ミミ・レダー監督の映画『ペイ・フォワード 可能の王国』(原題『pay it forward』 ワーナー・ブラザーズ)は、2001年に日本で公開され高い評価を得ました。
主役トレバーを演じたのは、天才子役として名を馳せたハーレイ・ジョエル・オスメントです。彼は11歳の時に、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされています。
物語は、名優ケビン・スペイシー演じる社会科のシモネット先生が、中学校1年の生徒たちに課題を出すことで動き出します。先生は教室の黒板にこう書きました。
「世界を変える方法を考え、それを実行してみよう!」
『ペイフォワード 可能の王国』(ワーナー・ブラザーズ
(Think of an idea to change our world-and put it into Action)。
生徒たちは次に次に不平をもらします。
でも、トレバーはあることを考え出しました。それが「ペイ・フォワード」の思想です。
彼の考えた「ペイ・フォワード」とは、次のようなことです。
トレバーの母親アーリーはアルコール依存症です。
アーリーに暴力をふるっていた夫は家を出ています。シモネット先生はかつて親から虐待された暗い過去を背負っています。トレバー、アーリー、シモネット。決して幸せとはいえない3人の人生が絡み合い物語は進んでいきます。
トレバーは、浮浪者であった薬物中毒の青年を家に招いて食事を共にするなど、自らの課題を実行に移します。ですが、思った通りに事は進みません。
親が問題を抱える複雑な家庭環境に育つトレバー少年は、否定的な世界観を抱いています。自分の行った成果をすぐに見られず、自分のアイディア(ペイ・フォワード)を否定しまい、挫折しかけます。
「善意の連鎖」など、やはり夢物語だったのでしょうか。
ところが、トレバーの知らない所で「ペイ・フォワード」は広がっていたのです。トレバーの住むラスベガスから400km以上離れたロサンゼルスで「善意の連鎖」が起きていました。
何か善いことをしてもらったら、人は「恩」を感じますね。その「恩」を、施してくれた人に返すのが「恩返し」です。
「ペイ・フォワード」は、「恩返し」ではなく、その「恩」を次の誰かへ渡していくことです。「ペイ・フォワード」は字幕で「次へ渡せ」と訳されています。この考えに対応する日本語がありますね。
「恩送り」
日本昔話で「鶴の恩返し」は有名です。
「恩返し」をすることの大切さを、私たち日本人は、ひとつの人生哲学として、あるいは、社会的なマナーとして意識しています。
「恩返し」に対して「恩送り」とは、あまりなじみのない言葉ですが、「恩送り」の考え方は、江戸時代に竹田出雲らによって創作された歌舞伎の演目『菅原伝授手習鑑』に入っていて、古くからある思想なのです。
「恩送り」という言葉を知らなくても、その想いは私たちの胸の内に古くから刻まれているのでしょう。
「上司から受けた恩は、部下に返せ」
優れたリーダーたちが、よく口にするこの言葉は、まさに「恩送り」のことです。
多くの人が、新人時代、上司や先輩社員から社会人のマナーや仕事に必要な知識やスキル・ノウハウを教えられて育っています。ですので、部下は上司に「恩」がある形になります。その「恩」を育ててもらった上司に返せば「恩返し」となりますが、自分が上司となって部下を持った時に、部下たちへ返せば「恩送り」となります。
「ペイ・フォワード」(次へ渡せ)は、組織で働くリーダーにとって大切なマインドセット(思考様式)のひとつといえます。
映画の中で「ペイ・フォワード」の考えがロサンゼルスまで伝わった最初の経路は、トレバーの母ローリーでした。
ローリーは自分の母親からひどい仕打ちを受け、長い間、母親を許せずにいました。息子のトレバーから「ペイ・フォワード」の考えを聞き、浮浪者のような生活をする母親に「許し」の言葉を伝えにいくのです。
ローリーの母親はその後、警察に追われる黒人を助け、この黒人が病院で少女に善意を施します。こうして「善意のバトン」はリレーされていき、大きなうねりへと変化していきました。
科学に「バタフライ効果」という概念があります。
蝶の羽ばたきという些細な変化が、遠く離れた場所の気象現象に影響しうることを示唆する言葉です。『複雑系-科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち−』(著 M・Mワールドロップ 新潮社)にこう書かれています。
