謙虚な控えめな人なのです。

『六つの精進』(稲盛和夫 サンマーク出版)p14-15

 稲盛さんの上の言葉を聞き、経営学者ジェームズ・C・コリンズが提唱した『第五水準のリーダー』という概念が思い出されます。経営学書の名著『ビジョナリーカンパニー② 飛躍の法則』(日経BP)で提唱されたリーダー論です。

『ビジョナリーカンパニー2』(日経BP)
クリックするとAmazonへ!

 ある企業が飛躍した要因をコリンズ博士たちは調査していました。その中で、飛躍を導いたリーダーに共通する資質を発見したのです。その資質を『第五水準のリーダーシップ』と名付けました。

 『第五水準のリーダーシップ』について、コリンズ博士は、こう書いています。

良い企業を偉大な企業に変えるために必要なリーダーシップの型を発見したとき、われわれはおどろき、ショックすら受けた。派手なリーダーが強烈な個性をもち、マスコミで大きく取り上げられて有名人になっているのと比較すると、飛躍を指導したリーダーは火星から来たのではないかと思えるほどである。

万事に控えめで、物静かで、内気で、恥ずかしがり屋ですらある。個人としての謙虚さと、職業人としての意思の強さという一見矛盾した組み合わせを特徴としている。

『ビジョナリーカンパニー2』(日経BP)

 経営学者がチームとなって丹念な研究を重ねた結果、優れたリーダーの資質に「謙虚さ」をクローズアップしている点は、注目に値します。しかも「万事に控えめで、物静かで、内気で、恥ずかしがり屋」は、米国人のリーダーシップ・スタイルをイメージすると、とても意外です。

 稲盛さんも長い人生を通して、数多くのリーダー・経営者と会っています。その経験から導き出された教訓が、経営学者の研究結果と重なっています。なおさらのこと「謙虚にして驕らず」を忘れたくありません。

精進三:反省のある毎日を送る

「原因」と「結果」の法則 (サンマーク出版)表紙画像
『原因と結果の法則』(サンマーク出版)
クリックするとAmazonへ!

 稲盛さんは、「反省のある毎日を送る」の章で、20世紀初頭の哲学者ジェームズ・アレンの『原因と「結果」の法則』(サンマーク出版)から、いくつかの言葉を引用しています。そのひとつが次のものです。

 「心の中に蒔かれた(あるいは、そこに落下して根づくことを許された)思いという種のすべてが、それ自身と同種類のものを生み出します。それは遅かれ早かれ、行いとして花開き、やがては環境という実を結ぶことになります。良い思いは良い実を結び、悪い思いは悪い実を結びます。」『六つの精進』(稲盛和夫 サンマーク出版)p50

 もし、「良い思いは良い実を結び、悪い思いは悪い実を結ぶ」のならば、日頃、「良い思い」を抱くことがとても大切になっています。

 稲盛さんは、その「良い思い」を抱くために、「反省のある毎日を送る」と、私たちを諭すのです。

 「反省だけなら、誰でもできる」。そんな言い方がありますが、稲盛さんのいう「反省」は、そう簡単に誰でもできるものではありません。稲盛さんは、「反省」をこう定義しています。

稲盛和夫 精進の言葉

自分の悪い心、自我を抑え、自分がもっているよい心を心の中に芽生えさせていく作業が、「反省をする」ということなのです。よい心とは、心の中心にある「真我」、つまり「利他の心」です。他を慈しみ、他によかれかしと思う、やさしい思いやりの心です。それに対して、「自我」とは、自分だけよければいいという「利己的な心」、厚かましい強欲な心のことです。

 今日一日を振り返り、今日はどのぐらい自我が顔を出したのかを考えて、それを抑え、真我、つまり利他の心が出るようにしていく作業が「反省」というものです。

『六つの精進』(稲盛和夫 サンマーク出版)p14-15

 「反省」は辞書に「 1.自分のしてきた言動をかえりみて、その可否を改めて考えること。2. 自分のよくなかった点を認めて、改めようと考えること。」(デジタル大辞泉 小学館)とあります。

まっつん
まっつん

確かに、この辞書にある意味合いでの「反省」は、「考えること」ですから、誰にでもできるのかもしれません。稲盛さんのいう「真我、つまり利他の心が出るようにしていく作業」となると、なかなか難しいものです。

 とはいえ、稲盛さんの教えが心に残るのは、反省に「目標」がある点です。自らを省みるだけではなく、「利他の心」が養われるように、日々、反省をしていくわけです。すると、漠然と反省するよりも、「自分の悪い心、自我を抑え、自分がもっているよい心を心の中に芽生えさせていく」という目標があれば、目的意識が生まれ「反省」することに意味を感じられるようになります。

 人は、意味のないことに力が入りませんが、意味があるとわかれば継続する力が生まれます。

稲盛和夫
稲盛和夫

反省をして、邪で貪欲な、卑しい私に対して、「少しは静かにしなさい」「少しは足ることを知りなさい」と言い聞かせ、自我を抑えつけていく作業がいるのです。そうすることによって自分の魂を、自分の心を磨いていくことができるのです。

