村上和雄(1936-2021)は、筑波大学名誉教授を務め、遺伝子の研究者として、数々の世界的偉業を成し遂げた人物である。遺伝子にはスイッチ「ON」「OFF」の働きがあり、「よい遺伝子」を「ON」にすることが、人生を豊かにする。「よい遺伝子」を「ON」にするためには、「心の環境」が重要である。村上教授の思想をベースにして、よい遺伝子をオンにする生き方について考えていく。
目次
2000年前後、「ヒトゲノム」という言葉をよく耳にしました。「ゲノム」(Genom)はドイツ語で、「遺伝子」を意味します。
「ヒトゲノム」がニュースに登場する言葉になっていたのは、人間(ヒト)の遺伝子情報の解読が間近に迫り、そのプロジェクトが終了したためです。「ヒトゲノム計画」と呼ばれた遺伝子解読プロジェクトは、2003年に終了しました。
人間に関する「遺伝子」の全容が明らかにされたのです。
この時、一般の人にとって意外なことがニュースとなり広く知られました。私たち人間は、他の動物に比べて「とても進化していて、優れている」と考えられています。ですので、「人間の遺伝子はよっぽど特別なものではないか」と想像するのが普通です。ですが、人間の「遺伝子」は、他の生物とそれほど大きな違いはなかったのです。
長らく遺伝子研究に携わってきた筑波大名誉教授の村上和雄教授の本『生命の暗号』(村上和雄 サンマーク出版)、『Switch』(村上和雄 サンマーク出版)にも、そのことが書かれています。
筑波大学名誉教授。1936年生まれ。63年、京都大学大学院農学研究科農芸化学専攻、博士課程修了。同年、米国オレゴン医科大学研究員。76年、バンダビルト大学医学部助教授。78年、筑波大学応用生物化学系教授となり、遺伝子の研究に取り組む。83年、高血圧の黒幕である酵素「レニン」の遺伝子の解読に成功、世界的な業績として注目を集める。2021年4月13日死去。享年83歳。
人間とチンパンジーとの違いは、3.9%だけでした。イネとヒトを比べると約40%の遺伝子は共通していたのです。
地球に存在する生命体は、全て「遺伝子」が書き込まれています。目に見えない微生物から植物、魚、鳥、犬、猫、人間まで、「命ある存在」は細胞でつくられ、その細胞に「遺伝子」が書かれてあります。
「遺伝子(DNA)」は、A(アデニン)、T(チミン)、C(シトシン)、G(グアニン)の4つの塩基が、2重螺旋になって並び結合し、情報を構成しています。
人間の成人で、「体」は約60兆の細胞で構成されています。その細胞ひとつひとつに、約32億個の遺伝子情報が、たった4種類「A」「T」「C」「G」の化学文字だけで書かれています。ひとつの細胞に書かれた32億個の遺伝情報を書き起こすと、1000ページの大型の百科事典3000冊に相当します。それだけの情報が、60兆の細胞ひとつひと存在しているのです。
「兆」や「億」単位の話しになると、すぐにイメージすることが難しく、目がくらんできます。それだけ膨大な数ならば、なおさら、人間に特有の「遺伝子」がありそうなものです。
でも、チンパンジーとの差は、たったの3.9%でした。さらに、タンパク質をつくり出すことに関わる遺伝子には、チンパンジーとの違いが見られなかったのです。
タンパク質は、人間の体をつくる原材料です。これに「違いがない」ということは、2003年の段階で、人間(ヒト)という「種」を決める遺伝子は「ない」と結論づけられたのです。研究者たちにとって衝撃の事実でした。
では、遺伝子の何が、チンパージと人間の違いを生み出すのでしょうか。
チンパンジーと人間の違いである3.9%をよく調べると、「遺伝子の配列」ではなく、「遺伝子スイッチ」の「ON」「OFF」の切り替わり方やそのパターンの違いに、人間固有のものがあるとわかったのです。
村上教授は『Switch』(村上和雄 サンマーク出版)に、こう書いています。
その結果、わかったのが、遺伝子スイッチの重要性なのです。簡単にいうと、遺伝子に記された情報そのものより、その情報に従って遺伝子を作動させる働き。そのほうが生命の形態の進化に深くかかわっていることが明らかになってきたのです。
『Switch』(村上和雄 サンマーク出版)
