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経営学者ピーター・ F・ドラッカーに比べると日本での知名度は極めて低いのですが、欧米ではドラッカーに負けず劣らず高い評価を得ているのがヘンリー・ミンツバーグ(Henry Mintzberg)です。彼は「組織論」だけでなく「戦略論」の大家としても名を馳せていますね。
ミンツバーグは、1939年(昭和14年)カナダに生まれました。首都モントリオールにあるマギル大学や米国マサチューセッツ大学で学んだ後、カナダ国有鉄道で働き、それから出身校であるマギル大学で教鞭を執り、アカデミックの世界で活躍するようになりました。
ミンツバーグの名を世界に知らしめたのが、1973年に発表された『マネジャーの仕事』(原題:The nature of Managerial Work)です。
ミンツバーグは、マネジメントの実態を明らかにし、過去の学説に異を唱えました。それまでの考え方を簡単には受け入れない「反逆者」としてのスタンスがミンツバーグ流です。ですので、「理論に縛られない理論家」「天の邪鬼な理論家」なんて、呼ばれることがあります。
マネジメントの定義といえばフランスの企業経営者アンリ・ファヨールの一文が有名ですね。現在から約100年前の1916年に出版された『産業ならびに一般の管理』にそれはあります。
ミンツバーグにとってこの定義はあまりに抽象的でした。「計画して組織して指揮して…」という言葉はわかるけど、「職場でとっているどんな行動が、計画であり、組織化であり、指揮」なのか、もっと具体的に知りたかったのです。
「マネジャーの職務については、膨大な量の文献が出版されているが、職務そのものについては依然としてわずかしか知られていない。大半の文献は、ほとんど役に立たず、単にあいまいに同じようなことをはてしなく繰り返しているにすぎない。」
『マネジャーの仕事』(白桃書房)p13
そこでミンツバーグは、5人の経営者に1週間密着し、「どんな仕事をし」「どんな行動をとっているのか」を調べ上げたのです。そして生まれたのが『マネジャーの仕事』です。
『マネジャーの仕事』でミンツバーグは、マネジャーの役割を3つの領域に分類し、10の役割を導き出しました。これを整理すると、下のようになります。
- 対人関係に関わる役割
1)看板役:入社式など会社の公式行事に組織の「長」として参加する。
2)リーダー役:メンバーを動機付け、目標達成へと導く。
3)対外的窓口役:組織外の人とネットワークを築き内部と外部の連結役になる。 - 情報に関わる役割
4)情報収集役:自分の周囲にある情報を監視し収集(インプット)する。
5)情報拡散役:部内・部外で収集した情報を周知伝達(アウトプット)する。
6)スポークスマン:組織外や内部の有力者に計画・方針などを情報発信する。 - 意思決定に関わる役割
7)起業家役:自発的に変革を起こし担当する組織を改善していく。
8)問題対処役:想定外に発生する問題に臨機応変に対処していく。
9)資源分配役:組織内のメンバーで「誰が何を受け取るのか」を決定する。
10)交渉役:権限によって組織内の資源にリアルタイムで関与し交渉を行う。
以上のマネジャーの仕事を分類して、ミンツバーグは、マネジメントを「ゲシュタルト」であると表現しています。「ゲシュタルト」とは心理学の用語で、簡単に言うと、こんな意味です。
例えば人の「心」(意識)がそうですね。
小さな細胞が集まって、脳や心臓など各器官をつくりあげています。それらの器官が組み合わさって「体」となり、さらに「心」(意識)が生まれます。器官が集まっただけでは「体」だけのはずです。でも、それ以上のもの、「心」(意識)が動いて、人間は高度な思考ができるようになります。それは、部分を足していった以上のものだと言えます。
「10の役割はゲシュタルト、つまり統合化され、一つの全体を形成している。」
『マネジャーの仕事』(白桃書房)p96
マネジャーの仕事はまさに「ゲシュタルト」であり、上にあげた10の役割が密接に関連しながら全体として想定以上の結果をもたらします。
『マネジャーの仕事』から30年後の2003年、ミンツバーグは改めて同じテーマに取り組むことを思い立ちます。『マネジャーの仕事』では、5人の経営者でしたが、今度は、29人のマネジャー(経営者から中間管理職まで)の仕事を観察分析したのです。そして、2009年に『マネジャーの実像』が世に出ました。
彼は『マネジャーの実像』の冒頭でこう言っています。
「戦略プランニング」だの「株主価値」だのといった概念がお手軽に唱えらえるばかりで、マネジメントの『唯一で最善の方法』はいっこうに見つからない。
『マネジャーの実像』(日経BP社)p17
