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渋沢栄一の名言【10選】

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 渋沢栄一(1840-1931)は、「近代資本主義の父」と呼ばれる歴史に残る偉人。「論語」の教えを人生の指針とし、「士魂商才」「義利両全」の言葉とともに「 道徳と経済の両立」を提唱した。渋沢の著『 論語と算盤』は有名である。

 渋沢栄一は、江戸時代、天保11年(1840年)、現在の埼玉県深谷市血洗島にあった豪農の家に生を受ける。若き日は尊皇攘夷の志士として高碕城乗っとりや横浜を襲撃する異人殺害計画を立案する。異人殺害計画は失敗に終わり、「最後の将軍」徳川慶喜の一橋家に仕える。その後、幕府の家臣として渡仏し、帰国後、明治政府の官僚(大蔵省)となる。大蔵省を辞職した後、実業家として大成していく。生涯を通して約600をのぼる教育機関や社会事業の支援に力を尽くした。1931年(昭和6年)に亡くなり、享年91歳。

 2024年、新札が発行され1万円の肖像にもなった。渋沢栄一はどんな哲学をもって生きたのか。渋沢栄一が残した名言(「金はたくさん持つな、仕事は愉快にやれ」など)を軸にして、渋沢栄一の人生哲学にせまる。

渋沢栄一の名言❶:家族のため親のために働くのだと考えて働く

 渋沢栄一は、「近代資本主義の父」と呼ばれる近代史の偉人です。みずほ銀行、東京海上日動火災保険、東京ガス、帝国ホテル、サッポロビール、JR、日本郵船など、これらの企業含め約470社の創設に関わりました。

 渋沢栄一の思想の根幹には、「他(人や社会)への貢献」があります。

 「自分の利益」を優先する生き方もあれば、「他人・社会の利益」を優先する生き方もあります。この2つの思想を渋沢栄一は、「主観的人生観」「客観的人生観」という言葉で整理しています。(参考文献:『富と幸せを生む知恵』実業之日本社)

「主観的人生観」とは、自分を「主」とし、他人や社会を「従」とし、自分を満足させる生き方。
「客観的人生観」とは、他人や社会を「主」とし、自己を「従」とし、自分より家族や社会に貢献する生き方。

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 そこで、『富と幸せを生む知恵』(実業之日本社)にて、渋沢栄一は次のようにいっています。

渋沢栄一の名言

「労働者が働くのは自分の本分であり、かならずしも自分の利益だけを得ようとするものではない。つまり家族のため親のために働くのだと考えて働くならば、不満も生まれず、経営者にも満足と安心を与え、ひいては国家の利益にまでつながっていく。一労働者のみならず、さらに重要な位置にいる人たちがみな同じ気持ちになれば、社会は平和になり繁栄に向かう。」

『富と幸せを生む知恵』(渋沢栄一 実業之日本社)

 「客観的人生観」の大切さを、この言葉から読み取ることができます。

まっつん
まっつん

人は、ひとりでは生きられません。他人がいて、社会があって生きていくことができます。だから、「自分のためだけ」ではなく、「世のため人のためになること」をすることが大切になるわけです。

 仏教に「自利利他」という言葉があります。他(人や社会)のためにしたことは、めぐりめぐって自分のところにかえってくるものですね。他人のためにすることは、同時に、自分のためにもなっているのです。 


渋沢栄一の名言❷:正しい道理の富でなければ、永続することができぬ。

 渋沢栄一は、孔子の「論語」を座右の書とし生きる指針にしていました。いかに「論語」を大切にしていたかは、次の言葉からわかります。

『論語』をよく読んで味わうようにすれば、大きなヒントも得られる。だから私は普段から孔子の教えを尊敬し、信ずると同時に、『論語』を社会に生きていくための絶対の教えとして常に自分の傍から離したことはない」

『現代語訳 論語と算盤』(渋沢栄一 現代語訳:守屋淳 ちくま新書)

 そこで、渋沢栄一は『論語と算盤』という本を書いています。「論語」が「理念」「道徳」の比喩であれば、「算盤」(ソロバン)が「利益」「経営」「経済」の比喩です。論語と算盤を並べて、「利益」を出す経営にあたって、人の道から外れない「理念」がいかに重要であるかを説いたのです。