設計図に書かれている「静的」な情報それ自体よりも、その情報を発言(オン)させる「動的」な動き。つまり、遺伝子スイッチの入・切りの機能が生命の進化や活動にとってより重要であることがわかってきました。
「遺伝子スイッチ」の原理について「光の三原色」で、例えることができます。
私たちが日頃から目にするテレビ、パソコン、スマホなどの画面の多くは、「赤」「緑」「青」の「光の三原色」(静的情報)を混ぜ合わせて、全てが表現されています。「白」も「黒」も「赤」「緑」「青」で構成されます。これを、「赤」(Red)、「緑」(Green)、「青」(Blue)の英語の頭文字をとって「RGB」方式といいます。
「赤」「緑」「青」は共通していても、どの程度、色を混ぜて、どの程度光らせるか、その「動的」な動きに違いがあれば、表現されるものは全く違うものになってくるのです。
これと同じように、遺伝子の配列がほぼ同じでも、「動き」に着目すれば、たくさんの違いが生まれてきます。これが村上教授のいう「遺伝子スイッチの入・切りの機能が生命の進化や活動にとってより重要」ということです。
村上教授は、「遺伝子スッチ」と書いていますね。
私たちの「遺伝子」は、細胞に書かれてあるからといって、全てが働いているわけではないのです。「ON」なっているものと、「OFF」になっているものがあります。「ON」になっていれば遺伝子が働き、「OFF」になっていれば働いていないことになります。
「子に親の素質が遺伝する」と、よく表現します。遺伝子は親から子へコピーされますので、親の遺伝情報が子に受け継がれるのです。
コピーされても、顔がそっくりの親子もいれば、あまり似ていない親子もいます。これは、顔の部分に関する遺伝子情報の一部分が「OFF」になっていると考えれば、理屈が通ります。つまり、遺伝子の情報は親から子へコピーされたけど、顔が似る「遺伝子スイッチ」が「ON」になっていないと考えられるのです。
顔だけでなく、親の才能を引き継ぐ子もいれば、引き継がない子もいます。親が天才と呼ばれても、その子が必ず天才にはなるとは限りません。でも、「親から才能を引き継ぐ」という表現は、「遺伝子」の観点からは言葉足らずですね。
親から「才能の遺伝子」は、引き継がれているけれど、今は「OFF」になっている。
そう考え表現することもできます。
「ヒトゲノム計画」によって、人間の「遺伝子」情報として「何が書かれてあるか」はわかりました。でも、その「働き」のほとんどは、まだわかっていないのです。
ですので、「誰もが眠れる才能を持っている」という言葉は、「遺伝子スイッチ」の存在を前提にすれば、まさしく真実なわけです。また「才能が開花する」とは、その才能にまつわる「遺伝子スイッチ」が「OFF」から「ON」になったと考えることができます。
では、「遺伝子スイッチ」の「ON」「OFF」に影響を与えるものは何なのでしょうか。村上教授は「環境」の影響が大きいといいます。
「地位が人をつくる」
そんな言葉がある通り、人間は自分の置かれた環境によって、眠っている才能が開花したりしなかったり、「能力」が伸びたり、伸びなかったりします。
英語の先生が面白くて好きになり、苦手だった英語の点数が急に伸びた。営業の仕事が嫌いで嫌いで、成績も低迷していたけど、異動してきた上司が人格者で、やりがいを感じられるようになり、営業成績が伸びた。
このように「環境」が変化することによって、その人の「才能」「能力」が変化するのは、誰もが経験的に知っていることです。
持って生まれた「素質」も「才能」「能力」には深く関係します。でも、「遺伝子スイッチ」が「OFF」のままでは「素質」も「宝の持ち腐れ」となります。ですので、その人が生きている「環境」が重視されるのです。
素質という先天的な遺伝要因よりも強く、環境や努力といった後天的要因が遺伝子のスイッチを作動させ、人を育て、人を変えていく。遺伝に環境が加わることで、生命の能力、いのちの力は最大値に達するのです。
『Switch』(村上和雄 サンマーク出版)
さて、村上教授は、「環境」を次の3つに整理しています。
- 物理的要因:熱、圧力、張力、訓練、運動、磁気、光、周波数など
- 食物と科学的要因:アルコール、喫煙、環境ホルモンなど
- 精神的要因:ショック、興奮、感動、愛情、喜び、希望、不安、怒り、恨み、信条、祈りなど
