一代で世界的企業HONDAを築き上げた本田宗一郎とスティーブ・ジョブズの仕事にのぞむ姿勢は、似ているところがあります。
二人とも、完璧主義者であり、常に高い成果を部下に求めます。そして、自分の求めた基準に達してないと、感情的になり怒鳴りつけます。部下たち周囲の人は、それがストレスになり困り果てることもあります。ですので、ふたりとも人から反感を買うが多いリーダーです。
公式伝記『スティーブ・ジョブズ』に、彼のこんな言葉があります。
「僕はまわりに厳しくあたった。あそこまで厳しくしなくてもよかったんじゃないかとも思う。(中略)つらかったよ。でも、誰かがやらなきゃいけないんだ。チームをすばらしい状態に保つのは僕の仕事だとずっと思ってきた。僕がやらなきゃ誰もやらないからだ。」
『スティーブ・ジョブズⅡ』(ウォルター・アイザックソン 講談社)p428
感情的に叱れらるのは、辛いものです。でも、叱る方も、辛いのです。あまりに厳しいので、部下が困惑してしまうのは、デメリットです。でも、メリットもありました。
『本田宗一郎に一番叱られた男』(三笠書房)の著者である多摩美術大学名誉教授の岩倉信弥氏は、ホンダの常務まで務めた人物です。カーデザインを担当し、本田宗一郎と仕事をしています。岩倉氏は、こう言っています。
「常識にとらわれて『できない』と決めつけるのではなく、とことん考えてとことん試してみる。すると、異次元への扉が開かれて、イノベーションが起こせる。そのことを本田さんは叱ることで教えてくれていたわけです」
『THE21 ONLINE』(PHP)
本田宗一郎に人がついていく理由~「一番叱られた人」が語る!
ジョブズの公式自伝で著者のウォルター・アイザックソンはこう記しています。
「他人を傷つけないように気を遣う優しくて礼儀正しいリーダーは、無理やり変化させる力が弱い。ジョブズがさんざんひどい目に遭わせた何十人もの同僚に話を聞いたが、彼のおかげで、それまでできると考えもしなかったことができたと、皆、判で押したように悲惨な体験談を締めくくるのだ」
『スティーブ・ジョブズⅡ』(ウォルター・アイザックソン 講談社)
仕事のことでも、人のことでも、「不可能を可能にしてしまう」。これは、ふたりに共通するリーダーとしての優れた力です。
ジョブズは不可能を可能にする「イノベーション」を起こして、世界中の人があっと驚く製品を目指しました。ビジネスマンではなくアーティストであろうとしました。それが彼の「仕事の哲学」であり、ミッションでもありました。だから中途半端を許さず、求めたレベルに達してないと、厳しく叱り飛ばしたのです。
渋沢栄一が「道徳と経済の両立」で本田宗一郎が「哲学と技術の両立」ならば、ジョブズは「テクノロジーとリベラレルアーツの交差点に立つ」と自身の「仕事の哲学」を表現しました。
「我々の心を震わせるような成果をもたらすのは人間性と結びついた技術だと、我々は信じている」
『スティーブ・ジョブズⅡ』(ウォルター・アイザックソン 講談社)p367
ジョブズは製品発表会のプレゼンやインタビューで多くを語りましたが、自身の著は遺しませんでした。ですが、彼のマネジメントが深い哲学・思想に裏打ちされていたのは、誰もが知るところです。
『スティーブ・ジョブズ 伝説のスピーチ&プレゼン』(朝日出版社)p69
ジョブズが最も影響を受けた思想が「禅」です。
ジョブズは、禅僧鈴木俊隆が書いた『禅へのいざない』(日本では『禅マインド ビギナーズ・マインド』(サンガ)として出版)を愛読していました。
ジョブズは、内部紛争で一時期、アップルを辞めています。その時、ジョブズが設立した会社「NeXT」では、「精神的アドバイザー」という役職に禅僧の乙川好文が就いています。乙川は、ジョブズのメンターでした。1991年、ジョブズは仏教形式で結婚式をしています。それを執り行なったのが乙川です。
日本でも結婚式といえばキリスト教式が多いのに、仏式で行ったのですから、ジョブズは、本当に「禅」を大事にしていたのですね。