 渋沢栄一が生きた時代から時が流れた今も、道徳的な「理念」を欠いた経営が行われています。社員を使い捨てにするようなブラック企業は、その一例です。また、売上・利益至上主義になり、倫理観を失ってしまう経営リーダーもいます。売上・利益に目がくらんだ結果、企業の不祥事が発覚し、記者会見で頭を下げる経営陣たちの姿は、度々、ニュースで見られます。

まっつん
まっつん

こうした姿は、「主観的人生観」「客観的人生観」の考え方になぞらえると、「自分の会社だけよければいい」という「主観的経営観」に陥った末路の姿といえます。

 その反対の「客観的経営観」では、自社の社員はもちろんのこと、お客様や取引先や社会と共に成長・繁栄していこうとする「人や社会に貢献」しようとする「正しい道理」が組織に根づいています。

 渋沢栄一は、『論語と算盤』に、次のように書いています。

『論語と算盤』(筑摩書房)
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渋沢栄一の名言

正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。ここにおいて論語と算盤という懸け離れたものを一致せしめることが、今日の緊要の務めと自分は考えているのである」 

『現代語訳 論語と算盤』(渋沢栄一 現代語訳:守屋淳 ちくま新書)

  『論語と算盤』が出版されたのは、1916(大正5)年です。100年以上前のことです。

 企業不祥事が後をたたない現代の世相において、渋沢栄一の言葉は決して古びることはなく、今の時代にも十分に通用しますし、また、必要な言葉といえます。 


渋沢栄一の名言❸:「九思の教」を守るように心掛け

 「論語」の教えを人生の指針としていた渋沢栄一は、こう語っています。

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渋沢栄一の名言

「いつの場合でも孔子の所謂(いわゆる)「九思の教」を守るように心掛け、自分の盲動が道理にもとらぬように努めてきたつもりである。」

『渋沢栄一逆境を生き抜く言葉』(イースト・プレス)

 上の言葉にある「盲動」「妄動」とも書き、「考えもなくむやみに行動すること。分別を欠いた行動」(デジタル大辞泉小学館)のことです。そして、「論語」の「九思の教」とは次のものです。

  • 【1】見る……ものを見るときは、蔽(おう)われることなく明らかにする
  • 【2】聞く……聞くときは、誤ることなく事物の真相や実体を得ようとする
  • 【3】顔色……顔つきは、温和にする
  • 【4】態度……身ぶりは、恭しく慎み深くする
  • 【5】言葉……ものを言うときは、忠実で言行一致させる
  • 【6】仕事……仕事をするには、慎重に軽はずみがないようにする
  • 【7】疑問……わからない点は、師や友に聞いて解決する
  • 【8】怒り……腹が立っても、我を忘れず、後難を考えて忍耐する
  • 【9】利益……利益を前にして、それが道義にかなうかどうかを考える

 さきほどの「盲動」(妄動)をとってしまうのは、【8】「怒り」が原因になることが多いですね。カッとなると、「分別を欠いた行動」になりがちです。

 「怒りで我を忘れる」という表現があります。我を忘れてしまっては、理性を失い、「人の道」にそった道理ある判断はできなくなってしまいます。怒ると、ストレスホルモンが分泌されますので、体にもよくないです。

 また、怒りは、自分だけの問題だけなく、周囲の人を不快にし、他に迷惑をかけます。

 渋沢栄一が貫いた「客観的人生観」をもち「他者への貢献」を人生の指針とするなら、「怒りをいかにおさえるか」の「アンガーマネジメント」が大切になってきますね。


渋沢栄一の名言❹:不運、不遇なときにあっては、悲観生活がいい

 人生、山あり谷ありです。「資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一にも不遇の時はありました。もともと農家出身です。武家社会の江戸時代にあって農民は差別される存在でした。幕末は、尊皇攘夷の志士として活動するも、大きな成果をあげることはできず、失敗ばかりでした。若き日の渋沢栄一は、時代に冷遇されていたといえます。

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 そんな渋沢栄一が、不運、不遇のときの心構えを語っています。

渋沢栄一の名言

不運、不遇なときにあっては、悲観生活がいいのである。いつも、くよくよと暮らしているといえばなんだかあほらしいことのように思うけれども、そのくよくよの生活に案外大きなためになる良いことがある。ある人にとっては、まったくこのくよくよが第一の役に立っているのである。」

『はじめて世に出る青年へ』(徳間書店)