『Switch』(村上和雄 サンマーク出版)
上の3つの要因の中で、村上教授が特に注目しているのが❸「精神的要因」です。人間の「精神」は日々、目まぐるしく変化しています。
「心の環境」によって「遺伝子スイッチ」の「ON」「OFF」が決まり、人の成長を左右する。
これが村上教授の仮説であり持論です。
村上教授は、「仮説」として、こう書いています。
「心にもある種のエネルギーがあり、感動、感謝、喜び、希望、愛情、祈り、あるいは怒り、不安、悲しみ、恨みなどの正負合わせた、さまざまな思考や感情、意識や精神のありようが遺伝子の働きに影響を与えて、そのスイッチのオン・オフを左右する」
『Switch』(村上和雄 サンマーク出版)
「病は気から」とよく言われます。「そんな精神論で病気は治らない」という批判がある一方で、「仕事で気を張っている時には疲れを感じず、風邪もひかない」ことを多くの人が経験します。
心・精神は目に見えません。ですので遺伝子との関係を科学的に証明することは、とても難しいのでしょう。ですので村上教授も「仮説」と断りを入れながら、上の文章を書いています。
「仮説」を証明するのが研究者ですね。「心の環境」と「遺伝子」の関係性を明らかにしていくことに、村上教授は力を入れています。吉本興業とタッグを組んだ実験は有名です。吉本の劇場でお笑い芸人の漫才などを見て、笑った人たちの心身を検証しました。「笑いと遺伝子」つまり「心の環境と遺伝子スイッチ」の関係性を明らかにしようしたのです。
この内容は『NHK「クローズアップ現代」“笑い”で病気を治せるか』(2005.9/26)で放映されました。NHK「クローズアップ現代」のサイトには、こう書かれてあります。
「村上教授が吉本興業の協力の下に取り組んだ研究によると笑う事で体内の64の遺伝子が活性化され、細胞の代謝や酵素・ホルモンの分泌を促すなど、健康に良い効果を及ぼすというのだ。」
NHK「クローズアップ現代」“笑い”で病気を治せるか(2005.9/26)
腹の底から笑うと、気分が明るくなります。気分が明るくので「体」にいい影響があると思えます。その好影響が実際にデータとして出てきたのです。
「笑う門に福来たる」
この格言は、村上教授の実験を考えると、人間の健康面においては的を射る言葉だといえます。
「病は気から」といって、病気の全てを「心・精神」だけで治すことはできません。とはいえ、「心の環境」が身体に何らかの影響を及ぼしていることは確かです。科学の理論も進化し、「心と遺伝子」「精神と身体」の関係を究明しようとする学問があります。「エピジェネティクス」です。
「エピジェネティクス」(epigenetics)は、日本語で「後成遺伝学」と訳され、「環境」が「遺伝子」に作用するメカニズムを解明しようとする学問です。
「エピ」は「後の」で、ジェネティクスが「遺伝学」という意味です。
村上教授は「環境」に❸「精神的要因」を含めます。ですので、教授にとって「エピジェネティクス」(epigenetics)は、「心の環境」が「遺伝子」「細胞」に作用する謎を明らかにしようする学問です。吉本興業との共同研究も「エピジェネティクス」の一環といえます。
「エピジェネティクス」は「細胞生物学」と「量子物理学」を統合しようとしています。「量子物理学」ですと、「心の動き」「人の考えること」(思考)には「エネルギー」が発生すると考えます。「エネルギー」が生まれるのですから、その「エネルギー」は、人間の身体に作用しているはずです。
この「仮説」を村上教授は吉本興業と力を合わせて、「笑い」と「遺伝子」との関係性から実験したわけです。
「心の環境」が「遺伝子スイッチ」の「ON」「OFF」に影響するとするなら、私たちの日頃のマインドセット(心構え・信条)が、いかに重要かが見えてきます。
そこで村上教授は、『生命の暗号』(村上和雄 サンマーク出版)という本では、こう言っています。
人間はいくつになっても、自分の才能を開花させる能力をもっているのです。あることをやろうと言う情熱と実行力があれば、どんなことも可能性はゼロではない。それを阻害するのは「もうダメだ」という気持ちだけです。
『生命の暗号』(村上和雄 サンマーク出版)