ジョブズは若き日、禅(曹洞宗)の大本山「永平寺」で出家しようと考えた時期もあるほどで、瞑想をこよなく愛しました。昨今、我が国での「マインドフル瞑想」の広がりから、「あのジョブズも瞑想をしていた」といったフレーズをよく見聞きするになっています。
公式伝記『スティーブ・ジョブズ』には、『集中力もシンプルさに対する愛も「禅によるものだ」』と、ジョブズが答えたと書かれています。そして、「禅の思想」をアップルのプロダクト・デザインに応用しています。禅に傾倒していたからこそ、この有名な名言が生まれたのですね。
「なにをしないのかを決めるのは、なにをするのかを決めるのと同じくらい大事だ。会社についてもそうだし、製品についてもそうだ』
『スティーブ・ジョブズⅡ』(ウォルター・アイザックソン 講談社)p86
何をしないかを決めることによって、ものごとはシンプルになっていきます。そういえば、クリエイターたちは、WindowsではなくMacを選んできました。秀逸なプロダクト・デザインに魅了されてきたからです。
ジョブズは沈みかけたアップルを、「デザインの力」でよみがえらせました。シンプルさを追究し、無用なものを徹底して削ぎ落とす「ミニマリズム」の哲学によって、です。
初代iphoneではホームボタンをひとつにしました。これには、社内で多くの人が反対したと言います。でも、ジョブズは「シンプルの力」を信じて反対を押し切ったのです。
京都でも鎌倉でも、禅寺はとてもシンプルです。禅とは「削ぎ落としの思想」といえます。ジョブズはお忍びでよく京都を訪れたそうです。石庭で有名な龍安寺が好きだったと、自伝には書かれています。
私も龍安寺に行ったことがあります。その時、見学者の半分以上は、西欧と思われる海外の方々で、スマホで写真を撮りつつも、とても静かに長い時間座って、庭を見つめていたのが印象的でした。
ジョブズは、アップルを創業して、「初めての製品パンフレット」にこう書いています。
「洗練をつきつめると簡潔になる」
『スティーブ・ジョブズⅡ』(ウォルター・アイザックソン 講談社)p94
創業時の若い頃から、「シンプルさ」にこだわっていたのですね。
『スティーブ・ジョブズⅡ』(ウォルター・アイザックソン 講談社)p95
禅から多くを吸収し、その思想を様々な場面でジョブズは実際に活かしていました。技術だけの人ではありません。かといって思想・哲学だけでもありません。
「技術」と「哲学」という矛盾するようなふたつの要素を、「どっちらかが大事」と決めつけるのではなく、「どっちも大事」と認め、その矛盾を超克していく思考と行動が、イノベーションを導いていきます。
ジョブズは「どっちも大事」であると考え、「テクノロジーとリベラルアーツの交差点」に立ち続けました。彼はガンに冒され人生の幕を閉じますが、闘病生活を通じて得たこととして、こんな言葉も残しています。
「21世紀のイノベーションは、生物学とテクノロジーの交差点で生まれるんじゃないかな』
『スティーブ・ジョブズⅡ』(ウォルター・アイザックソン 講談社)p384
ジョブズの「仕事の哲学」に通じる、昨今、経営学で注目されているコンセプトがあります。「両ききの経営」(Ambidexterity)です。時代を越えて生き残る企業の条件とされています。
「両ききの経営」では、企業活動を2つにわけて考えます。
ひとつ目は、既に持っている知識を深め改良を重ねる「知の深化」(Exploitation)です。二つ目は、新しい知を探し出す「知の探索」(Exploration)です。この2つの活動をバランスよく同時に行うことが「両ききの経営」と言われるものです。
- 「知の深化」(Exploitation)
企業が現在、保有している「知」をベースにして経営を行う。 - 「知の探索」(Exploration)
企業が現在、保有していない「知」を探索・発見し、「新たな知」をベースにして経営を行う。
参考文献:『両ききの経営』(C・A・オライリーほか 入山章栄 監訳解説 東洋経済新報社)
