「計画的偶発性理論」とは、「偶然」がキャリア形成に大きな影響を与えているため、「偶然の出来事」を積極的かつ意識的に活用していこうとするキャリア理論。英語では「Planned Happenstance Theory」(プランド・ハップンスタンス・セオリー)。提唱者は、教育心理学者でキャリア論の大家「ジョン・D・クランボルツ」(John D. Krumboltz)。
本記事では、J・D・クランボルツの「計画的偶発性理論」(プランド・ハップンスタンス・セオリー)について解説する。
目次
クランボルツ教授は、1928年10月21日、アイオワ州シーダーラピッズで生まれです。1961年から、スタンフォード大学で働き始め「キャリア意思決定における社会的学習理論」(Social Learning Theory of Career Decision Making)を理論化し、キャリア・カウンセリングの分野に革命をもたらしました。2019年5月4日に自宅で亡くなっています。享年90歳でした。
クランボルツ教授の理論のベースには、「社会的学習理論」(Social Learning Theory)があります。「社会的学習理論」の提唱者は、「自己効力感」(Self-efficacy)で有名な心理学者アルバート・バンデューラです。
「社会的学習理論」で想定されている「学習」には、経験することで何かを学び取る「直接経験による学習」と、学習している他者(モデル)を観察することで何かを学び取る「観察学習」の2種類があります。
- 「直接経験による学習」:実際に経験することで学ぶ
- 「観察学習」(モデリングによる学習):誰かが観察することで学ぶ
例えば、サッカーを上手になりたい少年がいたとします。少年は、ドリブルやリフティングの練習をし、時には試合をして、つまり自分が実際にサッカーをすることで「学習」をしていきます。これが「直接経験による学習」です。
一方で、コーチのプレイを見たり、あるいは、自宅でJリーグやサッカー日本代表の試合をテレビで鑑賞したりすることができます。ネットTVがあれば、世界最高峰のサッカーチームのプレイを見ることもできます。これが、自分の「モデル」となる人やチーム(集団)を「観察する」ことで成立する「観察学習」です。
モデルとなる人や集団から学びとることを「モデリング」といいます。よって、「観察学習」は、「モデリングによる学習」ともいいます。
バンデューラ以前の「学習理論」では、「直接経験による学習」が基本でした。「パブロフの犬」が代表例ですね。ブザー音が鳴ると餌をもらえる。そう「学習」することで、ブザー音が鳴るだけで犬は「よだれ」を流すようになります。これが「条件反射」です。実験を直接体験し「学習」した結果が「条件反射」を生み出したわけです。
これに対して、「直接の経験無しでも、人は観察によって学習する」と主張した点にバンディーラの斬新さがありました。この学習は、人との関係性(自分と他者や集団)という社会的な環境があって成立するものであり、また、そのプロセスにおいて社会を生きていくのに必要な教訓を(例えば、先生の言うことをきかないクラスメイトが叱られているのを見て、自分は叱られるのが嫌だから先生の指示を守るようにする)を学習することから「社会的学習理論」(Social Learning Theory)というわけです。
クランボルツ教授は、バンデューラが指摘した「社会的学習理論」を組み入れながらキャリア論として発展させていきました。それが「キャリア意思決定における社会的学習理論」(Social Learning Theory of Career Decision Making)です。
「キャリア意思決定における社会的学習理論」では、4つの要因が、キャリア選択に影響を与えるとしています。
- 遺伝的特性・特別な能力(Genetic endownment and special abilities)
生まれ持った性格や才能。音楽やスポーツに「天賦の才」と呼べる優れた才能があれば、人は自然と「その道」を選びとるようになる。 - 環境的状況・環境的出来事(Environmental condition and events)
「社会的な力」「政治的な力」「経済的な力」からの影響。
・「社会的な力」: 景気が悪化しリストラされた。
・「政治的な力」: リストラされたが国の雇用対策施策で転職できた。
・「経済的な力」: 転職し給与が安定し、キャリアップのためにセミナーに自費参加できた。 - 学習経験(Learning experience)
過去に学習して得てきた要素がキャリア選択に影響を与える。「学習経験」は、「道具的学習」と「連合的学習」の2つがある。
・「道具的学習」: 直接的経験による学習のこと。
・「連合的学習」: 主として「観察学習」(モデリングによる学習)のこと。
親が伝統工芸の職人で、幼い頃から仕事場に出入りし、親の働く姿を見たり(観察学習:モデリング)、手伝ったり(直接的経験による学習)して、職人の道を目指すようになる。 - 課題接近スキル(Task approach)