「テキサスでチョウが羽をばたつかせると、一週間後、ハイチ上空のハリケンーンのコースが変化し得ることを知った」
『複雑系-科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち−』(著M・Mワールドロップ 新潮社)
蝶(バタラフライ)の羽ばたきが、強大なハリケーンに影響を与え得るのだと科学者たちは言います。
こうした「小さな変化が、大きな変化を引き起こしたり、それに影響を与えるうる」ことを「バタフライ効果」と言います。
ラスベガスの少年の小さなアイディアが、ロサンゼルスでムーブメントを引き起こす。この現象は、まさに「バタフライ効果」といえます。
「バタフライ効果」の存在は、自分のする仕事が例え小さなものであっても、何らかの変化を引き起こす可能性が常にあるのだと信じさせてくれます。この信念が仕事に対する「あきらめない心」を生み出します。
私たちが行う善意ある「小さな仕事」は、それがどんなに些細なものであっても、この世界へよりよい影響を与え続けているのです。
主人公トレバーは、「ペイ・フォワード」運動の発信源としてテレビインタビューを受けた時、こう語っていました。
「“次へ渡せ”が広まったのはママのお陰だよ。でも中にはとても臆病な人たちもいる。
変化が怖いんだ。本当は世界は思ったほどクソじゃない。
だけど日々の暮らしに慣れきった人たちは良くない事もなかなか変えられない。だからあきらめる。
でもあきらめたら負けなんだ」
『ペイフォワード 可能の王国』(ワーナー・ブラザーズ
シモネット先生が課題を出した時、生徒たちは次から次へと「変です」「クレイジー」「難しい」「無理」と不平不満を口にしました。とてもネガティブな反応です。最初からあきらめている状態ですね。これに対して先生は言いました。
「”可能の王国”は一体、どこに存在しますか。
それは君達の頭の中にあるんだ。
君達なら、きっと出来る。不可能を可能にするんだ。
君達次第だ。
それとも、何もせずに可能性を萎縮させるか」
『ペイフォワード 可能の王国』(ワーナー・ブラザーズ)
リーダーとして部下を育て、職場をよりよく変えていこうとする時、その仕事は「ペイ・フォワード」の連続になります。
パワハラ、セクハラ、メンタルヘルスなど、多種多様な問題が組織に横たわる時代です。その中で、リーダーシップを発揮していくことは、見返りの少ない困難な仕事になりがちです。
「ギスギスした職場ではなく、互いに認め合い、励まし合うような職場にしよう」と、「善意の発信源」としてリーダーは、自らメッセージを発信し続けます。「善意のバトン」を日々、組織のメンバーへ、次の世代へと渡していくのです。これはリーダーシップの重要な仕事のひとつです。
でも、悲しいかな「善意の連鎖」を完全にコントロールすることはできません。「善い考え」を組織に定着させようとしても、馬耳東風、暖簾に腕押しの人もいれば、あからさまに反発する人もいます。
善意のバトンを拒絶されることは珍しくありません。
「うるさいな」「面倒くさい人だな」「うざい」などと陰口を叩かれ、変化の手ごたえを実感することができず、トレバー少年のように挫折感を味わうこともあります。
それでもなお、リーダーは「善意の連鎖」が起きるようにバトンを渡し続けます。なぜなら、もし、リーダーが「善意のバトン」を渡さなくなったら、組織は確実に劣化してしまうからです。
「善意」は「悪意」に直面して強くなるのです。
だから、シモネット先生が言うように、トレバー少年がそうであったように、あきらめることなく、自分の取り組んでいることの可能性を信じて、リーダーは「ペイ・フォワード」していくのです。
シモネット先生が生徒に課題を与える時のセリフにあった「世界」を、「組織」(会社、チーム)に変えれば、それは組織、会社、チームを導くリーダーの課題でもありますね。
「組織(会社、チーム)を変える方法を考え、それを実行してみよう!」
(Think of an idea to change our organization(company,team)-and put it into Action)
恩を次の世代へ送りましょう。
善意のバトンをリレーしましょう。
(文:松山 淳)
参考文献:『ペイ・フォワード 可能の王国』(ワーナー・ブラザーズ)