 「くよくよする」というと、悲観的になって、迷い苦しんでいる姿をイメージします。

 しかし、渋沢栄一は、「くよくよする」をポジティブにとらえます。「くよくよは、その人のやる気を促し、活動の源泉となるものである。決してこのくよくよをしりぞけてはいけない」(『はじめて世に出る青年へ』)といっています。

まっつん
まっつん

確かに、もし何もかもあきらめてしまったら、人は「くよくよ」すらしなくなります。ふて腐れて、投げやりになってしまいます。そうして「無気力」になってしまうのが、何よりよくありません。

 人は投げやりになると、自分を中心とした「主観的人生観」にとらわれて、「あの人が悪い、この人が悪い」「会社が悪い」「社会がおかしい」と、「他(人や社会)への貢献」ではなく、「他(人や社会)への攻撃」が始まります。その攻撃がひどくなれば、人の道から外れ、罪を犯してしまうことすらあります。

 「くよくよ」するのは、その人のやる気がくすぶってはいるものの、まだやる気を失っていない状態です。また、「くよくよする」といった時には、確かに苦悩してはいるのですが、不運、不遇から乗り越えていこうと、いろいろと「考えている」状態をイメージします。

 だから「くよくよ」したくなる不運の時には、思い存分、「くよくよ」しましょう。そうして割り切って、「くよくよ」が徹底されると、やがて、不運の時期を乗り越えるグッドアイディアを思いつくものです。

 あわてず、あせらず、あきらめず。「くよくよ」も「ポジティブな力」に変えていけることを忘れないでいましょう。

 


渋沢栄一の名言❺:自分のやるべきことをやるだけやったら

 人事を尽くして天命を待つ。

 この言葉は、「自分のやべるきことにベストを尽くしたのなら、あとは運命に任せて、結果については思い悩むことはないよ」といった意味合いです。自分のしたことの結果を心配している時に、私たちの背中を支えてくれる言葉です。

 さて、「論語」の有名な一文に「友あり遠方より来る、亦(また)楽しからずや」(学而第一)がありますね。「友の大切さ、ありがたさ」を思い出させてくれる言葉です。ただ、この言葉の前後を見ていくと、また違った味わいになります。

学んで時に之を習う、亦悦ばしからずや。
友あり遠方より来る、亦楽しからずや。
人知らずして怒らず、亦君子ならずや

(学んだことを折に触れて実践する、喜ばしいことではないか。
友人が遠くから訪ねて来てくれる、楽しいことではないか。
人が知ってくれなくても気にしない、いかにも君子だね。)

 渋沢栄一は、上の言葉を、それぞれ独立してとらえるのではなく、つなげて考えるようにといっています。『我が世渡りの道』(渋沢栄一/梔堂)で語った内容をまとめると、おおよそ次の通りになります。

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 ひとりで学びを深めて、実践することは、それはそれでよいことだ。友が来て、共に学ぶ実践することは、さらによいことだ。そして、友と実践してきたことが、世に知られればもっとよいことだが、人に知ってもらえなくても、気にすることはない。それが君子(徳のある立派な人)というものだよ。

 「友あり遠方より来る」の部分がとても有名ですが、この3連の句では、最後の「人知らずして怒らず、亦君子ならずや」が、とても大切な教訓になっているのがわかります。この言葉を受けて、渋沢栄一は、こう書いています。

渋沢栄一の名言

自分のやるべきことをやるだけやったら、たとえそれが人に知られず、世間から受け入れられようが受け入れられまいが、それは気にすることなく、決して腹を立てたり怒ったり、悲観したりするようなことはないようにしてきたつもりである。」

『我が世渡りの道』(梔堂)

 「人事を尽くして天命を待つ」に通じるものがありますね。

まっつん
まっつん

 人生の結果はもちろん大事です。ですが、その結果を出すために、どれだけベストを尽くしたかが大事です。

 なぜなら、例え、その時、結果を出せなくても、ベストを尽くすことによって人は成長をとげていきますし、次のチャンスをつかんだ時に、そのベストを尽くした経験がいきてくるからです。

 「どれだけ結果が出たか」を気にするより、「どれだけベストを尽くしたか」を気にしましょう。人生は長く、次のチャンスが必ず訪れるものですから…。


 

渋沢栄一の名言❻:至誠を基として、道理に適うことでなければ一歩も動かぬ

 渋沢栄一が主に活躍した明治は、江戸の価値観が崩れ去り、一気に、西洋化が進んだ時代でした。近代化を果たすため、日本より進歩している西洋の考え方やモノを積極的に取り入れていきました。そのため、西洋に価値をおき、古い日本の伝統を否定する風潮が生まれていました。

