「産業再生機構」で働き、経営破綻したダイエー、カネボーなど数々の事業を再生せた人物に冨山和彦氏がいます。その冨山氏にこんな言葉があります。
「人が意見をかえるのは、情に流されて根負けしたときである。説得者の人間性にほだされ、「しょうがねえな」という感じで宗旨を変えすることはあっても、ロジック負けして意見を変えることはない」
『Think! no.39リーダーに必要な戦術とスキル』(東洋経済新報社)
多くの修羅場をくぐってきた人だからこそ、「なるほど」と、納得のできる言葉です。
頭が切れて、ロジカルに物事を考え、合理的に判断をし、ぐいぐいプロジェクトを引っ張っていくリーダーがいます。
一方で、なんとなく憎めなくて人として隙だらけで、
「まったく、あの人が言うなら、しょうがねえな~」
「私たちがいないと、うちのリーダーはダメだからね」
なんて、部下たちに思わせ、強く指示命令をすることなく、メンバーが自ら動くチームを、なんとなく作ってしまうリーダーがいます。
後者のリーダー・タイプの特性としてあげられるのが「愛嬌」です。愛嬌を辞書で引くと「接すると好感を催させる柔らかな様子」とあります。
「しょうがねえな」と思われつつも、実際に部下が動き成果をあげられるならば、「愛嬌」は、リーダーにとっての大きな武器になります。
ノンフィクション作家高橋秀実さん。村上春樹さんとオウム事件で一緒に仕事をしています。この仕事は村上さんの作品『アンダーグラウンド』(講談社)となっています。
2012年話題となった『「弱くても勝てます」―開成高校野球部のセオリー』(新潮社)は、高橋さんの著です。
高橋さんは、昭和36年(1961年)生まれです。同年代の人たちには、会社で出世をしている人もいれば、そうでない人もいます。作家として、外から30年以上、様々な会社人を眺めてきました。
そんな高橋さん、ある事に気づきました。
「出世する人と出世しない人の違い」です。
その違いとは何なのでしょうか。高橋さんは、「出世する人と出世しない人の違い」について、日経新聞にこう書いています。
誤解を恐れずに言わせていただくと、出世する人は、おおむね仕事が「できない」人である。
もちろん無能という意味ではない。「できない」と素直に表明できる人。恥をさらせる人で、全身から何やら「できない」というオーラが漂っているのだ。
考えてみれば、自分が「できない」からこそ人にお願いするわけで、彼らはおのずと腰が低く、感謝を忘れないのである。
(中略)
身を挺して「できない」をさらすことで周囲の「できる」を引き出すのである。逆に「できる」人はできるから命令するばかりで、周囲の「できない」を浮き立たせてしまうのだろう。
『日本経済新聞』(2014.8.8付け夕刊)
上の文章から、その人物像を抜き出すと、出世する人の条件とは、次のようになりますね。
- 「できない」と素直に表明できる
- 恥をさらせる人
- 腰が低く感謝できる人
コラムに「愛嬌」という言葉は出てきていませんでしたが、高橋さんの気づいた「出世する人」を形容する言葉として「愛嬌」が、ぴったりは当てはまるなと感じます。
拙著『バカと笑われるリーダーが最後に勝つ』では「トリックスター・リーダーシップ」という概念を創出し、その著のなかに「愚徳」というキーワードを記しました。
「愚徳」とは、人間の「愚かさ」をさらけ出すことで、人を安心させたり惹きつけたりできる「人徳」のひとつです。
高橋さんのコラムにある通り、愚かな素振りを見せられる「愛嬌」は、周囲の人を和ませ、他者の力を引き出し、チームをまとめます。「愛嬌」は「愚徳」のひとつといえます。
つまり「徳ある愚かさ」は、リーダーシップの原動力となるのです。
人をなんとか動かそうとして、肩に力が入り、ハーバード流だとかスタンフォード流だとか、横文字だらけの「操作型マネジメント」に疲れてしまったら、「愚かさ」を徳とするリーダーシップ・スタイルも「あり!」なんだということを忘れないでください。
高橋さんは、コラムの最後に、「できない」をさらけ出せる「出世する人」たちの佇(たたず)まいを「公園のようだ」と表現しています。
公園は人が来るところですね。人が集まってくるところです。それだけのスペースがあり、人を引き寄せる力が公園にはあります。
「公園のような人」は、懐が深く自然と人が集まってきます。
また、公園は自分が主役になって楽しむのではなく、人を楽しませる場です。
「公園のような人」は、「自分が自分が」とエゴを前面に出すことなく、腰が低く他者ファーストです。他人が楽しんだり喜んでくれることを、自分のエネルギーできます。
組織風土の違いによって、高橋さんのいうことが、必ずしも当てはまらないケースもあるかもしれません。ただ、30年以上の作家経験から気づいたことですので、ぜひ耳を傾けておきたい内容です。
公園のような人。ぜひ、なってみたいものです。
それでは最後に、高橋さんの素晴らしい言葉を記して、本コラムを終えます。
自らをわきまえているので周囲の信頼を得て、世の中から必要とされるようになる。
『日本経済新聞』(2014.8.8付け夕刊)
(文:松山 淳)