「反省除去」とは、自己に向けられる過剰な意識から生じる不都合な症状をとり去ろうとする心理療法。提唱者は、心理学者V・E・フランクル(Viktor Emil Frankl)である。フランクルの心理療法の技法には、「逆説志向」(paradoxical intention)と「反省除去」(dereflexion)がある。この2つは、フランクル心理学の2大技法と呼べる。
「逆説志向」と「反省除去」は、まったく別ものではない。根幹にある考え方はリンクしている。「逆説志向」については、「緊張や不安を軽くする方法(逆説志向)」に詳しく書いた。
このページでは、「反省除去」について書いていく。
反省除去(dereflexion)とは
「反省除去」は「脱反省」とも訳されます。
「反省」とは、「自分のこと」「自分のした行い」をふりかえって考えることですね。反省をする時、意識は自分に向けられています。「除去」にしろ、「脱」にしろ、この自分に向ける意識をやめることが「反省除去」のポイントになります。
そこで、反省除去(脱反省)の定義は次の通りになります。
「反省除去」とは、自分を過剰に意識することによって生じている不都合な症状を、その過剰な意識を除去することによって、不都合な症状をとり去ろうとする心理療法。
例えば、気が散って仕事や勉強に集中できない状況を考えてみましょう。
あ〜、集中できない!集中できない!
そうイライラしている時、自分の意識はどこに向かっているのでしょう?
そうですね。集中できない自分を考えているので、「自分」に意識が向かっています。
「集中できない、集中できない」と、困っている時、「(私が)集中できない、(私が)集中できない」と、私(自分)のことに意識が集中しています。
皮肉なことに、「集中できなていない」はずが、実は、自分に意識が集中してしまっているのです。
こうした、自分に意識を向け過ぎているネガティブな心理状態を、フランクルは次のようにいいました。
「過度の自己反省」
「過度の自己観察」
「過度の自己反省」「過度の自己観察」をしている限り、理想の集中状態にはなりません。理想の集中状態は、「自分の意識」が「仕事や勉強に」に向かっている時です。
では、仕事や勉強に意識が向かっている時、『私』という意識はどうなっているのでしょう。
そうです。集中できている時、『私』という意識は消えているのです。
「仕事(勉強)に『私という意識』が没している」
「仕事(勉強)と私とが一体になっている」
集中状態を、そう表現することができます。「没頭する」とは超集中できている時ですね。
好きな趣味に没頭して、ふっと時計をみたら、1時間があっという間に過ぎていた。気づいたら窓の外が暗くなり夜になっていた。そんな経験をしたことのある人もいるでしょう。
超集中といえる心理状態の時に、「私」(自分)という意識は消えていて、自分が何かを意図的に行っているという感覚は消えています。
「ただ、それをしている」状態です。
昨今、マインドフルネス瞑想が広がっています。瞑想を定期的に行い熟達していくと、「私が消える時間」を味わうことができます。
「私が消える」意識状態を「没我」と表現することがありますね。
「没」は「なくなること」です。「我」は「私」ですので、「私という意識が消えてなくなること」が、集中できている理想の「没我」状態です。
没我は、自分にベクトルを向けず、自分のことを考えていない「脱反省」している時に起きています。その「理想の意識」を実現できるように導くのが「反省除去」という心理療法です。
ムカデの逸話に学ぶ
「あいつ最近、意識過剰だよな」
私が中学高校の頃(1980年代)には、そんな言葉を使って、クラスの誰かを批判した記憶があります。今では言わないでしょうね。ここでの「意識過剰」は、「自意識過剰」から転じた言葉でしょう。
まわりからどう見られるいるかをいつも気にしていて、ちょっとプライドが高くなっている、高飛車な感じのクラスメイトを指して「意識過剰だよな」といっていました。
「あいつ、最近、意識過剰だよな」といわれてしまう人は、「過度の自己反省」「過度の自己観察」の状態になっているので、悪口の対象になるネガティブな現実を作り出しているわけです。
「過度の自己反省」「過度の自己観察」について、フランクルは「むかでの逸話」を、よく引き合いに出します。ちょっとアレンジして「むかでの逸話」をご紹介します。
ある森にムカデが住んでいました。ムカデは100本の足を上手に使って、とても踊りが上手でした。ムカデが踊り出すと森に住む生き物たちは集まってきて、拍手をおくりました。
ムカデは森の人気者でした。
ある日、意地悪カエルがやってきてムカデに言いました。
「ムカデさんは、踊りが上手だね。100本の足の33番目と88番目はどうやって動かしているの?ちょっと踊ってみて」
「えっ?」
ムカデは33番目と88番目の足に意識を向けて踊ろうとしました。
すると、ムカデの踊りはとてもぎこちなくなり、いつものような自然で優雅な踊りができなくなってしまいました。
ムカデは困り果て、森の奥へと消えてゆきました。
それまでムカデは、自分がどう踊っているかなど考えたことがなく、「あるがまま」、自然体で踊ることができていました。意地悪カエルに「あるがまま」の心を壊されたわけです。