『六つの精進』(稲盛和夫 サンマーク出版) p56

 日々、「反省」をして、「良い思い」をたくさん抱き、「良い実」を結ばせたいものですね。

まっつん
まっつん

 小学校で習うような道徳・倫理観をベースにして、稲盛さんは経営判断を行なっていったのです。経営学の知識ではなくて、「人間として正しいかどうか」を基準にした判断が、後の成功につながったと、稲盛さんはいいます。

精進四:生きていることに感謝する

 ユング派の心理療法家河合隼雄さんの著書『こころの処方箋』(新潮社)に、「強い者だけが感謝できる」という章があります。河合先生は京都大学の教授で、京セラは京都にありますので、おふたりは懇意にしていたと聞きます。

 さて、なぜ、河合先生が「強い者だけが感謝できる」と書くのかといいますと、心理療法の場において、「感謝できるか否か」が、その人の「強さ」のバロメータになると考えているからです。河合先生は、こう書いています。

「ある人がどの程度の強さをもっているかを前もって知っておくことが必要なときがある。そんなときに、その人が適切な感謝をする力があるかどうかは、相当に信頼できる尺度のように筆者は思っている」『こころの処方箋』(河合隼雄 新潮社)p149

 ここで「適切な感謝」と書いているところがポイントです。押し付けがましい感謝、つまり、「感謝してるのだから〜」と何か要求するような感謝は、「適切な感謝」とはいえません。それは「不適切な感謝」であり、「強い者」がすることではありません。なったのです。

 では、稲盛さんは「感謝」について、どういっているのでしょうか。

稲盛和夫 精進の言葉

「どんな些細なことに対しても感謝をする心は、すべてに優先する大切なものであり、「ありがとうございます」という言葉は、大きな力をもっています。この言葉は、自分自身を気持ちのよいすばらしい境地へと導いてくれるとともに、それを聞いた周囲の人々をもやさしいよい気持ちにする万能薬なのです。私も、「ありがとうございます」という言葉を、ずっといいつづけてきました」

『六つの精進』(稲盛和夫 サンマーク出版)p14-15

 稲盛さんは、幼い頃にあるお坊さんから「なんまん、なんまん、ありがとう」というように諭され、それ以来、この言葉を大切にし、繰り返し唱えつづけてきました。京セラはグローバル企業です。経営トップとして海外で教会に立ち寄った時にも、「なんまん、なんまん、ありがとう」を唱えていたそうです。

 それぐらい人生において、感謝すること、「ありがとうございます」と口にすることを稲盛さんは大切にしていたのです。よって、「生きていることに感謝する」の教えが生まれてきます。

まっつん
まっつん

「生きていることに感謝する」は、とても根本的なもので、日々できる感謝です。「感謝できることあれば、感謝します」と考えていると、感謝の機会も少なくなります。ですが、「生きていること」「生かされていること」に感謝するのならば、生きている限り、毎日、毎日、感謝することできます。

 まわりの人を心地よくする「感謝」は「良い思い」です。「良い思いは良い実を結び、悪い思いは悪い実を結ぶ」のであれば、こういえますね。

 感謝できることがあるから感謝するのではなく、感謝するからこそ感謝したくなることが起きてくる。

 河合先生のいう「強い者だけが感謝できる」を真理とするなら、日々、感謝することによって心を磨き「強い者」になれるといえます。「生かされていることに感謝」をし、心を強くして、たくましく人生を歩んでいきましょう。

精進五:善行、利他行を積む

 「利他」は、稲盛さんの「座右の銘」といえる言葉です。さまざまな著書で稲盛さんは「利他」の大切さを説いてきました。例えば『成功の要諦』(致知出版社)では、こういっています。

『成功の要諦』(稲盛和夫 致知出版社)
『成功の要諦』(致知出版社)
クリックするとAmazonへ!
稲盛和夫
稲盛和夫

 世のため人のために尽くすことによって、自分の運命を変えていくことができます。自分だけよければいい、という利己の心を離れて、他人の幸せを願う利他の心になる。そうすれば自分の人生が豊かになり、幸運に恵まれる

『成功の要諦』(稲盛和夫 致知出版社) p114

 『六つの精進』(サンマーク出版)の中では、「善行・利他」に関してて「小善」と「大善」を比較して話を進みます。例として「お金の貸し借り」について、多くのページがさかれています。

 あるとき、社員の父親が「お金を貸してほしい」と、稲盛さんの自宅を訪ねてきました。事情を聞くと稲盛さんは、「お父さん、私がお金を貸すことはあなたのためにななりません。いまどれだけ困っておられるのかは知りませんが、それはできません。お父さんは現在の苦境を真正面から受け止めて、耐えていかなければなりません」(p81)と、断りました。

