知っていましたか?
アップルの創業者スティーブ・ジョブズは、実の親に育てられていないのです。生まれてすぐ、養子に出されてしまいました。
公式伝記『スティーブ・ジョブズ』(講談社)を読むと、養子の事実は、特に青年期、ジョブズの心に影を落としていたようです。ジョブズは大学を中退しています。インドに放浪の旅に出て、スピリチュアルな師(グル)を求めました。菜食主義者で風呂に入らず、気性は荒く身なりは汚く、体から異臭を放っていました。アップル社を創業する前のジョブズは、決して順風満帆な人生とはいえません。
「生きる経営の神様」と称された京セラ創業者稲盛和夫氏の若き日も、逆風が吹き続けていました。
中学受験に失敗し、結核に侵され、空襲で実家を消失し、大学受験も就職活動も思い通りにいきませんでした。やっと就職できた会社「松風工業」は、給料が遅れるとても立派とは言えない会社でした。
5人の同期は次から次へと辞めていきました。稲盛さんも、「それなら辞めよう」と、同期とふたりで、自衛隊の面接を受けに行ったほどです。稲盛さんは、若き日の自分をこう言っています。
「若いころの私といえば、やることなすこと、ことごとくうまくいかず、「こういう方向に行きたい」と希望して、かなうことは一度もありませんでした。どうして自分の人生はうまくいかないのか、なんて運の悪い男だと、天に見放されたように思い、不平不満を募らせ、世をすねたり恨んだりしたことも再三でした」
『生き方』(稲盛和夫 サンマーク出版) p53-54
なんと、インテリやくざにでもなろうかと考えた時期もあった、そう本には書かれています。さすがにそれはまずいですね。では、成功者として尊敬を集める稲盛さんの人生は、どの時点で変わったのでしょうか。
「松風工業」を辞めようと受験した自衛隊の試験に合格します。入隊するのに戸籍妙本など書類が必要でした。稲盛さんは実家に連絡をとって、戸籍妙本を送ってもらうようにお願いしました。ところが、いつになっても戸籍妙本が届きません。結局、書類をそろえられず自衛隊に入隊できませでした。
これは後でわかることですが、稲盛さんのお兄さんが「入社して、すぐに辞めるなんてけしからん」と怒って、送らなかったのです。この時、一緒に受験した同期は、自衛隊に入隊したそうです。
そんなことで、稲盛さんは、ひとり「松風工業」に残されることになります。ここで稲盛さんは考えました。
「八方ふさがりの状態で、いつまでもすねて、毎日ぶつぶつ言っていても、どうなるものでもない。自分の人生をうらんでみても、天に唾するようなものだ。たった一度しかない貴重な人生を、決して無駄に過ごしてはならない。どんな環境であろうと、常に前向きに生きよう」
『人生と経営』(稲盛和夫 致知出版社) p24
そう考えを改めたところ、運命が変わり、人生が好転していきました。寝食を忘れ研究に取り組み、次から次へと成果をあげていきます。日本初のセラミックに関する技術開発にも成功します。
考え方や心を変えると人生が好転していくのだと実感した稲盛さんは、その後も含めた数々の人生経験から「人生・仕事の成功の方程式」を提唱しています。
人生・仕事結果=考え方×熱意×能力
能力は人並みでも、熱意があり考え方が「利他の精神」にあふれて、プラスであれば、よい結果に恵まれます。
反対に、考え方がマイナス、つまり自分の利益ばかり考える人の道に外れた思考だとマイナスの結果になります。この方程式は掛け算なので、能力が高い人は、考え方がマイナスだと、より大きなマイナスになります。ニュースになるような晩節を汚すリーダーは、このタイプですね。
ですので、仕事でも人生でも成功しようと思ったら、人生や仕事に「どう考えて取り組むか」、そのフィロソフィー(哲学)が大事だと、稲盛さんは強調するわけです。
『生き方』(稲盛和夫 サンマーク出版) p53-54
運命が好転していき、松風工業で成果をあげていきますが、上司との対立がきっかけで稲盛さんは辞職を決意します。そして昭和34年(1959年)、総勢28名で創業したのが「京都セラミック」です。これが後に世界企業となる「京セラ」の始まりです。
時代は労働紛争が吹き荒れた時代で、多くの苦労がありました。その中で、経営理念を考え出すきっかけとなったエピソードがあります。
創業から3年目のことです。高卒社員10名ほどが、稲盛さんを訪れ「要求書」をつきつけました。「要求書」には、定期昇給やボーナスにまつわる要求が書かれ、血判まで押されていました。
話し合いは3日に及びます。稲盛さんは熱を込めて説得します。最後「もし私が君たちを騙(だま)していたら、私は君たちに殺されてもいい」とまで口にしました。最終的に、社員たちは納得してくれましたが、反旗を翻されて稲盛さんは深く苦悩することになります。
「何のために会社を創ったのだ」。そう思い悩んだ末、ひとつの結論にたどり着きます。自分の夢を叶える場が会社だと思っていたけれど、ともに働く「社員の幸せ」を実現することが大事なのだと。
そして、経営理念が生まれます。
全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、
人類、社会の進歩発展に貢献すること。
半世紀以上の時が過ぎ、今も変わらない京セラの理念です。
稲盛さんは、大学の理工学部を出た技術者です。創業して経営者となりましたが、経営・マネジメントには素人でした。経営者ですから、「どうしますか?」と意思決定を次から次へと迫れられます。これに困り果てた稲盛さんは、ひとつの指針を打ち立てます。
