ユング心理学の「影」(シャドー)とは、自分の「生きられなかった反面かつ半面」であり「意識(自我)の否定した要素」が心の中でイメージ化されたものである。夢において「影」(シャドー)は、自分の反対の性格をもつ同性として現れることが多い。男性の夢には男性として、女性の夢には女性として現れてくる。
「影」(シャドー)が現れてくるのは、心に「意識」と「無意識」の2つのエリアがあるためであり、意識のエリアに「自我」(エゴ)があるためである。そこで、ユング心理学の影(シャドー)を理解するために、まず「自我」「意識」「無意識」の関係性を述べる。
次に、ユング研究者の影(シャドー)の定義を解説し、最後に、「夢」に出てくる影(シャドー)について、事例を交えながら解説していく。
目次
自我と意識と無意識
深層心理学では、心の全体を「意識」と「無意識」のエリアにわけて考えます。意識のエリアでは、「自我」(エゴ)が働いています。
「私は私である」
「私は今ここにいる」
「私は今、ネットで文章を読んでいる」。
そんな風に人間は、「私」(自分)のことを、「私」(自分)が、考えることができます。これは意識のエリアで行われていて、自我(エゴ)があるからこそです。
自我は、コントロール・センターとなって意識のエリア全体をコントロールしようとしています。「意識」を「会社」だとしたら、「自我」は「社長」(リーダー)とも、たとえられるでしょう。
意識のエリアに対して無意識のエリアがあります。意識は無意識から生まれたものと考えられています。
あなたは、赤ちゃんだった頃を覚えていますか?
まれに「覚えている」という人もいますが、ほとんどの人は覚えていません。なぜなら、赤ちゃんの心には、無意識が広がっていて、意識のエリアがほとんどないからです。意識がないのですから、自我もなく、「私」(自分)がしていることを、考えられません。考えられないのだから、記憶に残らないのです。
下の写真を見てください。「無意識」を広い広い「海」と考えます。「海」(無意識)はとても広く、同時に、とても深いですね。「意識」とは、この広くて深い海から浮かび上がってきた「小さな島」のようなものです。この島全体を意識のエリアと考えます。ここでは「家」を、自我(エゴ)とします。
「自我の芽生え」なんていいますね。「私は私である」「昨日の私と今日の私は同じ私だ」。私が「私のこと」を考え記憶できるようになることが「自我の芽生え」です。それはつまり「ものごごろがついた」ことを意味します。この時期に、「無意識」という「海」から「意識」という「島」が浮かび上がってきて、形づくられて、自我が働き出すのです。
さて、もし、あなたを「島」にたとえたら、どんなイメージになりますか?
もう一度、写真を見てください。いかがですか。この島の南国風の雰囲気は、あなたのセルフ・イメージにあっていますか。「あっている」という人もいれば、「ぜんぜん違う」という人もいるでしょう。
「だいたい私のイメージにあっている」
だとすれば、南国風のイメージをつくりかえることはありませんね。でも、「ぜんぜん、違う」という人も、いますよね。「もっと和風がいい」とか「北欧風がいい」とか…。
人それぞれ違いがあります。その違いが「個性」であり「あなたらしさ」です。
もし、この写真のイメージが違うのなら、それは「私らしくない」ことであり、「私らしさを失っている」状態です。だとしたら、つくり直せばいいのです。
どうすればいいのでしょう。つくりなおす材料はどこにあるのでしょう。
材料はあります。この島は、海から生み出されたものです。つまり意識は無意識からつくられたのです。だったら海にいけばいいのです。海は無意識でした。無意識(海)にもぐっていけば、自分を作り直すヒントを発見できます。
意識という「島」は、1度つくっておしまいではありません。
自分をつくる「心の仕事」は一生、つづきます。無意識(海)からすくいあげて、意識(島)や自我(家)を、つまり「私」(自分)を、つくりつづけるのが人間です。
ここまで、心には意識と無意識のエリアがあること、そして、意識には自我というコントロールセンターがあることを説明してきました。
実は、この3つが互いに影響を与えあっているから、このコラムのメインテーマである「影」(シャドー)が生まれてくるのです。では、続けて、ユングの「影」(シャドー)に焦点をあてて話を進めていきます。
「影」とは自我が否定したもの
影(シャドー)の定義について、日本人研究者の定義がわかりやすいので、先にご紹介します。ユングの定義は、後ほど書きます。
さて、もう一度、小さな島の写真を見てください。ここで仮に、あなたが、写真のイメージが「自分に合わない」、つまり「南国風は嫌だ」とします。