 ただ、渋沢栄一は、江戸時代にはなかった「株式会社制度」を普及させ、日本の西洋化・近代化をおし進めた人です。ただ、中国古典の「論語」の教えを大切にしていることからもわかる通り、伝統的な考え方にも価値を見出そうとする思考法を持ちあわせる人でもありました。

 そのひとつが「武士道」です。江戸時代が終わり、武家社会が崩壊して日本が近代化していく過程で、「侍」(サムライ)の生き様を説く「武士道」の存在は、影が薄くなっていきました。

 江戸時代に農家で生まれ、「侍」への憧れもあったでしょう。1905年(明治38年)、渋沢栄一は「武士道」について講演をしています。そこで「武士道」について、次のように述べています。

書籍「渋沢栄一、「武士道」を語る: 論語と実業と東西のサムライたち 渋沢栄一、 幕末明治研究会」の表紙画像
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渋沢栄一の名言

「至誠を基として、道理に適うことでなければ一歩も動かぬ」という決心こそ、取りも直さず真の武士道であると称してよいのではないでしょうか。

『渋沢栄一、「武士道」を語る』(幕末明治研究会)

 武士道というと、忠義を軸とし「お殿様のためなら命を捨ててもよい」と、自分の「命」を軽くあつかうかのような面があります。これに対して、渋沢栄一は、「ひとえに「君父に尽くす」とか、あるいは「生命を捨てる」とかいうのでなければ武士道ではない、というような解釈をしなくてもいいと思うのです」と述べて、上の言葉をつづけています。

 江戸時代(武家社会)ではないので、誰かのために「生命を捨てる」は、時代遅れですね。

まっつん
まっつん

「至誠」とは「このうえない誠実なこころ」です。「道理」とは「人として行うべき正しい道」です。つまり、「誠実なこころをもって、人として正しい道を迷うことなく歩んでいく」、これが渋沢栄一にとっての「武士道」です。

 上の言葉を述べた後に、「論語」の言葉が出てきます。

 見義不為、無勇也。(義を見て為ざるは勇なきなり)
(下村湖人訳:行なうべき正義を眼前にしながら、それを行なわないのは勇気がないのだ。)」

 もともと武士道は、中国の古典からの影響も受けて時代とともに形成されていったものです。江戸時代の「侍」にとって「論語」は、学ぶべき教養のひとつでした。

 この「論語」の言葉は、渋沢栄一のいう「武士道」の考えそのものといえます。「誠実さ」とか「人としての正しい道」などというと、経営や経済を考える時には「そんな精神論は役に立たない」と一蹴されがちです。ですが、それが役に立つし、大事なのだといいたくて、渋沢栄一は『論語と算盤』を書いたわけですね。


渋沢栄一の名言❼:小事が積んで大事となり、一日が積んで百年を生む

 蟻の一穴(いっけつ)天下の破れ

 この言葉は、「大事は、ほんのささいなことから起こる。ちょっとしたことが原因で、たいへんなことになる」(デジタル大辞泉小学館)という意味です。「小さな事をおろそかにすると、大変なことになるよ」という警句です。ですので、仕事で小さな事に手抜きをしている社員を叱ったり、戒める時に使われる言葉です。

 この言葉をひっくり返せば、「小さな事をおろそかにせずに、大切にして続けていると、逆によいことになる」と考えることができます。

 雨垂れ石を穿(うが)つ。

 そんな言葉がありますね。「小さな努力でも根気よく続けてやれば、最後には成功する」(デジタル大辞泉小学館)。「雨垂れ石を穿つ」は、中国の古典「漢書」にあった言葉です。「継続は力なり」で、コツコツと小さなことを、長い間、続けていくと、何らかの成果につながり、人生には、いいことがあるものです。

蟻の一穴天下の破れ「雨垂れ石を穿つ」。2つの言葉がいうのは、小さな事が普段、考えてる以上に大切だということです。渋沢栄一は、次の言葉をのこしています。

『渋沢百話』
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渋沢栄一の名言

人間界のことは小事が積んで大事となり、一日が積んで百年を生むが社会の常で、小事と思ったことも後日案外の大事となって再現するような例はままあるから、なかなかに油断はできない。ゆえに道理の識別を過たぬようにすることは容易ならぬ仕事である。

『渋沢百話』(近代経済人文庫編集部)

