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子どもが小さい頃、よく「ぎっくり腰」をやっていました。学生時代、ラグビーをやっていたので腰の骨が少しつぶれているのも影響していました。
いつも「ぎっくり腰」をやると、お世話になるカイロプラクティック医院があります。東京は港区、元麻布の住宅街にひっそりと佇んでいます。日比谷線の広尾駅で下車して、都内有数の緑のオアシス「有栖川公園」を抜けていきます。
この公園は坂道になっていまして、えっちらおっちら上り、しばらく歩きく、公園の外へ出ます。
上皇ご夫妻がテニスを楽しんだ「東京ローンテニスクラブ」を、野球グランド越しに左手に見ながら、通りを渡り路地裏に入ると、そこから元麻布へと下り坂です。マンションや一軒家が立ち並んでいる狭い道に入るため、視界が閉ざされます。街の裏側に入った、という感じです。何度も角を曲がり狭い道を進んでいきます。
すると突然、ぱっと視界がひらけ麻布・六本木エリアを一望できる東京パノラマ・ビューが現れます。天気の良い日など、ホントに最高です。
視界の狭い道をトコトコ歩いていく。そして、ある時、ふっと先がひらけ見通しがよくなる。なんだか、人生そのものだなと感じます。
精神科医高橋和巳先生に『心を知る技術』(筑摩書房)という素晴らしい本があります。高橋先生は名文家で、他の本も含めて文章がとてもわかりやすいです。すっと頭に入ってきます。
さて、この著に、ある女性とのカウンセリング事例が記されています。『心を知る技術』の内容をまとめてみます。
7年間つきあっていた彼が病に倒れる。生死に関わる病気だったが、闘病生活すえ無事に退院。ところがその直後に、仕事と看病に疲れ佐知子さんが倒れてしまう。
それから、入退院を繰り返し、結果、保母の仕事を辞めることになる。スーパーで週に3回パートの仕事をしてアパートで一人暮らし。彼とはまだ会うが、かつてのような楽しさはない。
これまで辛いことがあって落ち込むことがあっても自分でなんとか元気を取り戻せたが、今は違う。「頑張ろう」という気持そのものが嫌だ。人生も終わった方がよいと思ってしまう。
そんな状況で、高橋先生のもとを訪れる。
カウンセリングは、20数回に渡って続けられた。途中、揺り戻しがありながら、自分の人生にまつわる様々なことを佐知子さんは、話した。
すると「彼」「父親」「保育園の園長先生」との人間関係が、どこかで似ていることに気づいていく。繰り返されてきたパターンがあったのだ。
小さな時に両親が離婚。佐知子さんは母親に育てられた。中学生の時、離婚の原因が、父親の女性問題であったことを知らされ、父親への激しい憎悪がわいた。
「愛されたいという期待と裏切りへの恐怖」
自分を抑え人に尽くし、尽くしすぎて、自分をダメにしてしまう。佐知子さんの心の底で、佐知子さんを動かし続けてきた無意識の罠。五回目のカウンセリングで佐知子さんはこんなことを言っている。
「自分が生き方を変えて、人の顔色をうかがわなくなっても、それでも地球は回って、世の中、それほど変わらないと分かったんです。そう思えたらずいぶん気が楽になりました」
先の見えない「人生の路地裏」をトボトボ歩いていった時、ぱっと視界がひらけた瞬間であろう。
カウンセリングは長期にわたった。しかし、その分、自分の知らない自分に、いろいろと気づいていった。やがて、カウンセリングは終結へと向かい、佐知子さんは明るさを取り戻していく。過去にあった灰色の思い出を作り直していったのだ。
私は、このカウンセリング過程での最後の場面がなんとも好きです。『心を知る技術』(筑摩書房)には、こう書かれてあります。
カウンセリングの別れは、楽しい会話だった。
「先生、最後に一つ質問していいですか。これにはちゃんと答えて下さいよ」
「何ですか?ちゃんと答えますよ」
「先生、人生の目的っていったい何ですか。人は何のために生きているんですか?」
私を試そうとしている彼女のいたずらっぽい目が愛らしかった。私は佐知子さんの心の軌跡を思い返した。彼女の生まれてから今日までの人生を私は詳しく知っている。大きな苦しみから解放されて、これからはまったく自由に生きていいのだと彼女は感じている。それが私にも伝わってきた。
「う〜ん、人生の目的ね・・・。僕はね、毎日、美味しいものを食べて、ぐっすり眠って、楽しく過ごすことだと思いますよ」
「エーッ!人生の目的って、食べて眠ることですか。・・・・・。そうですよね。それでいいんですよね。先生。楽しんでいけれいいんですよね。先生、私の負けですね」
