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第6章-4 部下に仕事を任せられない本当の理由
部下は三人。「忙しい、忙しい」が口癖で、毎日、夜遅くまで会社に残っています。休日出勤することも珍しくありません。大量の仕事を抱え社内を走り回っている姿を見て、他部署の人たちは、「よくやるな」とほめ言葉を投げかけてくれます。
W係長(40代 男性)は、いつも忙しくしています。
ところが、W係長の上司であるS部長はそう思っていません。上司としてくぐらなければならない「門」を、いつまでも拒否しているからです。
W係長の同期は、すでに課長になっています。W係長はよく働きますし、決して悪い人ではないので、一日も早く人事部に課長への昇進を推薦したいのですが、S部長はできないでいます。
W係長の「忙しい」という口癖が遠くから聞こえてくる度に、S部長は思います。
「忙しい自分に酔っているだけ」
では、W係長がくぐらなければならない門とは何でしょうか。
そうです、「部下に仕事を任せる」という「門」です。
「いい人でいたい」のか、「忙しい自分が好き」なのか、部下がすべき仕事を自分で処理してしまいます。部下の負担を少しでも軽くしようと、善意でそうしています。そして、心のどこかで「これだけのことをしてあげているのだから、よく思われて当然だ」と思っています。
しかし「部下に仕事を任せない」ということは、別の見方をするとこういえます。
「部下を信頼していない」
「部下が成長する機会を奪っている」
上司として、よくないことばかりです。
W係長は、確かに忙しいのです。残業ばかりで疲れてもいます。だから、苦しいし、つらい。しかし、忙しさを理由にして、本来「上司が体験すべき苦しさ」から逃げています。
それは、「部下を信頼する苦しさ」といってもいいかもしれません。
自分で仕事をしてしまうことは、ある意味、楽なのです。指示も説得も命令もしなくていいのですから。その結果、部下と上司との感情的な対立も起こらずにすみます。
人との摩擦は、決して悪いことばかりではありません。摩擦をとおして鍛えられていくものも、確かにあります。W係長は、自分を常に部下との争いのない安全地帯におこうとして忙しくしているのです。
S部長には、それがわかっています。リーダー研修もあり、何度か注意もしていますから、本人も自覚はしているはずです。だから、必要以上に口を出さず、遠くで見守っていました。
そして、そのときは来ました。
ある部署のW係長の同期が課長になりました。自分と同じ年に入社した人間が、部下や上司に囲まれ拍手をされています。S部長は、それを眺めるW係長のひきつった顔を見ました。その表情に、W係長の心の奥底に眠る決して口にすることのできない深い悲しみを感じとったのです。
その日、S部長は、W係長を夜の街に誘いました。W係長は、ビールを頼む前から「いつも部下に任せようとは思っているのですが、ついやってしまうのです」と、言い訳を始めました。
S部長はその言葉を無視して
「そんなに悔しいのか」
と尋ねました。
「何がですか」
「同期のことだよ」
部長がそう言うと、W係長はうつむき黙ってしまいました。長い沈黙が続いた後、
「自分は小さい頃からいつもそうなんです。スポットライトを浴びることのない人生なんです。学校の成績もよくなかったですし、好きだった野球ではいつも補欠選手でしたし、だから、それでいいんです」
と、口を開いたかと思うと、自分の過去のことや今のことをごちゃまぜにしながら、とめどもなく話し始めました。S部長は、黙り続けています。そして、W係長の話が一段落したところで、こう言いました。
「もう自分を許したらどうだ」
W係長は、その言葉が一体何を意味しているのか頭ではわからなかったものの、心の奥で必死になって隠れていたもう一人の自分が飛び出してきて、その言葉にしがみついたような気がしました。涙がじわりとにじみ、眼と心を潤しました。
W係長は、自分を罰していました。部下の仕事をすることが、係長としてふさわしくないことなどわかっているのです。いつも残業し休日も出社して、「なんで俺がこんな仕事しなくちゃいけないんだ」と、思っていたのです。
それらの行為は、いつも補欠選手だったそれまでの生き方を許せないもうひとりの自分が、W係長を罰し続ける自虐的な行動だったのです。それがわかっていたからこそ、S部長は「自分を許せ」という言葉を発したのです。
その日を境にW係長は、ゆっくりと変わっていきました。
人間、そんな急に変われるものではありません。ただ、確かに変わっていける存在です。年齢は、関係ありません。
仕事を部下に任せられない上司は、多く存在します。その理由は、私たちが普段考えているよりも深い心の問題に起因している場合があります。
かといって、S部長のように誰もができるわけではありませんし、私は、その必要はないと思います。「トラウマ」などの言葉を持ち出して部下を断定することは、部下が変化していく可能性を奪うことがあるからです。
「仕事をもっと任せろ。何度言ったらわかるんだ」
と、繰り返しても変わらないことには、別のアプローチが必要なのです。
部下の苦しさに「共感」すること。仕事で苦労してきたあなたなら、できるはずです。
(著:松山 淳)
2. 私は、部下の悩みを理解できなくなっていなだろうか。
3. 私は、部下に詰問を浴びせすぎていないだろうか。