「私はもっと北欧風がいい」と、あなたは考えたのです。
「北欧風がいい」とは「南国風」を否定したことになりますね。あなた(の自我)は、南国風の家(自我)を否定し、海(無意識)に捨てます。捨てられた家(自我)は、海(無意識)に沈んでいきます。
海(無意識)はとても広く深いので、いろいろな要素を保存することができます。この否定され捨てられ無意識に保存されたものが、ユング心理学でいう「影」(シャドー)となっていきます。
ですので、影(シャドー)のキー・ワードは、「否定」です。「私(自我)による否定」が「影」(シャドー)を生み出します。
ユング心理学研究の第一人者林義道先生は、「影」(シャドー)を定義しています。
影とは要するに自分の中で否定している性質が自立的にイメージになったものである。幽霊、魔女、竜、あるいは怪物などのように独立したイメージをもち、形になっているもの、しかも否定的な性質をもったものが影である。
『心のしくみを探る ユング心理学入門Ⅱ』(林義道 PHP)
人間には、何となくでも、「こんな人間でありたい」「こんな人として生きたい」という理想像があります。仮に「理想なんてない、そんなのどうでもいい」という人でも、「どうでもいい」を理想としているといえます。
「理想像が自分にある」とは、同時に、理想以外の何かを否定していることになっているのです。
例えば、「他人には優しくあるべき」を、理想として生きている人がいたとします。すると、その反対の「他人には厳しくあるべき」を、知らず知らずのうちに、否定している可能性があります。
ですので、「他人には優しくあるべき」と考える人にとって、「他人に厳しくあるべき自分」が、無意識のエリアに捨てられ、「影」(シャドー)となりうるのです。
もちろん、どの程度、否定するかは、人それぞれ違いがあります。否定の度合いがあまりにも強く長期間にわたると、「影」(シャドー)は、色濃くなり力をもつようになります。そして、夢などを通して、意識のエリアに働きかけるようになります。
夢と影の関係については、後ほど述べます。
では、つづいて、「影」(シャドー)の定義として、「否定」に続いて、もうひとつのエッセンスをお話しします。ユング派の河合隼雄先生の定義に耳を傾けていきましょう。
「影」とは生きられなかった半面
ユング派の心理療法家河合隼雄先生は、さまざまな著書で、「影」(シャドー)を「生きられなかった反面(半面)」と定義づけています。
影の内容は、簡単にいって、その個人の意識によって生きられなかった反面、その個人が認容しがたいとしている心的内容あり、それは文字どおり、そのひとの暗い影の部分をなしている。
『ユング心理学入門』(河合隼雄 培風館)p101
「生きられなかった」とは、どういったことでしょう。これを「島」と「海」の比喩でまた説明してみます。
先ほどは、南国風を否定しましたが、今度は、「あなたが南国風を肯定している」としましょう。私のイメージは、南国風であり、そのイメージを受け入れている、肯定できている、というケースです。
仮に、あなたの年齢を25歳としましょう。南国風の自分を気に入って25年が過ぎました。あなたは、25年間、南国風の自分として、生きてきました。
この事実は、同時に、あなたが南国風以外の自分として25年間、「生きてこなかった」ことを意味します。和風や北欧風の自分として、「生きられなかった」ことでもあります。
あなたは25年間、意識の光を「南国風」に当ててきました。
「私らしさは南国風だ…」と。
すると、その反対の要素といえる「北欧風」が、影(シャドー)になります。光を「南」に当てれば、影(シャドー)はその反対の「北」の要素になります。光が「東洋」にあたれば、影は「西洋」で、「和風」に光を当てれば、影は「洋風」となります。
先ほどの例でいえば、「他人に優しく」の反対が「他人に厳しく」です。「優しさ」と「厳しさ」が相反する関係にありますね。
ですので、仮に「25年間、いつも他人に優しく、生きてきた人」は、「他人に厳しくする自分」としては「生きられなかった」「生きてこなかった」わけです。
その時、「他人に厳しくする自分」が、消えてしまうわけではありません。
どれだけ「私」(自我)が否定しても、それは無意識で生きているのです。なぜなら、あなたが否定したものでも、それは人間誰もがもちうる「性格の要素」だからです。
シンプルに「優しい私」に対して「厳しい私」としてもよいでしょう。周囲の人から見た「優しい人」と「厳しい人」です。「優しい人」にとって「厳しい人」が「影」(シャドー)となり、それが突然、顔を出すと、周囲の人を驚かすことがあります。