「課題接近スキル」は、ある仕事に就くことを目標とし、その目標達成に向けた意志の強さや課題に取り組む行動の度合い。「遺伝的特性」「環境的影響力」「学習経験」が相互に作用しあい「課題接近スキル」が形成される。
親の血を引き継いで細かい手作業が得意な才能があり(遺伝的特性)、親の仕事場が自宅(環境的影響力)で、小さい頃から親の仕事を見たり手伝ったり(学習経験)があって、「親の仕事を継ぎたい」と意志が生まれて、工業系の高校、大学へと進学した。
『新版キャリアカウンセリング』(渡辺三枝子 編著)p71-89の記述を参考
「キャリア意思決定における社会的学習理論」を考えていく中で、クランボルツ教授は、キャリアで悩む人を実際にサポートする手法の必要性に気づいていきます。
4つの要因で「過去のキャリア」を分析することはできます。でも、これから先、「未来のキャリア」はどう考えていけばいいのでしょうか。この問いに答える形で生まれたのが『キャリア・カウンセリングにおける学習理論」(The Learning Theory of Career Counseling)です。
働く人が自分のキャリアを選択しようとする時に、他者や組織や社会の状況など、自分以外の「社会的要因」が大きく影響します。
「偶然」も、そのひとつです。
そこでクランボルツ教授は『キャリア・カウンセリングにおける学習理論」での核となる概念として「計画的偶発性理論」(プランド・ハップンスタンス・セオリー)を考え出したのです。
「キャリア・プラン」とは、「20代でこのスキルを身につけて、30代ではこんな仕事をして、40代ではこんな役職で活躍して…」と、計画をたて、それにそって行動していこうとする考え方です。
でも、時代環境がめまぐるしく変わる現代において、計画通りに行くことは稀(まれ)です。成長していく会社もあれば、市場から退出する企業もあります。退出を余儀なくされた会社の社員たちは、「偶然の不運」によって、別の仕事を探すことになります。
会社や社会や自然など「外部環境」の多くは、「こうなれ」と、自分の思った通りにコントロールできません。ですから「いい事」でも「悪い事」でも、人の立場に立つと、それらは「偶然の出来事」と考えることができます。
「計画的偶発性理論」の大きな特徴は、この「偶然の出来事」をキャリア形成に積極的に活用していこうと考えている点にあります。
クランボルツ教授の調査によると、成功したビジネスパーソンにヒアリングしたところ、「自分のキャリアは偶然によるところが大きい」と、約80%もの人が「偶然」について言及したというのです。18歳の時に望んでいた仕事に就いている人は、たったの2%に過ぎませんでした。
日本でも「街を歩いていたら、偶然、友だちに会って仕事を紹介してもらった」とか「飛行機で偶然、隣に座った知らない人からアドバイスをもらって起業を決意した」とか、そういった偶然のまつわる話しは、決して珍しいことではありません。
キャリアの相談といったら、組織のなかで異動するかしないか、転職するかしないかなど、最終的には「Yes or No」の「決定」が求められます。「決定」するから「安心」でき、次に進めるわけです。
でも、「偶然」がキャリア選択に大きく影響するなら、「偶然」に身をゆだねるのもひとつの手です。「急いてはことを仕損ずる」で、決定を急いだ結果の失敗は、よくある話です。日本において転職の成功率は、50%ほどだと言われます。
「計画的偶発性理論」に関する書籍として邦訳されているのは、『その幸運は偶然ではないんです!』(J.D.クランボルツ , A.S.レヴィン ダイヤモンド社)です。この本に、こんな言葉があります。
伝統的なキャリアカウンセリングは、多くの場合、あなたの優柔不断さを「治療」し、明確なキャリアの目標を設定する手助けをするためのものでした。
私たちは、常にオープンマインドでありながら、暫定的なキャリア目標を持つことには反対しませんが、人々がひとつの職業にこだわりすぎて視野が狭くなり、他の選択肢が見えなくなって不幸になる人たちを見たくありません。
『その幸運は偶然ではないんです!』(J.D.クランボルツ, A.S.レヴィン ダイヤモンド社)p35
伝統的なキャリアカウンセリングと「計画的偶発性理論」の「違い」をここで述べています。伝統的な方では、目標を設定します。つまり決定するわけです。でも、「計画的偶発性理論」では、「暫定的」とします。「暫定的」とは、確定するまで一時的にそう決定することです。変更の余地はあることですね。
ちなみに、この本は「計画的偶発性理論」を学術的に説明してあるものではありません。「計画的偶発性理論とは〜である」といった定義めいたものは登場しません。「偶然」に影響されて、納得のいく仕事に就けたり、はたまた、失敗したりと、そんな「偶然とキャリア」にまつわるノンフィクションの事例集となっています。45人の「働く人」が登場します。