カエルは、「どうやって動かしているのか?」と聞き、ムカデが「過度の自己観察」に陥るように仕向けました。ムカデは、「33番目と88番目」の足に意識を向けることによって、本来もっていた力を発揮することができなくなったのです。
この逸話から、フランクルは次の教訓を私たちに残しました。
自分について考え過ぎることはやめて、自分のすべきことに没頭すること、我を忘れてやるべきことに集中することが大事。
反省除去の事例
では、ここから具体的に「反省除去」の事例を見ていきましょう。
フランクルは、あるバイオリニストのことを「反省除去」の事例として、よく本に書いています。
そのバイオリニストは、とにかくできるかぎり意識的に演奏をしようと努力をし続けてきました。バイオリンをどの位置にどう置くかから始まり、とても細かいことまで意識して作り上げようとしていました。どこが悪くて、どこがよかったを常に反省し、意識のベクトルを自分に向け続けていたのです。
その結果、このバイオリニストは、ひどいスランプに陥ってしまいました。
フランクルは、このバイオリニストに対して「反省除去」を説明し、あまりにも意識的に何かをしようとしている点を改めるように諭しました。
過度の自己観察を戒め、「自分がする」という意識を捨て去り、もっと「無意識」を信頼するように求めたのです。
その結果、バイオリニストは、本来の創造性を発揮できるようになり、スランプから抜け出すことができたのです。
芸術家としては、ある画家にも同じような事例があります。
その画家も意識的に作品をつくろうとして挫折しかけていました。
フランクルから「反省除去」のアドバイスを受けて、意識的に作品をつくろうとすることをやめた途端に、アイディアが次から次へと湧き出て、一気に絵が描けるようになったといいます。
フランクルは、著書『識られざる神』(みすず書房)の中で、こう書いています。
過度の自己観察、──まるでひとりでに行なわれるかのように無意識の深みの底でなされねばならぬはずの仕事を意識して「行なおう」とする意志、──それが創造的な芸術家にとって一種のハンディキャップになることは稀ではない。そこでは不必要な反省はすべて有害なものでしかありえないのである
『識られざる神』(V・E・フランクル[著]、佐野利勝 木村敏[訳] みすず書房)p40
自分を考え過ぎる「過度の自己観察」によって、我欲(エゴ)が生まれます。その我欲(エゴ)が有害なものとなって、本来の力が発揮できなくなるのです。
これは、芸術家だけでなく、武道家やアスリートたちにも当てはまることです。ですので、空手、剣道、柔道など日本古来の武道では「無我」「無欲」の重要性を強調するわけですね。
次の事例は、ウィーン芸術アカデミーの女子学生のものです。彼女は、当時「分裂病」(現在、統合失調症)と呼ばれていた症状に苦しみ、フランクルのもとを訪れました。
この事例は、『意味への意志―ロゴセラピイの基礎と適用 』(翻訳:大沢博 ブレーン出版)に掲載されているものです。この面接記録を読むと、「反省除去」についてより深く理解できますので、引用いたします。
私を当惑させているのは、私の内部で起こっているのは何のかということなんです。
考え込まないことです。あなたの根源を探ろうとしないことです。それは私たち医者にまかせればいいのです。私たちは、あなたがその危機を通り抜けられるように導きます。あなたを待っている目標はありませんか。たとえば、芸術の仕事など。あなたの中で発酵している多くのものーまだ形にならない芸術作品、創造を待っている未完成の絵など、あなたによって生かされるのを待ってるものが何かありませんか。そういったことを考えてください。
でも、内部の混乱が……
あなたの内部の混乱を見つめないで、あなたを待っているものに目を向けてください。大切なのは、心の中に潜んでいるものではなく、未来であなたを待っているもの、あなたによって表現されるのを待っているものなのです。
精神的な危機があなたを悩ませているのはわかっています。でもその悩みの波は私たちに静めさせてください。それは私たち医者の仕事です。精神科医にまかせてください。
とにかく自分自身に目を向けないでください。あなたの内側でおこっていることを見つめないで、あなたになされるのを待っていることを探してください。だから症状のことを話し合うのはやめましょう。不安神経症とか強迫神経症とか。
それがどんなものでも、あなたがアンナであるという事実、何かがアンナを待っているという事実を考えましょう。あなた自身について考えないで、あなたが創造しなければならない作品、まだ生まれていない作品に目を向けてください。
あなたがどんな人であるかは、あなたがその作品を創ることではじめてわかることなのです。
いかがでしょうか。
面接記録にあるフランクルの言葉からは、自分に目を向け過ぎない「反省除去」のことだけなく、未来から今を考えるフランクル心理学(ロゴセラピー)の本質をも読み取ることができます。
「あなたによって生かされるのを待ってるものが何かありませんか」
「大切なのは、心の中に潜んでいるものではなく、未来であなたを待っているもの、あなたによって表現されるのを待っているものなのです」
「何かがアンナを待っているという事実を考えましょう」
自分にベクトルを向けて「自分のこと」「自分の病のこと」「病の症状のこと」を考えるのではなく、「未来のこと」「未来で待っている何か」について意識を向け、それについて考えるように、フランクルはしつこいくらいに繰り返します。