才能が開花するとは、「よい遺伝子スイッチ」が「ON」になることです。上の村上教授の一文からも、「マインドセット」の重要性さが伝わってきます。
教授は、才能を開花し、よりよい人生を送るための、つまり「よい遺伝子」が「ON」になるマインドセットとして、3つの項目をあげています。
- 志を高く
「高い志をもち続けて努力することでサムシング・グレートが喜んでくれる」 - 感謝して生きる
「結果はどうあれ、そこにいられるだけでも価値がある。「ありがたい」と思える。なかにはそう思わない人もいるかもしれませんが、思ったほうが楽しい。「感謝して生きる」とは、そのように思って生きることです。」 - プラス発想をする
「プラス発想をするとき、私たちの体はしばしば遺伝子がONになる。その結果、脳内で、体によいホルモンなどがつくられます。」
『生命の暗号』(村上和雄 サンマーク出版)
3つの項目は、聞き慣れた言葉です。でも、先人たち一流の人たちが、繰り返し説いていることは、その「繰り返し」がゆえに大切であり「人生の真理」といえるのです。
村上教授の考えにふれたことがないと「サムシング・グレート」という言葉が、聞き慣れないかもしれません。
「遺伝子」を研究していると、「これほどまでのものを一体誰がつくったんだ」と、畏敬の念に打たれ、何らかの人知を超えた「大いなる存在」を想定しないと、説明がつかないそうです。その「大いなる存在」を、村上教授は「サムシング・グレート」と呼んでいます。
「天が味方する」「天が見ている」と、口にしますね。日本人の感覚ですと、この「天」が「サムシング・グレート」に近いものでしょう。
村上教授は、ご自身が「❶志を高く」「❷感謝して生きる」「❸プラス発想をする」を実践することで、天が味方する数多くの経験をしてきています。
例えば、人間の「レニン」の遺伝子暗号を解読しようと海外の研究チームと競争していた時です。
「レニン」とは、「高血圧の黒幕」と呼ばれた血圧を上昇させる原因となる酵素のことです。人間の「レニン」ですので「ヒト・レニン」といいます。
この研究を始めた時、「パスツール研究所」と「ハーバード大学」がすでに研究を行い「8割近く解読を終えている」という情報が入ってきました。事実を確かめようと、村上教授はパスツール研究所のあるパリに飛びました。するとその情報は正しかったようでした。
遺伝子研究は先に解読を終えた者が勝者です。競争相手は、世界最先端の研究所である「パスツール研究所」「ハーバード大学」です。世界レベルの業績をあげ続ける研究所に、8割も先に進められていたら、さすがに負けを認めざるをえません。村上教授は学会に出席するためパリからドイツへと行き、沈んだ気持ちのまま、学生街の酒場でビールを飲んでいました。
この時、天が味方したのか、遺伝子工学の第一人者である中西重忠教授に出会うのです。中西重忠教授は京都大学の先生で、世界的に名を知られていた人物です。村上教授が事情を話すと、「それならば」と、中西先生が協力してくれることになります。「鬼に金棒」とは、このことですね。
そして村上教授は、8割も先を行っていたパスツール研究所とハーバード大学に追いつき追い越し、世界で初めて「ヒト・レニン」遺伝子の解読に成功するのです。
本当に天が味方するのか。それはまさに「神のみぞ知る」世界なのでしょう。ただ、私たち人間の体に遺伝子が存在し、「ON」「OFF」の働きによって、人生の質が高まることは確かです。
「よい遺伝子」を「ON」にすることが、人生を豊かにします。
「よい遺伝子」が「心の環境」によって「ON」になるのならば、「❶志を高く」「❷感謝して生きる」「❸プラス発想をする」を常に意識し、人の道にかなった「善心」をもって生きていきたいものです。
村上教授は、「善心」をもった生き方で、遺伝子に関して世界的偉業を成し遂げてきました。その軌跡は、映画「SWITCH」(編集・制作サンマーク出版)にもなっています。
村上教授に学び、よい遺伝子を「ON」にして、よい人生を歩みましょう。
最後に、村上教授の名言を記して、このコラムを終えます。
遺伝子の働きを活性化するためには、絶えず思いを深くし、豊かな心で生きることが大切になってきます。笑いや感謝、感動や喜びなどの「よき心」をもって生きることが、心身を健康にし、人生を充実させるのです。
(文 松山淳)