また、表紙に「夢の仕事をつかむ心の練習問題」とあるように「計画的偶発性理論」を応用した「セルフワーク」が、所々で用意されていています。投げかけられた質問に答えていくことで、「計画的偶発性理論」が何を意図しているのかよく理解できます。
実際に、キャリアに悩んでいる人であれば、「心の練習問題」に取り組むことで、自己分析にもなり、キャリアの方向性が、おぼろげながらでも見えてくるでしょう。
さて、「計画的偶発性理論」に話しを戻しまして、では、『その幸運は偶然ではないんです!』(ダイヤモンド社)から、ひとつ事例をご紹介します。サンフランシスコ在住だったクレアの話しです。
サンフランシコで働いていたクレアは、仕事にそれほど興味がなく、退屈な日々を過ごしていました。そんな折、年の一度の長期休暇がとれて、旅行に行くことになりました。
空港で待っていると、自分の乗る便が欠航になってしまいます。クレアは、せっかくの休暇が台無しになり、休暇の間、家に閉じこもってしまいます。ただ、その時、航空会社は1年間の有効期限付きの航空券をくれました。どこにでも行くことができる航空券です。
それから1年が過ぎようとしていた頃、ふと航空券のことを思い出します。もう興味のない仕事は辞めて休みをとうろと、前から興味のあったハーバード大学に行くことにしました。
キャンパスを散策していると、ある学部の学部長に会うことができました。話しをしていると、アシスタントを探しているといいいます。働く条件がクレアに、見事にマッチしていました。
クレアは2時間も話し込み、その日のうちに仕事をもらうことに成功したのです。
『その幸運は偶然ではないんです!』(J.D.クランボルツ, A.S.レヴィン ダイヤモンド社)p5-6の記述をもとに要約
クレアにとって「退屈な仕事」は、コントロールできないことでした。飛行機が欠航になるのも、どうしようもありません。「偶然の不運」です。
でも、クレアは「偶然の幸運」として、1年間の有効期限付きのどこにでも行ける航空券をもらっていました。その偶然のチャンスをクレアは活かすのです。サンフランシスコからボストンにあるハーバード大に行きました。そこで、学部長に出会うという「偶然の幸運」が発生します。そして、仕事をゲットすることに成功するのです。
クレアの人生が変わったのは「行動」したからです。
行動こそが私たちの人生を変えるのです。彼女には「無気力のまま家にいて、航空券を無駄にする」という選択肢もありました。もし、そうしていたら、彼女の「退屈な日々」は続いていたのかもしれません。
「計画的偶発性理論」は、「偶然任せ」をオススメするキャリア論ではありません。「棚から牡丹餅」をじっと待つ理論ではないのです。「偶然の幸運」が起きるようにオープンマインドになって、意識的に行動していくことを推奨する理論です。
行動を起こしていくことで、偶然の出来事に巡り会い、そこで生まれた人間関係から、幸運を手にすることもあるでしょう。その心がけについて、『その幸運は偶然ではないんです!』(ダイヤモンド社)では、3つの秘訣が書かれています。
- あなたを助ける立場にある人々の目に止まるようなやり方で仕事をやる
- 自分の恐れや希望、夢について他の人に話す。
- 他の人の希望や恐れに耳を傾け、必要とされるときには──場合によっては頼まれなくても──積極的に支援することで、他者の人生に対する興味や関心を示す
『その幸運は偶然ではないんです!』(J.D.クランボルツ, A.S.レヴィン ダイヤモンド社)p113
こうした意識的な行動は、クレアがボストン(ハーバード大学)への旅行を計画したように、自分の意思で計画することができます。
外部環境の多くは「偶然」の連続ですが、自分のとる行動は、自分の意思で計画的に起こすことができます。それは「偶然の幸運」を意図した計画的な行動です。ですから「計画的偶然性」なのです。
望むキャリアを歩もうとする時に、私たちが心がけることをクランボルツ教授は言葉にしてくれています。まさに名言ですね。
人生には保証されているものは何ひとつありません。唯一確かなことは、何もしないでいる限り、どこにもたどり着かないということでしょう。
『その幸運は偶然ではないんです!』(J.D.クランボルツ, A.S.レヴィン ダイヤモンド社)p4
これから書くことは、私が発行しているメルマガ『リーダーへ贈る108通の手紙』の読者のことです。長年勤めた会社を辞めて、転職されました。年齢は50代で、女性の方です。ここではAさんとします。
Aさんは、その会社で16年間、働いていました。長らく人事関係の仕事をし、心理学や教育論など専門的な知識を身につけ、充実した日々を送っていました。ところが、突然、異動がありました。これが「偶然の不運」となります。デスクワーク中心となり、Aさんは2年間、モヤモヤした気持ちのまま働きつづけることになります。
転職を考えるものの、50代の転職が難しいことは重々承知です。2人の子どももまだ学生で、転職に失敗して仕事に就けなかった時のことを考えると、不安が大きくなります。その心境を、Aさん、こう記していました。
1人の人間として定年までの数年(再雇用も含め)をこの会社で過ごすのか?