そう言って彼女は本当に嬉しそうに笑った。
『心を知る技術』(高橋和巳 筑摩書房)p108-109
人生の目的は「美味しいものを食べて、ぐっすり眠って、楽しく過ごすこと」。
もちろん、「人生の目的は楽しく過ごすこと」が、全ての人に共通した、あるいは、多くの人が納得できる「人生の目的」とはいえないでしょう。
この言葉は、高橋先生と佐知子さんとの長期にわたるカウンセリングのプロセスがあってこそ、最後に最後に、ぴたりとはまったジグゾーパズルのピースのようなものです。
ただ、幼い頃から立派なことを教えられ、誰もが持ちがちな「人生で成功しなけれならない」という価値観を考えると、先生の言葉は、肩から力が抜けていて、とても救いになるのです。
佐知子さんの人生では、「彼」「父親」「保育園の園長先生」と、似たような人間関係が繰り返されてきました。こうしたひとつのパターンに無意識の内にはまりこんでしまうことを心理学「交流分析」では「人生脚本」といいます。
また、人生において自分で解決すべき繰り返される課題を、アドラー心理学では「ライフ・タスク」(人生の課題)と呼びます。
自分を抑え人に尽くし、尽くしすぎて、自分をダメにしてしまう。
佐知子さんは、自分でも知らず知らずの内にいつも自分で書いた「脚本」のなかで、自分を演じていたのです。
「どんなパターンが繰り返され、人生脚本がどのようになっているのか」
これに気づくことが「ライフ・タスク」です。
「人生脚本」は、自分ではなかなか気づくことができません。ですので、カウンセラーなど第三者との対話は、「自分で気づく」ことの助けとなります。カウンセラーが、「あなたの人生脚本は、〜です」とダイレクトい教えてくれることは、まず、ないでしょう。カウンセラーはわかっていても、ヒントを出しながら、クライアントが「自分自身で気づく」ようにサポートしようとします。
とても大切なことは自分で気づくことです。なぜなら、クライアントが自分で気づかないと、「人生脚本」によって発生する問題は、繰り返されてしまうからです。
いつも「ダメ男」とつきあってしまう女性。なぜか、気の強い女性とばかりつきあい、いつもすぐに喧嘩別れしている男性。繰り返されるパターンには、その人の無意識に書かれた脚本があり、その脚本通りに、知らぬまに演じてしまっているのです。
この脚本に気づく時が、「人生の路地裏」から抜け出て、見晴らしのいい先の見通せる場に立つ瞬間といえます。
私たちは、特別の事情が無ければ、教育を受け、親や学校の先生から期待をされて育ちます。学校に通うのは、知識を身につけ、社会役に立つ人間になるためです。いずれ、大人になって成功するためです。
さっと読むと、当たり前のようですが、ここに「人生脚本」が書かれる素材があります。私たちは幼い頃から様々な教えを受け、知らぬまに価値観や信条をもち、「役に立つ人間にならなけれならない」「大人になって成功しなければならない」などという「人生脚本」をもつことになるのです。
「〜しなければならない」は、人生を生きていく上でのモチベーションになり、人として正しいことをしようとする倫理観を育みます。それをメリットとするなら、デメリットは、私たちの「生き方を縛る鎖」になることです。
この「鎖」があることで、仕事で同じような失敗を繰り返したり、人間関係で同じような問題を何度も抱え込んだりするのです。そうして人は、憂鬱になったり虚しくなったり、それが長期化して「人生の路地裏」をトボトボ独り寂しく歩くことも、時にはあるのです。
佐知子さんように、「人生の路地裏」を歩くのは、辛いことです。悲しいことです。
でも、「路地裏」にしか咲いていない美しい花があります。「表通り」ばかりを歩いたら決して見ることのできない、味わい深い風景があります。
「人生の路地裏」を歩いている人が、これを読んでいたら、どうぞそのことを信じてください。佐知子さんが、笑いながら「人生の目的」を高橋先生と語り合ったように、あなたが見ている薄暗い心の景色はうつり変わり、明るく笑える日が、きっときます。
今、そう思えないくてもいいのです。でも自分を信じる気持を、誰かを信頼する心を、どこか心の隅っこに置いておいてください。
ある日、突然なのです。ある日、突然、「あ、そういうことか」と、自分で気づき、ぱっと視界がひらけ、問題が解決していくことも、よくあるのです。だから、難しく考えないでいきましょう。
人生の目的は、「美味しいものを食べて、ぐっすり眠って、楽しく過ごすこと」。
それなら、それでいいじゃないですか…。
(文:心理カウンセラー 松山淳)