ジョブズはPCであるMacintoshを開発した後、(一時期、アップルから追放され中断はありましたが)そのOSやプロダクト・デザインを常に改良し続け(知の深化:Exploitation)、製品化し、アップル社の財務基盤を安定させてきました。
一方で、音楽業界全体を巻き込み、音楽ダウンロードのプラットフォームとなる「iTune」を、音楽再生プレイヤー「ipod」を、そしてインターネットと電話を融合させた「iphone」を開発し、「ipad」「Air mac」なども含めて、斬新な製品群を次から次へと市場に送り出し、常に新たな地平を切り開いてきました(知の探索: Exploration)。
もし、ジョブズがMacintoshに固執し、その改良進化、つまり「知の深化」だけを行っていたら、 現在、GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazonの頭文字)と呼ばれる世界的革新企業の一角に名を連ねることはなかったかもしれません。ビル・ゲイツとジョブズの違いはそこにありますね。
『両ききの経営』(東洋経済新報社)という本で、翻訳・解説をした経営学者入山章栄氏は、こう述べています。
「不確実性の高い探索を行いながらも、深化によって安定した収益を確保しつつ、そのバランスを取って二兎を追いながら両者を高いレベルで行うことが、「両利きの経営」である。両利ききの経営が行えている企業ほどパフォーマンスが高くなる傾向は、多くの経営学の実証研究で示されている」
『両ききの経営』(C・A・オライリーほか 入山章栄 監訳解説 東洋経済新報社)
「二兎を追う者は一兎をも得ず」。そんな箴言があります。でも、次世代に組織をバトンタッチしていくためには、「知の深化」と「知の探索」の二兎を追うことが重要なのです。
日本は世界に残る「老舗大国」です。100年、200年と続くお店・会社が多数あり、この数字は、他の国を圧倒しているのです。
老舗は、先祖代々の家訓を守り、引き継いできた「伝統」を尊重しつつ、その時代時代に合わせて変革を行い、新たな商品・サービスを開発しています。とても「しなやかな経営」をしているのが特徴です。
伝統を尊重しつつ、伝統にしばられない。
そうして「知の深化」と「知の探索」を繰り返しています。だとすれば、「両ききの経営」(Ambidexterity)は、日本にもともとあった経営スタイルだといえます。
渋沢栄一の「論語と算盤」。本田総一郎の「哲学と技術」。そしてジョブズが「テクノロジーとリベラルアーツ」の両立と融合の実現を追いかけたように、いつの時代もリーダーには、「Ambidexterity」の要素が求められるのです。
「両きき」を使うことは、矛盾を求めていくことであり、その行いは、「矛盾したことをやっている」と、時に、批判の的になります。
そんな時こそ、ジョブズが2015年スタンフォード大学の卒業式で語った、この名言を思い出したものです。
Stay hungry. Stay foolish.(ハングリーであれ、愚かであれ)
未来の正しさは、今の非常識であることが多い。
だから、ビジョンを実現しようと動くリーダーは、非常識であることに手を染めざるを得ず、時に「愚か者」「バカだ」と批判されます。でも、トリックスターのように「愚か者」であることを引き受けて、正しい未来へと、みんなを導くのが、リーダーの仕事です。
「ハングリーであれ、愚かであれ」。
ジョブズの言葉を胸に秘めて、批判なんかに負けることなく、あなたらしいリーダーシップを発揮して、1ミリでもいいので、日々、よりよく世界を前進させましょう。
『スティーブ・ジョブズ 伝説のスピーチ&プレゼン』(朝日出版社)p85
本当に大事なことを本当に一所懸命できる機会は、二つか三つくらいしない。
『スティーブ・ジョブズ全発言』(桑原晃弥 PHP)p306
(文・イラスト:松山淳)
※本記事は、『バカと笑われるリーダーが最後に勝つ』(ソフトバンク新書)の原稿に加筆修正したものです。