まっつん
まっつん

困っている人にお金を貸すのは、善行であり利他であるはずです。しかし、「小善」と「大善」の尺度で見た時に、すぐにお金を貸することは「小善」となるかもしれませんが、本当にその人のためになる「大善」になるのかと問うと、そうとはいえません。

 「苦境を真正面から受け止め耐えることを学ぶように」導くことが「大善」といえます。

 稲盛さんの判断は正しく、この時の社員は、後に京セラの幹部となって活躍したそうです。

稲盛和夫 精進の言葉

「立派な人生を送るためにも、また立派な経営を続けていくためにも、真の善行、利他行を積むということに努めてください。」

『六つの精進』(稲盛和夫 サンマーク出版)p81

 

精進六:感性的な悩みをしない

 反省はしても後悔はしない。

 そんな言葉がありますが、過去の失敗など過ぎた出来事をくよくよと考え続けることは「心」によくありません。「マインド・ワンダリング」(mind wandring)という言葉があります。

まっつん
まっつん

 マインドは「心」で、ワインダリングは「さまよう」という意味です。そこで「マインド・ワンダリング」とは、今すべきことに集中できず、くよくよとあれこれ考え続けて、心がさまよっている状態です。

 例えば、仕事で失敗して上司にひどく怒られたことを、帰りの電車や家に帰ってきて、「あんな言い方ないじゃないか」「なんなんだ、あれでも上司か」「だったら、お前がやってみろよ」などと考え続けてしまうと、その度に「ストレスホルモン」が分泌されてしまうのです。

 過剰にストレスホルモンが分泌されると、自律神経が乱れ、心身のバランスが崩れていってしまいます。だから、稲盛さんは、「感性的な悩みをしない」と説くわけです。

稲盛和夫 精進の言葉

すんだことに対して深い反省はしても、感情や感性のレベルで心労を重ねてはなりません。理性で物事を考え、新たな思いと新たな行動に、ただちに移るべきです。そうすることが人生をすばらしいものにしていくと、私は信じています」

『六つの精進』(稲盛和夫 サンマーク出版)p81

 そういう稲盛さんは、京セラで不祥事があった時には、たいへんな苦労を味わいました。「厚生省の許可をとらずにファインセラミック製の膝関節を売って金儲けしている」とマスコミに叩かれたことがあるのです。稲盛さんが、テレビカメラの前で頭をさげる姿が、連日、ニュース映像となって流れました。

 心を痛めた稲盛さんは、臨済宗妙心寺派円福寺の西片老師を訪ねました。西片老師は、稲盛さんに対して、こう言葉をかけました。

「ひどい目にあったということは、あなたが過去につくった罪、穢れ、つまり業が結果として出てきたということで、そのときに業は消え去っていくのです」(p97)

 この言葉を聞いた稲盛さんは、すぐには納得できなかったものの、家に帰って救われる思いがしたそうです。そこで稲盛さんは、こういっています。

稲盛和夫
稲盛和夫

災難にあったとき、それは自分が過去に犯した罪、穢れ、業つまりカルマが結果となって出てきたのだと考えるのです。命までとられるわけではなく、その程度ですんだのであれば、むしろお祝いをしなければならない。そういうふうに思い、すっきりとそのことを忘れ、新しい人生に向かって力強く、希望を燃やして生きていく。そのことがすばらしい人生を生きていくために必要なのです。

『六つの精進』(稲盛和夫 サンマーク出版) p99

 とても辛く苦しい目にあうと、そこには「救い」がないように感じられます。しかし、辛く苦しい経験を通して「罪、穢れ」が少しでも消えるのだとしたら、それは「救い」になります。

書籍『六つの精進』(稲盛和夫 サンマーク出版)の表紙画像
『六つの精進』(サンマーク出版)
クリックするとAmazonへ!

 「救い」があるのならば、「救いなどまったくない」と感じている時よりも、少しは早く、過去を断ち切って忘れることができます。「感性的な悩み」をせずにすみます。

 稲盛さんがいうように、「感性的な悩み」はほどほどにして、忘れてよいことはさっさと忘れて、新しい人生に向かって力強く、希望を燃やして生きていきましょう。

 

(文:松山 淳


稲盛和夫 略歴

 1932年(昭和7年)鹿児島県(鹿児島市薬師町)生まれ。1948年(昭和23年)鹿児島市高等学校第三部に進学。1951年(昭和26年)鹿児島大学工学部に入学。1955年大学卒業後、碍子メーカー松風工業(京都)に就職する。1958年、上司と衝突し松風工業を退社。

1959年(昭和34年)、京都セラミック株式会社(現京セラ)を創業。1984年、電気通信事業の自由化にともないNTTに対抗するため第二電電企画を設立。2000年10月に他会社と合併し、KDDIを設立する。
 2010年2月、破綻した日本航空(JAL)の再生のため会長に就任。2年7ヶ月で再上場を果たし、再生に成功する。「経営の神様」と呼ばれる。

 経営塾「盛和塾」の塾長として数多くの経営者を育成する(1983年〜2019年)。

 2022年8月24日に永眠。享年90歳。

]]>