 「こんな小さな事に、なんで力を入れなくはいけないんだ」

 と、人は、ついつい手抜きをしがちです。仕事で忙しくしていれば、すぐ成果を出すことに意識が向きます。よって、広い視野で人生を眺めることができなくなり、小さな事の積み重ねが大きな成果になることを、忘れがちです。

 小事が積んで大事とる。一日が積んで百年を生む。

 渋沢栄一がいったこの考え方を胸に秘めて、塵も積もれば山となる。ですから、小さな事をおろそかにせず、長い目で見て、人生を歩んでいきましょう。


渋沢栄一の名言❽:金はたくさん持つな、仕事は愉快にやれ

 渋沢栄一は、西洋で行われていた「株式会社制度」を日本に導入し、普及させた人物です。そのポイントは、「富の独り占め」が起きないようにすることでした。株を買ったらその会社からの配当があります。会社の利益を他(人や社会)へ還元するシステムが株式会社制度です。

 渋沢栄一は、「多数の合資協力による「株式会社」「合資会社」などを起こして、利益は独り占めせず、みなとその恩恵を分け合ってきた」(『富と幸せを生む知恵』)といっています。

 利益を独り占めする「富の独占」は、「正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ」(『現代語訳 論語と算盤』ちくま新書)といった渋沢栄一にとって、人の道から外れた「正しくない道理」だったわけです。

この考え方がベースにあり、渋沢栄一の名言として、とても有名「金はたくさん持つな、仕事は愉快にやれ」が、登場してきます。それが次の一文です。

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渋沢栄一の名言

「私はこう思うのだ。富を積むというような際限のないこと、そして無価値なことに一生を費やすより、実業家として立つならば、自分の学問・知識を活用し、生きがいのある働きをして一生を過ごせば、そのほうがはるかに価値ある生涯を送ることができる。要するに「金はたくさん持つな、仕事は愉快にやれ」という主義なのである」

『富と幸せを生む知恵』(渋沢栄一 実業之日本社)

 「金はたくさん持つな」といっておきながら、渋沢栄一は、大富豪だったのですから矛盾しているようです。お金をたくさん持っている人だからいえる言葉だと、皮肉をいいたくなります。

 ただ、渋沢栄一がいいたいことは、「お金をたくさんもつこと」そのものを目的として、仕事や事業をしないほうがいい、ということです。その考え方では「富の分配」ではなく「富の独占」になり、自分を中心にして考える「主観的人生観」に陥ってしまいます。

 渋沢栄一は「他人・社会の利益」を優先する「客観的人生観」を大切にして生きた人です。

 「お金はあるけど、生きがいのない人生」は、なんとも寂しい人生です。「主観的人生観」だとそうなりがちです。反対に、「客観的人生観」を軸にした「お金に少し困るけれど、生きがいのある人生」は、愉快で意味ある人生です。

まっつん
まっつん

 人が生きがいを感じるのは、自分という存在が誰かの役に立ち、成果が出たり、感謝されたりすることです。その結果、お金をたくさんもらえるなら、なお喜ばしいことですね。

「金はたくさん持つな、仕事は愉快にやれ」

 これが渋沢栄一にとっての仕事に対するポリーシー(主義)といえます。この言葉の後に、「私はこの主義でやってきて、事業に対しても独力経営を避け、代わりに多数の合資協力による「株式会社」「合資会社」などを起こして、利益は独り占めせず、みなとその恩恵を分け合ってきた」と続くのです。

 利益を独り占めする人より恩恵を分け合う人のほうが、神様も応援してくれるはずです。渋沢栄一は、恩恵を分け合う考えを生涯を通して一貫したから、福徳の神様にも愛されたのでしょう。

渋沢栄一の名言⑨:正しいことをねじ曲げようとする者とは、争う

 同時代を生きた渋沢栄一のライバルといえば三菱財閥を築き上げた岩崎弥太郎です。岩崎弥太郎は、時代が明治になると、土佐藩から買い取った船で海運業を始め、その後、巨万の富をえることになります。

 さて、岩崎弥太郎が大富豪として社会で知られるようになった頃、渋沢栄一は、第一国立銀行の頭取として実業界で名を馳せていました。

 1878年(明治11年)、渋沢栄一と岩崎弥太郎は、東京墨田区向島の料亭「柏屋」で会って話しをしています。渋沢栄一の四男である渋沢秀雄が書いた『明治を耕した話』(青蛙選書)によると、岩崎弥太郎が渋沢栄一を味方に引き込もうと誘そったそうです。