「私」(自我)と反対の要素が「影」(シャドー)になるので、「反面」といえます。また、「優しさ」という「ひとつの面」に対して、もうひとつの片方の面ですので、「影」(シャドー)は「半面」ともいえるのです。ちょうど、上の図のようなイメージです。
詩人谷川俊太郎さんとユング心理学について語り合った『魂にメスはいらない ユング心理学講義 』(講談社+α文庫)で、河合先生は、影(シャドー)について、こう語っています。
ユングも影について「自分の生きなかった半面」という言い方をしています。つまり、自分の人生で、ある面を生きていくということは誰でも別のある面は生きてないわけでしょう。その生きていない半面が、同性の姿をとって夢にあらわれるわけです。たとえば、よくこんな夢を見るでしょう。自動車に乗っていて、ハッと運転席をみると、自分のきらっているやつが運転していた。それが影の典型です。
『魂にメスはいらない ユング心理学講義 』(講談社+α文庫)p199
そうです。もし、あなたが男性で、「男の人で、あなたの嫌い人」が夢に出てきたら、それが「影」(シャドー)である可能性が高いのです。もし、あなたが女性で、「女の人で、あなたの嫌い人」が夢に出てきたら、それが同じく「影」(シャドー)の可能性が高くなります。
夢の話しをするとわかりやすいので、後ほど、またお話しします。
次に、では「影」(シャドー)のコンセプトを考え出したユングは、何と言っているのでしょう。ユングの考え方をおさえたら、夢の話にうつっていきます。
ユングの「影」(シャドー)の定義
ユングは、影(シャドー)について、こう書いています。
影ということで、私は人格の「否定的」側面を意味している。それは十分に開発されてこなかった個人的無意識の内容・機能を含めて、私たちが表出したがらない不快な性質をもったもののの集合である。
『エッセンシャル・ユング』(創元社)p101
まず、〝人格の「否定的」側面〟が、影(シャドー)だといっています。「否定」がキーワードになっています。自分が否定しているものが影(シャドー)となっていくのです。
また、「十分に開発されてこなかった」とあります。これは、自分が否定した性格の要素を、表現したり使ったりしてこなかったので、結果的に、未開発のままになっていることを意味します。
例えば、Aさんが、自分は性格的に「暗い」と考え、「暗い人」として生きてきたのなら、「明るい人」としては「生きてこなかった」ことになります。すると、Aさんにとっての「明るい人」としての要素は、「開発されていない」ことになります。
そして、ユングが影(シャドー)を、「不快な性質をもったもの」と書くのは、自分の相反する要素は、多くのケースで「嫌い」であり、「気に入らない」ものであり、「不快なもの」になるうるからです。
暗い性格のAさんの夢に、性格的にやたらと明るい友だちBさんが出てきて、言い合いをしていました。そしてイライラしながら目を覚ましました。とても不快な夢でした。Aさんにとって、そのBさんが「影」(シャドー)と考えられます。
ユングの言葉から影(シャドー)の3つの性質が浮かび上がります。
❶人格の「否定的」側面
❷十分に開発されてこなかった
❸不快な性質をもったもの
あなたの夢に、この3つの要素をもった誰か、何かが出てきたら、「影」(シャドー)の可能性が高いといえます。
では、実際の、夢に影(シャドー)が出てきた事例を見ていきましょう。
夢に現れる影(シャドー)の事例
まず、ユングの夢です。これは人ではない、まさに影(シャドー)の夢です。『ユング自伝1』(みすず書房)に書かれてある事例です。
どこか見知らぬ場所で、夜のことだった。私は強風に抗してゆっくりと苦しい前進を続けていた。深いもやがあたり一面にたちこめていた。私は手で今にも消えそうな小さなあかりのまわりをかこんでいた。すべては私がこの小さなあかりを保てるか否かにかかっていた。不意に私は、何かが背後からやって来るのを感じた。振り返ってみると、とてつもなく大きな黒い影が私を追っかけてきていた。しかし同時に私はこわいにもかかわらず、あらゆる危険を冒してもこの光だけは夜じゅう、風の中で守らねばならぬことを知っていたのである。
この夢は、ユングの自伝に書かれているもので、ユングが学生時代に見た夢です。
いかがでしょうか。自分の後から、大きな影が追いかけてきたら、こわいですね。こわいのですから、不快な性質をともなっています。
ユングは、この夢をあと、「大きな黒い影」は、小さなあかりに照らされて「影」となった自分だ、と気づきました。また、「あかり」は、自分の「意識」だと解釈しています。ここでの「意識」とは、「無意識」に対する「意識」です。
ユングは、幼い頃から自分の中に、「2つの自分」「2つの人格」がいたことを書いています。
