「セカンドハンド・ストレス」(Secondhand Stress)とは、ストレスを抱えた人から間接的に受けるストレスのこと。この対処法を理解するために、セカンドハンド・ストレスが発生するメカニズムを、「情動感染(伝染)」(emotional contagion)と「ミラーニューロン」(Mirror neuron)の観点から説明する。最後に、ポジティブ心理学の第一人者ショーン・エイカー(Shawn Achor)による、ストレス対処の具体的なテクニックを示す。
目次
私の息子が、まだ2歳だった時のことです。公園に行き、初めて肩車しました。肩にのせると大喜びで、私の髪の毛をひっぱり出しました。私は痛くてたまりません。次に、私の頭を右に左に回転させ始めます。
どうもそれが、予想以上におもしろかったようで、息子は、笑いのツボにはまった状態となり、肩の上で脱力し「ケラケラ、ケラケラ」笑いが止まらない状態となりました。
体を前後左右に動かして笑うので、支えている私は大変です。でも、ケラケラと、周りの人の気分も変えてしまうほどので笑い声で、こちらまで笑えてきて、何とも愉快な気分になりました。
感情は伝染します。これを「情動感染(伝染)」(emotional contagion)といいます。
例えば、学校のクラスや職場で、誰かが腹がよじれるほど大笑いしていたとします。その姿をふと見て、「なぜ笑っているのか」、その理由はわからないのに、思わず笑ってしまったり、愉快な気分になった経験がないでしょうか。
「釣られ笑い」。そんな言葉が日本語にはあります。
釣られ笑いは、相手の様子を見たことによって、他者の感情が自分に伝染してきた状態です。楽しい気分になれればいいですが、怒っている人を見て、嫌な気分になった人もいるでしょう。「怒り」は、本来、不快な感情ですから、これも情動が感染したといえる出来事です。
心理学者イ・ミンギュは、『好かれる人は1%違う―好感度がアップする25の秘訣』(東洋経済新報社)の中で、こう書いています。
陰鬱な表情は見ているだけでも気分が沈んできます。でも、明るい笑顔は見ているだけで気持ちが明るくなってきます。人と人との感情は伝染病のように伝染します。このように、ある人の感情がほかの人に伝わっていく現象を、心理学では「情動伝染(Emotional Contagion)」と言います。
『好かれる人は1%が違う』(著イ・ミンギュ 東洋経済新報社)より
では、この情動伝染は、どのような仕組みで起きるのでしょうか。次に脳科学の観点からお話していきます。
脳科学者の茂木健一郎氏は、「ミラーニューロン」について、『日本経済新聞』(2005年8月)に、こう書いていました。
「ここ十年の脳科学における最大の発見と言えば、何と言っても大脳皮質の前頭葉で見つかった「ミラーニューロン」である。(中略)
ミラーニューロンが注目されているのは、それが、「他人の心を読み取る」という脳の大切な機能を支えているのではないかと推測されているからである。
人間の本質は、他人とのコミュニケーションをする社会的知性に顕われる。ミラーニューロンは、他人との柔軟にコミュニケーションする人間の驚くべき能力を支えていると考えられるのである。」
『日本経済新聞』(2005年8月)
ミラーは「鏡」で、ニューロンは「神経細胞」のことですね。
「鏡」というネーミングが、その働きをうまく表現しています。相手の行動やそれに伴う感情を読みとり、「鏡」に映したように自分の脳が、相手と同じ動きをするのです。
「ミラーニューロン」(Mirror neuron)があるから、人間は他者に「共感」することができます。「共感」とは「共に感じるコト」です。誰かに辛く悲しい話しをされたら、その人の気持ちをくみとり、自分も辛く悲しい気分になります。自分の脳が、相手と同じように反応しているわけです。
「他人の心を読み取ろう」としながら聴くと「ミラーニューロン」が働きます。そして、相手と同じ感覚になれた時に「共感」が成立します。すると、相手には「話しをしっかり聴いてもらえた」という感覚をもってもらえます。
もし、「上の空」で聞いていたら、ミラーニューロンが働いていない状態なので、「共感」とは、ほど遠いコミュニーケーションとなるでしょう。