ここにフランクル心理学( ロゴセラピー)の特徴が見られます。
・未来から今を考えることで、過度の自己観察によって苦しんでいる「私」を解放しようとしてする。
・未来を信頼させ、未来に委(ゆだ)ねることで、その人が本来持つ創造性を発揮させようとしている。
フランクルは、『神経症1』の中では、こう書いています。
われわれが自分の不安から自由になれるのは、自己観察やまして自己反省によってではなく、また自分の不安を思いめぐらすことによってでもなく、自己放棄によって、自己を引き渡すことによって、そしてそれだけの価値ある事物へ自己をゆだねることによってである。
『神経症1』(V・E・フランクル[著] みすず書房)p176
これこそ「ロゴセラピー」の本質であり、フランクルが大切にした「自己超越」につながる考え方です。
それでは、続いて「反省除去」とつリンクする「自己超越」についてふれていきす。
自己を超えてゆけ。
「反省除去」が、苦しみの原因となっている「過剰な自己反省」「過剰な自己観察」にストップかけることであれば、自己にとらわれない心理状態を実現することが、「反省除去」の目指すゴールになります。
フランクル心理学の2大心理技法の「逆説志向」が、自分の苦しんでいる症状をあえて望むことで、自分を笑い飛ばそうとするのならば、それもまた「自己にとらわれない」意識をつくりだそうとすることであり、「反省除去」と共通しています。
自己に執着しないことを「無我の境地」といいますね。フランクル心理学には、「無我の境地」の意味を含む言葉として、次のものがあります。
自己超越
(self-transcendence)
「自己超越」は、フランクル心理学「ロゴセラピー」での核になるコンセプトです。フランクルは著書『宿命を超えて、自己を超えて』(春秋社)の中で、こう述べています。
自己超越とは、人間が、自分を無視し忘れること、自分を顧みないことによって、完全に自分自身であり完全に人間であることです。なんらかの仕事に専心することや、なんらかの意味を実現することによって、あるいは、ある一つの使命またはある一人の人間、つまり伴侶に献身することによって、人間は、完全に自分自身になります。
『宿命を超えて、自己を超えて』(V・E・フランクル[著]、山田邦男[訳] 春秋社)p106-107
「自分を無視し忘れる」「自分を顧みない」は、「反省除去」でのポイントです。
つまり、「反省除去」をすることで、人は「自己超越」していくことになるのです。
自己を中心とした欲求によって描かれる成功(お金持ちになりたい、組織で高いポストにつきたい、起業して成功したい、人から尊敬される成功者になりたい)を追い求めるのではなく、自分を忘れ去る「自己超越」を心がけ、目の前にある「すべき事」に没頭するような生き方を、フランクルはすすめています。
自分にこだわることをやめて、自分を越えた存在、つまり、他人や仕事や社会や自然と関わり、それらから求められる事に没頭している時、その人に潜在している真の人間性が発揮され、よりよい心理状態が実現されるのです。
その結果として、自分の望んでいる成功が(芸術家にとっては創造性豊かな作品が、スポーツ選手にとっては勝利が、ビジネスマンにとっては高い成果が、人間にとっては幸福が)実現されてくるのです。
「自己超越」というコンセプトは、芸術家だけでなく、創造性を発揮することを求められる全ての人にとって、大切な考え方になります。
「自己超越」していくことができれば、人は「生きる意味」を満たすことができ、より充実感をもって生きていくことができるのです。
フランクルの「反省除去」という技法の根底には、「自己超越」に関する深い思想があります。だから、時代を超えて、今も、多くの「生きることに苦しむ人々」を救い続けることができるのです。
豊かで便利な社会となり、エゴ(自己)が肥大化しやすい時代です。
自己を忘れ去れ!
よりよい人生・運命を築くためにも、フランクルの言葉に耳を傾け続けたいものです。
(文:松山 淳)
【参考文献】
『識られざる神』(V・E・フランクル[著]、佐野利勝 木村敏[訳] みすず書房)
『神経症1』(V・E・フランクル[著] みすず書房)
『宿命を超えて、自己を超えて』(V・E・フランクル[著]、山田邦男[訳] 春秋社)
世界的ベストセラー『夜と霧』の著者であり、ナチスの強制収容所を生き延びた心理学者フランクル。彼の教えは、今なお人生に苦悩する人を救い続けています。フランクル心理学のエッセンスを「7つの教え」にまとめてお伝えいたします。
ヴィクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl 1905〜1997)ロゴセラピーの創始者。オーストリア出身の精神科医、心理学者。世界三大心理学者(フロイト、ユング、アドラー)につぐ「第4の巨頭」。第2次世界大戦中のナチス強制収容所から生還する。その体験を記した『夜と霧』は世界的ベストラーとなる。「生きる意味」を探求するロゴセラピー(Logotherapy)という独自の心理学を確立し、世界に大きな影響を与えた。享年92歳。著書:『夜と霧』(みすず書房)『それでも人生にイエスと言う』(春秋社)『意味による癒し』(春秋社)ほか。