そのふたつを「No.1」と「No.2」と呼んでいます。「No.1」は、ユングのセルフ・イメージであり、ユングの自我がつくりだしたものです。この夢で「No.1」の人格は、小さなあかりをもって強い風を受けながら前進しようとしているユングです。これに対して、「影」となっている自分が「No.2」ではないかと、ユングは考えたのです。
ユングは、自伝にこう書いています。
この夢は私には重大な啓示だった。その時私はNo.1が光の運搬人であり、No.2はNo.1に影のように従っているのがわかったのである。私の仕事はあかりを守り、透徹した生命力の方が振り返って見ないようにすることであった。つまり透徹した生命力は明らかに、別種の光をもった禁じられた領域だったのである。
『ユング自伝1』(C.Gユング みすず書房)p135
まさに「影」そのものが登場してくる「影」(シャドー)の夢です。
では、次に、ユング派の心理療法家河合隼雄先生の事例を見ていきます。この夢は、30歳の男性で、非常に気の弱い、赤面恐怖症の人がみた夢です。
教室で勉強をしている。数学の時間で先生が私に質問をする。私は答えようとするが、全然思いつかない。先生は非常に意地悪い顔つきで、こんなものがわからないのかといい、しまいには「君はいつもこんな調子で、結局は顔は赤くなるし、物はいえないし」という。他の学生たちまで、それに呼応して、「赤くなる!」とか「何もできない!」とか叫び出して、私は冷や汗を流して、目を覚ます。
この夢を見た赤面恐怖症の人を、ここでZさんとします。赤面で悩んでいるZさんにとって、この夢は、傷口に塩を塗られるような夢です。目が覚ました時には、さぞ、不快であり、落ち込みもしたのではないでしょうか。
でも、ここで少し冷静になってみましょう。この夢をつくり出したのは、赤面恐怖のZさん自身だということです。つまり、この学校の先生もZさん自身とも考えられるのです。
この夢では、Zさんが自分のことを先生のように叱っている、のです。ある意味、この夢は、厳しくも優しいメッセージともとれます。
影の話をしてきましたので、わかるかと思います。Zさんは、非常に気の弱い人です。また、「小さいときから女のようにしてすごし、人に意地悪をしたり、権威的な態度をとったりすることが大嫌い」(p103)なのです。
反対に、夢の先生は、意地悪い顔つきで、こんなものがわからないのか、というZさんにとって反対の性格をもった人です。Zさんが否定した要素が、無意識で影(シャドー)となり、先生の姿となって現れてきたのです。
河合先生は、この影(シャドー)の夢について、こう書いています。
このひとは、自分がひたすらきらってきた意地悪さや、攻撃性などが、実は自分の無意識の世界に強力に充満していることを知らされ、それに直面してゆくことを知らされたわけである。
『ユング心理学入門』(河合隼雄 培風館)p103
夢は無意識からのメッセージです。
Zさんにとって、この夢はとても厳しいメッセージですが、大切なことは、自分の中に、自分とは反対の人格が生きていて、それを否定ばかりするのではなく、手をとり力を合わせて生きていくことです。
Zさんが、自分の中ににある「影」(シャドー)の要素(権威・攻撃性)を認め、受け入れていくことができるのならば、赤面恐怖症を克服しつつ、Zさんの心は、きっと成長することができるでしょう。
まとめ
「影」(シャドー)は、自分の「生きられなかった反面かつ半面」であり「意識(自我)の否定した要素」なので、それが夢に登場すると、不快な夢であることが多いのです。
ただ、赤面恐怖症の夢がそうであったように、影(シャドー)の存在を知り、受け入れていくことで人の心は成長していくのです。そう考えると、不快といっても、「意味のある不快さ」が影(シャドー)にあるのです。
ユングは「影はある意味で、人間の存在を生き生きとさせ、美しくするような、原始的で子どもっぽい性質すら持っている」(『エッセンシャル・ユング』創元社p105)とも書いています。
人間は、誰もが、影(シャドー)をもちうる存在です。
不快な「影」(シャドー)は、私たち人間を苦しめようとしているのではありません。「もっと成長せよ」と、無意識からメッセージを送る「魂(こころ)の番人」としての役目があるのです。
「魂(こころ)の番人」のいう意味深いメッセージに耳を傾けることで、影(シャドー)は光となり、私たちを救い、人は、人格を高めていきます。
それでは、最後にユングの胸に響く言葉を記して、このコラムを終えます。
人間というのは、とてもびっくりするようなことでも、
その意味が理解できれば、それを生きることができるのである。
『エッセンシャル・ユング』(創元社)p101
(文:松山 淳)
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