それとも違う道を選ぶのか? も難問の1つでした。
傍から見れば我儘(わがまま)なのか?
何が不満で辞めるのか?
鈍感力を発揮しながら過ごせば良いのではないか?
親としての責任が薄いのか?
転職すべきか否か。Aさんは深く苦悩します。ですが、最終的に転職を決意するのです。ですが、転職活動は、決して愉快な経験ではありませんでした。「社会の縮図、新しい時代に移行するというのに古いままの意識、企業・面接者によって大きく異なる考え方。」と書いています。
新しことを始めるには、不安や恐れがつきまといます。現実的には、職やお金や人間関係を失うリスクもあります。楽しいことばかりでないのです。でも、リスク・テイクしなければ、新しことは、何も始まりません。
クランボルツ教授は、こう書きます。
失敗すれば、、お金と時間と労力がムダになるかもしれません。しかし、どんなときでもあなたは自分自身や周りの世界についてなんらかの学びを得ているのであり、リスクをとって時々失敗してみることから得られるものは大きいのです。
『その幸運は偶然ではないんです!』(J.D.クランボルツ, A.S.レヴィン ダイヤモンド社)p83
結果的に、Aさんは、自分の価値観にあった会社に無事、就職することができました。人事の仕事を通して身につけた知識やスキルを活かせる仕事だそうです。転職は成功したのです。これも異動という「不運の偶然」を活かした事例といえます。
Aさんは、転職活動で嫌な思いもしましたが、その経験を「1つとしてムダなことはありませんでした。」と書いています。まさにクランボルツ教授の言う通りです。
『その幸運は偶然ではないんです!』(ダイヤモンド社)に、一歩を踏み出し「リスク・テイク」する時の心構えがありました。もし、何か新いことを始めようとして、その場に立ち止まっている方がいたら、ぜひ、参考になさってください。
- 成果が出そうなリスクを取る。
- 想定外のチャンスに備える。
- 知らないことに挑戦してみる。
- 失敗するかもしれなくてもリスクを取る。
- 結果がわからなくてもリスクを取る。
- マスメディアからキャリアのチャンスのヒントを得る。
- 友人や同僚と連絡を取り続ける。
- 他の人からの励ましを引き出す。
- 自分の興味は変わるものと考える。
『その幸運は偶然ではないんです!』(J.D.クランボルツ, A.S.レヴィン ダイヤモンド社)p116-117
人生、何が起きるか、わかりません。クレアがナーバード大で学部長に出会うように、北海道のAさんが不運の異動を活かして50代で転職に成功するように、「偶然の出来事」が、キャリアに大きな影響を与えています。
「偶然の幸運」を求めて一歩踏み出そうとすると、失敗への恐れがわいてきます。もし、失敗が怖くなったら、次のクランボルツ教授のアドバイスを思い出してください。失敗とは失うことだけでなく、失敗から多くのことを得ることができるのです。
- 失敗や間違いはよく起こることであり、当たり前なのことであり、学びのあるものだということを認識しよう。
- 自分の失敗を活かそう。
- 他の人の失敗から学ぼう
- どんな意思決定にも偶然性が影響していることを理解しよう。
- 失敗に対して建設的に取り組もう
- 前へ進もう
『その幸運は偶然ではないんです!』(J.D.クランボルツ, A.S.レヴィン ダイヤモンド社)p116-117
偶然、本屋で立ち読みした本で…。
偶然、街で出会った人から…。
偶然、SNSでつながった見知らぬ人から…。
偶然、ネットで見つけた情報から…。
SNSが、私たちの生活に深く浸透し、今は「偶然の出来事」の起きる確率が、飛躍的に高まっている時代です。10年前とは比べものになりません。
人生、何が起こるか、わからないのです。わからないから不安になりますが、わからないから、そこに大いなる可能性があります。その可能性にかけてみる価値が、人生にはあります。
人生に無駄なし。経験に無駄なし。「偶然」は私たちの味方です。
それでは最後、「計画的偶発性理論」(プランド・ハップンスタンス・セオリー)のエッセンスが凝縮された一文を記して、本稿を終えます。「計画的偶発性理論」とは、つまり、こういうことです…。
人生には、予測不可能なことのほうが多いし、あなたは遭遇する人々や出来事の影響を受け続けるのです。
結果がわからないときでも、行動を起こしてチャンスを切り開くこと、 偶然の出来事を活用すること、選択肢を常にオープンにしておくこと、そして人生に起きることを最大限に活用することです.
『その幸運は偶然ではないんです!』(J.D.クランボルツ, A.S.レヴィン ダイヤモンド社)p4
(文:松山 淳)