浜松医科歯科大学名誉教授の高田明和氏は、著書『〈ハッキリ脳〉の習慣術』(角川書店)の中でミラーニューロンの注釈をこう記しています。
普通、ミラー細胞の活動は実際の行為にはつながらないのですが、感情が激するような場合には、実際の行動として現れます。
『〈ハッキリ脳〉の習慣術』(高田明和 角川書店)
たとえば、映画で高倉健さんが悪人を殴り倒す場面を見て思わずこぶしに力が入った、などという経験は誰にでもあると思います。スクリーンに映った健さんの姿が私たちの脳細胞に健さんと同じ行動をさせるわけです。
(中略)
相手の姿や行動を見たり聞いたりすることは、こちらの脳が同じ行動をし、言葉を話していることでもあります。
ですから、もしあなたが相手に何かを伝えたいと思うなら、相手のミラー細胞を刺激するために、実際に会って声を聞かせて頼むことがもっとも効果があるのです。
会って話す、ダイレクトなコミュニケーションのほうが、顔の表情や声のトーンや細かな体のしぐさを読み取ることができます。読み取る情報量に圧倒的な差があるので、ネットを使ったやり取りよりも、会って話したほうが、ミラニューロンは活発に働きます。
大好きなアーティストのネットで観る生中継ライブでも、もちろん感動できますが、コンサート会場で実際に「生歌」を聞き、ライブ会場の雰囲気にひたりながら聴く時の感動は、段違いです。
ですので、高田先生は「相手に何かを伝えたいと思うなら」ば、「実際に会って声を聞かせて頼むことがもっとも効果がある」というわけですね。
また、茂木先生が、「人間の本質は、他人とのコミュニケーションをする社会的知性に顕われる」と書くように、ミラーニューロンの働きが「コミュニケーション力」を左右するわけですね。
だとしたら、リーダーシップと深く関係する「コミュニケーション力」を高めようとするなら、「会って話すこと」「相手の心を読みとろうとしながら聴く」機会があれば、その力は維持されルカ、高まっていきます。
人と会って話す機会が減ることは、ミラーニューロンを働かせる時間がそれだけ減るわけであり、「コミュニケーション力」は弱くなっていきます。使わないと筋肉が自然と落ちていくように、神経細胞も使わなければ、その力が落ちていくのです。
ですので、ネットの力がどれだけ発展しても、「人と人が会う」ことの大切さを忘れたくないのです。
さて、コミュニケーションを高められることは、「人と人が会う」メリットですが、会うことで発生するデメリットもあります。
それは、ストレスです。
気のあった人とだけ一緒に時を過ごせればいいですが、現実の世界は、なかなかそうもいきません。働いていて職場にいけば、ひとりかふたりは、相性の合わない人がいるものです。
それに、イライラしている人や腹を立て怒鳴っている人を見かけることもあります。隣の部署で誰かが怒っていたら、その声はよく聞こえ、直接、自分が怒られているわけでもないのに、場の雰囲気がギスギスしたように感じられます。そういった雰囲気の中で時間を過ごすのも、人によっては大きなストレスとなります。
こんな風に、ストレスを感じてしまうのもミラーニューロンの働きがあるからです。これは人間に与える影響としては、ミラーニューロンの「負の側面」ですね。ミラーニューロンによって他人のイライラや怒りが情動伝染して、自身のストレスになってしまうのです。
こうした間接的に受けるストレスのことを「セカンドハンド・ストレス」(Secondhand Stress)と呼びます。
「セカンドハンド・ストレス」とは、誰かに怒られたり嫌がらせをされたりして直接的に受けるストレスではなく、イライラしたり怒ったりしているストレス状態にある他人に見たり、その声を聞いたりすることで、間接的に受けるストレスのこと。
「セカンドハンド」は「secondhand car」と書いて「中古車」という意味です。「中古の●●」でよく使われますが、「間接の」という意味もあります。
自分の部署に人格者がそろっていても、隣の部署にすぐ怒鳴り散らし、イライラしてものに当たるような人がいたら、嫌な気分になりますね。職場でのストレスは、「セカンドハンド・ストレス」の影響も大きいのです。