 この時、岩崎弥太郎は、渋沢栄一が推奨する株式会社制度(合本法)を、「船頭多くして船山に登る」と批判しました。そして、「優れたリーダーの専制的な経営が必要」「巨大な利益が独占できるからこそ働き甲斐がある」(『明治を耕した話』青蛙選書)と自説を展開しました。

 ふたりの話し合いは、物別れに終わります。そういえば渋沢栄一に、こんな言葉があります。

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渋沢栄一の名言

「正しいことをねじ曲げようとする者、信じることを踏みつけにしようとする者とは、何があってもこれと争わなければならない。このことを若いみなさんに勧める一方で、わたしはまた気長にチャンスが来るのを待つ忍耐もなければならないことを、ぜひ若いみなさんには考えてもらいたいのである。

『現代語訳 論語と算盤』(渋沢栄一 現代語訳:守屋淳 ちくま新書)

 この言葉通りに、料亭での会談の後、渋沢栄一は、ほぼ独占状態にあった三菱の海運業に、三井財閥の力をかりて参入します。両者は激しく争いましたが、最後は、合併することになります。そうしてできた会社が、現在の「日本郵船」です。

 渋沢栄一は「財閥」をつくりませんでした。歴史に「たられば」はありませんが、もし、渋沢栄一が、岩崎弥太郎のような性格の持ち主だったら、渋沢財閥があったことでしょう。

 「他人・社会の利益」を優先する「客観的人生観」を、有言実行した人物が、渋沢栄一です。

渋沢栄一の名言⑩:社会には恩返しをしなくては申し訳ない

  「ペイ・フォワード」

 この言葉をタイトルとした『ペイ・フォワード 可能の王国』(原題『pay it forward』 ワーナー・ブラザーズ)という映画もありましたね。

『ペイフォワード 可能の王国(ワーナー・ブラザーズ)
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 「ペイ・フォワード」とは、恩を与えてくれた人に恩を返すのではなく、他の誰かに恩を送ることです。例えば、親から受けた恩を親に返すのではなく、自分の子どもに送れば「ペイフォワード」です。上司から受けた恩を、上司にではなく自分の部下に送れば、それも「ペイフォワード」といえます。

 日本にも「恩送り」という言葉がありますね。渋沢栄一が、財閥をつくることをせず、「客観的人生観」をベースにして成し遂げたことを思うと、「ペイ・フォワード」(恩送り)の言葉が、自然と頭にうかんできます。

 渋沢栄一に、恩返しに関する、次の言葉があります。 

明治を耕した話―父・渋沢栄一 (1977年) (青蛙選書〈53〉)の表紙画像
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渋沢栄一の名言

「どんな賢い人でも、社会があればこそ成功できたのだ。だからその社会には恩返しをしなくては申し訳ない」

『明治を耕した男』(渋沢秀雄 青蛙房)

 『明治を耕した話』(青蛙選書)を書いた渋沢栄一の四男「渋沢秀雄」によると、上の言葉を、日頃からよく口にしていたそうです。

 人は主観的人生観が強くなってしまうと、国や社会から、「与えてもらう」ことを考えがちになります。「与えてもらうこと」が不十分だと、国や社会を批判し、人によっては恨むことすらあります。

 その発想を逆転しているのが、渋沢栄一ですね。「他人・社会の利益」を優先する「客観的人生観」を軸にして、自分から「与える」ことや「分け合う」ことを大切にして生涯を過ごしました。そうした創られた企業や組織(みずほ銀行、東京海上日動火災保険、東京ガス、帝国ホテル、サッポロビール、JR、日本郵船)は、今も存続しています。

 数多くの人に働く場を提供し、生活していくための礎となっていて、時代を越えて、今を生きる人たちが渋沢栄一の恩恵をこうむっています。

 そう考えると、渋沢栄一は、社会に恩返しをしたと同時に、ペイ・フォワード(恩送り)をした人でもあったといえます。

 決して「論語」でなくていいのだと思います。人として正しい道を貫き、働き、そして後世の人々が恩恵をこうむるペイフォワードをすることができたら、それは生きがいのある、とても素晴らしい人生を送ったといえます。

 渋沢栄一は、私たちが生きがいある人生を送るヒントとなる多くの名言を残してくれた人物です。 

(文:まっつん)