「きわめて初歩的な倫理観を判断の基準にすることにした。つまり、人間としての原点に立ち返り、「人間として正しいことなのか、正しくないことなのか」「善いことなのか、悪いことなのか」ということを基準として、ものごとを判断していくようにしたのだ。
言い換えれば、正義、公正、勇気、誠意、謙虚、さらには愛情など、人間として守るべき基本的な価値観を尊重して判断するようにした。
『人生と経営』(稲盛和夫 致知出版社) p110-111
稲盛さんは、その結果として、「経営の経験がない私が、このようなベーシックな倫理観、道徳律をもとにして経営を進めてきたことが、現在の成功をもたらしてくれたように思う」と書いています。
稲盛さん流の「フィロソフィー経営」の原点がここにあります。
しかし、このような邪な心では、正しい判断はできない。「自分にとって」都合のよい判断ではなく、「人間にとって」普遍的に正しい判断を、私たちは心がけるべきなのである。
『人生と経営』(稲盛和夫 致知出版社) p111-112
2010年、日本航空(JAL)が経営破綻しました。その再生を成功させたことで稲盛さんの名前を知った若者も多いことでしょう。
では、ここで問題です。
話しの流れで、わかってしまいますが、正解は、稲盛和夫さんです。
1982年、電電公社(現NTT)の分割民営化が答申されます。国の独占だった電話事業に民間企業が参入できる時代がやってきました。それまで競争がなく、諸外国に比べて高い電話料金を生活者は支払っていました。
稲盛さんは「大変高い通信料金を安くしてあげなければ、国民の皆さんに対して申し訳ない」 (『成功の要諦』 致知出版社 p118) との思いを募らせていきます。 これは渋沢栄一が、海運業を独占する岩崎弥太郎に挑む時の動機に通じるものがありますね。
国が参入にOKを出し世間に広く知られますが、「では、我が社がやりましょう」と、名乗りを上げる企業がなかなか現れませんでした。稲盛さんは「それならば自分が」と考えはするものの、電電公社は社員33万人、売上4兆円の巨象です。当時の京セラの売上が約2,200億円で社員数は約1万人でした。これでは、アリが巨象に向かっていくようなものです。
稲盛さんは約半年もの間、悩み続け、次の言葉を1日も欠かすことなく、繰り返し自分に突きつけたと言います。
「動機善なりや、私心なかりしか」
電話事業に参入するのは、「人として正しいことなのか。自分だけよければいいという私心があるのではないか」。そんな風に毎日、自問自答を続け、その動機に私心のないことを確信できたところで、決断しました。
1984年、後の「第二電電(DDI)」になる「第二電電企画」が誕生します。社員数は、わずか20人という小舟での船出でした。この後、電話会社の合併を稲盛さんが主導して、2000年「KDDI」と「au」が生まれます。
現在、KDDIの社員数は連結ベースで38,000人を越えます。一番最初に沈没すると散々叩かれた20人の小舟は、現在、巨大な船となり事業を継続しています。
稲盛さんの「動機善なりや、私心なかりしか」の言葉は、創業時に定めた指針「きわめて初歩的な倫理観」「人間として守るべき基本的な価値観」であって、変わることなく稲盛さんはそれを実践したのですね。
『人生と経営』(稲盛和夫 致知出版社) p111-112
「動機善なりや、私心なかりしか」。
この言葉は、「自分だけよければいい」という私心を戒めるものです。自分だけでなく、みんなにとって善いことをする。まさに「利他の心」ですね。「利他の心」は、稲盛さんが、とても大切にしている言葉です。
「世のため人のために尽くすことによって、自分の運命を変えていくことができます。自分だけよければいい、という利己の心を離れて、他人の幸せを願う利他の心になる。そうすれば自分の人生が豊かになり、幸運に恵まれる」
『成功の要諦』(稲盛和夫 致知出版社) p114
「利他の心」は、仏教の教えです。
1997年京セラの会長職を退き、稲盛さん臨済宗妙心寺派の円福寺で在家得度しています。臨済宗は禅宗のひとつです。かのスティーブ・ジョブズが傾倒したのも禅でしたね。そう考えると、技術者であり思想を重視した稲盛さんも、ジョブズが「仕事の哲学」として大事にした「テクノロージーとリベラルアーツの交差点」に立っていたと言えます。
JAL再生事業で、稲盛さんは会長に就任し、無給で陣頭指揮をとりました。取締役、部長クラスの「JAL幹部」を対象に「リーダー教育」も行っています。「利他の心」「人としての正しさ」など「きわめて初歩的な倫理観」を説くフィロソフィー教育の講師を務めました。
JALの幹部といえば、一流大学を出た高学歴の頭のよい人たちです。だからなのか、「嘘をつくな」「正直であれ」など「きわめて初歩的な倫理」について話す稲盛さんを冷笑する人もいました。ですが、日を追うごとに、「なぜ、知的レベルの高い集団のJALが潰れたのか」、その要因のひとつがフィロソフィー(哲学)の欠如にあることに、幹部たちは気づいていきました。
やはり、哲学(フィロソフィー)なき経営ではなく、哲学ある経営が求められているのですね。
稲盛さんの人生・仕事の哲学は、私心に走ろうとするリーダーを諌(いさ)めるための箴言になります。また、「よりよい人生を送りたい」「仕事でよりよく成功したい」と望む人たちの指針にもなります。これからも多くの人たちを勇気づけることでしょう。
「利他の心」
幸運の招く言葉として、忘れないでいたいものです。
(文:松山淳)
※本記事は、『バカと笑われるリーダーが最後に勝つ』(ソフトバンク新書)の原稿に加筆修正したものです。