ポジティブ心理学の第一人者ショーン・エイカー(Shawn Achor)とミシェル・ギラン (Michelle Gielan)の共著論文「他人がまき散らすストレスに“感染”しない4つの方法」(DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー)に、こんなデーターがあります。
「ストレスを感じている他者、特に同僚や家族を目にすると、神経系に瞬時に影響を受ける場合がある。別の研究グループによれば、被験者の26%が、ストレスを感じている人を見ただけで自身のコルチゾール(ストレスホルモン)のレベルが高まったという」
「他人がまき散らすストレスに“感染”しない4つの方法」
(DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー)
つまり、人によっては、ストレスを抱える他人を見ただけで、コルチゾール(ストレスホルモン)が実際に分泌されてしまうのです。コルチゾールが適正量を超えて分泌されると、脳の神経細胞を傷つけることがあり、メンタル的な問題に発展することもあります。
そこでショーン・エイカーは、以下、4つの予防法を提唱しています。
1.ストレスの捉え方を変える
2.会話をポジティブな言葉で始める
3.自己肯定感を持つ
4.予防接種をする
詳しくはネットで論文を読めますので、リンクをクリックして、参考にされてください。上の項目で「4.予防接種をする」の考え方が興味深く、さらに細かい手法が紹介されています。
「予防接種」とは、ポジティブな感情を事前により多くもっておくことで、ネガティブな感情(ストレス状態)に対処しようとするテクニックです。
ポジティブ心理学者ショーン・エイカーのあげる具体的な手法が、次の通りです。これを仕事に入る前、朝、実践するのです。
- 2分間で知人の誰かを称えるメールを書く
- ありがたい、と感じる何かを3つ書き出す
- 2分間でポジティブな体験を書き記す
- 30分の有酸素運動をする
- 2分間の瞑想をする
朝から、大型の商談が成約できたり、好きな人から告白されたり、幸運な出来事が起きていたら、隣の部署で誰かが怒鳴っていても、気になりません。いつもならストレスになる「声」も、些細な出来事に変化してしまうのです。
心模様は、結局のところ、「その時、自分がどう感じるか」です。ストレスとは変化させることができるものであり、その影響が大きなものであっても、自分の意識を変えることで、小さくすることができます。
具体的な手法に関しては、好き嫌いがあります。向き不向きがあります。瞑想で効果の出る人もいれば、気の合う人と楽しく会話するだけで「予防接種」効果が生まれる人もいるでしょう。
ストレス対処で、大切なポイントは、ショーン・エイカーが示したようなストレス対処の「小さな手法」を、リスト化してもっておくことです。
ストレス状態になると、人は、考えること自体が面倒になり、せっかく、よいテクニックを知っていても、思い出すことができず実践されず、その結果、ストレスに飲み込まれてしまいます。
ですので、心が落ち着いている平常心の時に、できるだけ多く書き出しておきます。そして、「ストレスだな〜」とストレスを感じたら、リストを見て、その時の気分にあった「今、すぐにできること」を迷わず実行するのです。
リストはトライ&エラーを繰り返して、どんどん更新し、バージョンアップさせていきます。ある時、効果のあった手法が、効果を発揮しなくなることもあります。だから、更新していくのです。「好きなアーティスの音楽を聴く」「トイレでゲラゲラ笑えるYouTubeを観る」「ゴミ箱に紙クズをシュートする」などなど、何でもいいのです。
人に言えないようなくだらないことでも、自分にとって効果があればいいのです。案外、人に言えないようなことのほうが、効果があるものです。
YouTubeでポジティブな感情を持てる映像を見て、そこに登場する人の姿を観て、気分が明るくなったら、ミラニューロンが働いたことであり、それもポジティブな情動伝染です。
ネガティブな情動伝染で、「セカンドハンド・ストレス」を感じたら、ミラーニューロンの働きを上手に活用して、ポジティブな情動伝染を意識的に受けるのがコツです。
ミラーニューロンの働きを味方につけて、ストレスに負けず、健やかな人生を歩みましょう。
(文 松山淳)