そう書いておいて、最終章のタイトルを「有効なマネジメント」にしています。そして「マネジメントの成功と失敗を考える枠組み」として7つの思考様式(マインドセット)を提示しています。
ミンツバーグは、「優れたマネジャーの条件を明らかにすることは簡単ではない。ある特定のマネジャーのマネジメントが成功しているかどうかを評価するだけでも難しい」(p304)と天の邪鬼気質を前面に出して書いていますが、一読者からすれば、マネジメントを成功させるキー・コンセプトだと受け取れます。
つまり、「優れたマネジャーの条件」です。
この著でもマネジメントに対するゲシュタルト的発想は健在であり、7つの思考様式に「糸」という比喩を使っています。マネジメントとは、7つの「糸」で織られるタペストリーなのですね。
「7つの糸」は、次の通りです。
- エネルギーの糸
優れたマネジャーはエネルギッシュに活動する。 - 振り返りの糸
優れたマネジャーは、仕事で経験したことを振り返り、気づきを得て次に生かす。 - 分析の糸
優れたマネジャーは、状況を分析し組織に「秩序」をもたらす。 - 広い視野の糸
優れたマネジャーは、広い視野を持ち、人生経験が豊富で、世の中の動向に通じている。 - 協働の糸
優れたマネジャーは、仕事に関係する人が互いに力を合わせることを後押しする。 - 積極行動の糸
優れたマネジャーは、考えること以上に行動することを重視し流れを自ら作り出す。 - 統合の糸
以上6つの糸を自分なりにまとめあげ「持論」を形成する。
7つの「糸」の考え方は、健全な家族の条件を示した『織りなす綾 —家族システムの健康と病理』(ジェリー・ルイス)に記述されている内容と重なると言っています。
つまり、家族にしても企業にしても、組織を上手に運営する方法(マネジメント)、あるいは運営をする人(マネジャー)に求められるものは、共通するということですね。
ミンツバーグは、「マネジャーを育成する」という見出してを設けて、こう喝破しています。
「マネジメントは、複雑な活動で、ケースバイケースの要素が大きく、たえず変化する環境のなかでおこなわれる。そのため、具体的な状況を離れて前もって学習できない。そこで必要なのは、なるべく良質な経験をマネジャーに積ませることだ。」
『マネジャーの実像』(日経BP社)p355
「リーダー・マネジャーが成長する最高の学校は職場である。」
昔からよくそう言われますね。これは何もリーダー、マネジャーに限った話ではありません。ただ、ひとつの「意思決定」によって多くの人に影響を与えるリーダーだからこそ、その質を高めるためには、ミンツバーグいうように、「良質な経験」が何より必要になっていきます。
某企業の人事部長に「研修などでは人は育たない」と語気を強めて言われたことがあります。私は研修の話しをしている最中でしたので、ちょっと困りましたが、「最高の学校は職場である」という言葉も知っていたので、慌てることはありませんでした。その部長は、続けて「そのサポートをするのが我々の役割だ」と言って、「だから研修は重要なのだ」と言葉をつなげました。ちょっと天邪鬼なミンツバーグの気質に似ている方でした。
1973年、ミンツバーグが明らかにしたマネジャーの実像は、10の役割をこなそうとして、細切れの時間を使い、互いに関連性の薄い仕事に次から次へと対処しているという姿でした。この実像は今も変わりません。
するとマネジャーたちは、自身の仕事経験をふりかえり「統合する」機会が少なくなっているわけです。「7つの糸」で言えば、「振り返りの糸」と「統合の糸」が切れかかっているのです。
「マネジャーが自分自身の経験の意味を理解するためには、多忙をきわめる日々のなかで、スピードを落として、一歩後ろに下がって、じっくり振り返りをおこなう必要がある。
マネジャー育成は、現場の活動と落ち着いた場所での振り返りの間をマネジャーが行き来しながらおこなうことが望ましい。」
『マネジャーの実像』(日経BP社)p355
マネジメントは、「学習できない」と言いつつ、ミンツバーグは、マネジャーを育成する教育研修に力を入れていた人物です。
現場主義でありつつ、優れたリーダーたちが、「振り返る」ことを常に行っていた事実を発見し、「振り返り」の重要性を認識していました。
そして、「振り返り」をマネジャー育成プログラムのひとつにしていました。マネジャーたちがひとつの場に集まり、自身の仕事での経験をノートに書き、その後、テーブルに分かれてディスカッションする形です。
ドイツのルフトハンザ航空のあるマネジャーは、自分のノートを掲げて、こう言ったそうです。
「いままで読んだ経営書のなかで、これがいちばん!」
「自分自身の経験をもとに自分自身にまさる「経営書」はないだろう」
『マネジャーの実像』(日経BP社)p325
この話しはコラムになっていて、コラムのタイトルは「世界一の経営書」です。「世界一の経営書」は、自分に創り出すことができますね!
(文:松山淳)